第2話『一番星、光る時』
藤岡美奈子は、学校がひけてから図書館に行くのが大好きだった。
学校であった辛いこと、悲しいことー。
それを忘れさせてくれるのが、彼女にとっては図書館であった。
まだ小学三年にしかならない美奈子に、運命のカミサマは辛い試練を与えた。
美奈子は今の学校で、三回目の転校になる。
前の二つの学校で、彼女は大きな問題を起こしてそこに住んでいられなくなったのだ。
生まれながらにして、彼女が持ち合わせてしまった人とは違うもの。
そう、それは『超能力』。
超能力にも色々ある。
念動力、透視力、テレパシー、サイコメトリー、予知……。
美奈子はまれにみる『すべての種類の超能力の最高レベルを備えたESP (エスパー)』だったのだ。
よちよち歩きの幼児の頃から、その能力は明らかだった。
彼女の周りでは常に物体が浮遊し、機嫌を損ねるとモノが壊れた。
屋根に穴が空いたこともあった。
美奈子の幼児期には理性で力を制御することが難しかっただけに、両親の苦労もひとしおであったろう。
小学生になって少しは社会性が身につき、力を抑える術を覚えたが——
今度はかえってそれが美奈子にストレスをかけることになった。
理性的であるよりも衝動的かつ感情的であることはどうしても仕方のない幼少期にあって、その年頃の子どもが求められる以上の我慢を強いられた美奈子は、いつも「失敗しないだろうか、思わず人前で力を使ってしまわないだろうか」とオドオドしていた。
その様子を同級生達に『弱虫』と誤解され、いじめの対象になった。
もちろん、美奈子の力をもってすれば子どもはもちろん大人さえ負かせる。
いや、極端なことを言えば……一国の軍隊すら壊滅させられる力があった。
でも、美奈子は歯を食いしばって耐えた。
そして、その我慢の限界に達してー。
一度目はクラスメイトの背中に火がついた。
二度目は教室が半壊して、死者はなかったが10人の子どもが怪我をした。
そして彼女とその家族は、その地に住めなくなるたびに引越しをした。
今度はもう、引越しなんていや——
そう思った美奈子は、学校で心休まる時がなかった。
力では絶対に負けないのに、その力を封じて理不尽な子ども社会に立ち向かって行かなければならないのだ。
美奈子はそのストレスから、よく食べたものを吐いた。
学校がひけても、彼女には同年代の友達がなかった。
だから彼女は、近くの図書館を憩いの場とした。
そしてその図書館の職員、須美子おばさんが美奈子の唯一の心ゆるせる友達となった。
『司書 という役職名で図書館勤めをしている岩間須美子は、今年50歳になる本のベテランだった。
もちろん、幼い美奈子には司書などという言葉は分からないから『本の貸し出しのオバサン』と認識していた。
「こんにちは~」
学校では控えめな美奈子も、図書館の自動ドアをくぐったとたん、元気な女の子に早変わりする。
「あらあら。いらっしゃい」
気付いた須美子は、今日も変らぬ笑顔で美奈子を快く迎えた。
「あっ、図書館では静かにしないといけないんだった!」
あわてて口を押さえる美奈子を見て、須美子は思わず笑った。
「お利口さんねぇ、ありがと。でも、それくらいは大丈夫よ」
美奈子は、2時間余り好きな本をながめて過ごした。
物語の内容に想いを馳せ、好きなだけ想像の翼を広げられるこのひと時をとても喜んだ。
夕方の5時になって、美奈子は本を二冊借りて帰ることにした。
「これ、お願いします」
須美子の待つカウンターに、貸し出しカードと本を渡す。
「あら。ちょっと待ってね」
カウンターの机の引き出しの中を何やらゴソゴソと探していた須美子は、やがて目的のものをを見つけた。
「ああ、あったわ。はいこれ、美奈子ちゃんにあげるね」
手渡された本の上には、花の絵が描かれたきれいな栞 (しおり) が一枚、のっかっていた。
「須美子おばちゃん、これ本当にもらってもいいの?」
両親以外から好意で何かをもらう、ということのほとんどなかった美奈子の目は、うれしさに輝いた。
「それはね、私が本を読むときにね、ずっと使ってたものなんだよ。天国に行ったダンナがくれたものなんだけどね。今時の若い子はこんなのもらって喜んでくれるかどうか心配だったんだけどね」
美奈子は首をブンブン振った。
「ウウン、おばちゃん。私ね、すっごくウレシイ! ってか、そんな大事なもの、私がもらっちゃっていいの? そっちのほうが心配……」
フッと笑みを漏らした須美子は、天井の一点を見つめて遠い目をした。
「大事なものだからこそ、美奈子ちゃんに持っていてもらいたいのよ」
家に帰ると、すでに夕食が用意されていた。
借りてきた本のことが楽しみで、気もそぞろに夕食を食べ終えた美奈子は、二階の自分の部屋に飛んで戻り、寝そべって本を開いた。
その時、図書館の須美子にもらった栞が、ハラリとカーペットの上に落ちた。
「あ、これもらったんだっけ」
美奈子がその栞に触れた瞬間。
様々な映像が美奈子の頭脳に流れ込んできた。
彼女は無意識に、サイコメトリー(物体に残った人の残留思念を読み取る能力)と予知能力を複合して使ったのであるが、無論美奈子自身にそんなことは分からない。
見えたビジョンの衝撃の内容に、美奈子の幼い顔は蒼白になった。
「おばちゃんが……おばちゃんが!」
母親に気付かれないように、そっと玄関口に出る。
靴を履いた美奈子は、栞から読み取った須美子の家のあるはずの場所へと走った。
下手にテレポートは使えない。
なぜなら、着いた地点に誰か人がいた場合、大騒ぎになるからだ。
『人の見てない場所』などという指定は、皮肉なことに不可能なのだ。
須美子の自宅前に立った美奈子は、呼び鈴も押さず、門を勝手に開けて侵入した。
それが無駄だと予知で分かっていたからだ。
当然、ドアには鍵がかかっている。
「……開け」
美奈子の瞳は収縮し、まるで昼間の猫の目のようになった。
とたんに、カチリと音がして、内側から鍵が開いた。
靴も脱がずに美奈子は玄関を飛び上がり、電気のついていない廊下を進んで、リビングへ出た。
「やっぱり」
窓から月光の差し込むリビングの中央に、須美子が意識を失って横たわっている。
そして彼女のそばにかがんでいる一人の男性がいた。
その男はゆっくり立ち上がると、美奈子のほうを向いた。
「お前さんには、わしが見えるのかね?」
「……おばちゃんを連れて行かないで」
美奈子の体が、まばゆい光の球体に覆われた。
部屋中の物という物が意思を持ったように宙に浮き上がったかと思うと、それらすべてが男めがけて飛んだ。しかし、その攻撃は何の意味もなかった。
すべての物は、男の体に当たることなく、すり抜けてしまったからだ。
「おや。お嬢ちゃんは変った力を持っているねぇ。でもこればっかりはね、仕方がないことなんだよ」
男は怒るでもなく、ただ悲しい目をして憤る美奈子を見つめた。
「まだ小さいあんたには難しいかもしれないね。でもね、どんな力を使ったとしてもね、『死』だけは避けられないんだよ」
「いやだぁ、いやだぁ! おばちゃんを連れて行かないで。そしたら、そしたら……私友達がいなくなっちゃうよぅ!」
美奈子の体から、光の球体が消えた。
彼女は肩を震わせて泣き出した。
その時、倒れていた須美子が立ち上がった。
いや、立ち上がったのではない。何かが抜け出たのだ。
なぜなら、実体としての須美子の体は、依然として床に横たわっていたからだ。
半透明の姿をした須美子は、美奈子に語りかけた。
「ごめんね美奈子ちゃん、おばちゃんね、お迎えが来ちゃったみたい」
ヒックヒックとしゃくりあげながら、美奈子は目の前の現実を子どもなりに消化しようと、懸命の努力をした。
「夜空に一番星が出たらね——」
須美子はカーテン越しに窓の外を見上げた。
「それを私だと思ってちょうだい。私はいつでも美奈子ちゃんの味方よ」
それだけ言うと、須美子は男の手を取った。
「それじゃああなた、行きましょう」
「……今まで苦労をかけて、すまなかった」
抱き合った夫婦の姿は、次第に透明になり——
やがて完全に消えた。
美奈子の母、照代は我が子が家を抜け出たのに気付いた。
「あの子、また何か抱え込んだわね……」
照代が神経のアンテナを張りながら新聞を読んでいると——
しばらくして玄関のドアがバタン、と開閉する音に続いてバタバタと二階へ駆け上がる足音。
新聞をたたんだ照代は、残業で帰宅が遅れてまだ食事中だった美奈子の父・悠介に「私に任せといて」と一言言い残して、美奈子の部屋のある二階へ上がった。
部屋の前に立つと、電気もつけていない部屋の中から美奈子の噛み殺したような泣き声が聞こえた。
「入るわよ」
ドアを開けて、ベッドの中にもぐってしまっている美奈子を発見した照代は、ため息を一つついた。
彼女は無言で、美奈子のベッドの中に割り込んだ。そして何も言わずにギュッと抱きしめた。
「あなたは、とってもいい子」
美奈子は、母の懐にしがみついた。
「……人って、何で死んじゃうの? 私の 『チカラ』 でも、どうにもならないの?」
「それはむずかしい問題ね——」
母は、背負ってしまった力のゆえに苦しむ我が子の不憫を思った。
「人はね、早いか遅いかだけで、いつかは死ぬの。それはね、人にはどうしようもないことなんだよ。そしてそれは、どうにかできてはならないものなんだよ。美奈子にはまだムズカシイと思うけどね」
「でも何だか……何だか悔しいよう」
美奈子はいっそう声を上げて、母の懐で泣きじゃくった。
月光の見守る中。母子は数時間、抱き合ったままだった。
図書館からは、須美子の姿が消えた。
悲しかったが、それでも美奈子は図書館に通い続けた。
やがて新しくやってきた司書の若いお姉さんとも仲良くなり、美奈子も少しは慰められたのだった。
図書館からの、帰り道。
見上げれば、夕焼け空を次第に藍色の闇が塗りつぶそうとしている。
美奈子は、須美子の言葉を思い出していた。
「一番星が出たら、私だと思ってちょうだい」
頭上にひときわ大きく輝く星を見てとった美奈子は、なりふり構わず駆け出した。
途中、転んで足を擦りむいた。
それでもまた立ち上がり、家路を急いだ。
風を切る速さで住宅街を駆け抜ける彼女の後ろに、涙の粒が尾を引いた。
……私も、お迎えが来るまでは頑張るからね。負けないからね。
過酷な運命を背負いつつもなお闘い続けようとする少女に、夕日はどこまでも優しいオレンジ色の光を注ぎかけていた。
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