超能力少女・美奈子の事件簿
賢者テラ
第1話『RED EYES』
東京都・豊島区にある国立生物科学研究センター、8:30 PM。
けたたましい非常ベルの音が、センター中に響き渡った。
何箇所も存在する厳重な認証扉を通過するためのIDを首からぶら下げ、いかにも研究者らしい白衣を羽織った人々が、小ぜわしく右往左往する。
「いったい、なぜ逃げたっ」
イギリス人であり、一般人には何の活動をしているのか分からないこのセンターの所長でもあるネルソンは、外国人とは思えない流暢な日本語で叫びながら廊下を駆け抜けた。彼の後を追ってきたバイオテクノロジー部門の主任研究員・冴島涼子が、ネルソンの背中に声をかけてくる。
「……原因は分かりません。考えられるのは、力を抑えるための筋弛緩剤の投与分量に誤りがあったか、感染させた細菌と検体との相性に問題があったのか——」
「とにかくだ」
苛立ちを隠せないネルソンは、先を走りながら冴島の言い訳をさえぎった。
「理由など、もうどうでもよい。今最も重要なのは、あれが 『逃げた』 という事実だ。チタニウム防壁をぶち破るほどのケダモノが東京に放たれてしまったら……」
ホームレスの男、海藤慎二は寒さに身を縮こまらせた。
東京の冬の夜。
下手に高層ビルが立ち並んでいるせいか、不自然極まりない強風が海藤の体に吹き付けてくる。
彼は、定時に捨てられる期限切れのコンビニ弁当を得るべく、寒い中体を押してまで出張ってきたのだが、すでに他の仲間たちに取り尽くされていたのだ。
悔しさを胸に空手で帰る時の悔しさといったら、ない。
……ちっくしょう。腹減ったなぁ。腹が減ると、寝るのもなかなか寝付けないんだよなぁ。
この寒さだから、下手したら凍死するぜ?
皮肉なことに、ホームレスの中にも『格差社会』というものはあった。
同じホームレスでも、あらゆる家財道具を備えた御殿のようなビニールハウスに住み、ある程度の収入を得て優雅に(?)暮らす者もいれば、海藤のようにホームレスにはなったが要領が悪く、ひどい生活を強いられる一方の者もいる。
彼らの内でさえ、縄張りや階級、といったものがあるのが現実だ。。
せっかく社会からドロップアウトしたのにその行き着いた先が結局 『社会と相似形』 である世界だという現実に、ホームレスは絶望するのだ。
明日こそは早めに来よう——。そう自分を慰めながら、海藤は自身のねぐらであるK公園へと足を向けた。
M市の中央に位置するこの公園は、規模としてはかなり広い。
公衆便所の水道で顔を洗った海藤は、いつもの習慣となっていた儀式をするべく小さな祠(ほこら)の前に立った。その中に鎮座する小さな地蔵を前に、手をパンパンと鳴らして拝む。
「どうか明日には、うまい残飯にありつけますように!」
もっとレベルの高い願い事をしてもよさそうなものであるが、彼はとにかくその日その日の食べ物のこと以上の関心事はなかったのだからしょうがない。
すべての運に見放されついに天涯孤独の身の上となってからは、いつもこの公園のこのお地蔵様に一日一回、こうして願をかけているのだった。
海藤の運がよく、ローソンのゴミ捨て場から賞味期限切れたての幕の内弁当がゲットできた時などは、おかずを半分お地蔵様に供えて祝ったものだったが、そんなものを供えられてお地蔵様が喜んだかどうかははなはだ疑問である。
「さてと」
公園の中央の小高い丘のような所に、屋根の付いたベンチがある。
壁こそないが、ベンチの足元に寝転がれば風は何とかしのげる。
そこへ向かうべく、海藤は公園の遊歩道を歩いた。
夜空の月が、異様に近く感じられた。
「あれ。お月様って、こんなに大きく見えるものだったっけ?」
見事な満月だった。
日頃見もしないのにたまたま見たからそう思うだけかもしれないが、それにしても見え方が鮮やかすぎて、まるで3Dメガネを通して見た映像のように、そこだけ浮き上がっている。
「くわばらくわばら。何か不吉なことの前触れじゃなきゃいいけどな」
地蔵様に毎日手を合わせるような男だけにそのような発想をした海藤だったが、皮肉にもこの予感は的中してしまうことになる。
街灯の明かりも届かない遊歩道の草むらに、赤い光があった。
漆黒の闇の中で、そこだけがかすかに淡い、それでいて毒々しい赤色を明滅させていた。
「……何だ、ありゃ」
海藤は正体を確かめようと、光が見えるその草むらに歩み寄った。3メートル手前あたりに来ると、急にその辺りの潅木や雑草がざわざわと揺れた。
一瞬、赤い光が消えた。
そして、茂みからニューッと長い足が生えるように出てきた。
履いているのはヒールのようだったし、スラッとしたキレイな足の感じからして、女性だと思われた。
果たして、もう片方の足、頭、腕、胴体……と順番に女の体のパーツが次々と現れた。
そして最後にその全身を現した女性は、あっ気にとられている海藤の前に立ちはだかった。
20代と思われる、若い女性。
赤いヒール・白のセーターに黒のタイトスカート。
その上からベージュのハーフコートを羽織っており、髪の毛は腰までありそうな黒のロングヘア。
不思議なことに、彼女は目が不自由なのか何なのか分からないが、目を閉じたまま開けようとしない。
「ネエちゃん、さっきここで何か赤く光っとったみたいやけど……?」
言ってしまってから、海藤は声をかけたことを後悔した。
「ケケケケケケケケ」
おおよそ人間らしくない、薄気味悪い笑い声が女の口から漏れ聞こえてくる。
女は数歩歩いて海藤の前に立つと、それまで閉じていた目をカッと開いた。
「ひいいいいいっ」
その目に射すくめられた海藤は、背筋が凍りついた。そして反射的に女の前から全力で駆け出していた。
なぜならその女性の目は——
真っ赤に光っていたからである。
ファミレスのバイトを終えたばかりの高校生・藤岡美奈子は自宅への帰路の途中にあった。
学校がひけてから直接バイト先まで行ったため、紺のブレザーと青のチェックのスカートという制服スタイルであった。
美奈子は、昼の暖かさに惑わされて、コートを用意してこなかったことを後悔した。
「ま、いっか。早く帰ろ~」
そう独り言をつぶやいて、信号が変ってしまいそうな横断歩道を駆け足で渡った。
その瞬間。
美奈子の脳裏を、一筋の閃光が貫いた。
……何、これ。
彼女はまたかぁ、と深いため息をつきながらも、全神経を集中させて一体何が起こっているのかを突き止めようとした。
この近くで困っている人がいる。それもただ困っているというレベルではなく、命に関わる危険にさらされている——。
とりあえずそれだけ察知した美奈子は、そのSOSの念を発している地点に行ってみることにした。
やはり、助けを求めている人を放ってはおけない。
藤岡美奈子は、幼少時より特殊な能力を持っていた。
それは、超能力。彼女はESP(エスパー)であった。
超能力にも色々な種類があるが、世で認知されている種類のものはすべて使いこなした。
いや、それ以上のことができた。
美奈子にしたら、テレビで迷宮入りの事件を透視したりスプーンを曲げたりするようなレベルは『子供だまし』であった。
彼女の両親は我が子の恐るべき能力を見て、『絶対に人前で使うな』という厳しい戒めを与えた。
もし、彼女の恐るべき力を国家権力などが『本物』と認めたら、どんなひどいことに巻き込まれていくか分かったものではないからだ。
それこそいいように利用されて、自分の小さな幸せなど望むべくもないだろう。
実際、彼女をいじめたクラスメートの背中が燃え上がったり、彼女の怒りで急に局部的な地震が起こったりしたことがあった。
……自分をコントロールする力を、人としての強さを持たなくちゃ。
エスパーだから不思議な力を使えてカッコイイとか、注目されていい目を見るなどというのは幻想である。
それどころか、ふつうの人以上の生きる苦労と十字架を背負わされた美奈子だった。
何度も悩み、自殺を考えたこともあった。
しかし何とかその都度乗り越えて、今に至っているのだ。
彼女は、両親の戒めを時として破って、チカラを使う時があった。
それは今のように、困っている人、深刻な状況に立たされている人に気付いてしまった時である。
「このへんからね」
SOSを発した人物の残留思念をサイコメトリーで読み取った美奈子は、導かれるままにその人物の通過した後をたどり、やがて大きな公園に出た。
「ワイズマンズ・サイト (賢者の目)」
彼女は、眼球の水晶体と角膜の距離と厚さを調節した。彼女の目は、いわゆる 『千里眼』 であった。
「……いた」
美奈子は捉えた。公園の奥の闇に、何者かに追われて逃げ惑う男性の姿を。
「一体、何に追われているの?」
それを確かめるべく、彼女は何のためらいもなく地を蹴った。
「アキレスの足」
普通なら倒れてしまうほどの前傾姿勢で、美奈子はつむじ風のように地を進んだ。
優に時速60kmは出ていた。
……もう、あかん。
様々な障害物や物陰を利用して逃げのびてきた海藤だったが、そろそろ体力の限界に来ていた。
赤眼の女は、まっしぐらに逃げる海藤の後を追ってきた。
振り返った彼は、その姿のあまりのおぞましさに気が狂いそうになった。
「来るなああああああああああっ」
目が真っ赤というだけでも恐ろしいのに、その女性は二本足では走らず、まるで地を這う獣のように四足で駆けて来るのである。
しかも、その速さは普通に犬が走る速度と大差ない。
日頃栄養が足りておらず体を鍛えてもいない海藤は、やがて走れなくなった。
……思えば、オレの人生ついてないことだらけやった。そして結末はやっぱりついてないまま終わるんやなー。
そう思ってあきらめにも似た感情を抱いた瞬間——
「イカロスの翼」
何だか女の子の声が聞こえたかと思うと、自分の体がフワリと空中に浮き上がる感覚を感じた。
…………!
海藤は下を見て恐れをなした。
公衆便所が小さな豆粒ほどに見える。
どうやら、声の主の女の子に抱えられているんだと分かった。
セルフテレキネシスで地上100メートルまで飛び上がった美奈子は、ゆっくりと公園の端に着地した。
「オジサン、危ないところだったね。でもお願いだからさ、お金貯めておフロ、入ってよね……」
海藤の頭の中は、混乱していた。
気味の悪い怪物に追われたかと思えば、今度は味方とはいえ空を飛べる女の子の出現。
そして海藤は少女の目を見て、気を失いそうになった。
「あのねオジサン、私は味方だから、そんな怖がらないで。まず、アイツの正体突き止めなくちゃね」
サーモグラフ(熱映像探知)モードに眼球を切り替えた美奈子の目は、あの怪物女のように真っ赤だったからだ。
「マジぃ?」
何かが分かったのか、美奈子は驚きの声を上げた。
「ど、どうかしたのか?」
「……アイツ、体温がない」
バイオグラフィー(生体反応)モードでもスキャンしてみた美奈子が下した結論。
あれは人間の死んだ体を乗っ取った何か——。
「それじゃ、幽霊か何かでも取り付いているのか?」
美奈子の説明を聞いた海藤は、素朴な疑問を口にした。
「霊の類じゃないわね。もしそうだとしたら、きちんと意思があるからコンタクトが取れるはずなのよ。もしかしたら『細菌』じゃないかしら」
「……何じゃそら」
話がそこまでになると、もう海藤にはついて行けない世界であった。
「意思のある単体生物なら、交渉して『説得』っていう手も使えるんだけどね、どうもそれをしようとすると……相手の数が億単位なのよ。だから、意思を持った一つの生命なんかじゃなくて細菌。それなら説明がつく。まさか億もある細菌一つ一つと交渉なんかしてたら、時間がいくらあっても足りないでしょ?」
「まぁ、そりゃそうだ」
海藤が納得している間に、美奈子はどんどんと公園の中に進んでいく。
「お、おいっ。せっかく逃げられたのに、どこへ行くんだ?」
呼び止められた美奈子は、海藤を振り返るとフッと笑った。
「私には、まだやることがある。アレをここで倒さないとね。街に出られてしまったら、大変なことになる。オジサンは逃げちゃっていいよ、あとは任せて」
ホームレスになって人の温かさよりも無情さばかりを見せ付けられてきた海藤だったが、美奈子の後姿を見てさび付いていた良心と勇気がうずいた。
美奈子はその制服姿の残像を残し、瞬間移動して行ってしまった。
「……いくら強いたって、あんな可愛いお嬢ちゃん一人に全部押し付けるほど、オレも落ちちゃいねえぞ」
海藤はそのへんから武器になりそうな木の棒を見つけてくると、意を決して公園の奥に向かって歩き出した。
四足で土煙を上げて駆けて来る女性の怪物は、真っ赤な目に殺意をたぎらせて美奈子に突進してきた。
……来る。
美奈子の眼球が、真っ赤に燃え上がった。
とたんに彼女の体の周りに、青白いオーラがまとわりついた。
「ヘラクレスの剛力」
腰をかがめた美奈子は、筋肉のもつ100%の潜在能力を一気に爆発させた。
赤眼の怪物女を受け止めたが、美奈子の力をもってしても10メートルほど後方に押し込まれた。
「何ですって?」
赤眼女は、いきなりクワッと口を開いた。
その口の中は目と同じように毒々しい赤で、しかも獣のような牙が生えていた。
もう少しのところで噛み付かれそうになった美奈子は赤眼女を放して突き飛ばし、宙に跳び上がって距離を取った。
意外な攻撃に、たじろぐ美奈子。
彼女は神経を極限にまで集中させて、念動力(サイコキネシス)を使った。
突然、公園の遊歩道の鉄柵がズボリ、と地面から勢いよく抜けた。
それはまるで意思を持つかのように、矢のように赤眼女を襲う。
しかし、俊敏な赤眼女は難なくこれを身をかわして避ける。
「いっけええええ」
空中で静止した美奈子は、両手を水平に広げた。超高温の光球が両手から生じ、炎を噴き上げた。
「ホーミング・ブラスター」
彼女の投げた光球は、真っ直ぐに赤眼女に向かって突き進む。
「キエエエエエエエエエエエ」
敵は空を飛ぶことこそできなかったが、その跳躍力はかなりのものだった。火球は、誘導ミサイルのように狙った相手に当たるまで追い続ける性質のものだったが、巧みに途中で木や街灯にぶつかるように仕向けられ、ひとつもターゲットを直撃できなかった。
ただ、少しは火球がかすったようだ。敵の左腕は、服ごと焦げてブスブスと煙を上げていた。怪物に命中しなかった火球は草地に突き刺さり、周囲に炎が一気に燃え上がった。
……勝てないかもしれない。
美奈子は、漠然とそう思った。
先ほどの噛み付き攻撃から悟ったことが一つあった。
この化け物女の正体はヴァンパイア。そう、『吸血鬼』だったのだ。
もともと死体のくせに体を動かして活動する必要のあるものだから、一定時間ごとに かなりのエネルギー供給が必要になる。でもその補給の方法は?
普通の生物なら呼吸や食事によってだが、死体だから息を吸ったり食べて栄養やエネルギーを摂取できない。だからなのか、死体を乗っ取っている細菌が『新鮮な血』を取り込んでそれを分解することで、活動エネルギーへと変えているようだ。
あの怪物の活動を支えるには、恐らく一日に人間まる四人分の血が必要だろう。逆に言えば、あいつを放っておけば、日に少なくとも四人以上は犠牲者が出る。
でも、まるで策が思いつかない。勝てる気がしない。
……動きがあまりにも早すぎる。私の念動力でモノをぶつけても、簡単に避けられてしまう——。
火・水・電気・風などの元素の力(精霊エネルギー)を武器として使役するにも、好きなだけはできない。さっきの攻撃でその力をだいぶ使ってしまった美奈子に残されたパワーは、あとわずかだった。
人とは違う力を持たされて、人には理解できない十字架を背負わされて——。
ここで死んでも大して惜しくはない人生だった。
でも、なぜか美奈子の目尻から大粒の涙がこぼれた。
「ごめんね、父さん。母さん」
美奈子はゆっくりと地面に舞い降りた。
スカートがふわっと空気を含んで浮き上がる。
「こうなったら、あんたを道連れにしてやる」
美奈子を包むオーラが、青から赤に変化した。
……アイツの動きは速い。
だから、アイツめがけて攻撃を放っても、避けられる。
でも、広い範囲攻撃を行えば、どうだ?
アイツがどう動き回ろうが逃げることの出来ない広範囲を火炎で焼き尽くせば——
美奈子には分かっていた。
それだけの精霊エネルギーを消耗するということは、死と引き換えである、と。
吸血女は髪を振り乱して、満月を背に飛んだ。
覚悟を決めた美奈子は、残っているすべての力を出し切るべく念を集中させた。
最後の手段。
それは、パイロキネシス(念動放火)による周囲一帯の完全焼却——
美奈子には、自分の周囲にだけ結界を張って範囲攻撃を逃れる余力などなかった。残った力でみんなの平和を守るためには、怪物と刺し違えるしかなかった。
「これでよかったのよ。私のこのバカみたいな力が人の役に立つんだから」
その時だった。
「待ちやがれええええ!」
ヒュン、とどこからともなく飛んできた石が、吸血女の後頭部にヒットした。
美奈子にばかり意識を集中していたため、とっさに反応できなかったのであろう。
鈍い音とともに、その傷口から血があふれた。
「ギャアアアアアアアアア」
ただでさえ血がほしいのに、自分の体から血が出て行ってしまうという目に遭って、吸血女は半狂乱になった。そして、そのダメージを与えた張本人・海藤に向かって突進していく。
「危ないっ」
美奈子は慌てて叫んだが、時はすでに遅かった。
海藤は棒切れを持って応戦したが、人間離れした怪力を持つ吸血女には、何の足しにもならなかった。
「うわああああっ」
海藤は、肩に食いつかれた。吸血女の牙は海藤の肩の肉にズブリとめり込み、恐ろしいまでの顎の力で周囲の肉をも噛み砕いていった。
美奈子は、絶望感に襲われた。
……どうしよう。これじゃ、オジサンまで巻き込んじゃうから範囲攻撃ができない!
「たっ、助けてくれえ!」
海藤は、すぐ近くに自分がいつも願をかけているお地蔵様の祠があるのに気付いて、肩を怪物に噛み付かれたまま這いずっていった。
彼が祠の木の部分に触れたその瞬間。
???
吸血女の真っ赤な目は、驚愕に見開いた。
祠の中のお地蔵様が、照り輝いた。
これには海藤も、大概のことには動じない美奈子も肝を潰した。
「ウガアアアアアアアアアアアアアアア」
急に目を押さえて地面にのたうちまわる、吸血女。
どうもその両目からは、おびただしい出血をしているようだ。
どうもお地蔵様の発した強い光が、怪物の眼にダメージを与えたように見える。
美奈子は火の塊と化した。
……勝てる。
怪物のずば抜けた敏捷性のせいで、範囲攻撃で道ずれにするしか手はないと考えていたけれど、敵が視力を失った今、周囲を焼き尽くさなくても別の攻撃で勝てる。
そしてそのチャンスは、海藤さんの体から吸血鬼が離れた今しかない。しかも、多量の出血のせいか、敵の動きが明らかに鈍っている——
「オジサン、どいてええええっ」
公園の土の中に埋もれていた大きな岩が幾つも、地響きとともにズボズボと空中に浮き上がってきた。
そしてそのすべてに火がつき、真っ赤に燃え上がった。
「地神よ、森の精霊よ。我に力をー」
スウッと息を吸い込んだ美奈子は月に向かって真っ直ぐに手を挙げた。
「メテオ・クラスター・キャノン!」
すべての火の玉は、身動きの取れない吸血鬼に向い、隕石のように情け容赦なく落下した。
噴き上げる真っ赤な炎の中で、吸血女の肉は焼け、やがて白骨化していった。
違法な研究を行い、かつ都民を危険に陥れた罪で、国立生物科学研究センターのネルソン所長と共犯の冴島涼子は警察につかまった。
常識を超えた闘いが繰り広げられた公園はそのほとんどが焼け、復旧の目処は立ちそうにもなかった。
もちろん美奈子の活躍など知らない警視庁の鑑識たちは、現場の異常さにただただ首を傾げるばかりであった。
人体実験により、『死を恐れない理想の兵士』を作り上げようとする今回の陰謀は、倫理にもとるものとして国際社会からの非難を呼んだ。
退院してすっかり怪我の完治した海藤は、美奈子と約束し合って、ファミレスで再会を果たした。
美奈子は出会った時と同じ、高校の制服姿だった。
「オジサン、男前になったじゃん」
海藤を見るなりそう一言ほめた美奈子は、近寄ってきたウェイトレスにチョコレートパフェを注文した。
「あ、ありがと」
この事件を受けて腐敗分子を一掃した国立生物科学研究センターは、新たな責任者と職員を据えることになった。
海藤は今回の手柄が考慮され、センターの職員として社会復帰ができることになったのだ。
お陰で住み込みで働くこともでき、恰好も身ぎれいになった。
えっ、彼はそんな所で働けるほど頭がいいのかって?
いや、彼の肩書きは『センターの管理人』である。
「ところでオジサンさぁ」
お冷のグラスに口を付けながら、美奈子は海藤の顔をのぞき込んだ。
「あそこのお地蔵様のこと大切に拝むとかなんとか、してたわけ?」
海藤はああそのことね、と言って頭を掻いた。
「うん、ホームレスになってからねぇ、何かにすがらずにはいられなくてね……ねぐらの近くにあったあのお地蔵様に毎日手を合わせてたんだよ」
美奈子は、納得顔で手をパチンと叩いた。
「なる~、それでか。地神とか土地の精霊ってね、つむじ曲がりが多くてさ、よっぽどのことがないとチカラを貸してくれないのよね。ヴァンパイアに勝てたのも、やっぱりオジサンのお陰だね」
「そ、そう言ってもらえると……恐縮だな」
海藤は照れながらコーヒーをすすった。
そして彼はコーヒーカップを持つ手を止めて、しんみりと美奈子に語った。
「オレは、自分の持てる力を出し切ろうともしないで、ただ運命を呪って生きていた。でも、美奈子ちゃんがすべてを出し切って闘おうとする姿を見てね、これじゃあいけない、って反省させられたよ。だからこれからはね、あのセンターで頑張って社会の役に立っていこうと思う」
「そう。私、応援してますから頑張ってくださいね」
美奈子は、ファミレスの窓から外の街並みを眺めた。
……私の呪わしい力も、今回はこの海藤さんの役に立った。
何より、沢山の人が危ない目に遭うのを防ぐことができた。
だから私は、かえって喜ばなくちゃ。
美奈子が次にこの力の封印を解くのは、いつの日のことだろうか。
頬杖をついて窓の外を眺める美奈子を、海藤は優しい眼差しで見つめた。
どうか、この子に必ず幸せが来ますように——
互いの視線がかち合った二人は、クスッと笑った。
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