六. 夢の名残、疑惑の島

 私たちが森を抜ける頃には、周囲はすっかり明るくなっていた。じわりと射し込む眩い日差しは思いの外刺激が強く、浴びた目はその光から隠れるようについ細くなってしまっている。

 一体、今は二十何時となるのだろうか。慣れたとはいえ、体感が狂っているのは間違いない。起きるとある程度整理されているのだけは感謝……というのも変か、ともかく、有難かった。


「兄貴たちと合流してから、魔物が出なくなったような気がするよ」

「おい、魔物がいたのか?」


 てっきり猛獣の類いかと想像していたが、そんな発想ですらまだ甘かったらしい。


「気がする、ではなくて、出なくなった、だ」


 曖昧な表現をする月永に、雲母が細かい指摘を入れる。

 確かにそうだ。私が一度も魔物とやらに会っていない以上は、そういうことになるのだろう。


「えっ? 面倒臭い? 兄貴もそう思う? ホントだよね。メンドクサー」


 月永が反抗期真っ盛りの子供さながらの文句を口にし始める。気になるのは……何故か、私に頷きながらそれを口にしていることだ。

 首筋に刺さるようなピリッと痛い視線を感じ、全力で関わらないようにすることを心に決める。……そうだ、私は関係ない。


「えー? そんなことないと思いますよー。私は」


 流石、一見平和主義に見えるだけはある。不穏な空気を取り除こうと、早速フォローを入れているやつも存在した。

 ……何故か、私に話し掛けるように。


「……私は関係ないと思うのだが」


 わざと聞こえるようにはっきりと独り言を言っておく。

 人事は尽くした。後は天命に任せるだけだ。


「貴様らぁ!」


 雲母が吠える。

 ……どうやら駄目だったらしい。瞬間湯沸し器の如く、その怒りは既に頂点へと達しているようだ。


「やれやれだ」


 私は溜め息をつくと、一発くらいもらう覚悟で身構えてやる。

 どうせ夢だ。朝になれば無傷の私が目覚めるだけだ。やるならもう好きにすればいい。


「雲母さん!」


 変な覚悟を決めかけた時に、突然ミラが叫び声を上げる。

 妙な緊迫感が、確かなそれへと変わっていくのを感じた。


「魔物か!」


 私は反射的に飛び退くと身を低くする。隣では雲母が周囲を警戒しているのが見えた。

 確か月永の話では、元々魔物たるものが現れていたらしい。となれば、やはりそれは今もここにいるのだとしても、おかしくはない。


「いえ! 月永さんの姿が見えません!」


 ──は? 


 私は雲母と顔を合わせる。あまりにも突拍子がない話だった。確かに彼は先程まで近くにいたはずなのだが。

 もしかして、目覚めたということだろうか。だとすれば、私が目覚めるときもこの様な感じだったのだろうか。そうと思うと、なかなかに感慨深い。思いの外あっけないというか、静かにいなくなるようだ。


「驚いたな。まるで消えたようぞ。さては、目覚めたんだな?」

「いいや、あのバカは! まだこの世界にはいるはずだ」

「ちょっと待て、どうしてまだいるとわかるんだ?  少しは目覚めた可能性だってあるんじゃないのか?」


 今までは気にしていなかったが、残された体はどうなるのだろうか? その場に留まっているのだろうか。……いや、そんなことはないはずだ。なぜなら、既に私はいくつもの夢の中を旅している。もし体が残されるようであれば、毎回同じ切り替えポイントから再開されなければ説明はつかない。

 それに今回の件がある。魔物がいる中、放置されるようでは命が……もとい、体がいくつあっても足りないだろう。


「わかるんですよ」


 雲母に代わって、ミラが答えてくれる。


「夢の世界では、二人で一組なんです。つまり、一人が抜けると残されたほうもその存在を維持できなくなって自然に現実に戻されるというわけです」

「そういうことか」


 では、月永は何処にいったのだろうか。その相棒にも黙っていなくなるとか、何か余程のトラブルにでも巻き込まれたのだろうか。


「月永さんはこの夢に詳しいのですか?」

「そんなことはない。この辺りにくるのは初めてだ、と思う」

「夢の形は変わらないのか?」


 二人のやり取りを聞いていると、やはり気になる点がちょこちょこ出てくる。


「この夢は、しばらくは変わらないだろう」


 気になる言い方だった。では、しばらく経つと変わるのだろうか。


「そうか。では、どうする? 手分けするか?」

「そうしよう。ただし、私とミラの二人で探す。スイはここで待っていてほしい」


 確かに、ここに戻ってくる可能性だってあるわけか。


「そうですね。わかりました!」

「ああ。では、ここにいよう」


 月永は急にどうしたのだろう。そんなに腹が立ったのだろうか。

 その場に寝転がると空を見上げた。今日は色々あった気がする。そろそろ目覚める時間かもしれない。


 ◇


 肌に感じる柔らかい感触で、ハッとなる。この感じは……。

 体を起こすと、頭を掻く。どうやら目覚めてしまったらしい。まるで、気が付いたら寝ていた時のような感覚だった。


 夢の続きが気になるが、もう一度寝るのも難しい。残念だが、頃合いだったということだろう。

 今更であるが、目覚めと違って眠りは自由にできないということに気付く。まあ、連れられていたようなものだ。考えれば当然か。


 結局、諦めて布団から抜け出すと、気を取り直して活動を開始する。時刻は午前七時十五分。大体いつも目覚める時間だ。睡眠はもう充分である。

 朝食の準備をしていると、小さな物音が聞こえ始めた。アイツが帰って来たのだろう。


「どうだ? 月永は見つかったか?」

「いえ、手掛かりなしです」


 ミラも目覚めたようだ。私に引っ張られ、不本意に起こされた形になるのだろう。まだ少し眠そうな足取りをしていた。


「魔物に襲われていなければいいがな」

「そうですね。後のことは雲母さんに任せましょう」


 せめてもの償いだとばかりに、用意したフードを目の前まで持っていってやることにする。今日だけは散らかしても多目にみてあげよう。


「これからどうしますか? 私は一度眠ろうと思いますが」

 食べながらミラが訊ねてくる。この“眠る”は単純な睡眠のことだろう。詳しくは聞かないがいつものことだ。


「私は……」


 特に何がしたいということもないが、気分転換に出掛けてみるのもありかもしれない。


「出掛けようと思う。時間、予定は決めていない」

「わかりました。気を付けてください。それと、晩には戻ってきてくださいね。出来れば私の食事の時間に間に合うように」

「そんなに長く空けたことがあったか?」

「一応です。では、いってらっしゃいませ」


 ふぁぁぁっ、と欠伸をしながら再び寝室へと向かっていく小さな姿を黙って見送る。

 さぁ、私も出掛けるとするか。


 残っていたバナナを口に放り込むと、流し込むようにお茶を飲む。落ち着いたところでもう一杯お茶を飲むとゆっくりと立ち上がった。牛乳にしておくべきだったか。


 ◇


 行き先はいつもの場所だ。いつもの道で同じように向かっている。

 正確には何パターンかはあるが、通う回数自体が多いのでどのルートでも同じことだ。結局はいつものルートとなる。


 私は賢谷書店までの道のりをぶらりと歩き始めていた。最近でこそ車で向かうことも増えたのだが、たまにはこういう日もあっていいだろう。

 歩きながらも気になるのは、やはり昨日の夢である。今までは他人と何かをする、というようなことはなかった。せいぜい動物がいるくらいである。


 ──月永と雲母、だったか。


 少し話をしたくらいだが、私たちと同じようなことのようだ。望みを叶える動物と、選ばれるような要素を持った人間。関係性といえばそんなところが妥当だろう。

 ということは、雲母は人間ではない? ふと、そんな可能性が頭をよぎる。では、ミラージェンと雲母の違いは何だろうか。


 ……魔物。そうだ、確か魔物が出るとか、そんなことを言っていたが、今までの夢、つまりミラージェンの世界では見たことがない。そもそも人とすら会ったことがないのだから。

 ひょっとすると、夢とは刹那的なものでなく、世界があり、そして、存在しているものなのかもしれない。


 もし、夢が世界になっているとすれば、昨日の様に偶然にも複数の人が存在してしまう可能性は大いにあるだろう。つまり、ミラージェンや雲母は夢の案内人に過ぎないのかもしれない。

 夢の案内人は世界を選んでいるのだ。それぞれの望みを叶えるために。


 ──まさか、な。


 そこで思考を中断する。それらしい形にはなったような気もするが、結局は確かめる手段がない。直接聞いてみようとは思うが、なんとなくはぐらかされそうな予感もする。

 何故なら、昨日の件をミラージェンは、自分の夢に月永と雲母の二人が入り込んだで来た、というような旨の説明をしていた。しかし、実際は雲母の夢の性質が強く出過ぎており、むしろ、私には雲母の夢に私たちのほうが入り込んだようなものに感じられてならない。


 まあ、事情があるのだろう。望みを叶える、などと言っている時点で胡散臭いのだから、特に秘密の一つや二つはあっても不思議ではない。

 困ったやつだ、と一言だけ呟くと、気持ちを切り替えて、目の前の建物に入ることにする。無事到着といったところか。


 そのまま一直線に進んでいくと、見慣れた光景が並んでいる。

 さぁ、今日は何か新たな発見はあるのだろうか。

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