四. 夢の始まり、運命の日

 いくつもの不自然な点はみられものの、大まかな事情は理解できた。どうやら私とミラージェンの夢の中に、先程の二人も入り込んできたらしい。なんとも数奇な話である。


 私としては、やはり気になる点はあるものの、それを追及をしようという気持ちは実のところさほどない。というのも、隣の神妙な顔を見ているうちに段々と鎮まってきているのだ。元より、決めてくれれば従うつもりでここに留まっているのである。

 とはいえ、何も知らないのも些か面白くないもので、その辺りの気持ちの折り合いだけが問題だった。そこで私は、一応自分の知識のみで確認を取ることした。

 その結果がこうだ。


 複数の夢が混じりあったことにより、夢の形というものが変化を起こしているようで、つまりは、ここがもうミラージェンの知っている世界ではなくなっているということらしい。そうなると、夢を掌握できず、何が起こるかわからない歪みのような部分が生じている可能性がある為に、私たちはそれを確かめなければならないそうだ。要はパトロールをしたいらしい。


 正直なところよくわからないが、ともかくそういうことなのである。そもそも、始めからシステムを理解をしていないのだから、説明を受け入れるしかない点では滅法弱い。


「そもそも夢が共有されることはあるものなのか?」


 確認の意味を込めて聞いてみる。夢はそれぞれ独立してみるものだと思っているのであるが……。


「ええ。言ってみれば、私たちのは特別ですから」


 ……とのことだ。そう、さらりと言ってのけた。となれば、やっぱりからくりがあるわけになる。しかし、説明をするつもりはないようで、これ以上の追及はごめん被るとすぐに視線が離れていった。


「そうか。ひとまず、今はその件はいい。……どうするんだ? 一緒に行くのか?」


 そう、私たちは二人組とは少し離れたところで相談をしている。まだどうべきなのかを決めかねているのである。

 こいつのことだ、聞かれたらまずい内容があるのだろう。無論、私とて余計なことを話すつもりはないが、何が良くて、何が悪いのかの境界は不明なのだ。


 様子を窺うように私が目を向けると、青年のほうが早速気付き、こちらへ向かってへらへらっと手を振り返してくる。相変わらず胡散臭い。対し、もう一方はじっとこちらを見ているだけで反応はなかった。


「そのほうが安全ではありますが……」


 視線を戻すも、相変わらずこちらは歯切れが悪い。何をゴニョゴニョと濁しているのだろうか。


「が?」


 問題があるなら、予め説明くらいしておいて欲しい。若干もどかしい気持ちが、つい続く言葉を遮ってしまう。

 慌てて軽く咳払いをする。


「私のことは、ミラ、と呼んでください」

「なんだ、そんなことでいいのか?」


 また難題を押し付けられる覚悟をしていたのだが、そういうことではなかったようだ。

 そもそも、私は本当の名前だって知らないのだから。


 ◇


 ──出会いは遥かに遡る。


 ある雨の日だった。私は仕事を終えると、いつものようにさっさと帰宅し、行きつけの本屋へと向かう準備を済ませていた。賢谷書店である。

 大層に準備といっても、着替えて財布や車の鍵の入った鞄を持つだけなのだが、それでも準備には変わりない。性格上そのままの服装では出歩きたくないのだから。


 準備を整え玄関から外を覗くと、相変わらずの空模様が見えた。この調子であれば、時間と共に大雨になるかもしれない。

 私は傘を車に放り込むと、そのまま乗り込みエンジンを掛ける。神経質に分類されるのかもしれないが、傘の扱いは極めて雑なのである。過去に買いたてのものを盗られた経験が意識の下のほうで響いているのだろうか。


 カーポートの扉を跳ね上げ、いざ出発しようとした時に、私はようやく“それ”に気が付いたのだった。


 ──おや、何かいるな。


 最初は躊躇いもしたものの、骸であるなら放っておくわけにもいかず、数秒の思考の後に溜め息を吐くと車から降りた。恐る恐る様子を確認すると、外傷は見当たらない。更に、驚いたことにどうやらまだ命の灯火は宿っているようだった。

 濡れて冷えているのか、もしくはどこか痛いのか、小さく丸まるように横たわっていたのは、子犬のような見た目をしている生き物だったのである。


「おい、そんなところで寝ていると風邪を引くぞ」


 首輪こそしていないが、特に汚れているようにも見えない。異臭もないので、おそらくただの迷子だろうと判断するも、飼い主を探すとなると今すぐにとはいかない。


 ──私が面倒を見てやる必要もないかもしれないが……これも何かの縁だ。一晩くらいなら付き合ってやろう。


 私は車のエンジンを切ると、タオルを取りに家に引き返すことにした。なんなら後でネットで迷子……もとい、迷い犬を調べてやってもいいだろう。


 洗面所へ向かうと、少し古くなったタオルを探す。迷うとなかなか決められないので、適当に下から抜くことにした。

 底にあったためになかなか使われていなかったのだろう。現れたそれに見覚えこそあったが、最後に使ったのは随分と前だったように思う。


 私はそれを手に考えながら再び外へと向かうと、なるべく優しくタオルで包みこんだ。そのまま抱き抱えて家に連れていき、風呂場でお湯を用意する。水は嫌いかもしれないが、一度綺麗に洗っておかねば家に置いてあげることはできないのだ。


 一通りの処理を終える頃には、時刻は深夜になっていた。その間、そいつはずっと大人しくしていたように思う。もっとも、抵抗する元気もなかったのかもしれない。


「君の主人に連絡はできなかったが、明日探すと約束しよう。見つかる保証はないのだが」


 確か、そんなことを言ったような記憶がある。そして、その日は一緒に寝室へと向かった。


 その日、私は夢を見た。不思議なことに、その夢で私は先程の犬と対面していた。驚いたのは、その姿が先程までの弱々しいものと違っていたことだ。


「ミラージェン」


 聞き違えたのだろうか? なんと、それが私に話し掛けてきたのだ。

 とりあえず一度は様子をみようと訝しげにしていると、その口がもう一度動いた。


「やっと話せますね」


 聞き違えではなかったらしい。今度はそうはっきりとそう聞こえた。


「……ああ、そうか。これは、夢だったな」


 自分を納得させるように、わざと声に出して言う。夢ならば、犬だって話すこともあるだろう。そう珍しいことではない。


「ええ、確かにこれは夢ではあります。ただし、“私”の、ですが」

「ほう。では、“君”の、夢に、私がいると?」


 中々に意味深なことを言ってくれる。感心しながらも、私は確認の意味を込めて聞き返していた。


「理解が早くて助かります」


 ……いや、何もわかっていないのだ。ただ、信じるならば、もしそうであるなら、私がいるのは助けた犬が見ている夢、ということになる。


「……信じよう。では、何の用だ? まさかと思うが、わざわざ礼をいいに来たわけではあるまい」

「話も早くて助かります」


 早いわけではない。他に話すことも特にないからだ。


「礼はいらん。勝手にしたことだ。君に知性があり、話せるのならば、明日には出ていってもらう」

「いえ、そういうわけにもいきません」


 いくらペットが否定しようが、明日には主人に電話を入れる。こんな夢にまで出てくる希少な犬だ、きっと心配して探していることであろう。


「理由くらいは聞いてやってもいい。決めるのは私だが」

「私はあなたに付いていきます。何故なら……」


 無意識に、私はゴクリと唾を飲んだ。


「あなたがとてもつまらなさそうに生きているからです」

「事実だからな。趣味だけに没頭できる環境であれば、少しは違ったかもしれないが」


 何の為に生きているのかわからない時は度々ある。死にたいと思ったことは一度もないが、一日の半分ほどはつまらないとも思っている。しかし、それは私だけがそうだというわけではないはずだ。それこそ、星の数程いるだろう。それが人間という生き物の宿命なのだ。


「そうですか。それでは、私があなたの望みを叶えてあげましょう」


 その犬は私の目を見てそう告げた。確かに、望みを叶えてやる、と。


「断る。そんな必要はない」


 そんな犬にきっぱりと言い返す。

 そもそも、今日あったばかりの奴に大事な望みを叶えて欲しいと思う奴がいるのだろうか。……私はいないと思う。望みとは、なるべくして自分で叶えるものであって欲しい。


「……え?」


 案の定だ。そいつは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。目が真ん丸だ。


「望みはない」


 さぁ、そろそろ帰って寝てしまいたい。慣れぬことをしたせいか、普段に増して眠気がきていた。


「……駄目です! 望みはあるはずです!」


 駄目と言われても、それは善意の押し売りというものだ。何故なら叶えて欲しい願いなど、私にはないのだから。


「そろそろ帰って寝たいのだが。そうだな、ならば気持ちだけ頂いておこう」


 問答を繰り返すつもりもなくなったので、その場で横になる。ここはこいつの夢らしいが、眠るだけならどこで眠っても同じだろう。


「はぁ、今日のところは仕方ありませんね。明日には気持ちが変わることを期待していますよ、御主人」


 トンッと軽い音と共に、私の胸に暖かい感触が乗っかってくる。


 ──まぁ、一日くらいはいいだろう。……御主人は困るのだが。


 ◇


 結局どれくらい経っただろうか。いつまで経っても眠れない。夢の中であるからか、そもそも眠いわけでもないようだ。いつしか眠気は覚めていた。


「そろそろですね」


 こいつも起きていたのだろう。不意に軽くなる胸に手を当て起き上がる。


「何かあるのか?」


 まさかとは思うが、何処かで聞き慣れた音が鳴っているような気がした。


「もう気付いたのではないのですか?」


 覚えがあるのは……目覚ましの音だ。そう、設定されたアラームが鳴っている。少し霞掛かっている気がしなくもないが、間違いようがなかった。


「どういうことだ?」


 嫌な予感は一秒毎に増していく。徐々に大きくなるそれがそうさせているのか、速まる鼓動がそうさせているのか。私には見当も付かなかった。


「設定されているアラームが鳴っているようです」

「確かにそうかもしれない。では、何故私は目覚めずにそれを聞いているのだ?」


 目覚める気配が一向に感じられず、嫌な焦りが思考を埋め尽くす。まさか死んでいるということではあるまい。


「それは、あなたが目覚めを待っているからです。起きると決めれば、今直ぐにでも目覚めるでしょう」


 わからなかった。私の知っている夢とは、本人の意思とは関係なく、ただ見ているものだ。

 待っているだとか、決めるというのは、今まで意識したことも、何より考えたこともない話なのだ。


「……私は、何処にいる?」


 辛うじて、最後の言葉を口にする。


「私の、──夢の中です」


 全ての思考を中断させると、未だ鳴り止まぬアラームの音に集中する。──もう目覚めよう。


 次の瞬間、聞き慣れたメロディの音量が一際大きくなった。そう、ノイズは消え聞き慣れたメロディが聞こえている。


 ──目覚めたのか!


 安心と同時に周囲を見渡す。悪夢の根源はどうしているのか気になったのだ。確かめておかねばならない。

 しばらくして、ようやく腹に感じる違和感に気付く。どうやらこいつも布団に潜り込んでいたようだ。


 ──まさか、な。


 自分でも馬鹿げていると思いながらもそいつを撫でた。小さくいびきをかきながら気持ち良さそうに眠っているこの生き物が、一体私に何をしたというのだろうか。

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