三. 夢の旅、新たな波
スイッチのようなものがある。
カチッという音が鳴るのだ。例えるならそう、まるでオンオフを切り替えているような。
「いらっしゃい。今日はたっぷりと楽しみましょう! 明日は休みですし、まだ時間も早いのですから」
目を開けるよりも早く、私を歓迎するかのような声が飛び込んでくる。
──あぁ、今日も眠れないようだ。……いや、逆か。どうやら無事に眠ったようだ。
「ありがとう。今日も熱心だな。なんなら君も明日は休んでみてはどうだ」
一言多いのはいつものことだ。とはいえ、相手もそれで慣れている。特に堪えないからこそ、つい言ってしまうのだろう。
「ぶーぶー。まだそんなことを言っているのですか? そろそろ素直になったらどうです?」
「素直に? そのつもりだが、不満なら明日からは考えよう」
はっきりとぶーぶー言いながら、声の主が隣に並ぶ。
「考えるだけなんですね……」
その姿は犬ではなく、人間……にはなっていないが変化が感じられ、二足歩行をする犬という形に変化していた。
驚いて、思わず訊ねる。
「ん? 少し変わったか?」
少し背が伸びているようにも……見えなくもない。
「ええ、少し勉強をしましたので。どうですか?」
見せつけるように、くるりとその場で一周回る。まるで、新着した服を御披露目するかのように。
「難しいな。何を目指しているかがわからん」
正直に答えると、不満そうな顔で口を何度か動かした。喉元まで声が出掛かっているのが非常によくわかる。
それはそうとして、もし人間をイメージしているのであれば、まだまだ修行が足りないと言わざるを得ないし、これが完成形だというのなら、もっと伝えてあげなければいけないと思う。──技術ではなく、発想力だ、と。
「……魔法使い」
少し不機嫌にそう呟いた。
……魔法使い? そんなものは見たことがない。
「そうか。頑張れよ」
いつまでも不機嫌にさせておくのも気の毒に感じたので、励ますように肩に手を置いた。本人も至って真剣のようだ。これでいいだろう。
「はい!」
予想通りにパッと表情が明るくなる。そうだ。それでいい。ちなみに頑張って欲しいと思っているのは本心でもある。
「では、そろそろ行くぞ」
私は新たな大地での一歩を踏み出した。ここがミラージェンが夢で見たという場所なのだろうか。
◇
森の中だった。どうやら私は森にいるらしい。
「確認だが、夢で死んだらどうなるんだ?」
自分の姿を確認するが、役に立ちそうな道具や装備は持っていない。むしろ、何もない。
「何を心配しているかわからないこともないですが、まず死にはしませんよ。最悪、あっちに戻ればいいと思いますし」
私の不安をよそに、そんなことをしれっと言い放つ。連れ出しておいてなんとも悪い奴だ。
「一応の確認だが、もしその最悪が起き戻ったとする。その場合、現実の私は寝不足になることだろう。再び眠るとどうなるんだ?」
一応の知識として知っておきたいことは沢山ある。むしろ、知らないと不安なのだ。
「どうって……おそらく同じところに戻ってきますね。時間が短すぎると他の場所へはいけないと思いますよ」
ミラージェンはまるで他人事のように首を傾けている。
……可愛いのは認めよう。しかし、それでは解決しない。
「大型の動物や、毒を持つような何かにやられた場合は?」
その態度に段々と不安が募り、詰め寄って顔を覗き込むと、肩をがっしりと掴んで力を込めた。
とことん聞いてやるからなと、目でそう訴え軽く揺すってみせる。
「はは……大丈夫ですよ。下手したら何日か目覚めないかもしれませんが」
どうも怪しい。なるべく今までは考えないようにしていたが、どうも万が一の事態が起こらないとは限らないような気がする。
「一応、教えてあげようと思うのだが……」
気付いていないのなら仕方がない。今後のためにも伝えてあげることは大事なことだ。
「はい? どうしたんですか? 急に」
肩を握る手に更なる力が宿る。
「……何日か意識が戻らないのは、大丈夫じゃない。むしろ、完全にアウトだ」
下手したら死ぬ。私の体は寝たままなのだ。世話してくれる人もいないのだ。
「じゃあ何としても死ぬ前に戻らなければいけませんねぇ。寝不足は我慢してください。ねぇ、死ぬよりはいいですよねぇ?」
……すごく興味なさそうだった。
まぁ、それくらい大丈夫という自信なら構わないか。
「助けてくれぇぇぇ!」
──そうか、杞憂だったか。所詮、夢…だしな。
「おーーーい! 助けてくれぇぇぇ!」
助けを求めるような声を聞き、再び不安が募る。まさかこうもすぐに直面するとは。
「おい、助けがいるらしいが」
小突くように隣を見る。
「あれは……無理ですね」
ミラージェンは真剣な様子で首を横に振っていた。
──なんだ、深刻なのか?
状況がまだうまく掴めない。思えば、今までこんな事態になったことはなかったのだ。
「おい、こっちに来るぞ」
何かに追いかけられているのだろう。何やら必死な様子で二人組が向かってくる。
「困りましたね。戦うつもりで来ていませんよ」
「戦うような相手なのか? よく見えんが」
よく見ようと目を細めるが、いまいちよくわからず呆然と眺めてしまう。
「見えていますよ。おそらくあの後ろにいる方がそうですね」
仲良く逃げていたわけではなかったらしい。遠目ではどうもわかりにくい。
「どうするんだ? 君なら何かできるのではないのか?」
一応の期待を込めて聞いてみると、少し考える仕草を見せる。何かしらはあるとは思っていたが、楽観視をし過ぎたようで簡単にはいかないようだ。
「やってみましょうか。では、少し目を閉じてイメージしてください」
多少の不安を感じながらも、言われた通りに目を閉じる。
──で、何をイメージすれば?
その直後に衝撃が全身を襲い、後ろに吹っ飛んだ。夢なのに、現実と寸分違わぬであろう激痛を感じながら。
「……どうやら失敗したようですね」
薄れゆく意識の中で、そんな声がポツリと聞こえた。
◇
あ、目が開いた。
そんな声が聞こえた気がする。……気がするが、実際のところわからない。それくらい素朴な一言であった。
──……目が?
「まだ! 目は開いていない!」
私は叫びながら飛び起きた。
「あ、やっぱり目が開いているよ」
とりあえずはっきりしたことが一つあるので、まず目の前の顔にそれを伝えてみる。
「おい、意識を失ったら戻らないらしい」
少なくとも、意識はどこにもなかった。
こいつも完全に理解しているわけではなさそうな節を感じるので、情報の共有はしておくに越したことはない。何せ、苦労は私に回ってくるのだから。
「いや、待って。大丈夫じゃないように見える。言ってることが支離滅裂だ。気の毒だけど……頭かもしれない」
「馬鹿! あんたのせいでしょ! 謝りなさいよ」
──どういうことだ? 何故、ここに人がいる。
一瞬戸惑うが、すぐに思い当たる。
「ああ、さっきの」
「どうもー。おかげで助かりました」
目が合うと、へらへらっと頭を掻きながら愛想笑いを浮かべてくる。線のような目からはその感情が読み取れず、非常に胡散臭い。
「そうか。あの形相だ、何やら危険な化け物にでも追われていたようだな」
ドスッと何かが蹴られるような音がして、不意に男の顔から笑みが消えた。
「ええ、もう大丈夫なんです」
何かに気を遣うように男が話を打ち切ろうとする。しきりに大丈夫、と口にしているが、傍目にはとてもそうには見えない。
「酷い有り様だったな。余程嫌いな相手だったのだろう? そうでもなければ、例え悪鬼に追われようとも、あんな風にはならないだろう。助かったのなら君はとても運がいいと思う」
……ドスッという音が再び聞こえ、男の額に玉のような汗がじわりと浮き上がる。
もう少しか、なるべく借りは返しておくべきだろう。
「ははは……」
再び笑みを浮かべてはいるものの、先程までとはまるで違い大人しくなっている。少しは反省をしたようだ。
「おや? 後ろの君は?」
そこでようやく、後ろの女性へ訊ねてみる。先程から禍々しい気を放っているので、個人としては、あまり関わりたいとは思えない。
「どうも、先程は連れが失礼しました。あの馬鹿には私から強く言っておきますので」
……ドスッと音が更に聞こえ、今度は小さな呻き声も追い始めた。
「そうか。私としても今回限りはいい経験になった部分もある。怒りはないが、君の方からしっかりと言っておいてくれ」
「絶対怒ってるだろ!」
私は立ち上がると怪我の調子を確認する。外傷はなく痛むのは頭くらいで、それもピークは過ぎて落ち着きつつあるようだ。
「行くぞ、どうした?」
なかなかその場から動こうとしないミラージェンを不審に思い、声を掛ける。
私としては、なるべく早くにここを離れ、自分のペースへ戻らなければならないのだ。
「それが……どうやら私達だけで動くのは危険……なようで」
しかし、当のミラージェンは動こうとはせず、歯切れの悪い様子でこちらと彼らを見るばかりでいる。
「ここは、“彼ら”の世界でもあるようなんです」
「彼ら?」
先程のコンビを見ると、やれやれ、というような表情でこちらを見ている。加え、困ったワンコの顔を見ていると、どうやら良くないことが起きているということだけは察しが付いた。
「なるほど」
その困った顔に免じて、一日くらいなら我慢して付き合ってやるのもいいだろう。今起きたとて、寝不足になるのだから。
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