第2話


『静かにしろ、動くな。運転手は扉を閉めて発進準備をしろ。』


 先程呟くように聞こえたのと同じ声が背後から聞こえる。低く唸るような声は体を縮こませるのに充分で、ただでさえ動けない僕の動きは完全に停止してしまう。


『よく聞け。このバスは俺が乗っ取った。お前らは俺の向かう先まで何もしなければすぐに開放してやる。いいな⁇ケータイに触れるな。前だけを見ろ。運転手はそのままバスを走らせろ。』


 ゴクリと生唾を飲む音が聞こえる。バスのエンジン音とバスジャック犯の指示の声以外静まり返った車内は恐怖と混乱で渦巻いていた。そのまま走る事数十分。漸く落ち着き始めた乗客の中には犯人の様子を伺いながらケータイを触ろうとする人がちらほらと見え始める。対して犯人は大人しく指示に従ってる様子の乗客に安心したのか最初の頃よりも外を眺める時間が増えていた。このままいけば恐らく警察に連絡する機会が出来るだろう。と、僕も少し安心した瞬間だった。


『ーー♪』


『っ誰だ⁈』


 突如鳴り響く通話アプリの音に車内は緊張が走る。乗客一同顔が強張る中1人だけ顔を青くして俯く人が居たので出元は直ぐに分かった。サラリーマン風の中年男性で犯人の顔色を伺っていた1人だった。周りを見渡した犯人もそれに気付き僕に突き付けたナイフを強く握りしめながら男性を睨む。


『お前か。誰からだ。画面を見せろ。』


 犯人が男性に画面を見せる様指示をする。不幸にも彼の座っている座席は入り口近くの横並びの席。いくら満員の車内とは言え目の届く位置だった為指示に従うしかなかった。


『……会社の上司です。恐らく、出社時間になっても来ない為、れ、連絡してきたのだと……っ。』


 画面には確かに【小野田部長】と表示されており、まだ通話前である事が分かる。これなら無視するか嘘を吐けばまだやり通せる位だろう。男性もそう思ったのか、犯人が画面を確認した事を確認した後にケータイをしまおうとする。だが、それを犯人は静止しそのまま画面を見せ続ける様指示した。やがて着信が止まり画面が戻る。


『ーーっ貴様っ‼︎‼︎』


「っ……。」


 その瞬間犯人の声が怒声に変わり僕を拘束している腕に力が入った。画面に表示されたトーク履歴。そこには【現在バスジャックを受けてます。警察に連絡を。バスは青51 8:48分本社前着右回り市営バス】と表示されていた。送られたのは10分程前。恐らく確認した後に警察が動いたと連絡する為に通話しようとしたのだろう。その心遣いが仇とはなったが。


『……け、警察にはもう話が通っているだろう。諦めて投降した方がいい。じきにパトカーが来るぞ。』


『貴様……おいっ、運転手‼︎なんとしても振り切れ‼︎‼︎』


『……恐らくそれは不可能です。バスにはそれぞれGPSが付けられており営業所は勿論警察にも情報が渡ってます……。このバスの事を通報されてる以上、マーキングされてますよ、もう……。』


 運転手の言葉を受け更に苛立ったのか、ナイフを捨ててまで頭を掻きむしった犯人はポケットに手を突っ込んでケータイを取り出す。


『もしもし、アニキ。すいません、しくりました……っ‼︎例の件、別のやつに頼んで下さい‼︎』


 恐らく上役へ連絡したのだろう。短い会話で終わらせた犯人はケータイを足元に落として踏みつける。その行動に違和感とどことない恐怖を覚えた僕だったが、バスの進行方向と後方から響くサイレン音を聞いて直ぐに安心感が湧き上がってきた。


『囲まれてます。これ以上進む事は出来ませんが……。』


『……いい。止まれ。』


 やがてゆっくりと停車したバスにパトカーが集まる。そして防弾シールドと突入用の装備で身を固めた警察機動隊がバスを囲み後方からメガホンを用いて人質を解放する様に勧告する声が響く。対し犯人は無視を続けながらも片手で小さめの鞄を探りながら車内を見渡す。そしてそのまま乗客を掻き分けて後方に進み、一段分のステップを超えてコの字になっている空間の中心に僕共々座り込んだ。そのまま数分。ジリジリと包囲の輪を縮めていく機動隊。いよいよバスの乗車口に肉薄しようとした時。僕の背後であまり聞きなれない、何かを起動した様な機械音が小さく、短く聞こえた。


『ーー犯人に告ぐ。これ以上指示に従わないのであれば強制突入を開始する。これは最終警告である。直ぐ様人質を解放し犯人は手を挙げて降車しなさい。』


『……ああいいぜ。解放してやるよ。全てまとめてな‼︎‼︎』


 緊迫した空気の中、今にも乗車口を壊し介入しようとする機動隊に対し、犯人は狂った様に笑いながら掌に収まるサイズの小さな何かに手をかける。その瞬間僕の体は浮き上がり痛みよりも先に耳が割れそうな音が、天井にぶつかった感覚が、そしてその後一瞬の痛みが来て何も見えなくなった。

 

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