第9話 飼い主の義務

 久遠かこは不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。立ち振る舞いもさっきまでとは別人だ。今の彼女に小動物的な可憐さは全く感じられない。首を僅かに傾げて直立する彼女の姿を見て、オレは中学時代に悪ふざけで夜の学校に忍び込んだ時のことを思い出した。こいつはあの時、暗闇の美術室で見たミロのヴィーナスみたいだぜ。美しさよりも恐怖を感じさせやがる。


「かこ、一体どうしたのよ? なんか雰囲気おかしいわよ?」


 久遠みくも久遠かこの変化に気付いたらしい。そりゃそうか。明らかに『異様』だからな。


「あらあら、お姉さまもかけるさまとご一緒だったの? ……お姉さま? 翔さまにいかがわしいことはしてないでしょうね?」

「な、なによその『お姉さま』って呼び方は……? 悪い本でも読んだの? それに『翔』って誰よ?」


 オレのことだよ! って言ってる暇はなさそうだ……。


「もしかして、『こっち』のお姉さまなの? それは好都合ですわ。お姉さまは殺しても『影響』はないですものね」

「こ、殺すって……、何を言ってるのよ、かこ」

「言葉通りの意味ですわ」


 久遠かこの体が突然光に包まれ始める。この前と同じ現象だ。彼女の服装が白いドレスに変化する。胸元の紅いリボンもこの前と全く同じだ。


「今度こそ……わたしと永遠を生きていただきますよ? 翔さま。……その前に邪魔者を片づけることにしますわ」


 久遠かこは服の隙間から黒い粒子を発生させ、それを触手状に形作ると……その先端を槍のような形態に変化させ久遠みくに向かって射出する。


「あぶねえ!」


 オレは咄嗟に久遠みくを抱きダイブする要領で触手をかわす。空振りした触手は地面に深く突き刺さっていた。なんちゅう切れ味だ。当たってたら、包丁で大根を切るようにスパっと綺麗な断面図をオレ達の体で造りだしていたことだろうぜ。


「ちょっと、どこ触ってんのよ!?」

「言うてる場合か!?」


 久遠みくの状況違いの発言に一瞬戸惑うが、すぐにオレは久遠かこの方に向き直る。こいつまじだ。まじで自分の姉をぶっ殺すつもりだ。しかも、前とは違って武器も何も持ってねえ、実の姉を。


「お姉さま、うらやましいですわ。翔さまに抱いていただいているなんて……」

「誤解を招くような発言をするんじゃねえよ!?」

「かこ……。ど、どうしちゃったのよ!? 冗談でもそんな破廉恥なことを言う子じゃないでしょ、あんたは!?」

「お姉さま……、時間は人を変えるのですわ。お姉さまも変わってしまったように……。ああ! でも安心してくださいませ、翔さま! 翔さまへの愛は幾億年の時が過ぎようとも、世界が滅びようとも変わりませんわ!」


 久遠かこは不気味な笑顔のまま、頬を紅潮させる。もうちょっとロマンチックな場面で言ってくれたらその大胆な告白にオッケーを出してもいいけどよ。さすがにこの状況じゃあ無理だぜ? 妹さんよう。


「みゃあ……」


 子猫の鳴き声がする。この騒ぎの中、逃げてないのかよ!? 動物とは思えない危機管理能力の低さだ。オレの家に来た際にはそこんとこ鍛え直してやる。


「あらあら、かわいらしい子猫だこと。でも、無性に腹立たしいですわね。かわいければ許されると……無力でも周りが助けてくれると、無自覚に思っていそうなところが特に……。かつてのわたしを見ているようで不愉快ですわ」


 久遠かこは地面から触手の槍を引き抜き、子猫の方に正対すると十数本の触手を尖らせ子猫に向ける。


「さよなら、子猫ちゃん」


 久遠カコは輝きを失った目で子猫を見下ろすと、突き刺そうと触手を動かし始めた。


「くっそ!」


 オレは子猫の方に向かって走りだす。一度飼うと決めたペットは最後まで責任を持って飼うのが筋ってもんだ! ちゃんと老衰で死ぬまで面倒見なきゃいけねえんだよ! オレは体を投げ出し、子猫を胸に抱えるとそのまま地面に転がりこむ。猫を突き刺そうとしていた触手はオレの体に当たる寸前で止まっていた。


「……そんな下等動物の命まで助けようとするなんて……本当に翔さまはお優しい方です……」


 久遠かこは子猫への攻撃をやめたようだ。こいつ、オレと『永遠を生きる』なんて言っていたが、どうやらその言葉はウソではないらしいな。子猫に向けていた触手をひっこめたのも、子猫をかばうオレの身を案じてのことなのかもしれない。……それにしても危ない奴だな。オレさえ無事なら他のモノはどうでもいい……。そんな狂気染みたことを考えてそうだ。


「かこ、本当にどうしちゃったのよ!?」


 久遠みくは妹の正気を取り戻そうと叫んでいた。


「……お姉さまもこの頃はかわいかったのに……。今となっては憎しみの対象でしかありませんわ。……死ね!」

「え……?」


 久遠かこの触手槍は姉の腹部を突き刺し貫通する。みくは口から鮮血を吐きだし、眼を大きく見開く。触手が引き抜かれると彼女はその場でうつ伏せに倒れ込んだ。


「う、うそだろ……? ホントに刺しやがった」


 悪びれもせず、不気味な笑顔のまま、横たわった姉を見つめる久遠かこの姿にオレは背筋を凍らせるのだった。

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