第二章「聖風の神子」
風神の森
世界には、エルフと呼ばれる種族が存在する。エルフ族は人間とほぼ同じ外見を持つが、生まれつき自然にまつわる様々な魔力が備わっており、人間よりも遥かに長寿であった。地上の全てを覆う冥府の闇が消え去った後、人間とエルフ族の間に対立が起きていた。王国の更なる繁栄を目的に新しい領土を求める人間によってエルフ族の住む領域を侵攻され、エルフ族は住む場所を失ってしまった。やがてエルフ族は人間のいない地へ移り、人間を受け入れてはいけない、人間を許してはならないという掟を定めるようになった。元々人間と相容れない種族とされていたエルフ族は、人間に住む領域を奪われた事によって人間への不信感と憎悪を抱くようになっていた。
だがある日、一人の旅人がエルフ族の元に迷い込んできた。旅人は風を司る魔力を持つ人間の少女で、その魔力はとてつもないものであった。少女はならず者が集う町に引き取られた孤児だった。買い出しに出掛けている最中、町に住む女を狙う暴漢集団に襲われた時、少女は無意識のうちに風の魔法を発動していた。次の瞬間、少女が見たものは、真空の刃によってズタズタに引き裂かれて死んだ暴漢達の姿だった。言葉を失い、立ち尽くすばかりの少女に襲い掛かるのは、住民達による迫害だった。人間の姿をしたバケモノだと住民から恐れられた少女は逃げるように町を去り、帰る場所を失った少女はただ行く当てもなく彷徨うだけでしかなかった。旅の末に辿り着いたのはエルフ族が暮らす里。当然のように迎えられる事もなくひたすら敵意を向けられる中、一人のエルフの若者が哀れに思い、少女に手を差し伸べる。周囲の反対を押し切り、エルフの若者は里の外れにある小さな洞窟に少女を匿い、心無い人間によって住む場所を失ったという少女の事情に憐みと共感を覚え、献身的に世話をするようになった。少女もエルフの若者と心を通わせるようになり、いつしか二人は愛し合うようになった。だが、エルフは人間を受け入れてはならないという掟がある。ましてや人間と結ばれる事は愚行の極みとされ、絶対に許されない。掟を破りし者には非情の裁きが下される。若者と少女に待ち受けていたのは、エルフ族の長による死の裁きであった。若者は少女を連れて里から逃げた。同族に追われながらも、少女を連れて何処とも知れぬ場所へと逃げた。逃亡の先にて、若者は少女から衝撃的な知らせを聞かされる。少女は子供を身ごもっていたのだ。エルフと人間の間に出来た子であった。一人の子供を授かり、若者と少女は一つの家族として静かに暮らそうとしていた矢先、同族の追手が立ちはだかる。若者は同族に戦いを挑み、その戦いの中で少女は深手を負い、傷ついた身体を引きずりながらも赤子を抱き、自身の為に同族と戦う若者に想いを馳せながらも足を動かし続けた。止まらない血に意識を朦朧とさせ、身体に限界が訪れる余り視力も聴力も殆ど失われ、命の灯が尽きる寸前、少女は一筋の涙を流した。その涙は、残された僅かな命の全てが雫と化した事を意味するものであった。少女の命は尽き、残された赤子は一人の人間に拾われ、保護された。赤子を救ったのは、風の神を崇める民族の人間であった。民族の村の奥にある聖風の社に引き取られた赤子は、村を治める聖風の神子と呼ばれる者によって名前を与えられた。赤子の名前は、ラファウス・ウィンドル———。
ラファウスには生まれつき強い風の魔力が備わっており、その力を見込んだ聖風の神子はラファウスを神子の一族として快く受け入れた。神子には子供がいなかった故、ラファウスの存在は天から授かりし運命の子と認識され、村を守護する神子を継ぐ者として育てられた。
二十年後———ラファウスは二十歳の誕生日となる日に聖風の神子一族の仕来りとなる試練を受ける事になる。それは、聖風の神子の一族となる者が十年毎に森の奥に聳え立つ風神の岩山の頂上に奉られた風の神による洗礼を受けるというものであった。試練の前日、ラファウスは村のとある民家を訪れる。
「ウィリー。妹様のお体は如何でしょう」
ラファウスが訪れた民家には、逞しい体付きの青年と病に伏した少女が住んでいた。ウィリーと呼ばれる青年はラファウスよりも年上で、ラファウスとは幼い頃から親交がある存在であった。戦いの腕前も村一番と呼ばれており、村人からは頼れる兄貴分と慕われている程だ。
「うーん、どうもただの風邪じゃないみたいだ。薬はちっとも効かないし、熱は一向に下がらないようでな」
「そうですか……」
ウィリーの妹となる少女ノノアは数日前に突然倒れ、止まらない咳と高熱による症状で寝込んでいるのだ。ラファウスはノノアの額にそっと濡れたタオルを乗せる。
「いつも悪いな、わざわざ来てもらって。そういや明日、試練なんだって?」
「ええ」
「とうとうラファウスも成人の仲間入りを果たすんだな。見た目はまだ子供なのにな」
「見た目がどうあろうと関係ありませんよ」
「ハハハ、それはすまんな」
人間とエルフの間に生まれたハーフエルフであるラファウスは人間よりも長寿の種族であるエルフの血筋による影響で体の成長が並みの人間よりも遅く、実年齢とは不相応な程の小柄であった。ラファウスはウィリーの家から出ると、村に吹く一筋の風で何かを感じ取り、立ち止まる。
「……やはり……風に異変が起きている。何か不吉な風が近付いている……」
風を肌で感じた瞬間、不意に悪い予感に襲われたラファウスはウィリーの家と村の様子を見ながらも、聖風の社へ向かって行った。
定期船による船旅から半日後、西の大陸に到着したレウィシアとルーチェは港の宿屋で一晩を過ごし、店で食料を買い込んで風神の森を目指していた。だがその道のりは徒歩ではかなり距離があり、森へ続く街道を行き来する乗用馬車を利用して向かう事になった。
「馬車があって助かったわ」
質素な造りの馬車だが二人分が乗るには丁度いい大きさで、レウィシアは体を解すように背伸びしつつも腰を掛ける。
「あの占い師が言ってた風神の森……ぼく達にとって何か大事な出来事でもあるのかな」
ルーチェが呟くように言う。
「さあ……何も解らないよりはマシだからとりあえず行ってみるしかないわね。ルーチェ、膝の上に座ってもいいのよ」
レウィシアは誘うように顔を寄せ、ルーチェに笑顔を向ける。
「……もしあいつがいたら……」
ルーチェの表情が恐怖の色に変わる。自分の目の前で行われた道化師の残虐非道な行為が頭から離れないのだ。
「ルーチェ……大丈夫よ。あの男だったら絶対にやっつけるわ」
レウィシアは笑顔でルーチェの頬を撫でながら安心させようとする。
「寝る時も一緒にいてあげる。怖い夢を見ないように」
顔が近い距離で囁きかけながらも、レウィシアはルーチェの額にそっとキスをする。ルーチェは少し照れながらもレウィシアに抱きつくようにしがみ付くと、レウィシアは笑顔でルーチェをそっと抱きしめた。馬車に乗り始めて一時間近くが経過しようとした時、突然馬の嘶く声が響き渡る。前方にメイドの服を着た女と犬が数体の魔物に襲われているのだ。猛毒性の針を持つ巨大なスズメバチの魔物キラーホーネット、巨大な蜷局を巻く大蛇の魔物アナコンダード、毒液と粘着力の強い糸を吐きながらも背中に生えた蜘蛛の脚を模した刃で獲物を切り裂く奇怪な蜘蛛の魔物タランチェルといった危険な魔物である。
「大変!助けなきゃ!」
レウィシアは馬車から飛び出し、腰の剣を抜いて女を襲う魔物達に戦いを挑む。ルーチェも後を追った。
「はああっ!!」
レウィシアの剣の一閃が飛んでいるキラーホーネットを斬り捨てると、タランチェルが口から糸を吐き出した。
「うくっ……な、何これ……」
糸に絡み付かれ、身動きが取れなくなったレウィシアにアナコンダードの鋭い牙が襲い掛かる。
「ああぁっ!!」
その牙には身体の神経を麻痺させる毒が塗られており、右脚を噛みつかれたレウィシアの全身に毒が回り、身体が麻痺してしまう。
「ぐっ……ううっ!」
全身が麻痺したレウィシアに襲い掛かるのはタランチェルの背中から生えた刃による攻撃だった。刃に斬りつけられ、血を流すレウィシアは身体を動かそうとするものの、痺れて動けない。
「閃光よ貫け……レイストライク!」
上空から降り注いだ光線がアナコンダードとタランチェルの身体を貫く。ルーチェの光魔法であった。
「お姉ちゃん!」
ルーチェがレウィシアに駆け寄り、回復魔法を唱えようとすると体液を撒き散らしたタランチェルが動き出す。
「ルーチェ、逃げて!」
タランチェルが襲い掛かろうとしたその時、襲われていたメイドの女がハンマーを手に突撃してきた。
「隙ありいいいいい!魔物め、レディの反撃を思い知りなさい!!」
メイドの女はハンマーによる渾身の一撃をタランチェルに叩き込む。その一撃によってタランチェルはガクリと息絶えた。更にルーチェの魔法によって倒れたアナコンダードにもハンマーの一撃を叩き込む。
「ふ~、危ないとこだったわね」
一息付くメイドの女の元に三角耳と巻き尾を持つ狐色の犬がやって来る。犬は嬉しそうにメイドの女にじゃれついていた。突然起きた思わぬ出来事にレウィシアとルーチェはきょとんとするばかりだった。
「ど、どうもありがとう。助けるつもりが逆に助けられたみたいね。あなたは?」
「私は世界を渡り歩くメイド行商人、人呼んで流浪のよろずメイド行商人のメイコ・パドリーンです!道行く旅人に様々なアイテムを売るのが主な仕事です!そしてこの子は愛犬のランです」
「メイド行商人?つまりあなたは商人なの?」
「フフフ、その通りでございます!よろしければ売ってるものを見ますかぁ?」
「売ってるものって……」
メイコが颯爽と大きな荷物の袋を運んでくる。袋には様々な道具が詰められていた。
「さあ、これが売り物です!そこのあなた、先程魔物との戦いで毒を受けたようですね?そんな時はこの万能ハーブがオススメですよ!」
笑顔で万能ハーブと呼ばれるハーブを差し出すメイコ。
「そんなもの使わなくても、ぼくの光魔法で何とかなるよ。ぼくは聖職者だから毒を治す事だって出来るんだ」
ルーチェがレウィシアに毒を治療する魔法を唱え始める。
「神聖なる光よ……魔の毒を浄化せよ……アスエイジライト!」
浄化の光がレウィシアを包むと、レウィシアの身体の痺れが一瞬で解けた。
「身体が動く……ありがとう、助かったわルーチェ!」
レウィシアは感謝の気持ちでルーチェを抱きしめる。
「あ、あなた達……どうやら只者ではなさそうですねぇ」
メイコはレウィシア達に興味津々の様子であった。レウィシアは大きな道具袋に入った売り物を覗き始める。
「折角だから旅の助けになるものを買わせて頂くわ。何かオススメの商品はあるかしら?」
レウィシアの一言にメイコは目を輝かせ始める。
「さっすが旅人さん!お目が高い!旅に心強いアイテムといえばですねぇ……」
メイコのオススメの商品は各種の回復アイテムに加え、様々な魔力が込められた呪符、炎、氷、電撃のブレスを吐く事が出来る菓子類等バラエティに富んでいるものであった。レウィシアは所持金と相談しつつも、最低限必要な回復アイテムの購入程度に留めた。
「ありがとうございましたあ!ところで、これから何処へ行かれるおつもりですか?」
「風神の森よ」
「えっ!風の神を崇める民族が暮らすと言われている森へ行かれるのです?」
「そうだけど、何か知ってるの?」
「いえ、噂に聞いただけで詳しい事は知らないのですよ!ですが、あなた達はなかなか腕の立つお方だと見受けました。よって私もあなた達に同行いたしましょう!風の神を崇める民族の森というだけあって面白い掘り出し物があるかもしれませんからね!さあ、行きましょうか!」
「はああ……?」
突拍子もないメイコの言動にレウィシア達は呆気に取られていた。
「あ。そちらのお名前もまだ聞いてませんでしたね。ご一緒するという事でお名前を教えて頂けませんか?」
「私はレウィシア・カーネイリス。クレマローズ王国の王女よ」
「ぼくはルーチェ・ディヴァール」
「よろしい!レウィシアさん、ルーチェ君、少しばかりのお付き合いよろしくお願いしますね!」
「何だかよくわからない人ね……」
メイコと同行する事になったレウィシアは再び馬車に向かう。
「おやまあ、客人が増えたのかい?まあ、金になるなら大歓迎だけどさ、この馬車は三人くらいが限界だよ」
御者の言う通りレウィシア達が乗る馬車は大人三人くらいしか乗れない事もあり、メイコは荷物が入った袋を、レウィシアはメイコの愛犬ランを抱き抱えたまま乗り込んだ。レウィシアは胸に抱いているランの可愛らしさについ頭を撫でると、ランは嬉しそうにシッポを振りながらレウィシアに甘え始める。
「可愛い犬ね」
「ふふ、可愛いでしょ?この子ったら人懐っこいんですよね」
レウィシアの隣に座っているルーチェもランに触れ始める。
「ルーチェ君も犬は好き?」
「うん……好きだよ」
「ふふふ、犬って可愛いですよね」
和気藹々とした雰囲気で三人が会話を弾ませていると、突如空が雨雲を覆い始め、雨が降り始めた。同時に雷の音が聞こえてくる。
「まあ、こんな時に雨が降るなんて。風神の森までまだまだかかるんでしょうかねえ?」
轟く雷鳴の中、雨はどんどん激しくなっていく。御者は鞭を振るい、馬は嘶きながらも足を速めた。
「きゃあ!い、いきなりスピードを速めないで下さいよお!」
突然の加速に驚くメイコ。
「この天候だと嵐になるかもしれん。目的地までもうすぐだから少しの間辛抱してておくれ」
御者は更に鞭を振るうと、馬は火が付いたように走り出す。そのスピードはかなりのものであった。豪雨の中を走る事数十分、馬車は目的地となる風神の森の手前まで辿り着いた。
「はい到着!ここが風神の森だよ」
レウィシアはお代を御者に渡し、そっと馬車から降りる。雨は小雨に落ち着いていた。
「全く、お客様に優しくない御者さんですね」
メイコが軽く愚痴をこぼす。ルーチェがランを連れて馬車から降りると、レウィシアは森の入り口を見た。森には人の手が加えられたような道が設けられており、所々に石灯篭が設けられているのが見える。
「成る程……何だか神聖な雰囲気が漂うわね。さあ、行きましょう」
レウィシアが森に立ち入ろうとする。
「あ、ちょっと待って下さい!」
メイコが声を掛ける。
「どうかしたの?」
「あのですねぇ、こういった未知の領域の探検には何が起きるかわからないものだし、いざという時にいつでも帰還出来るものが必要じゃありません?」
「いつでも帰還出来る……そんなものがあるの?」
「ふっふっふっ、それがここにあるんですよ!じゃーん!」
メイコは道具袋の中から翼の装飾が施された宝石を取り出す。
「この宝石はこれまで行った事のある場所にいつでも自由に戻れるという、名付けてリターンジェムという宝石です!私のような世界を渡り歩く行商人には欠かせない魔法アイテムでしてねぇ、あなた方はどうもワケアリで旅しているようなので一つだけサービスでお売り致しますよ!」
「え、売るの?」
「当然です!本来行商用のアイテムとして生産された非売品の貴重なアイテムですからね!値段は五万ゴルと言いたいところですが、そこまで持ってなさそうなので大まけで五千ゴルにしておきますよ!」
笑顔で勧めてくるメイコに、レウィシアは思わず所持金の確認をする。
「……別にいいわ」
「え!?あの……いらないのです?」
「うーん、所持金がちょっと……」
「そう易々と買う気は無いよ。ぼくはあなたのこと、まだ信用してるわけじゃないから」
レウィシアの言葉を遮るようにルーチェが言った。
「あ、あら……それは残念ですね。それならそれで結構ですが、後で後悔しても知りませんよぉ?」
「い、一応考えておくわ。とにかく、先へ進みましょう」
レウィシアはルーチェと手を繋ぎ、森へ入っていく。
(あのルーチェ君って子……一見大人しい子かと思えばちょっと生意気なところがあるのね。まあそれはさておき、もっと売れそうなアイテムとかないものかしら)
メイコは道具袋を抱え、ランと共にレウィシアの後を付いていった。
設けられた石灯篭を目印に森の中を進んでいくレウィシア達。神聖な雰囲気が漂う中、森に生息している魔物が次々と牙を剥ける。レウィシアはルーチェの光魔法の援護を受けつつも襲い掛かる魔物を退けていく。同時にメイコもハンマーで応戦していた。日が沈み、夜になるとレウィシア達は森の広場でキャンプをして一晩を過ごす事にした。
「キャンプでしたら心配ご無用ですよ!野宿なんて日常茶飯事ですからテントくらい当然持ってます!」
メイコは道具袋から折り畳まれたテントを取り出し、颯爽とテントを張っていく。その間レウィシアはルーチェと薪を集めて焚火を燃やし、港で買い込んだ食料の魚と海産物を焼き始める。
「おや。食料でしたら私も丁度持ち合わせていますよ」
そう言ってメイコが燻製肉を取り出し、焼き始めた。
「何だかあなたに助けられたわね」
感心した様子でレウィシアが言う。
「ふふふ、私がお供でよかったでしょう?あ。テントのサービス代もしっかり頂きますからね?」
「は?」
「ふふ、ジョークですよ!旅は道連れ世は情けですからテント代なんてとんでもございません!」
「そ、そう……」
掴みどころのないメイコの振る舞いに、レウィシアはただ苦笑いするばかりであった。
「そういえば、レウィシアさんはクレマローズという国の王女様って事でつまりお姫様なんですよね?」
「ええ……一応そうなるわね」
「王国のお姫様が何故このような出で立ちで旅しているんですかぁ?」
興味津々で聞いてくるメイコにレウィシアは少し俯く。
「……お父様を助ける為よ」
真剣な様子で答えると、メイコは思わず目を丸くする。
「お父様って、王様ですよね?王様に何が……?」
「攫われたわ。邪悪な力を持つ道化師の男に」
「道化師……それっぽい感じがする人を何処かで見たような」
「えっ!?どこで?つい最近の事!?」
レウィシアは顔が近い位置で掴みかかるようにメイコに問い詰める。
「ち、近いですよレウィシアさん!ちょっと前、のような気がしますねぇ」
「どんな人!?特徴とか覚えてる範囲内で教えてもらえるかしら?」
「うーん、あまりよく覚えてないのですが……」
メイコは道具袋からスケッチブックを取り出し、記憶を頼りに過去に見かけたという道化師の絵を描き始める。それは、レウィシア達が見たものとは全く違う愛嬌のある顔をした普通の道化師の絵だった。
「ああ、人違いみたいね。私達が出会ったのはこんな人じゃないわ」
「あら、そうでしたか。ガッカリさせてすみませんねぇ」
「大丈夫よ。寧ろ人違いでよかったくらいだわ」
「そうですか?」
「もしあの男だったら、あなたもタダでは済まないかもしれないから……」
「え、どういう事ですか?」
レウィシアはメイコのスケッチブックを使ってクレマローズ城で遭遇した謎の道化師の絵を描き、道化師の特徴と分身となる黒い影の存在について話した。
「そ、それ程恐ろしい人だったのですか……そんな人に王様が……」
「ええ。身も凍り付く程の邪気を放っていたわ。得体が知れない事もあって恐ろしかったけど、いずれは戦わなくてはならない。お父様を助け出す為にも」
レウィシア達が会話をしている中、焚火の音が森に棲む生き物の声と共に響き渡っていた。夜も更け、テントの中で眠りに就くレウィシア達。
「……おかあ……さん……」
レウィシアに抱かれながら眠るルーチェは、レウィシアの胸の中で譫言を呟いていた。ルーチェが見ていた夢———それは、亡き母親の夢だった。
ルーチェ……あなたは神から授かりし子。心正しき子に育つのよ。
ルーチェという名前は、光を意味する言葉。神から授かりし一つの命の光として命名してくれたのも母だった。目の前で失った母親の記憶———自分を胸に抱きしめ、愛に溢れた温もりで包んでくれた母の存在。その傍らに父もいる。生まれたばかりの頃は、父も母もいた。本当の家族の中で育った。だが、本当の家族はもういない。思い出も、帰る場所も突然現れた悪魔によって闇に葬られてしまった。
今ここにいる姉のような、母親のような存在———レウィシアが限りない母性で包んでくれる。二度も両親を目の前で失った深い悲しみを誰よりも理解し、同じ悲しみを知っているからこそ実の弟のように、実の子のように愛してくれる。夢から覚めた時、ルーチェは自分を抱きながら眠るレウィシアの優しい寝顔を見て、心の中でこう呟いた。
お姉ちゃん……ぼくは一人じゃないんだね……。
どうか……ずっとぼくのそばにいて……。
想いを馳せながら、ルーチェは再び眠りに就いた。焚火の炎は既に消え、虫の声だけが聞こえる月夜の森———満月が徐々に黒い雲に覆われ始めていた。黒い雲はやがて月を覆い尽くし、僅かに森を照らす月の光はうっすらと消えて行った。
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