王女の旅立ち

「な、何……!?」

レウィシアは不意に走る馬を止めた。前方に見えるクレマローズ王国の街並みからは黒い煙が立ち上っているのが見える。やはり何かが起きている、邪悪なる者が王国にいると察したレウィシアは兵士達と共に大急ぎで王国へ向かおうとする。

「姫様、あれを!」

トリアスの声。王国まで目と鼻の先という距離まで達した時、レウィシアは倒れている人の姿を発見する。倒れているのは、ルーチェだった。魔物に追われながら王国から逃げたところで別の魔物に襲われ、気を失っていたのだ。

「あの子は……ルーチェ!?」

レウィシアは馬から飛び降り、ルーチェの元へ駆け寄る。

「ルーチェ!大丈夫!?しっかりして!」

抱き起こして呼び掛けると、ルーチェはうっすらと目を開ける。

「……う……ん……」

「ルーチェ!気が付いたのね?」

ルーチェは目の前にいるレウィシアの姿を見ると思わず涙を浮かべ、レウィシアの胸に飛び込んだ。

「うっ……うええぇぇん!」

「よしよし、もう大丈夫よ。お姉ちゃんが守ってあげる」

胸の中で泣き叫ぶルーチェを抱きしめるレウィシア。

「何故こんなところにルーチェ君が?一体王国に何があったというのだ……!」

トリアスは悪い予感が頭から離れず、王国の安否を案じていた。

「一刻も早く王国へ急がなきゃ!ルーチェ、お姉ちゃんの傍から離れちゃダメよ」

「う、うん……」

レウィシアはルーチェの手を引きながら王国に向かって行く。トリアス達兵士もそれに続いた。


「こ、これは……!?」

王国に辿り着いたレウィシア達は城下町の様子に愕然とする。大きく燃え盛る教会。破壊された幾つもの建物。徘徊する影の姿をした魔物。間違いなく魔物による襲撃だと確信したレウィシア達はすぐさま戦闘態勢に入る。影の魔物はレウィシア達に気付くと、不気味な声を響かせつつも一斉に襲い掛かった。

「はあああっ!!」

レウィシアと兵士達は影の魔物に斬りかかる。それぞれが剣で魔物を斬りつけていくと、魔物は空気に溶け込むように消えていく。だが、魔物の数はかなりのものであった。

「くっ……キリがなさそうね。みんな、城下町の魔物を食い止めていて。私は城の様子を見てくるわ」

「ハッ!姫様、どうかお気を付けて!」

「あ、でも……」

レウィシアはふとルーチェの姿を見る。安全な場所へ避難させようにも町は魔物が徘徊しており、至るところで建物と家が破壊されている。安心して避難させられるようなところが見当たらない現状であった。

「城が……せめて城のみんなが無事だったら!」

レウィシアはルーチェの手を引っ張りつつ、クレマローズ城へ急いだ。城の中に入ると、怯えた様子の兵士がいた。

「はうっ!ひ、姫様!お戻りになられたのですね!?」

「城のみんなは?」

「今地下に避難しております。王国の人々や王妃様も地下牢に……」

「よかった、無事に避難出来たのね?」

「ですが、王様は……王様は……」

「えっ!?」

震え声で言う兵士にレウィシアの表情が凍り付く。

「お父様は!?ねえ、お父様はどうなったっていうの!」

顔を寄せて兵士の体を揺すり、掴みかかるようにレウィシアが問い詰める。

「と、突然黒い物体が現れて……そいつが王様を飲み込んだんです!しかもそいつは黒いバケモノを生み出して、た、倒れた兵士達を……ひいいい!」

黒い物体……やはりそういう事かと思わず拳を握ったレウィシアはルーチェを連れて人々が避難している地下牢へ向かう。地下牢には多くの人々とアレアス王妃がいた。

「おお、姫様!姫様だぞ!」

人々がレウィシアの姿を見て思わず声をあげる中、アレアスがレウィシアの元へやって来る。

「レウィシア、無事だったのね」

「お母様こそご無事で何よりです。でも王国が……」

「ええ。突然現れたあの黒い影……これ程恐ろしい気配を感じたのは初めてだわ」

アレアスはガウラを攫った黒い影のとてつもない邪気に恐怖を覚え、物憂げな表情を浮かべていた。

「お母様、私が何とかしてみせます。それまではこの子を……」

「あら、その子は?」

「ぼくはルーチェ……クレマローズの教会の聖職者です。教会は……魔物によって壊されました」

「まあ、なんて事なの……」

事態の有様にアレアスは思わず心を痛める。ルーチェを地下牢に避難させると、レウィシアは単身で謁見の間へ向かう。城内の廊下には魔物はいないものの、嫌な予感は止まらないままだった。謁見の間に辿り着くと、レウィシアは身構え、剣を構える。玉座の前には一つ目の鋭い牙を剥けた影の魔獣———シャドービーストが唸り声をあげていた。傍らには肉を喰われ、白骨化した兵士の亡骸があった。

「まさかお前が……許さない……!」

無残な姿となった兵士の亡骸を見て怒りを覚えたレウィシアはシャドービーストに戦いを挑む。

「グルゥオオォォオ!!」

シャドービーストは俊敏な動きで爪の攻撃を繰り出す。その攻撃はレウィシアのマントを軽く引き裂き、間髪で直撃を避けたレウィシアはマントを脱ぎ捨て、反撃に転じる。だが、シャドービーストの鋭い牙はレウィシアの左肩を捉え、鮮血が迸る。

「ああぁっ!」

激痛のあまり叫ぶレウィシア。その時、懐に潜っていたソルがレウィシアの中に入り込み、炎の魔力を覚醒させる。炎のオーラに包まれたレウィシアはシャドービーストの牙から逃れ、後方に飛び退いて態勢を整える。左肩には噛み傷が残り、血が流れていた。レウィシアは炎の魔力を高め、激痛に耐えながらも再び戦いに挑む。炎に包まれた剣による様々な剣技で応戦し、ダメージを与えていくと不意にレウィシアは立ち止まる。シャドービーストが全身に力を溜め始めているのだ。まともに受けると危険だと感じて防御態勢に入ろうとすると、シャドービーストは咆哮をあげる。謁見の間全体に響き渡る程の咆哮によって周囲に衝撃波が巻き起こり、その衝撃によって吹き飛ばされ、壁に叩き付けられるレウィシア。

「ぐはっ……!」

唾液を吐き出し、体を抑えながらよろめくレウィシアに、シャドービーストが牙を剥いた大口を開けて突撃する。

「あああああぁぁぁああっ!!」

絶叫と共に飛び散る鮮血。シャドービーストの牙はレウィシアの脇腹に食い込まれていた。その牙から逃れようと剣で突き刺そうとするが、牙は更に深く食い込み、全身に激痛が走っていく。

「あぁがあぁぁああっ!!」

苦痛のあまり叫び続けるレウィシア。鮮血が床に滴り落ち、血溜まりが広がっていくと、レウィシアは目を見開かせ、叫びと共に全身の力を最大限に高め、炎のオーラを燃え上がらせる。周囲に熱風が吹き荒れ、脇腹に食い込んでいた牙が離れるとレウィシアはガクリと膝をつく。噛み傷からは多量の血が溢れていた。

「……まだ……倒れるわけにはいかない……」

口から血が零れ、止まらない出血に目が霞む中、レウィシアは息を荒くさせながらも剣を構え、敵の姿をひたすら凝視する。シャドービーストは再び全身に力を溜め始めると、レウィシアは即座に盾で防御態勢に入る。咆哮と共に衝撃波が繰り出されると、レウィシアは激痛の中で全身を込めて防御に集中した。その結果、衝撃に吹き飛ばされそうになりながらも辛うじて立ち止まり、攻撃態勢に切り替える。すると、脇腹の血や床に広がった血溜まりから煙が上がっていき、徐々に熱を帯びた煙となって周囲に広がっていく。煙によって視界を遮られたシャドービーストはキョロキョロと首を動かすばかり。隙を見つけたレウィシアは炎を纏った剣による一閃を加え、更に次々と一閃を加えていく。

「ギィエエァァアアアア!!」

四肢を斬り飛ばされたシャドービーストは、おぞましい断末魔の咆哮を轟かせながら息絶え、闇の瘴気と化して溶けるように消滅した。

「ぐっ……はぁ」

レウィシアは激痛が走る脇腹の傷口を抑え、敵が完全に倒れた事を確認しようとした矢先、不意に体が凍り付くような感覚を覚える。

「クックックッ……なかなかやるではないか。王女よ」

声と共にレウィシアの前に現れたのは、道化師の男だった。

「お、お前は……?」

「ククク……まずは初めまして、と言いたいところだが……貴様と会うのはこれが初めてではないと言っておこう。もっと言えば、過去に少しばかりこの国の兵士どもの相手をしてやった事もあったがね」

レウィシアは不気味に笑う道化師から得体の知れない邪気を感じ取っていた。それは以前にも似たような感覚であった。

「魔物を放ったのはお前の仕業なの?それにこの気配、どこかで……」

「フハハハ、左様。このクレマローズに素材がまだ存在していた事が判明したものでな。それを頂きに来たついでに余興を楽しもうと思い、オレが生んだ魔物を与えてやったというわけだ」

「素材?ハッ!まさか……!?」

レウィシアの脳裏に黒い影の姿が思い浮かぶ。あの黒い影は計画に必要となる素材を求めている、と口にしていた。今ここにいるこの道化師の男から感じる得体の知れない邪悪な気配や声も黒い影に通じるものがある。この関係性からレウィシアはまさかと思い、剣を手に身構える。

「クックックッ……そうだ。貴様が以前見たあの黒い影はオレの分身であり、オレの一部ともいう。即ち影の女王を生み出したのもこのオレ自身でもあるのだ」

口元を歪めながら冷酷な笑みを浮かべる道化師。レウィシアは凍り付く程の邪気に立ち尽くすと同時に傷口からの痛みが全身を駆け巡っていく。

「お父様は……お父様は何処なの!?お父様もお前が……!」

「心配するな。ガウラ王も素材に選ばれたが故にサレスティル女王同様、我が手元にある」

「何ですって!お父様を……サレスティル女王を返して!」

気丈に振る舞うレウィシアを前に道化師は冷酷な態度で笑い続ける。

「フハハハハ、愚か者が。貴様も既に解っているだろう?このオレに挑んでは火を見るよりも明らかだという事がな」

嘲笑う調子で言い放つ道化師を前にレウィシアは鋭い目を向ける。道化師は一瞬でレウィシアの背後に回り込み、両手でレウィシアの口と鼻を抑えつけた。

「んうっ!?んんんんんっ!!」

抑えつける力はとても強く、呼吸が出来ない程であった。レウィシアはその手から逃れようと必死でもがき始める。窒息寸前のところで、道化師は含み笑いをしながらも両手を離す。

「はっ!はぁっ!はぁ……はぁ……はぁ……」

レウィシアは呼吸を整えると、背後を振り返る。手に付着したレウィシアの口から流れていた血を舌でペロリと舐めている道化師の姿が視界に飛び込んで来ると、何とも言えない不気味さと恐怖感を覚えるようになった。

「クックックッ……レウィシアよ。今回はひとまず貴様の勝ちという事にしてやろう。貴様も場合によっては素材になるかもしれぬ。再びオレと会う日まではせいぜい強くなっておくんだな」

道化師は不気味な笑みを浮かべながら、その場から姿を消した。同時に謁見の間を覆っていた邪気は消え去り、城下町で兵士達が挑んでいた影の魔物達も姿を消していった。レウィシアは止まらない動悸のまま、その場で呆然としていた。王国全体に漂う不穏な空気は消えていき、魔物と戦っていた兵士達が謁見の間へやって来る。

「姫様!なんと手酷い傷を……」

「わ、私の事は心配しないで。ここで魔物の犠牲になった兵士を手厚く葬ってあげて……」

「ハハッ!」

兵士達は白骨となった兵士の亡骸を葬り、地下牢にいるアレアスと王国の人々に魔物達は消え去ったと伝えると、人々はそれぞれの居場所へ帰っていき、アレアスとルーチェは謁見の間に向かう。

「レウィシア!その体……」

「お母様、これくらいなら平気です」

負傷したレウィシアを気遣うアレアス。そこでルーチェがレウィシアの近くに駆け寄る。

「その傷……ぼくだったら治せる。少しジッとしてて……」

「え?」

「祝福の神よ……傷つきし者へ癒しの光を……ヒールブレス」

ルーチェの光魔法によって、レウィシアは暖かくやわらかな光に包まれる。傷口がみるみると塞がっていき、負傷から完全に回復した。

「凄い……傷が治った!ありがとうルーチェ、助かったわ!」

レウィシアは感激するあまりルーチェを抱きしめて頬にそっとキスをする。その大胆な行動にルーチェは思わず戸惑い、兵士達は和やかな気分になっていた。

「それにしてもガウラは……ガウラはやはりあの黒い影に……」

アレアスの言葉にレウィシアは項垂れる。

「……私はこの場で黒い影の正体となる者に遭遇しました。まるで道化師のような姿をした不気味な男で、全身が凍り付くような恐ろしい邪気に満ちていました。その男がお父様を……」

「道化師……むむ、もしやあの時の!?」

トリアスはまるで心当たりがあるかのような反応をする。

「姫様、二年前に我々が負傷して帰って来た時の事を覚えていらっしゃいますか?北の地で黒い影を目撃したという知らせを聞いて我々兵士団が調査しに行ったあの時の事を……」

「ええ……まさかあなたもあの時に?」

レウィシアは思わず過去の出来事を振り返る。



二年前、北の地で黒い影を見た者がいたという報告を受けてトリアス率いる兵士団は調査に向かった。目撃現場となる地に辿り着いた時、トリアスは一人の男がズタズタに引き裂かれて倒れているのを発見した。その男は目撃者となる人物だと確信し、声を掛けるものの、既に息絶えていた。

「な、何だあれは!」

兵士の一人が声を上げる。空中には黒い瘴気が漂い始め、それはやがて黒い球体と化していく。

「間違いない。あれが黒い影だ!お前達、気を付けろ!」

トリアス達が即座に身構えると、黒い球体から大きく口が開かれ、その瞬間、何かが目にも止まらぬ速さで兵士達を次々となぎ倒していった。

「何事だ!?」

突然の出来事に注意深く周囲を伺うトリアスだが、一瞬のうちに空から何かが投下され、爆発が起きる。

「ぐわあああぁぁ!!」

爆発によって吹っ飛ばされたトリアス達は、更に何者かによって姿が確認できないような動きで攻撃を加えられ、成す術もなく倒されてしまう。

「ぐっ、一体何者の仕業だ……!ひとまず撤退するぞ!」

深手を負ったトリアスは得体の知れない強大な敵の存在に恐怖を覚え、兵士達と共にその場から撤退した。去り際のトリアスの視界には、三つの目を光らせた人の形をした何かが入っていた。それは背後の影の球体に溶け込んでおり、どのような姿かははっきりとわからなかった。辛うじて撤退に成功したトリアス達はクレマローズ城に帰還し、ガウラに経緯を報告した。

「なんと……それ程の恐るべき存在だったというのか?」

表情が強張るガウラ。傍らにいるレウィシアは負傷したトリアス達の姿と相まって思わず息を呑む。

「お父様……」

「……どうやら、我々にとっての大敵となりそうだな。レウィシアよ、お前も我々と同様戦神の血を分けた者であり、炎の魔魂の適合者に選ばれた存在。お前もいずれ黒い影と戦う事になるだろう」

その言葉にレウィシアは俯き、自分の拳を見つめる。やはり私はもっと強くならなきゃいけない。どんな敵にも負けないくらい、強くならなきゃいけない。全てを守る為には———。そう自分に言い聞かせ、拳を握り締めていた。



「あの頃は正体がはっきりとわかりませんでしたが、恐らく姫様が遭遇した道化師に違いありません……まさかあれが黒い影の正体たる者だったとは……」

険しくなったトリアスの表情は汗に塗れていた。

「その道化師はぼくの目の前で……ぼくの育ての親の神父様を……惨殺したんだ。思い出したくもない惨い形で」

ルーチェの言葉に周囲が騒然となる。

「ぼくは……二度も親を目の前で失ったんだ……二度も……親を……うっ」

涙を流しながらもルーチェは項垂れ、すすり泣き始める。

「ルーチェ……」

レウィシアはルーチェの頭を撫でながら、包み込むように優しく抱きしめる。本当の母親のような母性的な暖かさと温もりに溢れたレウィシアの優しさに触れたルーチェは、抱え込んでいた辛さと恐怖感、深い悲しみを発散するかのように大声で泣き出してしまい、レウィシアの胸の中でずっと泣いていた。

「レウィシア……一先ず休みなさい。その子の傍にいてあげると良いわ」

アレアスの言葉に従い、レウィシアはルーチェを連れて自室へ向かう。兵士達もそれぞれの休息を取るべく、宿舎へ向かって行った。


その日の夜———レウィシアとルーチェは寝間着姿でベッドの上に腰を掛けていた。

「ねえルーチェ。あの時、ネモアの弔いをしてくれたよね」

レウィシアは二年前に亡くなったネモアの葬儀の事を思い出していた。

「うん……死した者の魂を天に導くのがぼくの使命なんだ。ぼくは聖職者だから」

「そっか……偉いよね、まだ小さい子供なのに」

「小さくないよ……別に偉くなんてないし」

レウィシアはふふっと笑いながらルーチェの頬を軽くつつく。赤子のような柔らかい頬の感触に堪らなくなったレウィシアは、思わずルーチェの頬をつまんでしまう。

「や、やめてよ」

「アハハ、ごめんね。可愛かったからつい」

ルーチェと接しているうちに、まるで最愛の弟であるネモアといるような感覚に陥っていたレウィシアは頭を撫でながら軽く頬擦りしたりと積極的なスキンシップに走っていた。ルーチェは赤面しながらもレウィシアを姉のように、母親のように愛してくれる存在として認識するようになっていた。

「レウィシア、さま……」

「なあに?」

「あの……ぼくね、レウィシアさまのこと……お姉ちゃんって呼んでいい?」

「え……」

レウィシアはルーチェの目をジッと見つめ始める。

「だめ……かな」

「ダメじゃないわよ!寧ろお姉ちゃんって呼んでくれて嬉しい!今日から喜んでルーチェのお姉ちゃんになるわ!」

喜びのあまり、レウィシアはルーチェを思いっきり抱きしめる。

「……ありがとう。レウィシア、お姉ちゃん……」

ルーチェはレウィシアの豊満な胸に顔を埋め、優しい温もりと心地よい匂いを感じつつうっすらと涙を浮かべていた。夜が更け、眠りに就いてもレウィシアはルーチェを抱きしめていた。


翌日———城内では緊急会議が開かれた。黒い影の正体に当たる道化師の行方と攫われたガウラ王の事。邪悪な魔物の襲撃によって王国内に漂う不安と今後の対策。様々な問題が課せられた中、レウィシアが立ち上がる。

「私が行きます。あの邪悪な道化師の力がどれ程であろうと、お父様が攫われた以上このまま大人しくしているわけにはいきません。それに、今回は護衛は必要ありません。特殊部隊を含む兵士達は王国を守り続けて下さい」

「姫様!」

「トリアス。王国の現状を見たでしょう?邪悪なる者の手によって王国の人々は今、様々な不安にさらされています。だからこそ、このクレマローズを守るにはあなたを始めとする屈強な兵力が必要なのです」

固い意志と強い決意が込められたレウィシアの眼差しを見たトリアスは即座に敬礼をする。

「ハッ!このトリアス、命に代えてでもクレマローズの民をお守り致します!」

会議が終わり、道化師の手からガウラ王を救う旅に出る決意を固めたレウィシアは武装と旅の準備を整え、アレアスの元へ訪れる。

「レウィシア、行くのですね」

「はい。お父様は必ず私が助け出してみせます」

「ならば王国の占い師フーラに話を聞くと良いわ。フーラの占いなら何かの導きが与えられるはず」

アレアスに旅立ちの挨拶を終えたレウィシアは多くの兵士達に見送られながらも、城を後にする。占い師のフーラは冒険者の行くべき場所や探し求めている者の居場所を占う事が出来るという王国で有名な占い師であった。

「お姉ちゃん!」

ルーチェの声だった。

「ルーチェ!」

「お姉ちゃん……今から旅に出るんだよね。ぼくも一緒に行くよ」

「え!?」

レウィシアは驚きの表情になる。

「ぼくにはもう帰る場所がない。あの道化師の男はぼくにとって大切なものを奪ったんだ。それに、ぼくには光の魔力で傷を回復できる力がある。きっとお姉ちゃんの役に立てると思うんだ。お姉ちゃんの……力になりたい」

ルーチェは真剣な眼差しでレウィシアを見つめている。レウィシアはそっと背丈を合わせるようにしゃがみ込み、顔を近付けてルーチェの頬をそっと撫でた。

「ルーチェ、ありがとう……あなたに助けられた事もあったから、付いてきてくれるなんて嬉しいわ。これからもよろしくね、ルーチェ」

レウィシアはルーチェの小さな体をそっと抱き上げる。ルーチェは少し驚くが、母親に抱っこされた時の記憶が蘇り、嬉しい気持ちになっていた。

「きゅーきゅー!」

荷物の袋から小動物の鳴き声が聞こえてくる。ソルだった。

「ソル!いきなり顔出してどうしたの?」

ソルの鳴き声はどこかしら嬉しそうな様子であった。ルーチェが不思議そうな目でソルを見つめている。

「あ、この子はソルっていう可愛い小動物というか……ペットみたいなものかな?」

「へえ……」

レウィシアは笑顔でソルを掌に乗せる。ルーチェはそっとソルを指で撫でると、ソルは嬉しそうに鳴き始めた。ルーチェと共に旅に出る事になったレウィシアは城下町の奥にある占い師フーラの屋敷を訪れる。

「おやまあ、久しぶりですのうお姫様。何か占いが必要ですかな?」

フーラは二人の来訪を快く迎える。屋敷内は妖しい雰囲気に包まれていた。

「えっと、王国を襲撃した魔物の親玉というか……邪悪な力を持つ道化師の行方とか、これから私達が向かうべき場所はどこか一つ占って頂けるかしら?あ、もしかしてお代が必要?」

思わず所持金の心配をしてしまうレウィシア。

「ホッホッホッ、お姫様からお代を頂くなどとんでもない。それに、攫われた王様を助けるという大事な使命ですからのう」

「は、話が早くて助かるわ」

フーラは水晶玉に向かって念じる。すると、水晶玉からは森のような景色が映し出された。

「フム……これは風の神に守られし森のようじゃな。今向かうべき場所は西の大陸にある風神の森と見た」

「風神の森?」

「この地は風の神を崇める民族が住むといわれておる。もしかすると何か大きな出来事があるかもしれませんのう。邪悪な道化師とやらの行方は……残念ながらまだ何も見えないようじゃ」

「そう……ありがとう。まずはその風神の森へ行ってみるわ」

レウィシアはフーラの占いを元に、西の大陸にある風神の森へ向かう事にした。西の大陸へ行くには関所を抜けた先にある船着き場の定期船を利用する事となる。王国を出たレウィシアとルーチェは自然に生息する魔物と戦いながらも関所へ向かって行った。




世界の中心に位置する大陸。周囲が険しい岩山に囲まれ、大陸全体が熱風と瘴気に包まれた荒野でところどころが有毒物質の含まれる沼が沸き上がり、到底人が住めるような環境ではない大地だった。その大陸内に、荒廃した都市と黒い瘴気に覆われた城が建てられている。城の奥———暗闇に包まれた中、玉座に黒い甲冑の男が腰を掛けていた。

「久しいな」

黒い甲冑の男の視線の先には、禍々しい形の巨大な台座に祀られた球体に映し出された道化師の姿だった。

「貴様か……何用だ?」

「クックックッ……相変わらず狙っているのか?赤雷の騎士とやらを」

赤雷の騎士という言葉を聞いた瞬間、黒い甲冑の男は殺気立った形相になる。

「貴様の知った事では無い。消えろ」

「消えろだと?クチの利き方には気を付けるべきではないのか?貴様を蘇らせたのはこのオレだという事を忘れてはいまい?」

動じない態度で道化師が反論すると、黒い甲冑の男は思わず両手を震わせる。

「オレは今、計画に必要な素材を探している故に貴様の復讐に力を貸す気は無いが、あのヴェルラウドという騎士の事ならば知っている限りの事を教えてやってもよいぞ」

道化師は歪んだ笑いを浮かべる。

「……その必要は無い。貴様に聞かずとも、奴は必ず仕留めるつもりだ」

「ほう、なるほどな。まあいい。だが……一つだけ言っておこうか。あのヴェルラウドとやらも何か大きな成長性を秘めていると見た。場合によってはオレの計画の素材として利用できるかもしれぬがね。せいぜい頑張る事だな。闇王よ」

冷徹な声で言うと、球体に映し出された道化師の姿は消えて行った。闇王と呼ばれた黒い甲冑の男は杯に注がれた酒を口にする。



愚かなる正義のままに我が王国を滅ぼした忌まわしき赤雷の騎士……痕跡も残さず根絶やしにしてくれる。

赤雷の力を受け継ぎし者……ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルス———。


貴様の命は必ずこの世から葬り去ってやる……必ず……。




「うっ……!」

関所に辿り着いたレウィシアとルーチェは驚愕のあまり顔を引きつらせ、口元を抑える。番人として派遣された二人の兵士が身体に大きな風穴を開けられ、腕を切断されるという形で惨殺されているのだ。

「どうして……どうしてここまで惨い事を!」

レウィシアは怒りに震わせ、感情任せに叫ぶ。そこでルーチェが懐から聖職者の紋章が浮かぶ玉を取り出し、念じながら祈り始める。

「神よ……死した二人の兵士の魂を清らかなる光の加護と共に天への導きを……」

祈りの言葉を捧げると、二人の兵士の魂が天に昇っていくのが見えた。

「ルーチェ、今のは……」

「……魂が見えた?」

「うん、見えたわ」

「この人達の魂はずっとここに佇んでいた。邪悪なる者に命を奪われた者の魂は、闇の力の影響によって天に昇る事が出来ないらしい。だから、ぼく達聖職者はこの救済の玉で闇に縛られた魂を浄化して天へ導くという使命を与えられているんだ」

ルーチェの手に握られた救済の玉は、暖かくやわらかな光を放っていた。それは玉に込められた神の祝福の光であり、その光を目にしたレウィシアは自然に心が和らいでいくのを感じた。

「何だか神様が傍にいるみたい。神様は私達の事、見守ってくれるかな」

レウィシアはルーチェの手を包み込むようにそっと握る。

「神は、決して心正しき者を見捨てたりはしない。ぼく達が心正しければきっと見守ってくれる……」

ルーチェが呟くように言うと、レウィシアは少し切なげな表情を浮かべつつもルーチェの頬を軽く撫でた。二人の兵士の亡骸を埋葬し、関所を抜けたレウィシア達は船着き場へ到着し、西の大陸へ向かう船に乗り込んだ。船が陸を離れた時、レウィシアは遠ざかっていく母国の城を見つめながら想いを馳せる。



お母様……お父様は必ずこの私が助け出してみせます。

私の中には太陽がある。それは守るべきものを守りたい意思。何者にも負けない強さ。そして希望を与える優しさ。この身体に流れる血と命の炎に太陽がある限り、私は戦う。


太陽に選ばれし者として、私は戦う。


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