第2話 車内-倉田旭

「うわあ、混んでる……」


「私、人混み苦手なんだよね」


「あ、あそこの車両すいてる。急ごう!」


 何とか僕たちは電車に飛び乗った。次の目的地のカフェはこの駅から五つ先の駅の近くにある。僕たちは他と比べたら空いた車両に乗ったけど、この車両も混んでいないわけではなく、席が埋まっているのはもちろん、握り棒やつり革はすべて先客がいた。


「やっぱり人混みは苦手だな。ちょっと息苦しくなる」


 彼女は本当にしんどそうだ。


「ほんとに大丈夫!? 次の駅で休憩する?」


「ううん、そうじゃなくて」


 花田さんは一瞬躊躇の色を見せたが、再び口を開いた。


「私は昔から、うるさいところに一人で入って行くのって、あんまり好きじゃなかったんだ。ずっと喫茶店の静かな環境で育ってきたからかな。カラオケも最近やっと克服したばかりでね。今苦手なのはライブとか満員電車とか、人がたくさんいるところだけ」


 彼女は薄い水色のパーカーの裾をぎゅっと握って下を向いたままそう語った。

 その瞬間、電車がガタンと揺れ、彼女に子どもがぶつかった。彼女は少しよろけたが、何とか踏みとどまった。

 僕はその時に手を差し伸べることもできなかった。

 彼女の領域に手を出していいものか。あのアップルパイの日から、僕は迷い続けていた。彼女がそれを望んでいるのか、あの日の彼女の表情だけでは、僕にはわからなかった。


***


 無言の時間が続いた。あと二駅というところで再び揺れたが、先ほどぶつかった子どもはすでに前の駅で降りており、車内は空いていた。座ろうか、という声も出せないまま、僕たちはドアの近くの手すりにつかまっていた。


「花田さん。大丈夫?」


「うん」


 なぜか気まずい。僕は話題を見出すことができず、しばらくして列車が次の駅のホームに入った。


「あと一駅だね……って、これは……」


「どうしたの、倉田くん」


 彼女はそう言って僕と同じ方を向いた。そこには溢れんばかりの人がたくさん詰めかけていた。進めば進むほど人は少なくなっているが、そこそこ人がいる場所で列車は止まった。人が来る。花田さんの顔は見えないが、おびえているのはその小さな背中から見て取れた。


「花田さん」


 僕は意を決して、彼女の返事を待たないまま彼女を弱く抱き寄せた。


「えっ、倉田くん?」


「人来るから、詰めないとさっきみたいにぶつかる」


 僕は自分でも驚くぐらいにぶっきらぼうな口調で返した。


「少しの間、我慢して」


「……うん」


 扉が閉まった。案外人は乗ってこなかった。先ほどの人だかりのほとんどは、この駅で別路線に乗り換えて、僕らが本来メインの目的地として行く予定だった、人気のテーマパークに向かう電車を待っている人がほとんどであることが、乗り合わせてくる人々の話から理解した。

 僕は手を離した。彼女はすぐに僕の握っている握り棒の下の方を両手でつかんだ。普段の大人びている彼女の身長が僕より低いことを再認識した。


「大丈夫だよ」


「えっ?」


「人が多くても、絶対見失わないから。心配しなくてもいから。安心して」


 僕はとにかく彼女に元気を取り戻してもらおうと、優しく、精一杯の声掛けをした。彼女はふふっ、と笑い、「もう降りなきゃね」と言った。


「ありがとう。倉田くん」


「いえいえ」


 僕は照れを隠すためにどこかよそよそしく、笑顔で返した。

 すると、彼女は手を差し出してきた。

 僕はこの時、直感的に、彼女の領域に入ってもいいと思えた。


「行こっか」


 彼女は周りの目を気にするような素振りも見せず、列車を降りた。

 列車は後ろで次の目的地へ動き出した。


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