第4話 りんごみたい-花田由美

「ごちそうさまでした」


「お粗末様でしたー」


「それって喫茶店で言うやつかな……」


「あはは、そうだね」


「でもほんとに美味しかったよ。また普通に来るかもしれない」


「今後ともごひいきに。普段はお母さんが店に出てるから、こうやって留守番兼店番の時以外は、こうやってカウンターに立つこともないけどね。まあ週に二回ぐらいはお母さんはどっか行くから」


「そっか。だから今日はいないんだね」


「うん。もうそろそろ帰ってくるはずなんだけど」


「じゃあ今のうちにお暇しようかな。今日はありがとう」


 彼は席を立って、店の入り口までスタスタ歩いた。


「どういたしまして。また来てね」


「うん。じゃあね」


「バイバイ」


 私は顔の横で小さく手を振った。彼が夜に溶け込んでから間もなく、見慣れた声が後ろから聞こえた。


「ただいまー」


 カウンターの後ろの方でガチャッと扉が開いた。


「おかえり。ちゃんと勝手口から入ってきた」


「ん? なんのことかしら」


 母はを切って、私の近くにコーヒー豆の袋を置いた。豆の擦れ合う音がした。


「それより、誰か来たわね?」


「さすが、人の匂いは嗅ぎつける」


「そんな犬みたいに言わなくてもいいじゃない。それに外で誰か出てきたからわかるわよ……ん? 何このりんご」


「あ、それね。学校の友達からもらった」


「さっき来てた子?」


 私は頷き、カップをシンクに伏せた。


「この量、なにか新メニューでも作る?」


「ついさっきそう思ってたところ。りんごのお礼に明日、試食係を呼んでる。そこで何か作れたらなーって思ってる」


「明日午前だけよね。木曜日お店午後休みだし、そのときに作ってあげたら?」


「うんそのつもり。今日はオールナイトで研究しなきゃな」


「ふふふ」


「何がおかしいの……あ」


 私は初めて母の方を―――リンゴがどっさり積まれたカウンターの方を見て気づいた。


「倉田くん自分の分持って帰り忘れてる」


「そうなの? 持っていってあげなさい」


「えー? こんな時間に?」


 時計の針はもう八時を指していた。


「そんなに家遠くないでしょ? ほら、クラスの連絡簿探してあげるから」


「……わかった」


 私はエプロンの上からさっきハンガーに掛けたばかりのアウターを羽織って、かごを持って店の入り口から出た。後ろで「勝手口ー」という声が聞こえたが、無視した。


***


―――ピンポーン……


「はーい。今行きまーす」


 インターホンの奥で女性の声がした。目の前の扉をガラガラと開き、エプロンをつけた女性が怪訝そうにこちらを見た。が、私の手元を見て納得の顔をした。


「あ、旭の同級生の子ね。えっと……」


「花田由美です。これを……」


「ちょっと待っててね。旭呼んでくるから」


「あ、いやすぐ帰るんで……あ、行っちゃった」


 遠くの方で「旭ー! 花田さんが用事あるって」と旭の母が大声で言っているのが聞こえてきた。


「花田さん。ごめん。すっかり忘れてた」


 まだアウターを羽織ったままの倉田くんが出てきた。


「うん、気をつけてね」


「はい……」


 その時、私の両手に、受け取ろうとした彼の両手が触れた。


「ありがと……って冷たっ。そうだよね、こんな寒い中わざわざ持ってきてくれて、本当にごめん」


「いいよ。次からは気を付けてね。うちだからよかったんだから」


 彼は反省しています、というように俯いていた。


「ねえ。今さ、自分が原因で変な空気になっちゃった、とか思ってる?」


 私は彼を傷つけないように、自分では優しくしているつもりの声色で話した。


「え? う、うん……」


「自分のせいで、私が寒い思いをしたかもしれない、とか?」


 彼は黙ったままだ。


「じゃあさ、私の手、温めてくれる?」


 私は彼の脇にりんごを置いて空いた両手を彼の前に出した。


「え!?」


 さすがにやりすぎたかな。私は「冗談だよ!」と、由美はその手を引っ込め、いつもの癖で上着のポケットに突っ込みかけたが、人を前にそれは失礼だと思ってなんとか踏みとどまった。


「ちょ……本当に握りかけたじゃんかぁ……」


「触る?」


「いえいえ、結構です!」


 ちょっとからかってみたら、まるでりんごみたいに顔が真っ赤になった。こういうところも可愛らしく思えた。


「別にいいんだよ。倉田くん、あんまり私みたいな同年代と話したことないんでしょ? これから私とか喜多くんとかで慣れていけばいいんだよ」


 私はは手のやり場に困り、上着の裾を掴んだ。


「慣れられるかな……」


「大丈夫。倉田くん優しいから、直感的に人を傷つけないことができるし。私と似ている子を、今度一人紹介してあげるから」


「うん。ありがと。こんな冴えない僕に気をつかってくれて」


「とりあえずりんご渡せたということで。また明日」


「うん、また明日」


 私はドアを閉めた。ドア越しで二人の声が聞こえた。


***


「はああ、なんであんなことしたんだろ」


 私は帰り道、遅れて熟したりんごのように顔を真っ赤にしていた。

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