喫茶「花田屋」へようこそ！

第2話 アウター ｰ 倉田旭

＜一時間前＞

「旭。ちょっとお願いしたいんだけど」

　母がキッチンから顔をのぞかせてきた。

「何？」

「お姉ちゃんがりんごくれるらしいんだけど、ちょっとおつかい頼まれてくれない？」

「いいよ。でも叔母さん家知らないよ」

「何回も行ったじゃない。あの狭いとこ」

「小さいころの話だから分からない」

「うーん、わかった。ちょっとメモするから外に行く準備して待ってて」

　僕は部屋に行ってジーパンに履き替えて、お気に入りの上着を羽織った。僕が初めて学校の友達に褒められた上着だ。

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「その上着、似合ってるね」

　僕がクラス会に参加したのは、昨年の末のこと。少し遠出して都会の方に行って、昼ごはんをみんなで食べるだけのものだったが、とても楽しかった。その帰りに、偶然方向が一緒だった彼女―――花田さんと二人で帰っている電車の中で言われたのがその言葉だった。

「そう？」

「うん、合ってる気がする。倉田くんに」

「あ、ありがとう」

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　たどたどしい返事になってしまったことは今でもたまに後悔する。あんなふうに同い年の子に褒められたことがなかったからだ。今思えば、一緒に帰っていたのに特に話題がない気まずさから言われた、何気ない言葉だったのかもしれない。

　小学生の頃からずっと読書をしていて、たまに家族の外出に付き合う程度で、高校入学祝いでスマートフォンを買うまでは世間の流行を知らなかった。漫画やアニメ、特にファッションについては無知に等しく、クラスの話題からはいつも置いてけぼりだった。

　そもそも話しかけてくれる人が少なく、今のクラスの中で本当に友達と言えるような人もただ一人だった。

　それ以来、僕はこれを羽織るたびに思い出してしまう。思い出らしい思い出が少ないせいだろうか。僕はそれをはためかせて、暗くならないうちに着こうと走った。

「このアパートか」

　僕はメモを使って、叔母さんの住んでいるアパートにたどり着いた。ただ、メモには（リンゴをもらってきて）と（＠喫茶「花田屋」の隣のボロいアパート）としか書いておらず、途方に暮れてしまった。

　どこが叔母さんの部屋だろう。母は狭い部屋と言っていたけど、ドアは全て似かよっていて、表札すら出ていない。各部屋にも〇〇号室としか書いていないし、狭い部屋は外見だけでは全くわからない。

「どしよ……」

　僕はてんで困ってしまった。母に電話しようか、と思っていたときに、

「あのー」

　聞き覚えのある声が聞こえた。

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＜叔母の部屋＞

「いやあ、ありがとうね。こんな時間にわざわざ。青森の方に旅行に行ってきて、そこのクジ引き景品がダンボール一箱ぎゅうぎゅうに詰まったりんごだったから。食べきれないと思って」

「いえいえ、暇だったんでいいですよ」

「久しぶりだから色々話をしたいけど、こんな時間だし。呼び止めちゃ悪いから。また今度ね」

「別に僕はいいですよ？　なにか用事があったら連絡さえすれば許してくれるんで」

「じゃあお茶でも……待って、電話だ」

　叔母さんは携帯電話を持って部屋の隅の方に行った。

「ごめんね。ちょっと用事入っちゃって。また別の機会ね」

「あ、はい」

　僕は半ば追い出されるように部屋を出た。外にいると待っているかのように思われてしまうかもしれず、僕はアパートを後にした。

「ちょっとのこの量は多いな」

　かご二つ分のりんごを持っている自分は、傍から見ると大道芸をしているように見えるだろう。

　ふと、目の前を走っていく人影が見え、コーヒーの匂いがした。

「そういえば、ここの喫茶店……」

　通りに出て、アパートの隣の『花田屋』と書かれた看板を見上げた。

「花田さんの家って、喫茶店だったんだ」

　お礼だけでも言って帰ろう、と思い、僕はドアを開けた。

　中ではエプロン姿の花田さんがスマホを触っていたが、僕が入ってきたのを見て慌ててポケットに突っ込んで「いらっしゃいませー」と慣れた様子で言った。

　彼女はこちらを見るや否や、固まってしまった。

「えーと、どうも……」

　彼女は少し顔を赤くし、俯いた。