序章~ぬいぐるみになった男とある女の子の約束~

僕が死んで、生まれ変わった、ある災難の日

 自分が『死んだ』という事を、認識できる人間などいるのだろうか?


 暗闇の中で意識だけが漂う男――後に『ヴェア』と名乗る彼は、ふとそんなことを思っていた。

 彼はその後にも何度か自分が『死んだ』という経験をするのであるが、最初の『死』についてはあまりにも一瞬の出来事だったため、今一つ実感が無かった。


「あれ?僕、なんでこんな所にいるのかなぁ?たしか、車に轢かれて、宙を舞った所までは覚えているのだけど……」


 彼は暗闇の中で自分が最後に見た光景を少しずつ、思い出そうとしていた。しかし、強烈な睡魔が襲っていたので、その作業はなかなか捗らなかった。


「轢かれた時、結構遠くまで体が飛んで、次に見えたのは、血溜まりの中にあった僕の右腕だったなぁ。あー、あれ見たとき思った。『これは死んだな……』って」


 本来であれば自分が死ぬと分かった時、大抵の人は絶望する、発狂するなど情緒が不安定になるものだが、彼は違った。割とあっさりと自身の死を受け入れた。

 それは彼が車に跳ねられる前、たった一つだけ明確に覚えている事があり、それを行えた満足感が彼の死に対する恐怖心を薄くしていた。


「なんか、あんまり良い人生とは言えなかった気がするけど、あの女の子、お母さんの腕の中で泣いていたな。それ見て、『良かった』って思った。最後に人の役に立てたって……」


 彼が鉄の塊にその身を投げた理由。それは車に轢かれそうな女の子を助けるためだった。お気に入りのぬいぐるみを横断歩道に落としてしまい、車に気づかず飛び出した女の子。彼は長時間勤務の疲労で重くなった体を何とか動かし、彼女とぬいぐるみを安全な方に避難させ、そして自分はそのまま轢殺された。女の子は擦り傷こそあったもの、命は助かったのだ。


『女の子を助けて死ぬことができた』


 それこそが、彼が気も狂わず、大人しく自身の死を受け入れた理由である。


「何も残せた事、誇れた事は無い人生だったけど、最後は良い事ができた。あぁ、眠い。このまま楽になって――」






『あー、満足感で満たされているところ悪いけど、君。もう一つ人生やってみない?』


 この暗闇に似つかわしくない軽い声。彼は無視して眠りに着こうとする。


『お?無視しちゃう感じ?わかるよー。胡散臭いからな、俺の声。いやー、結構悩んでいるのよねー』


 軽い声の音量はどんどん大きくなる。それでも、聞こえないふりをして彼は眠ろうとした。


『いやでもさ、少しくらい、おっ、第二の人生!?今、流行っているヤツじゃん!俺、人生やり直せちゃうの?嬉しい!そういう展開待っていた!で、どれだけ強くなって転生できるか知りた――』


「だー、うっさい!人が満足して死を受けて入れているのに、あんた何しにきた!」


 ずっと大人しかった彼も、流石に我慢の限界が来た。天から聞こえる軽い声は嬉しそうに答える。


『やーっと、相手してくれる気になったか。うんうん、そうでないと。さて、時間がないから本題に入ろう』


 天の声(もう、彼はこの軽い声をこう呼ぶことにした)は相手の希望も聞かず、どんどん話を進める。意識しかないはずの彼も、頭が痛くなるような感覚に襲われた。


『単刀直入に言う。君にこの世界、エデヴェルで続く戦争を終わらせて欲しい』


『エデヴェル?戦争を終わらせる?こいつは何を言っているの?いや、そもそも僕は一般人。特に体を鍛えているわけでもなく、頭脳も普通だ。そんな僕に何を期待しているの?いや、待てよ?まさか僕に神をも恐れぬ、とてつもない力や武器をくれるとか――』


『あっ、君に俗に言う神をも恐れぬ力みたいなのものは上げることができない。いや、正確にいうと俺が付与してやることは簡単だが理由があってできないから、君の頑張りだけで俺の願いを叶えてくれ。すまんな』


「……あんた、その顔を見る機会があったら、絶対ぶっ飛ばすからな」


 彼のささやかな希望は天の一声であっさり却下された。戦乱が続く世界で一般人が召喚されたところで何ができるというのだ。彼はこのまま死んだ方が絶対に損しないと思い、再び眠ろうと意識をそちらに持っていく。


『いやだから、もう眠ろうとしても無理だって。俺と対話した時点で縁ができているから。君はもうエデヴェルに召還される準備に入っている』


 意識を睡眠に傾けようとしても、天の声の言う通り、眠りにつくことができなかった。怒りの感情が増加して寝つけないという表現の方が適切だった。彼は『そっちが勝手に話しかけて来たからだろ!』と思いながらも、相手をするとより面倒な展開になりそうだったので、沈黙を保つことにした。


『うーん、とは言うものの、さすがに何も手助けしてやらないのは可哀想だな。俺にも少ーし責任あるし……。よし、それなら向こうでも会話が困らないようにエデヴェルの言語の知識はやるよ。いや、まぁこれは召還されたら勝手に付与されるものだけど……』


「最後の一言いるか!?」


 彼は耐えきれず、つっこむ。天の声の笑い声が聞こえる。


『いやー、良いつっこみだ。そのつっこみなら、向こうの世界でもみんなと仲良くやれるよ』


 天の声は終始気安い。彼の怒りは頂点を越えて、呆れになってしまった。その時、暗闇の中で小さな光が見えた。


『おっ、誰かが君を呼んでいるみたいだ。それじゃあ、色々苦労はあるかもしれないが頑張ってくれ』


 適当な事を……と彼は思った。しかし、抵抗が無意味だと判断し、仕方無く光の方に意識を向ける。

 温かく優しい光だった。意識が光に飲み込まれそうになった時、ふと天の声が呟いた。


『あっ、そうだ。最後に言っておくよ。君を呼んだ理由だけど……』


 光が強くなって彼の意識が薄れていく。天の声が聞き取りにくくなる程。


『前の世界でな。報われなくても真面目に黙々と積み上げていく根性と、最後に女の子をその身を挺して助けた優しさ。それに賭けてみたくなった……』


 急に真面目に語りだした天の声に彼は驚いた。だが、その言葉を聞いて、彼は少し泣きそうになった。


『人生最後の善行を見てくれて、それを褒めてくれた人がいた』

 ただ、それだけが嬉しかったから。


『もし会えたら、かならず手助けしてやる。だから、それまで死ぬなよ!』


 ……会えたら、ぶっ飛ばすけどな!と思いながらも、彼は心のどこかで何かに満足しながら、次の世界に呼ばれていった。



 ※※



『あれ、ここは……。さっきの会話は夢じゃ、なかったのか……』


 先ほどの天の声との漫才は、死ぬ間際に気が動転して自分がおかしくなってしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 彼は辺りを見回す。


 木製の壁、小さな窓、ベッド、本棚……、ざっと見た感じから推測するにどうやらここは民家のようだ。と彼は思った。しかも、ごく一般的な。部屋に置いてあるものは装飾が少なく、お金持ちという感じがしなかった。

 次に、床を見る。床には丸い円の中に文字がびっしりと記されており、彼は初めて見る文字のはずだったが、なぜかそれがどういうものかすぐに理解できた。


『これ……、魔方陣だ。しかも、召還式の』


 それは何かを召還するために作成された、魔方陣。


 なるほど、僕はこれに『呼ばれた』と考えるのが妥当か。と彼は考えた。

 だが、呼ばれた事よりも、さっきからもっと気になる点があった。


『何か……この部屋の家具。ずいぶん高くない?』


 彼の召還された部屋の家具は全て彼より大きかった。それも見上げるほどに。彼の立っている場所からベッドの足が見え、しかも、布団までは届かない。本棚の本も一番高い所のものはどうあがいても届きそうになかった。


『とりあえず、何から始めれば良いのかな?』


 天の声に言われた『世界救済』。この世界の言語が理解できるくらいで何とかなるとは思えなかった。とりあえず、現状を確認しないと。と思い、彼が頭を掻こうとした時、


 モフッ……


 と柔らかい感触がした。


『いや、僕の手。気持ちが良いな……。この感触、いつまでも触っていたくなる……じゃなくて!』


 彼は自分の手をみる。すると、そこには信じられないものが映った。


 それは毛糸でできた柔らかそうな手。しかし、明らかに『人の手』ではなかった。


『えっ?えっ!?何が起きているの。僕、何かのモンスターに転生したの?』


 彼は慌てて部屋で自分の姿が映せそうなものを探す。


 ここでやっと彼はこの世界に来てから自分の体が変化している事に気づいた。

 まず、自分の声が聞こえない。彼自身は『喋っている』と感じているが、その声が全く聞こえないのだ。

 次にそれぞれの家具が異様に高い事。彼の生前の身長は高くも無いが低すぎでもない。しかし、どの家具も彼よりはるかに大きく、高かった。これは家具が高いのでなく、自分が小さくなっている!と彼は気づく。

 そして、最後にこのモフモフの手。これは絶対に人の手ではない。


『つまり、僕は、人間として転生していない!!』


 彼は布がかかった立鏡を見つける。その布を思いっきり引きはがし、自分の姿を確認した。

 そして、そこに移っていたのは


『なっ、なっ……』


 そこ映っていたのは、子供よりも小さく、モフモフの毛に覆われた可愛らしい


『何じゃ、こりゃー!!』



『くまのぬいぐるみ』だった……

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四英雄と不滅の魔導人形〜ぬいぐるみ〜 蜂蜜珈琲 @kansyou_houjicha

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