4. 水晶の奥に見えるのは

家に帰り、ベッドに座り込んだ。先月買ったマットレスは、僕の体をゆっくりと沈み込ませた。寝転がれば布団の柔らかさが優しさとなって僕を包み込んでくれた。買ったばかりのシャツとチノパンには皺が付いてしまいそうだけどそんなことはつゆ知らず、僕は帰った格好のまま眠りについた。起きた頃には太陽がその姿を見えないところまで隠していた。彼(もしくは彼女)にまた会えるのは明日の朝になってからだろう。いま時期は彼の放つ燦々とした日差しのせいで僕の体は水分を欲して悲鳴をあげるのだが、真っ暗な部屋にいると少しは恋しさすら感じさせるものだ。空を見上げて太陽を見ると必ず僕はイカロスを頭に思い浮かべる。その翼はいかにも勇敢にはためいて、そして悲しげに散る。希望に向かい羽撃く者の末路が全てそうあってほしくはない。

以前に話したラジオスタッフの方が興味深いことをおっしゃっていた。

「この世界は努力したものに道が必ず待っている、ただそこには運も必要なんだよね」

聞いてから時間が経って思うが、この話は、運がほとんどを占めている、という結論であるように感じてしまうのだ。僕は根っからスピリチュアルを信じない現実派バカのひとりなので、なんて興ざめな言葉なんだと思ってしまう。努力したものに運はついてくる、という言葉を否定するわけではない。努力は絶対的に必要であるから。ただ運という言葉はとても狡い。それさえあれば全てを肯定もできるし、否定もできる。運が無かったからと諦める人を何人も見てきたが、それで腑に落ちるのはちゃんちゃらおかしくはないか。巡り合わせがそのタイミングで偶々起きることはある。それはあくまで努力の賜物であって、努力と運は別物ではない。

運の話で思い出したから、適当に書き記しておこうと思う。大学に入って、ある占いをしてみたことがある。彼女なんてこんな捻くれ野郎には当然いなかったので、「運命の人」を当ててくれるという占い師にあたってみたことがある。そこで占い師は僕にその人の特徴、親密になる時期を教えてくれたのだが、

・名前に「水」が関係する人

・今年の冬に関係が進展する

という結果であった。占いを終えて僕は真っ先にスマートフォンを開いて連絡先を調べたのだが、これといって思い当たる節もなく、勿論のことながらその冬はただ寒いだけの季節だった。占い師はその人が僕の結婚相手だとも語っていたので、20歳にして婚期を逃した僕はおそらく結婚できないのかもしれない。もしかすると僕には行動力どころか、やはり運も無かったのかもしれない。努力をすればよかったのだろうか。

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