第5話 悪魔のデートプラン

「あ、あのさ、カコ」


 放課後の下校路。二人の別れを迫る駅を目の前に、僕は切り出した。

 昨日、ミクと話をつけたおかげだろう。今日は図書室でばっちりカコと会い、そしていつぞや目論んだとおり自然な流れで二人で下校している。


「な、なに? イチロー」


 カコは長い黒髪を流すように首を傾げて振り返った。白い肌は心の動きを映して頬を朱に染める。


「そ、その……今度の土曜日って、忙しいかな?」

「土曜日? 別に予定はないけれど……」


 そう言ってカコは、きょとんとした顔で小首を傾げる。自分がこれから誘われる、なんてことを想像すらしていない様子だ。


「良かったら映画でも観に行かない?」

「映画? なんの映画?」


 淡々とした様子で訊ねるカコ。あれれ? ちょっと思ってた反応と違う。


「アメコミのヒーローものなんだけど」

「アメコミはよく知らないけど……」


 どうにも反応が薄い。まさか、ミクのやつ、僕を担いだんじゃないよな?


「じゃあ、えと、サスペンスはどう?」

「どうって?」

「好き?」

「どちらかと言えば好き、かしら」

「そう、よかった。じゃあ、それ観に行こうよ」

「アメコミのヒーローものは? 観ないの?」


 なんでそうなる。


「だって、カコはあんまりアメコミ知らないんでしょ? だったら、サスペンスの方がいいんじゃないかな、って思って」

「私がアメコミを知らないとサスペンスの方がいいの? その方がイチローの都合がいい?」

「僕が、ていうかさ、カコも観て楽しめる方がいいじゃん」

「? 私、知らないお話でもちゃんと大人しく観るわよ? イチローが好きなのを観て」


 でもそれじゃあただの付き添いだ。デートなんだし、と言いかけて口をつぐむ。映画が目的というていだから辛うじて誘えるけれど、デートとなるとめっちゃハードルが高い。断られたときのダメージがでかすぎる。

 映画を観た後、二人でコーヒーを飲みながら「デートだよね、これって」とかなんとか言って、既成事実的にデートの実績を作る、というのが僕の戦略だった。


 もちろん、ミクからの情報でカコが僕を憎からず思っていることは知っている。でも、だからと言って「好きです、付き合ってください」なんて言う勇気はない――今は。

 もっと逢瀬を重ね、キス未満のスキンシップもしたりして、「僕たちってもう、恋人同士って言ってもいいのかな?」なんて言って、恥ずかしそうに「ウン」ていうカコに「じゃあ改めて。好きだよ、カコ」とうっかり告白のタイミングを逃してたよー的な流れでいきたいのだ。


 せこいとでも気が弱いとでもなんとでも言え。伊達に告白したことない歴イコール年齢じゃない。


「僕だけが面白いと思うより、カコと僕が二人とも観て面白い、って思える映画を観たいんだ」


 僕は控えめに訴える。でも、控えめな主張は通じにくいのが世のことわり


「私がどう思おうが、イチローが感じる映画の面白さに変わりはないと思うのだけれど……」


 まるで話が噛み合わない。でも、その含むところをまったく窺わせないカコの顔を見ていたら、なんとなく理由が分かったような気がした。

 カコには、僕の行動原理に「カコのため」というものがあるなんて、そんな発想自体がないようだった。だから、カコが楽しめるものを選ぶという理由がわからないんだ。


「ともかく、今度の土曜日は映画を観に行こう。約束だよ」

「ええ。ありがとう」


 淡々と山手線のホームに向かうカコに手を振って見送る。姿が見えなくなったところで、僕は踵を返した。


    *


「というわけで、土曜日はデートすることになったから」

「知ってる」


 カコと別れて数分後。駅近くのマックで僕はミクに報告していた。


「なんで知ってんの?」

「LINEきたもん。ほら」


 ミクはスマホの画面を僕に向ける。

 それはカコからのメッセージで埋め尽くされていた。


『聞いて聞いて! イチローから映画の付き添いを依頼されたの!』

『ねえ、これって脳内でデートと変換してもいいかな?』

『フォォォォォォゥ!』


 最後の雄叫びは日本一有名な変態のスタンプだった。浮かれまくっていることは経験の少ない僕の目にも明らかだった。


 見ていてこちらが赤面してしまうくらいのはしゃぎっぷりは、さっきの塩対応から想像できない。いったいどんな顔でこれ打ってたんだろう。


 ミクはスマホをしまうと鞄の中をごそごそし始めた。


「あたしの方もいろいろデートプラン考えてきたから」

「ほんと!? ありがと!」

「いいっていいって」


 そう言いながらミクはA4のコピー用紙を差し出した。なんだかんだ言って、やっぱり経験豊かなギャルは頼りになるなあ。


「なになに? 言い間違いを装って『ママ』と呼ぶ、料理を食べるときに口の周りを汚す、こぼしたものを拾って食べる、にんじんを除けて残す……なにこれ」

「だから、あんたがカコに愛想を尽かされるためのデートプランだよ。そのあたりはイチローの情けなさをアピールしてみた」


 ひどい。


「それから、ロリコンをアピールするのがその下あたりから」

「……すれ違う幼女を必ず振り返ってつま先から舐め上げるように眺める、女子高生ってもうおばさんじゃんと言う、挨拶を『にゃんぱすー』に変える……なんだこれ」

「アニメおたくを同時にアピールするのもいいんじゃないかと思って」


 意外にサブカルに詳しいギャルだった。


「それから、大盛りを頼んで半分以上残す、ロットを崩して『お客様は神様だろーが』と店員に怒鳴る、鼻毛を伸ばす、風呂に入らない、フケを溜める、人前でおならをする……」

「人としてどーよ、って線だね。そこらへんは」


 僕は頭を抱えた。なんだかゴリゴリ精神が削られるんだけど。愛想を尽かされるって、そこまでやんなきゃいけないの?


「で、イチローはなんの映画観に行くかは決めてんの?」

「『六甲アイランド連続殺人事件』にしようと思って。予想もつかない犯人なんだってね」

「そうそう、あたしも観たけどびっくりだったよ。じゃあ映画館に入ったら『犯人はヤスなんだよねー』と大声で言う、てのも追加しとこ」

「なんで言っちゃうの!」


 僕は涙目で抗議する。そんなことしたら他の客から殺されるわ。


「ともかく、ここに書かれていることを全部こなせたら、いくらカコといえども愛想尽かすこと間違いなし。目指せ弱キャラ、鈴木くんチャレンジだよ」

「思いっきりベクトル間違ってるよ!」

「青春は短いんだよ。そうね、最低でも十個くらいは一回のデートでこなしていかないと」


 そういう約束だってことは頭では分かってはいたけど。でも、もう少し甘い日々を過ごさせてもらってもいいんじゃないですかね。


 ん? ちょっと待て。


「ねえ、ミク。約束は僕がカコと付き合って、キス以上をせずに愛想を尽かされたら、代わりにミクが僕になんでもしてくれる、てことだったよね」

「なんでも、とは言ってない」

「そうだったっけ?」


 そうだったかもしれない。でもミクは「それで?」と、僕の言葉に怪訝そうに先を促す。


「僕がすることはカコと付き合って、キス以上をせずに愛想を尽かされる、でいいんだよね?」

「……うん」


 その言葉の裏に秘められた考えを探るかのように慎重に答えるミク。


「なら、今度の土曜日、ミクのデートプランはどれも却下だ! なぜなら……」


 たっぷりと溜めてからぴしっと指を差して言う。


「僕はまだ付き合ってないからだ!」

「さっさとしやがれこの早漏野郎、遅いんだよ!」

「どっちだよ!」


 なにを言ってるんだこいつは。

 隣のテーブルのおじさんがぎょっとしてこっちを見る。少しうらやましそうな顔に見えるのは気のせいだろうか。


「だってさ、告白って結構ハードル高いよ?」

「別に、付き合うのに告白とかいらねーじゃん。一緒に遊びに行ったりしてさ、なんかいい雰囲気になったら付き合ってるってことだろ?」


 そうなの? じゃあ、男女でカラオケ行ったり、ラウンドワン行ったりしてる連中は全員で……やばいじゃん、日本がやばいよ。そこまで若者の貞操観念が崩壊しているとは。


「なんでそんな話になるんだよ。二人の話だよ、いい雰囲気ってのは。そんなこと言ったら文化祭の打ち上げなんか学校が全力で止めるわ」


 たしかに。


「じゃあさ、僕はもうカコと付き合ってるって言っていいのかな?」


 途端にミクは苦虫を噛み潰したような顔になる。


「認めたくない……」

「いいんだよ、認めなくても。その代わり、ミクのデートプランはやる必要ないってことだからね」


 完全に主導権を握った僕をぎろりと睨み、ミクはパコン、と僕の頭を叩いた。


「あたしはあんたのためを思って言ってんのに」

「どの口が言ってんだよ!」


 やれやれ、わかってないなあ、とミクが肩をすくめる。うわあ、めっちゃむかつく。

 

「あのさ、もしあんたがこの、最初で最後のデ……映画鑑賞会をうまくやったとするだろ? そうするとあんたはその先苦労することになるんだよ。わかってる?」

「なんで?」


 なにやら言い訳を始めたミクに僕は訊ねた。


「例えば、付き合ってもいいかな、という点数が六十点、別れたい、と思う点数が三十点だとするよね」

「三十点と六十点の間はどうなるの?」

「付き合っていれば付き合ったまま、付き合ってなければ付き合い始めることはない。現状維持ってとこ」

「なるほど」


 付き合い始めるのと同じくらい、別れるってのはエネルギーがいるものらしい。

 恋人と別れた経験のない僕にはわからないけど。


「それで、今、あんたの点数がぎりぎり、六十点だとするでしょ。その場合、そこから別れるためにはマイナス三十点を稼ぎ出せばいいわけ」

「やな計算だな」

「でも、デ……映画鑑賞会をして、あんたの点数が八十点にまで上がったとするよね。そうすると、あんたはマイナス五十点を出さなきゃいけないってこと」

「その違いってどれくらいなの?」

「みんなの前でおしっこを漏らすか、うんこを漏らすかくらい」

「どんだけ僕の人生を終わらせたいんだよ!」


 ミクは平然と僕の抗議を受け流す。


「で、どうする? ほら、大サービスであんたに選ばせてあげるから」

「く……」


 こんなことならあんな軽はずみな約束なんてするんじゃなかった。正直なところ、愛想尽かされるように振る舞うなんて、どうにでも誤魔化せると甘く見ていた。

 テキトーに「いやあ、なかなか愛想尽かしてくれなくってさー」なんて言いつつ青春を謳歌して、ミクが諦めるのを待つ算段だったのだ。

 カコに振られたら振られたで、そのときにはミクの約束が待っている――そんなに本気にしてるわけでもないけど――どう転んでも僕に損はないはずだった。

 それが気が付けば人生の崖っぷちまで数歩のところまで追いつめられていた。後ろには「あと一歩! あと一歩!」と囃す悪魔。


「どうすんの? 一発レッドカードの方が楽になれると思うよ」


 なぜか楽しげなミク。


「最初だし、初心者向けでお願いします……」

「じゃあ、その分、数をこなさなきゃね」


 嬉しそうな顔がほんとに腹立たしい。

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