第4話 奇妙な同盟関係

「ひょっとしてひょっとしたらひょっとするかもと思って訊くんだけどさ、ひょっとして」


 『ひょっとひょっとうるさいんだよ。ひょっとこか』というツッコミが入らない。僕は確信を持って続ける。


「今まで僕がカコと二人になるのを邪魔していたのは、ミクなの?」

「……」

「それはやっぱり、僕が誰でもいい、みたいに思えるから?」


 肯定も否定もしない沈黙。はぁ、と息をついてミクが口を開く。


「付き合ってから好きになったり嫌いになったりするのは普通じゃん? 付き合う前からその人のことなんてよく分かんねーし」

「じゃあ賛成ってことだよね」

「あんたがそう思うんならそうなんだろう、あんたん中ではな」


 あくまで賛成の意を示さないミク。


「なんで邪魔するのさ」


 だからさぁ、とミクはこちらに向き直った。


「頭では分かってんの。あたしはカコの親友だし、カコが望む幸せを叶えるためだったらどんな協力だって惜しまない」

「だったらどうして」

「だから、頭では分かってるって言ってるじゃん。その、心の問題だよ、心の」

「なんだよそれ。恋人かよ」


 僕の軽口に、ミクの顔は見る見る間に真っ赤になった。


「え、ちょっと? ミクさん?」

「う、うるさい!」

「ちょ、マジで……?」


 ミクは椅子に膝を立てて顔を埋めると、両腕で顔を覆った。真っ赤な耳だけが見えている。そんな座り方をするからスカートの中身が丸見えだったけど、そこにあったのは一分丈のスパッツだった。ちぇっ。


「悪い?」

「できればない方が」

「……なんの話してんの」


 そうだった。スパッツの話はしてない。


「そうよ。あたしはカコのことが好き」

「それはつまり、ライクじゃなくて」


 皆まで言わせぬかのように、ミクが頷く。


「恋愛の対象として好きなの。悪い?」

「いや、悪くはないけど……でも、カコは」

「ノーマルよ。だから、あたしはカコを幸せにしてあげらんない……今は」

「じゃあ、ミクは僕にカコを振ってもらいたいの? そんな気はないけど」

「嫌よ。カコに辛い思いをさせたくない」

「じゃあ、僕らを応援してくれるってことなのかな」

「『僕ら』とか言うなばかー! 応援なんかするか!」


 顔を上げたミクはストローの空き袋を僕に向かって投げた。丸めてもいない空き袋はまともに飛ばず、へなへなとトレイに落ちた。


「カコにはなるべく傷つかずに、あんたに愛想を尽かしてほしいの。そして、そのときに隣にいるあたしの愛に気づいてもらいたいのよ」


 ずいぶん自分勝手な望みだな。

 でも、望みなんてのはそんなものなのかもしれない。口に出すか出さないかの違いだけで。


「だから、あんたはカコと付き合いなよ。でもキス以上はダメ。その前に愛想を尽かされて振られて」


 無茶言うな。


「愛想を尽かされるって、どうすればいいのさ。金を借りて返さなかったり、暴力振るったりとか?」

「カコにそんなことしてみろ。殺すぞ」


 ミクはシェイクのストローを親指でパキッと折った。それ、誰でもできると思うけど。


「カコが傷つかずに愛想を尽かす方法を考えろっつーの。そうね……みんなの前でおしっこ漏らすとか」

「失うものが大きすぎるだろ!」


 理不尽にもほどがある。

 でもミクは平然と言い放つ。


「あんな可愛いカコと付き合えるんだからそれで満足でしょ。おめでとう、これであんたは四十になっても彼女いない歴は二十四年で済むよ」

「一生彼女ができないみたいに言うな! それに、キス以上がダメじゃ、付き合ったって言えないだろっ?」


 そんなお子ちゃまみたいな付き合い、カウントしたくない。恋人いない歴十四年で魔法使いになれちゃうじゃないか。

 ミクのこめかみに青筋がぴく、と浮かんだ。


「体か? 体が目的なのか? このさかったチェリーは」

「目的じゃない。手段だよ」

「なんの手段よっ!」

「そりゃ、お互いの愛を育むために……」

「育むなって言ってんの! あんたは愛想を尽かされなきゃいけないんだから!」

「でも、カコが望むことは叶えてあげたい、って言ってたじゃないか」

「うぐ……」


 痛いところを突かれたのか、ミクは言葉を失う。

 第一、付き合ってる者同士がなにをしようが、それは当事者の問題じゃないか。保護者じゃあるまいし。いや、そもそも保護者に許可をとるようなものでもない。


 そうだよな。

 なにを僕はバカ正直に言ってるんだ。


「とはいえ、ミクの気持ちはわかったよ。うん。キス以上はしないって約束しよう」

「あんた、隠れてやればバレないとか思ってないよね?」

「オモッテマセンガ?」


 ミクにジロリと睨まれて、僕は片言で答える。ギャル怖い。


「ったく、エロガキが。カコのファーストキスはあたしが予約済みなんだからね」

「矛盾してませんかね」

「第一、あんたカコじゃなくてもいいんでしょ?」

「ソンナコトナイヨ?」


 絶対カコじゃないとダメか、と言われたらそんなことはない。だってしゃべるようになってまだ数日だし。


「よく考えてみなよ。あんたはそもそもカコのことなんか見ちゃいなかったんだよ? 今、カコのことが気になっているのも『付き合えるかも』という希望があるからじゃん。もし、カコよりも落ちやすそうで、おっぱいが大きくて、すぐにやらせてくれそうな子だったら、そっちに乗り換えるんじゃないの?」

「おっぱいが大きくて、すぐにやらせてくれそうな知り合いなんか……」


 ミクは疑わしそうな目を向けたまま、胸の下で腕を組んだ。そのFカップはあろうかという豊満な双丘が、大きく胸元を開けたブラウスを下から押し上げる。足を組み替えるともともと短いスカートから扇情的な太股が見え隠れした。


「……いない……よね?」

「なんで疑問形なのよ」

「別に」


 そこで僕ははっと気がついた。

 なんで僕はこんなに下手したてに出てるんだ? ついつい、ミクの押しの強さに流されてしまったけれど、本来僕の方が強い立場なんじゃないか。

 僕は机に両肘をつき、ゆっくりと顔の前で両手を組んだ。いわゆるゲンドウポーズだ。


「ミク」


 ミクがぎくっとする。こいつ、自分が勢いで押してることに気づいてたな。


「な、なによ」

「僕はね。キスもその先もしたいんだよ」

「最低じゃねーか」


 ミクの目が冷たい。真顔で言う台詞じゃなかった。


「でもあんた、別にカコじゃなくてもいいんでしょ。キスさせてくれる子なら」

「そんなことないよ」


 何度も繰り返される質問。即答する僕にミクはじとっとした視線を向けた。


「じゃあ目ぇつぶってみなよ」

「え。なんで?」


 なんだかよくわからないけど、女の子に二人っきりで目をつぶって、と言われたら次になにが来るかは彼女いない歴イコール年齢の僕でも分かる。ソースはラブコメ。


「いいから。目ぇつぶって、自分がキスをするところを想像してみて」

「う、うん」


 めっちゃ直接的な言葉きた。

 僕はどきどきしながら唇に神経を集中した。ギャル系なだけあって、ミクが可愛いということには僕にも異存はない。怖いけど。

 あの艶々したグロスって、唇に付いちゃったりするのかな? すぐに唇を拭くのってやっぱ失礼だよね、あとでトイレで拭けばいいかな。

 突然、おでこに痛みが走った。


「いてっ」


 思わず目を開けると、そこにはデコピンした直後のミクが気持ち悪いものを見るような目で僕を見ていた。


「……きめぇからキス顔すんな」


 理不尽すぎる。


「あんた、今、誰を想像してた?」

「くっ……」

「ほら、言ってみなよ。カコじゃないんだろ」


 言い返せないのがくやしい。


「あんたが想像してたのは、ぼやーっとしたよくわからない誰か、だろ」

「それは違う」


 強く断言する僕に意表を突かれたのか、ミクは「へ、へえ」と答える。


「じゃあ、誰を想像したんだよ」

「そ、それは……」

「出まかせ言いやがって」

「違うよ! 出まかせじゃないよ!」

「じゃあ誰か言ってみなよ! 言えよ!」


 なにこの羞恥プレイ。いいさ、言ってやるよ。思わぬ答えに赤面するがいい。

 腹をくくって僕は言った。


「ミクだよ」

「きしょ」


 瞬殺だった。


 ミクは汚らわしいものを見る目で僕の頭のてっぺんから胸元あたりまで、何度も視線を往復させた。やられてみると地味にきっついな、これ。

 ミクは少し思案したかと思うと、やれやれ、と肩の力を落とした。


「いいわ。あたしがしてあげる」

「ひゃい?」


 変な声が出た。今なんと言った?


「だから、あたしがキスも、その先もしてあげるって言ってんの――って、やめろそういう目であたしの唇を見るのは」


 ミクは右手で口を覆って赤い顔で抗議する。

 マジで? 僕は口を拭こうと、トレイに置かれた紙ナプキンを取った。


「ちょ、ちょっと待てっ!」

「え?」

「な、なに考えてんだ。今じゃないっ!」

「わかってるよ当然じゃないか」


 僕は紙ナプキンを戻して爽やかに笑いかけた。


「いい? これは成功報酬なんだからね。あんたが、カコにキス以上のことをせずに、綺麗に愛想を尽かされて別れられたら、キスでもその先でもしてあげる」

「僕はこういう交換条件みたいなことはしたくないんだけどね」

「じゃあやめと」

「でもミクの気持ちはわかった。それを無にするのは男がすたる」

「なんでこんなヤツがいいんだよ、カコぉ……」


 ミクは頭を抱える。

 まったく失礼なヤツだな。とはいえ、ミクの疑問には僕も同意だけど。

 ていうか、親友なのにその理由知らなかったのか? 参考にさせてもらおうと思ってたのに。


「でも、傷つけずに愛想を尽かされるようなことって、思いつかないよ」

「そこはあたしも協力するから。だから、カコを傷つけるようなことだけはしないで」

「う、うん」


 こうして僕とミクの間にはなんとも奇妙な同盟関係が結ばれたのだった。

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