第3話 ぱんつを見た人が怒られるという風潮に一石を
おかしい。
なんだか、変な力が働いているような気がする。
今まで図書室に行けばいつもカコがいたのに、いろんな偶然が重なって僕が図書室に行けなかったり、行ってもカコがいなかったりする。
だったら教室で話しかければいいのだけれど、あのギャル、ミクがいつもカコと一緒にいて近寄れない。だって怖いし。
よし。今日こそ。今日こそは二人きりになれるよう機会を作ろう。放課後、カコが廊下を出たところですぐに声をかければいい。多少不自然かもしれないけれど、別にクラスメイトに話しかけるなんて珍しいことじゃない。
そうだよ、別になんも珍しくない。ミクを避けようと思うからこうなっているのであって、それさえなければ教室の中でもカコに話しかけることなんて難しくはないんだ。
ホームルーム終了後、カコが教室を出たところを後ろから駆け寄った。
「霞さんっうわっ!」
しゅっと突き出された足に引っかかって、僕は思いっきり顔面から廊下にスライディングした。
「痛ってぇ……」
「だ、大丈夫? 鈴木くん」
上からカコの声が聞こえてくる。そこにかぶせるようなもう一つの声。
「わ、悪いイチロー」
ずきずきする鼻を押さえて上体を起こすと、そこには心配そうに僕をのぞき込む二人――カコとミクがいた。カコはスカートを太股の後ろに折り込むようにしゃがんていたけれど、ミクはがばっとヤンキー座りしてるもんだからミニスカートの中が丸見えだ。
そのことに気づいていないのか、ミクは不安げに言った。
「ごめん、イチロー。その、わざとじゃないんだ」
「うん、わかってる。これは事故だよ。僕のせいじゃない」
うん、これは事故だ。僕はピンクの布地から目が離せなかった。
「なんであんたのせいなんだよ。わざとじゃなくても、あたしが悪いに決まってるじゃん」
「ミク、ぱんつ見えてる」
「「!」」
ばれた。
カコの声に、ミクはバネ仕掛けのおもちゃのようにぴょん、と跳び上がると、膝をついて太股にかかっているミニスカートの裾を押さえた。
「あ、あんた……」
怒りと羞恥に震えるミクの声。
殺される! そう思ったとき。
「ミク、ぱんつ見えてたんだけど?」
ものっそい低い声が聞こえてきた。それがカコの声だと一瞬認識できなかったくらいだ。
「ご、ごめんなさい!」
ミクは再びぴょん、と跳び上がると、床に手をついて深々とカコに頭を下げた――見事なジャンピング土下座だった。
え? え?
「ミク、鈴木くんにぱんつ見えてたんだけど?」
「は、はいっ。お見苦しいものをお見せしてすいませんでしたぁっ」
「違うよね、ミク。見苦しいものなら私は怒ったりしないよね?」
「はいっ、男子高校生には幾分刺激的なものであったかと存じます。ひとえにわたくしの不注意によるもので、イチローにはなんの非も」
「イチロー?」
カコの目が細められる。
「もう一度言ってくれるかな、そこ」
「い、い、す、鈴木くんにはなんの非も」
「さっきとは違うんじゃないかなあ」
「あ、あの、さ」
「な、なに? イチ……鈴木くん」
途端にはにかむような表情に変わるカコ。怖いよ、怖すぎるよ。
このままだとホラーでスプラッタな展開になりそうだったから、つい、口を挟んだけれど、ここで僕がミクをかばってもなんの状況の打開にもならなそうな気がする。
僕は必死に頭を働かせて、台詞を探した。
「僕はみんなからイチローって呼ばれてるし、その、よかったら霞さんも僕のこと、イチローって呼んでくれれば」
唐突すぎたか? ハラハラしながらカコの様子を見守る。カコはぱぁっと顔に喜色を浮かべると、もじもじしながら言った。
「じ、じゃあ、イチロー……?」
「うん。僕もその、カコって呼んでも……いいかな?」
「う、うん。いいよ、イ、イチロー?」
「ちっ」
土下座の姿勢から顔だけ上げたミクが舌打ちする。カコはそんなミクには気にも留めず、「イチロー……へへっ」と赤く染まった頬を両手で覆っていた。
こうして僕は修羅場を脱しつつ、なんとか互いを「カコ」「イチロー」と呼び合うことができるようになったのだった。
……僕の名前は太郎だけど。
*
なんだかよくわからないうちに、僕らはそのまま三人で下校中だ。ミッションを二つともこなせるなんて、予想以上の成果だ。ちょっと余計なのがくっついてるけど。
黒髪ストレートロングの地味なカコと、取り立てて特徴のない僕だけだったらともかく、そこに茶髪ギャルのミクが入っている。自然発生するはずのないグループに僕はなんとも居心地が悪い。
でも、それを言えばカコとミクだって相当違和感がある。ただ、それなりに進学校であるこの学園ではギャル系は明らかに少数派だし、うちのクラスに限って言えばミクしかいない。ギャル系でグループができるほどの人数がいないから、結果的にこうなっているという見方もできる。
僕らは三人並んで通学路を歩いていた。車道側から僕、カコ、ミクの順で、僕はその並びに密かにほっとしていた。だってギャル怖いし。
「連絡先交換しとこうよ」
ミクの言葉に僕らは頷いた。ミクとカコは当然交換済みだから、僕が二人と交換することになる――ミクはいらないんだけど。そう思いつつもミクと連絡先を交換すると、二人の口元から「ちっ」と舌打ちが聞こえたような気がした――僕も舌打ちしていいですかね。
そうして、望んでいたカコとの連絡先交換と、誰も望んでいないミクとの連絡先交換を終えたころに僕らは駅に着いた。
「あたしは京浜東北線だけど、イチローは?」
「千代田線だよ」
「カコは山手線だし、ここでお別れだね。じゃあね」
そう言って僕らはそれぞれの方向に立ち去った。
二人の姿が見えなくなった途端にスマホが鳴動した。
『駅前のマックにすぐ来い』
ミクからだった。
*
言われるがままにマックに入り、キョロキョロと探し回る。二人がけのテーブルで退屈そうにスマホを眺めているミクを見つけ、その向かいに座った。
「遅い」
「ごめん。見つけるのに時間かかった」
せめて手を挙げるとか、なんか合図してくれればもう少し早く見つかったんですけどね。学内では目立つギャルも、この混雑した店内で見つけるのは困難だった。
「それで、なんなんだよ」
ミクの土下座姿を見ていた僕はちょっとだけ強気に出る。ミクは僕の口調を大して気にもしていない様子で言った。
「あんた、カコのことどう思ってる?」
「どうって……美人だな、とは思うよ」
素材としては、という言葉は黙っておく。期待した言葉ではなかったのか、ミクは面白くもなさそうにシェイクをずずっと啜った。
「カコはあんたのことが好きなんだよ」
「えっ」
いきなり核心の直球。さすがに驚く。
「なんだよ、気づいてなかったわけじゃないだろーが」
「そりゃまあ、そうだけど……」
僕がいまいち確信を持てなかった理由。それはカコの言葉だ。
――私は……私のことは鈴木くんには、あんまり知られたくない。
知られたくないことに心当たりがあるとしたら、ミクに対するあのサイコな態度だろう。
確かに、あれは人に知られたくないと思ってもおかしくない。でも、カコがそれを僕に知られたことを悔いているようにも見えなかった。
「カコは自分が平凡でフツーだと思ってるからね。自分のことを知られて、つまんない子だと思われるのを恐れてるんだよ――全然、そんなことないのに」
「確かに、平凡な子じゃないってのは今日分かった」
「そうじゃねーよ」
そう言ってミクは僕をぽかり、と叩いた。別に痛くはない。むしろ、距離の近さがちょっと嬉しかったくらいかもしれない。
「あんたも言ったじゃない。カコは美人だ、て」
それに仕草も性格も可愛いんだ、とミクは嬉しそうに笑った。さっきは心底ビビってたくせに。
「でも、カコは自分のことをそうは思ってない。つまんない自分があんたと付き合えるなんてこと、ありえない。もしあるとしたら、あんたが『女の子だったら誰でもいいから付き合いたい』って思ってるようなヤツだったときだけだって」
「へ、へえ」
僕は言葉に詰まる。女の子なら誰でもいいなんて、そんな彼女いない歴
心当たりしかなかった。
「だから、あんたにあたしのぱんつを見られたことをあんなに怒ったのよ。『女の子だったら誰でもいい、盛りの付いたチェリーを誘惑するなんて、裏切り行為もいいところだ』って」
「カコは絶対、僕のことを『盛りの付いたチェリー』なんて言ってないだろ!」
僕の抗議を無視して、ミクは涼しい顔だ。僕もこほん、と一つ咳払い。
「でも、カコはそれでいいの? もし、僕がそんな――もし、もしもの仮定の話なんだけど、もし僕が」
「もしもしうるさいんだよ。亀さんか」
失礼。予防線を張りすぎた。
「えーと、僕がそういう、付き合ってからより深く相手のことを好きになるタイプだったとしても、カコは嫌じゃないのかな」
「……あんた、政治家なみに口が回るな」
「それほどでも」
「ほめてねーし」
僕は照れ隠しに頭を掻いた手を所在なく下ろす。
「カコは……カコはあんたのことが好きで、付き合いたくて付き合いたくてたまんないんだよ。でも、あんたが自分のことを好きになってくれるなんて思ってもいない。それは高望みしすぎだと思ってるんだ」
「……」
言ってることは分かる。いや分からない。だって僕、フツーのフツメンだよ? そんな高嶺の花みたいな扱いをされる覚えはない。
「つまりその、付き合えれば自分のことを好きじゃなくてもいいってこと?」
「あんただって似たようなもんだろ」
そうか。似たようなものか。いや違う。あれ? 同じか?
「じゃあ、三浦さんは」
「ミクでいいよ。あたしもイチローって呼んでるし」
「ああ、ミクは……」
ちょっと照れるな、これ。ちょっと緩んだ口元をミクが不思議そうに見ているのに気づいて顔を引き締める。微笑むとこじゃなかった。
「ミクは、僕とカコが付き合うことに賛成ってこと?」
「……」
ミクは頬杖をついてぷい、と横を向いた。賛成とも反対とも言わない。
第一、それならそうでなにも問題はなかったんだ。僕が普通にカコに話しかけて、二人で帰って、そうやって少しずつ距離を縮めていけばよかっただけの話じゃないか。それがなんだか妙な偶然が重なって――。
偶然?
僕はそっぽを向いているミクの頭をじっと見つめて言った。
「実は、最近なかなかカコと二人きりになれなかったんだよ」
ミクはあからさまにギクッとした。
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