17  ぬるい三通


     ぬるい三通




 リビングのブラインドは外の暑さを物語る強い日差しを受け止め切れず、光を部屋の中にはらませていた。

(・・・・・)

 12時前に目が覚めた涼介は、今朝エリカがドリップしただろうコーヒーをダイニングで飲みながらパソコンが立ち上がるのを待っていた。

 エリカは時間の限られた朝を象徴するかの様に、寝室のナイトテーブルやリビングの至る所にアクセサリーやグルーミング道具を置いたまま出掛けていた。それでもリビングのセンターテーブルに放したままだった昨夜の食器類は綺麗きれいに片付けていた。

 エリカは程好ほどよく息の詰まらない気遣いの出来る、自立という感覚を上手く表現出来ている女性の特徴を備えていた。ほとんどの男性はそんな女性に好感を抱いてしまう経験をしていた。当然涼介もエリカに対する愛情という尊敬の念を日々大きくしていた。

(さてと・・・?・・・)

 シャワーを浴びようと立ち上がった涼介の視界に予期せぬ物が飛び込んで来た。

 シンクの横で逆さまに重ねられた食器類のそばに、居なくなった主を探しているかの様に光を屈折くっせつさせているリングがあった。

(あいつらしいな・・・)

 涼介はリングを手に取り、あわただしかっただろう今朝のエリカの姿を瞳に浮かべていた。


 シャワーを浴び終えた涼介は部屋の空気を入れ替える為に全ての窓を開け放っていた。

 青い空は高く吹き抜けていた。ベランダから流れ込む風は日差し程重ほどおもくなく、秋が直ぐ近くまで着実に来ている事を告げていた。


     ■受信トレイ■

     □<未開封> まゆみ2003/09/28 11:20

     □<未開封> エリカ2003/09/28 08:45


(・・・・・)

 保温され続けていた残りのコーヒーをマグカップに入れた後、何気なくチェックした携帯電話の受信トレイにあった二通のメールを開くかどうか考えていた。

 涼介は寝室の窓を開ける前に、昨夜自宅に戻って以来一度も触っていない携帯電話を探し、無造作むぞうさに放り込ませたままのワイシャツのポケットで見つけ、金曜の夜からベッドの脇に置きっ放しだったドキュメントバッグを持ってダイニングテーブルに置いてあるパソコンの前に座っていた。

 バッグの中には明日の月曜日に行われる会議に必要なレポートを完成させる為の資料が入っていた。

(・・・・・)

 涼介は煙草に火をけた。そして涼介は再度受信トレイの画面を眺めながら、仕事を終らせる前にメールを開封してもレポートを作成する集中力を維持する自信があるのかどうか、自分に問い掛けていた。


     ■受信メール■

     おはよー♪いつまで寝てんの〜っ!!

     コーヒー作り過ぎちゃったから飲んでね☆


     あのさ、リョウって私の事大好きでしょ?

     あはっ!!(^_^)

     ■エリカ 2003/09/28 08:45■



     ■受信メール■

     昨日は有難う(^_^)

     もっと一緒に居たかったねf^_^;

     今日は何してるの?

     ずっとメールが来ないから、

     何だか心配になっちゃった・・・

     ひょっとして仕事中?

     ■まゆみ 2003/09/28 11:20■


(・・・・・)

 携帯電話をテーブルの上に置き、涼介は開け放たれている窓を閉める為に立ち上がった。

(・・・・・)

 涼介は部屋の中を歩きながら、明日の月曜日に行われる新規事業に関する企画会議に提出するレポートの概要をイメージしていた。

 キッチンに戻った涼介は共有フォルダのネットワークパスワードを打ち込み、会社のパソコンに保管してある会議用資料にアクセスした。

(・・・・・)

 涼介は会議用資料を開く前に業務メールフォルダを確認した。

 担当部署や各店舗から二十通近くメールを受信していた。その中に恭子からのメールが二通あった。

 涼介は恭子からのメールを読みながら、エリカとまゆみの事を考え始めていた。

(・・・・・)

 頭の中に三人の女性の姿が居座ろうとしていた。

(・・・仕事だ仕事・・・)

 涼介は残りの業務メールをチェックし始めた。

 届いていたメールのほとんどは来春オープンするレストランに関するものだった。

 会社は2004年の3月に小倉北区大手町にイタリアレストランをオープンする予定だった。

(・・・・・)

 涼介はマウスを動かしながら、企画開発部の課長代理としてかろんずる事の出来ない責任の下、プロジェクトに参画している部下をチームとして結束させる統率力を発揮し、レストランを優良店舗として軌道に乗せる使命をになっている事を自分に言い聞かせ続けていた。

 涼介はマーケッティングに関する全ての情報処理や店舗運営に関する人事、スタッフ教育の段取り、関連業者との折衝せっしょう、店舗のデザインやメニューの選定、広告のレイアウトや備品のチェック、関連グッズの手配や日程の管理、新店舗をアピールする為のイベントや横浜本社で行うプレゼンテーションの為のソフト作成など、プロジェクトのリーダーとして一つ一つの業務を統括とうかつし、確実に処理して行かなければならない立場にあった。

 涼介は横浜本社復帰をあきらめていなかった。故に涼介はプロジェクトの指揮をる役割を上層部が与えてくれた事に感謝していた。そして百万の立派な能書のうがきよりも雄弁ゆうべんなたった一つの結果を、チャンスを与えてくれた上層部に見せつけなければならない事も理解していた。そしてその結果に準ずる褒賞ほうしょうとして横浜本社復帰という3年越しの念願を論理的に自分の手で現実の物にせよという、暗黙あんもく叱咤激励しったげきれいを受けている事も理解していた。

(・・・・・)

 涼介は失っている中間管理職としての信頼を取り戻す事の難しさを考えていた。

 明日の会議の為にプロジェクトの進行状況を全て掌握しょうあくし、俯瞰ふかんし、検証しておく必要があった。

 ダイニングテーブルの上には携帯電話があった。

 会議には支店長も顔を出す予定だった。

「くそっ・・・ったく・・・」

 涼介はミスが許されない状況を認識しながら仕事に集中出来ていない自分にあきれた。そして恭子からのメールをもう一度読み返す為にマウスに手を掛けた。

 恭子から届いていた一通目のメールには何枚かの写真やグラフのクリップと共に、大手町にレストランをオープンする必然性を説いたロジックが書かれてあった。二通目には10月10日に行われるプロジェクトの中間報告を兼ねた部署間の親睦会の概要が書かれていた。

 恭子は一通目の最後に〝最近食事に誘ってくれないんですね〟と書いていた。二通目の最後には〝佐久間課長代理は一次会ですぐ抜けちゃうから、今回は最後まで付き合って下さい〟と書いていた。

「ぬるいな・・・」

 涼介は仕事を後回しにした自分にそう一言吐き捨て、立ち上がった。


(・・・・・)

 涼介はコーヒーを飲みながら、恭子が二通目のメールに記していた〝最後まで付き合って下さい〟の言葉に隠されているだろう意図を考えていた。

 恭子は涼介の部下だった。涼介が小倉に戻って来た1年後、恭子は新卒で入社し、6ヶ月間の実務研修に出た後、企画開発部に配属されていた。

 恭子は管理職らしい仕事振りや管理職らしからぬ気さくな態度を時折見せる涼介の人柄にかれ、仕事を重ねる内に自分の魅力で涼介を振り向かせ、独占したい欲望を心に秘める様になっていた。

 恭子は世代を超えて持てる女性だった。その事実は男性を選ぶ必然を歴然と恭子の一挙手一投足に意識付け、理想と要求を遠慮なく押し上げ、接近を試みる男性をニュートラルコーナーに押しり、冷静な姿勢で〝簡単な女ではない〟という目線の残り香を押し付ける様になっていた。

 涼介はそんな戦術の披瀝ひれきける恭子の前に現れた、距離感や温度のつかめない眼差まなざしで見つめて来る最初の男性だった。

 恭子は時間の経過と共に涼介の落ち着いた物腰ものごし洗練せんれんを感じ、心を突き動かされ、振り向かせる前に引き込まれ、落とす以前に従順じゅうじゅんになり、素直に恋に落ちていた。故に恭子は涼介との関係が今年2月のセックス以降、どの方向にも微動だに、何も変わっていない事にあせっていた。

(・・・・・)

 涼介は誘いに乗ってみようかと考えていた。

 恭子はその行動にのある頭の良い女性だった。甘える事や人任せにする事を嫌う性格でもあった。仕事に対する負けん気が強く、プライドも高かった。それは隙の無いファッションやスタイルの良さにも表れていた。

(俺の恋愛は何処に行こうとしてるんだろう・・・)

 涼介はコーヒーを一気に飲み干した後、パソコンの画面をしっかりととらえながら心でそうつぶやき、女性に対してけじめの無い自分が何時いつか支払う事になるだろう代償だいしょうの大きさを考えていた。



----- Original Message -----

From: 佐久間涼介

To: 岡部恭子

Sent: Sunday, September28,2003 01:45PM

Subject:

   お疲れさん。


   資料、的を得たいい内容だったよ。簡潔になってるしね。

   一つだけ、岡部が店のコンセプト作りの為に気を使った

   ディティールがあったじゃん、

   何故そこにこだわったのか、理由を抽象的でいいから

   言葉にしてみてよ、出来るだけ数多く。

   考え方としては付加価値をつけるイメージだね。


   余り難しく考えない様にな。

   岡部らしさが重要だから。

   

   週末はなるべく付き合うよ。

   じゃ明日。

----- Original Message ----- End-----



涼介は続け様にまゆみにメールを送信した。



----- Original Message -----

From: 佐久間涼介

To: 松岡まゆみ

Sent: Sunday, September28,2003 01:51PM

Subject:

   おはよう。

   さっき起きたよ。

   昨日は帰りたくなかったんだよ実はf^_^;

   今週末は小倉に来るんだったね、楽しみにしてるよ。


   心配しなくていいよ、結構夢中なんだから(^_^)まゆみに。


   今日はさ、これから仕事なんだ。

   そんな感じかな。

----- Original Message ----- End-----



(・・・・・)

 涼介はエリカへ送信するメールの文面をゆっくりと時間を掛けてイメージしていた。



----- Original Message -----

From: 佐久間涼介

To: 芳野エリカ

Sent: Sunday, September28,2003 02:06PM

Subject:

   おはよう&お疲れ

   今オレの事考えてたろ?

   エッチなヤツだな^^

   今朝起こせば良かったのに

   ま、エリカの優しさで良い目覚めだったし

   コーヒーも美味かったし

   やるもんだね(^_^)

   そんなにオレを好きにさせてどーすんの?

   仕事頑張れ^^

----- Original Message ----- End-----



(暑いな・・・)

 涼介はエアコンのスイッチを入れる為に立ち上がった。

 パソコンの画面は送信済みアイテムのページを映し出していた。

 ダイニングテーブルの上には会議用資料が散らばっていた。

 資料の上にはエリカのリングがあった。





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