15  素直さの放出


     素直さの放出




(・・・・・)

 涼介は一号車の窓側で煙草の煙を吐き出していた。



(今別れたばかりなのに・・・声が聞きたいよ・・・電話しちゃおうかな・・・)

 涼介とかなでる未来を夢見る乙女心に体中を支配されているまゆみは、自宅へ帰るタクシーの中で脳裏に焼き付いた涼介の残像に語り掛けていた。



(何であんな風にやっちまうんだろう・・・これで結婚するから金貸せって言ったら詐欺師じゃねぇか・・・)

 新幹線の窓に映っている、虚脱感きょだつかんを漂わせた気障きざな男に涼介の心は殺伐さつばつとそう吐き捨てていた。



(・・・最初の時は嬉しい事一杯書いてくれてたメールが直ぐ来たんだけどなぁ・・・)

 例え一瞬で終ったとしても、恋愛の主導権を涼介から奪いたいと切なく願うまゆみは、自ら動くべきかどうかを迷っていた。



「しょうがない」

 涼介は携帯電話を取り出してメールを作り始めた。



「しょうがないなぁ・・・」

 自分主導の駆け引きで涼介との恋愛を一度だけでも俯瞰ふかんしてみたいまゆみはそう呟いた。



(ふう・・・)

 メールを送信し終わった涼介は、座席に深く体を預けた。



(10分以内に必ず来る・・・)

 まゆみはタクシーに揺られながら携帯電話と信じる想いを握り締めていた。




     ■メール送信済み■

     お疲れ

     明日俺ん家から仕事に行って欲しいんだ

     

     逢いたい


     12:30には家に居るから

     ■エリカ 2003/09/27 11:35■



(・・・・・)

 涼介は携帯電話を取り出し、正直な気持ちを打ち込んだ画面を再び見つめていた。


 博多発最終の新幹線が到着した小倉駅のホームは家路を急ぐ人並みが続いていた。涼介は携帯電話を左手で握ったまま、恋を知ったばかりの中学生の様な気持ちで人の流れに身を任せ、エリカからの返事を待っていた。


(土曜の夜なんだよな・・・)

 会社の在るテナントビルの地下駐車場から車を放り出す時も、涼介はずっと左手に携帯電話を握ったままだった。

 今夜これからのをエリカにずっと隣に居て欲しいと思っていた涼介は、エリカが何処で遊んでいようと必ず連絡が入ると信じ、そしてそれが良い返事だと信じ、朝食の食材を買う為に自宅近くにある行き付けのコンビニエンスストアではなく、堺町にある24時間営業のスーパーマーケットに寄ろうとしていた。


(頼むから電源だけは入れといてくれよ・・・)

 涼介は右手だけでハンドルを操作しながら何かにすがっていた。同時にエリカからの連絡がどんな形で入って来ても、例えそれが明け方だったとしても望み通りに対応し、迎えに行くつもりだった。

「・・・20分か・・・」

 メールの送信時間を確認した涼介はそうつぶやき、エリカに電話を掛ける事を考えていた。

(掛けてみるか・・・)

 涼介は左手で携帯電話をもてあそんでいた。

(・・・・・)

 涼介は左手に携帯電話を持て余していた。

(・・・!!)

 その振動はいつもより速く胸に伝わっていた。

(・・・・・)

 涼介は全身が一気にポジティブになって行く感覚を脈々と体に走らせながら、メールの相手が誰なのか確認したいはやる気持ちを押さえ、冷静を装い、目の前に見えているスーパーマーケットの入り口附近に取りえず路上駐車させる為にハザードランプを点滅させた。

駄目だめでもいいから・・・エリカだよな・・・)

 縦列駐車をしながら、涼介は未だ安心出来ない現実が存在している事実によそおった冷静を解除出来ず、久し振りに目に見えないに祈っていた。


     ■受信メール■

     おつかれ~っ!

     いいねそれ♪^^


     今日は何やってたの?

     エリはさっきまで仕事だったんだ(‘_`)

     後輩のカットモデルしてた(+_+)

     髪変わったよ♪色も♪^^

     シャープウルフのミディアム&アッシュ

     ハズカシ^_^;


     じゃリョウんち行くねっ

     おなか空いちゃった!何か食べにいこ!(^_^)

     ■エリカ 2003/09/27 11:55■


(・・・・・)

 涼介は眼差しをメール画面に釘付くぎづけたまま顔をほころばせていた。

 エリカのメールは涼介が伝えたかった情熱を理解していた。そして涼介への愛情を照れながらも伝えていた。

(そうか、ヤツは飯を食ってないのか・・・)

 涼介は目の前のスーパーマーケットに何故か感謝しながら、自然と湧き出る想いをメール画面に伝達し始めていた。


     ■メール送信済み■

     (^_^)

     髪型変わった!?

     また一段と可愛く&色っぽくなった訳ね

     やるじゃん(^_^)


     メシはさ、俺が何か作るよ

     家でビールをグビッってのはどう?

     ■エリカ 2003/09/28 00:04■


 エリカは今が旬だった。時代を力強く生き抜く為のすべを体中に覚え込ませるかの様に、仕事も遊びも恋愛もタフにこなしていた。

 エリカがあやつる術の中には、例えば好きな人との関係が恋人同士なのかどうか曖昧な時期であっても“別れよっ”と明るく切り出せる様な、ある種独特な自己完結の感覚が組み込まれていた。エリカの持つそんな感覚は時代を嘆く大人達にしてみれば無知で世間知らずであり、自由の意味をき違えている幼稚な行動だと決め付けられねなかった。しかしその感覚は大人達が多感な時に過ごして来た時代の儀式やお世辞に合理性や利便性を感じない世代の、退化している様で実は進化し続けている、生き抜く事に対しての抑圧に惑わされまいとする素直な情熱かもしれなかった。涼介はそんなエリカの魅力的な表現力に恋愛に関する神経が束になっている部分を強く刺激されていた。

(・・・・・)

 涼介は装っていた冷静ではなく、心地好い冷静の下、エリカからの返事を穏やかに待っていた。

 車内にはスーパーマーケットから放たれる光が届いていた。その光は助手席に置かれた携帯電話をくっきりと浮かび上がらせていた。

(・・・おっと、早いな)

 携帯電話を光らせ、振動させている相手がエリカだという事に疑いを持っていなかった。


     ■受信メール■

     ウンウン!

     ビール飲みたかったんだ(^_^)


     待ってるね!☆♪

     ■エリカ 2003/09/28 00:08■


(・・・・・)

 涼介は合鍵の存在にも改めて感謝していた。そして合鍵の持つメリットを最大限享受した様な至福に浸っていた。


              ▽


 やっと夏本来の暑さを取り戻していた8月最後の金曜日、二人はたまに顔を出す焼肉店で夕食を取ろうと魚町アーケードを歩いていた。

「合鍵作ってよ」

 エリカはそう言って涼介を見上げた。

 ザボビル前の歩行者用信号は赤だった。

 二人は歩く速度を緩めていた。

 エリカは組んだ腕を解かないまま涼介の返事を待っていた。

 二人の正面には大きな鍵をかたどった広告看板が夜空を突き刺さす様に飾られ、ネオンの光で輝いていた。

「いいよ」

 涼介は大きな鍵を見ながらそう言った。

「やったぁ!・・・じゃ、行こ!!」

 エリカは嬉しさを体中に走らせていた。


 エリカの足取りには迷いが無かった。

 涼介はエリカに左手をぐいぐい引っ張られながらアーケードの中を少し早足で歩かされていた。


「やったねっ!」

 出来上がった合鍵をキーケースに掛けて、嬉しそうに涼介の目の前で揺らしていた。


 キーショップを出た二人は、ゆっくりとアーケードを歩き始めていた。

「お前はあの店で合鍵を何本作ったんだ?」

「・・・ナイショ!!」

 エリカはそう言って涼介の腕に組み付いていた。

「・・・なるほど」

 涼介は笑っていた。

「ね、和食にしよ」

「何だよそれ・・・日本酒飲みたくなっちまったのか?」

「うん!」


              △


(・・・・・)

 エリカに連れられて合鍵を作った時の事を思い出しながら軽やかに運転していた涼介の胸は、恋愛に必要不可欠なを充満させていた。

 助手席では食材の入ったビニール袋が揺れていた。携帯電話も助手席で揺れていた。

 涼介は車の中でエリカに思いをせていた。それはまゆみとのデートで余儀よぎなくされていた自己嫌悪が闇にほうむられた事を意味していた。そしてその事実は涼介が自分らしくある為につちかい、常にまとっていたスマートな雰囲気を呼び戻していた。


(長いのか短かいのか、不思議な夜だな・・・)

 涼介はビニール袋を左手に提げ、自宅マンションの駐車場を歩きながら時間という、それを感じる人間の心の在り方一つで、その長さがどうにでも決まる概念に翻弄ほんろうされていた今夜を振り返っていた。

「魔力持ってるよな」

 涼介は約束の時間を15分程過ぎている事を腕時計で確認した後、そう呟いて愛しい女性が待っている部屋に急いだ。


(ん?・・・)

 その振動をマンションのエントランスで感じていた。

(誰だろう・・・)

 涼介はワイシャツのポケットの中にある携帯電話に手を伸ばさず、歩く事も止めず、エレベーターの前でメールの送信者であって欲しくない女性の顔を頭の中に並べ始めた。

(・・・・・)

 涼介は血流を思考回路に送り込みながらメールを開いた。


     ■受信メール■

     今どのへん??♪

     ■エリカ 2003/09/28 00:44■


「参ったな・・・」

 ぬるい算段さんだんをしていた自分に対する言い訳とも取れる思いを涼介は口にした。そしてその算段の対象として頭に並べていた女性から逃れる様にエレベーターに乗り込んだ。


(・・・・・)

 涼介はキーケースから鍵を取り出し、玄関ドアの前で立ち止まっていた。

 涼介はインターホンを押すべきかどうかを考えていた。


「お帰りっ」

「お疲れ」

 内側から開いた玄関は、エリカの弾ける笑顔と外気より少し暖かい空気を涼介に届けた。

「どう?髪・・・変??・・・」

 エリカは涼介のサンダルを突っ掛けたままポーズを取った。そして茶目っ気たっぷりにその場で一回転した。

「・・・やるじゃん」

「良かったぁ!」

「似合ってるよ」

「うれしっ」

 二人は玄関ホールに立ったまま会話でじゃれ付いていた。

「・・・そうだなぁ、そっちの方が透明感のあるキャバクラ系って感じかな」

「あら?褒めといて喧嘩売んのね」

「違うさ、最近のキャバクラは可愛いくてお洒落で上品な奴しか働けないんだぞ・・・ん?・・・」

 涼介はエリカの瞳に力が入っている事に気が付いた。

「・・・何時行ったの?」

「・・・さっきまで居たかな?・・・」

「また口説いたんでしょ?」

「口説きゃしないけど・・・ホテルに誘わ・・」

「あーそう、ふーん・・・うわっ、何作んの!?」

 涼介の左手に提げられたビニール袋に気付いたエリカは、もうそんな事はどうでもいいかの様な変わり身の速さで食材を覗き込んだ。

「・・・・・」

 涼介はそっとビニール袋を床に置いた。

「ねぇ、何つ・・・くん・・・」

「・・・・・」

 涼介はしゃがみ込んでいるエリカの両腕を掴んでゆっくりと体を起こし、エリカが喋れなくなる程強く抱きしめた。

「・・・くる・・・しーよーっ・・・」

 エリカの右のかかとは浮き、左足は爪先が揺れ、左の頬は涼介の胸に埋もれていた。

 涼介はエリカの髪かられる上品な香りに抱かれていた。

 エリカの足から離れたサンダルの片方は、涼介の足元で裏返しに転がっていた。

「くるしーっ」

 エリカはそう言いながら涼介の背中を叩いた。

「ごめんごめん」

 涼介は腕をほどいた。

「もーっ」

「ごめん、悪かったよ・・・」

「嬉しいけど、強く抱き過ぎだよ・・・」

 エリカは幸福感を敢えて隠す様な瞳で涼介を見上げた。

「エリ」

「?・・・」

「お詫びにキスしてよ」

「何それ、どーゆー事!?」

「やなの?」

「やだ」

「あ、そう・・・」

 涼介はそう言ってエリカに優しいキスをした。

 涼介はエリカを抱きしめながら魅力的な女性だと改めて思っていた。

 エリカは涼介のキスに心をときめかせていた。


「何か結婚してるみたいだね」

 エリカはダイニングテーブルの上に食材を並べながらそう言った。

「それってプロポーズして欲しいのかな?ある意味」

 リビングでネクタイを外そうとしていた涼介はそう答えた。

「ははっ、それってプロポーズしたいのかな?ある意味」

「・・・別に」

「あら、冷たい一言。残念」

 エリカは涼介に笑顔を向けて肩を少しすぼめた。

「・・・エリ、俺達相性いいと思う?」

 涼介はエリカの居るキッチンへ歩きながらそう言った。

「いいよ」

 エリカは素直だった。

「・・・だって、さっきメールが来た時嬉しかったもん。リョウに会いたいなぁって思ってたんだよ、何してんのかなって。そしたら来たじゃん。うわっ、こんな事あるんだ!って・・・リョウも今私の事考えてくれてるんだなぁって、嬉しかったもん」

 エリカは食材を包装しているビニールを丁寧ていねいがしていた。

「・・・・・」

 涼介はエリカの横顔を見つめながら、自分が恋や愛を考えた時に使う多くの表現より、その深さも厚さも、重みまで凌駕りょうがしているエリカの言葉に心を揺さぶられている事を実感していた。そして素直というのはこういう感情を指すのだと気付かされていた。

「だってさ、さゆりに仕事終わったら御飯食べに行こって誘われててさ、それに今日は何時もエリを指名してくれる・・・何だっけな、メルローズで店長してるって言ってたかな・・・結構イケメンなんだけど、その人からは飲みに行こうってしつこくメール入って来るし、どうしようかなぁ、お腹空いてるし、どっちに行こうかなぁって考えててさ・・・後10分リョウのメール遅かったら会えなかったかもだったんだよ・・・取り敢えずさゆりには何とか言ってリョウん家に来たけどね」

 シンクで食材を洗い始めていたエリカは、独り言の様に喋っていた。

「サンキュ」

「うわっ、びっくりした!」

 エリカは真後ろに居た涼介に思わず身をひるがえした。

「お疲れ」

 涼介はそう言ってグラスに注いでいた白ワインをエリカに渡した。

「・・・ありがと」

 右手でグラスを持ったエリカは左手で胸を押さえ、笑った。

「しかしそのイケメン君と飯を食ってる途中だったとしても、15分後には会えたろ?」

 涼介はわざと得意げにそう聞いた。

「どうかな・・・」

 エリカは微笑んでいた。

「・・・それじゃ、乾杯って事で」

 涼介は穏やかな表情でエリカの右手にグラスを近づけた。

「了解っ」

 エリカはそう言ってグラスを鳴らした。

「了解?」

「たまにはいいじゃん・・・リョウの口癖が移ったんだよ」

 エリカは笑っていた。

「なるほど」

 涼介はよこしまな物が何も無い、素晴らしい時間をエリカから享受きょうじゅしている事に微笑みながらグラスに口を付けた。

「・・・美味しいね」

「だな・・・なぁエリ、バルサミコとオリーブオイルをよく掻き混ぜてくんないか」

「OK!」

「ガーリックライスはいらないよな?」

「食べる食べる!」




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