14  矛盾と混沌


     矛盾むじゅん混沌こんとん




(・・・ここの最上階でこんなにクールになるなんて、やっぱり思ったより普通の人なのかもしれない・・・ホテルに誘う言葉でも探してるのかな・・・それとも、もうここのホテル予約してるのかも・・・)

 まゆみは涼介がしゃべらないのはBARの雰囲気に圧倒されているからだと洞察どうさつしていた。同時にもっと不思議な人であって欲しい欲望にられていた。

(だったら今夜誘われても上手く断ろう。そして最高のタイミングで次は小倉に行くから泊めてねって可愛く言ってみよう・・・)

 まゆみは涼介が握っていた恋愛の主導権が今夜自分の手中しゅちゅうに収まると確信し始めていた。そしてその優越感はまゆみの行動に大胆さを呼び込み、ポツポツと何か語り掛けに来ている涼介への返事に〝意味深いみしん〟な微笑だけ置ける程になっていた。

(・・・時間余っちゃったな・・・)

 涼介は全てに何かが足りない事に失望していた。

(俺が悪いんだよな・・・原因は俺だ・・・)

 涼介は物哀ものがなしい捨て台詞せりふを心の中で吐きながら、何週間か後に迎えるだろうセックスの為だけに、過去に経験の無い憂鬱ゆううつな気分でまとまりの無い世間話をまゆみの前に置いていた。


「やっぱりウィルキンソンの辛いやつ無かったよな・・・」

 涼介は自分の心と言動に辻褄つじつまを合わせられないまま煙草たばこに火を点け、席を立つタイミングを見計みはからう為にどうでもいい話を、まゆみの前に置いていた。

「・・・(これからどうするのかな)・・・」

 まゆみは微笑みで相槌あいづちを打ち、涼介が続ける会話の中に心の中を見計みはからおうとしていた。

 二人の距離にリズムは無かった。

 リズム無き空間に駆け引きは存在出来なかった。

 お互いのグラスは空になっていた。

 恋愛に順序など無いと考え、道無き道をいずり回り、時に恋愛をゲームの如くとらえ、人に言えない様な経験を幾度となく重ねて来た涼介という名のエゴイストは、路肩に綺麗な花が咲き乱れている遊歩道を散策する様な、健全な恋愛のスタイルを貫こうとしているまゆみに歩み寄る事も、ましてや心を開く事など完全にあきらめていた。

「・・・行こうか」

 涼介は煙草を消した。

「・・・そうね」

 まゆみは此処ここから先が勝負だと思っていた。

 まゆみは涼介から何時何処いつどこでどんな形で魅力的なアプローチをされても、あるいはくせのある言葉を投げ掛けられてもしかっりとキャッチし、期待を持たせた優しい言葉でたしなめて駅まで送って行く心の準備を終えていた。

「・・・・・」

 涼介はテーブルの上のセブンスターをポケットに仕舞った。

「・・・・・」

 まゆみはハンカチをバッグに仕舞った。

 涼介はシーホークのBARで二人が共有したのは時間だけだったと、自嘲気味じちょうぎみに振り返りながら席を立った。

 まゆみは涼介がこれから先どんな行動を取るのか期待しながら席を立った。


 涼介は何処か緊張している様な雰囲気を漂わせてずっと無言で歩いていた。BARの長いフロアを歩いている時もエレベーターの中でも、シーホークホテル一階の広いエントランスを歩いている時も涼介は何も喋らなかった。

 まゆみは余りにも長い涼介の沈黙に緊張し始めていた。それでもまゆみは涼介が切り出す最初の言葉を上手く拾う為に、集中力を切らす事無く涼介の隣を歩いていた。


「博多駅までお願いします」

 シーホークのBARを出て涼介が最初に語り掛けたのはタクシーのドライバーだった。

「!?・・・」

 涼介の後にタクシーに乗り込んだまゆみは、突然舞い降りた今夜二度目の混乱でシートに腰を落ち着けられなかった。

 涼介は小倉に帰ろうとしていた。

 まゆみは涼介の心の行方を見失いあわてていた。

(・・・ひょっとしてこのまま帰えるつもりなのかな・・・)

 シーホークホテルのロータリーから遠ざかって行くタクシーの中で、まゆみは不意を打れた事を認めざるを得なかった。

(涼介って私が思うより真面目な人なのかもしれない・・・)

 まゆみは涼介の穏やかで落ち着いた横顔に焦っていた。

「・・・普段休みの日は何してる?」

 涼介は至極しごく自然な声でまゆみにそう問い掛けた。

「!!・・・えっと、そうね、音楽聞いたりとか・・・かな」

 二人の間に続いていた沈黙を破る最初の言葉が、まさかそんな質問だとは想像すらしていなかったまゆみは、かろうじて笑顔を浮かべてはいたが瞳は笑えていなかった。

(どうしよう・・・)

 まゆみは焦っていた。

 まゆみは涼介が切り出した他愛も無い問いに答えた事で、博多駅にタクシーを向かわせた涼介の真意をさり気なく確認出来たわずかなを外していた。

「そう・・・洋楽?」

「・・・えっと、うん・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

 二人の間には30分も経てばその内容を忘れてしまいそうな会話が続いていた。

(どうしよう・・・)

 まゆみは今夜自分なりに割り出してた涼介像が砂のオブジェだった事を認識しながら、涼介との会話の端々はしばしという像の再構築を必死に試みていた。

(ほんとにどうしよう・・・)

 まゆみは涼介を掌握しょうあくするどころか、恋愛の主導権に触れさせてすらもらえていない事にも気付き始めていた。

 32歳独身というまゆみの現実は、社会通念や常識をたずさえた集団に合流すべく、非常識がまかり通る出会い系サイトという突拍子とっぴょうしもないエリアにはかない期待を込めていた。そしてリスクを承知で飛び込み、涼介という人間と巡り合い、恋をしていた。しかしその恋を愛に昇華しょうかさせて行く時に必要な分別ふんべつや男性に対するまゆみの洞察どうさつは、余りにも幼なく経験不足を露呈ろていしていた。

(ねぇ涼介・・・キスして・・・お願い・・・)

 まゆみは根拠の無かった自分の予測に今更ながらすがった。

(ねぇ、お願い・・・)

 まゆみは今、此処で涼介にキスをされて救われたいと思っていた。

 まゆみの予測ではタクシーの中は涼介が突然真顔になり、最初のデートの時の様にキスをむさぼる場所だった。

 まゆみは自己矛盾を混沌と心に抱えていた。そして懇願こんがんと挑発を瞳に携えて涼介を見つめていた。


 二人は新幹線の改札に向かう階段を昇っていた。

「じゃぁ次は小倉で待ってるから」

「うん・・・」

 まゆみはタクシーの中でそんな話をしていた事を思い出していた。

「時間経つの早いな」

「・・そうね、ほんと早いよね・・・」

「もっと一緒に居たかったんだけどさ」

「うん・・・でも、今度小倉でずっと一緒に居れるじゃない・・・」

 まゆみは何かに焦っていた。

「本当に昼間から来る予定なの?」

「だって・・・一緒に映画とか見たいし、それに涼介がどんな街に住んでるのか見てみたいし・・・小倉って行った事がないの、だから」

「俺、実はあんまり昼間にデートした事がないんだよね」

「だからいいんじゃない!公園とか歩いてみようよ!」

「そうなの?それは勘弁してよ」

「いや!」

 まゆみは何かに焦っていた。

「・・・ま、いいけど」

「そうそう!ビデオ借りて見るっていうのもいいよ!」

「昼間っからエロビ?」

「もう!」

「まぁ、それもいいな、煙草も吸えるしエッチしたくなったらすぐ出来るし」

 涼介は立ち止まり、そう言ってまゆみに微笑み掛けた。

「もう」

「エッチしたいでしょ?」

「もう、何でそういう事いうの!!」

 二人は改札口の横にある券売機の前で向かい合っていた。

「だって、ずっと一緒に居たいって事はそういう事でしょ?」

「もう、意地悪・・・」

「・・・ちょっとこっち来てみ」

 涼介はまゆみの肩に手を掛け、改札口前の人溜ひとだまりから通路の死角にまゆみを誘った。

「何??」

 まゆみには涼介が何を考えているのかを考える余裕がなかった。


「キスしたい?」

「えっ!!」

「キスしたくない?」

「・・・でも・・・やだ・・・こんな所で・・・」

 まゆみは混乱していた。

 涼介は真っ直ぐまゆみを見ていた。

 向かい合う二人の横を、家路を急いでいるだろう人達が歩いていた。

 まゆみは躊躇ためらいを赤く染まった顔に出しながら、視界に入り込んでいるはずの通行人をまるで気にしていない今の大胆な涼介と、タクシーの中でキスを強烈に懇願こんがんしていた瞳にまるで気付かなかった涼介が、紛れも無く同一人物だという事実に怖さを感じていた。

「・・・・・」

 涼介は優しい瞳で真っ直ぐまゆみを見つめていた。

「・・・・・」

 まゆみはうつむいていた。

「・・・そう・・・じゃ、止めとこう」

 涼介は時間を動かした。

(もう・・・)

 涼介の心を掴んでいない事に焦り、切なくきしむまゆみの心は、畳み掛けて来る涼介の意地悪に対して既に焦がす物が無かった。

「・・・・・」

 涼介は困惑しているまゆみの瞳を無視し、まゆみの両肩に手を乗せた。

「・・・・・」

 まゆみの耳には周囲の雑音が届かなくなっていた。激しく脈打つ鼓動だけが耳に届いていた。

 二人のそばを、家路を急ぐ人達が歩いていた。

 涼介は音も無くまゆみの唇を滑らかに奪っていた。

 まゆみは涼介の大胆な行動は愛があるからだと自身に言い聞かせていた。

「・・・・・」

 まゆみは涼介の唇が遠ざかった事を確認する為にゆっくりと目を開けた。

 涼介は優しい笑顔を浮かべていた。

「!!・・・」

 まゆみは肩から力を抜く事を許されなかった。そして立って居る事を諦めたい程、胸の鼓動に全身を支配されていた。

 まゆみは涼介の笑顔に誘われるまま微笑もうとした時、再び唇を奪われていた。

 深くて強いキスだった

 まゆみは焦げ尽くしていた自分の恋心が、涼介の野性にって跡形も無く溶かされ様としている現実を傍観ぼうかんしていた。そして今夜二人で過ごした時間の全てにおいて、何一つ自分の意志で涼介の心を動かした物は無いという真実をはっきりと悟らされていた。


 新幹線改札口の正面に掛かる時計は11時15分を指していた。

「じゃ」

「気を付けてね」

 改札を抜ける涼介にまゆみは軽く手を振った。

 改札を抜けた涼介はまゆみの瞳に映る自分の姿を小さくさせ続けながら、その声に振り向いて左手を軽く上げた。

 涼介の背中を見つめるまゆみの瞳は、明らかに愛しい人を見送る輝きを放っていた。

「・・・・・」

 涼介はもう一度振り向き、まゆみに軽く手を振った。

 まゆみは嬉しそうに手を振り返した。

 離れ行く二人の距離に漂う空気は、紛れも無く恋人同士の重さを含んでいた。

「最低だな・・・」

 まゆみに背を向けた涼介はそう吐き捨てた。





















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