3   サイトとの出会い


     サイトとの出会い




 松岡まゆみと佐久間涼介という、32歳と34歳の、世間の常識として分別と良識を備えているはずの二人は、携帯電話のメール機能を利用した〝出会い系サイト〟という、男女の間を取り持つ現代最強の手っ取り早い武器を使い、2ヵ月程前、暑さのピークを迎えないまま終りそうな8月に知り合っていた。

〝恋人を見つける〟というテーマのもと、携帯電話やパソコンのメール機能は、過去、男女が経験した事の無い特殊な会話方法として独特で絶大な利用価値と効果があった。しかしその利便性故りべんせいゆえに恋愛関係を生む為の苦しみや決心は常に曖昧なまま進展する形となっていた。

 本来、恋愛を成就じょうじゅさせる為に乗り越えなければならない障害は相手に対する一生懸命な気持ちで克服していた。畢竟ひっきょう、そんな一生懸命さの中には勇気や誠実さという、人の心を動かすエネルギーが充満し第三者をも納得させるだけのパワーがあった。だからと言って出会い系サイトで出会う男女にそのパワーが無いとは言わないが、男女が心を通わせる為の普遍的ふへんてきなプロセスを省略、超越出来る出会い系サイトの性質上、その量は減少し質は落ちていた。

 出会い系サイトは得てして文字の量や質に制約があった。その現実は一面識も無い者同士が相手の文字を頼りに思いを巡らせ、タイムリーな感情を画面に集約しようとした時、言葉と態度では伝えられそうな微妙なニュアンスを簡潔な文字に置き換えられない事が多々あった。それは相手の真実を模索する場面でり切れない苛立いらだちをいだかせる事となっていた。しかしその苛立いらだちは相手に送信する全ての感情や情報がコントロール出来る事を利用者に気付かせる事にもつながり、恋愛に貪欲で孤独を嫌う男女の相談窓口として、あるいはストレスを発散するツールとしては絶大な威力を発揮していた。

 出会い系サイトで知り合う男女は例外無くお互いの素性を理解する事を急いでいた。何故なら、出会い系サイトを次々と検索していれば自身の望む理想に近い虚偽の個人情報がいくらでも抽出出来ちゅうしゅつでき所為せいにあった。それは恋愛という行為からは切り離せなかった筈の、気持ちの逡巡しゅんじゅんや時間や手間を省くという、恋愛に対して自己中心的で殺伐さつばつとした合理性を追求する男女を増やす事となっていた。

 恋人が欲しいと願う男女にとって、出会い系サイトの機密性や利便性はその代償として世代にっては備わり様のない危機回避能力を要求していた。微笑ましい出会いや危険な巡り合わせ、結婚や犯罪は結果としてその能力に準じていた。

 方円の器に従い、色んな器にってその相を変える水の様に、出会い系サイトを利用して恋愛を求める男女は〝出会い系サイト〟という器に心理を合わせていた。それは利用する人の価値観一つで幸福にも不幸にも出会える事を意味していた。


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 涼介は食品会社に勤めるサラリーマンだった。その食品会社は食材の流通だけではなく、イタリア料理を中心としたレストランの運営もしていた。80年代前半からは直営店は元よりフランチャイズ店を全国展開し続け、90年代に入る前には時流にも乗り、レストランの運営は事業として会社の中心的部門に成長していた。

 2年前の2001年4月、涼介は神奈川県横浜市関内にある本社企画開発部から福岡県北九州市小倉にある北九州支店企画開発部に転勤し、主任から課長代理に昇格していた。

 小倉は涼介の地元だった。

 涼介は育った街の高校を卒業後神奈川大学に進み、そのまま横浜で今も勤める食品会社に新卒で就職し、 当時のバブル景気にあおられ存分に仕事も遊びもこなし、恋愛にいても神様が全ての人に満遍まんべんなく与えているだろう掛け替えの無い出逢いを経験していた。

 涼介は横浜での15年間でという人格やライフスタイルを構築させていた。その事実は例え小倉が涼介の地元といえども、小倉という街に簡単に解け込めない体質を涼介にもたらしていた。

 涼介は小倉に戻って来たにもかかわらず、日々の生活の中で俗に言う〝じゃん言葉〟を使い続けていた。しかし涼介のその行為は地元で叩き上げられた取引先の担当者や小倉に二店舗ある直営レストランの店長に〝地元のくせに〟という苛立いらだちを呼び込み〝郷に随えない気障きざな奴〟という烙印らくいんを押される事につながってしまっていた。そして涼介に絡み付くそんな揶揄やゆは当然の様に仕事上の関係者に吹聴ふいちょうされ、人伝ひとづてに誇張され〝仕事も満足に出来ない奴〟という尾鰭おひれまでも付く事となり、レストランでアルバイトをしている学生からも好奇の目で見られる様になっていた。しかし涼介はそんな噂でストレスを溜める程自分の仕事に不真面目ではなく、誰かにびる事もなかった。

 涼介は自分が新参者しんざんものであり、役職上、目上の社員に冷徹な指示を出している事を理解していた。故に仕事を進める上での摩擦やアクシデントには寛大だった。しかしプライベートでインディビジュアルな欲求が満たされない、欲しい物や求める物が満足や充実に届かない、そんな小倉という街と横浜の間にある耐え難いギャップには正にとしてさいなまれ、その度に街の全てに心を閉ざし、追い込まれ、多大なストレスを溜め込んでいた。そしてあきらめにも似たり切れない苛立いらだちを抱え込み、虚脱感と闘い、心にかつて経験した事の無い様なネガティブな気持ちを抱き、地元で管理職として仕事を続けて行く事の意味を自身に問い掛け続けていた。

 涼介は小倉に戻って以来、生活のモチベーションを高いレベルで維持出来ていた横浜での生活をずっと渇望かつぼうし続けていた。それは涼介の心の中に覚悟を決めて置かれた現実に身を溶け込ませるという選択肢が存在しない事を意味していた。実際涼介は北九州支店に転勤して来た10ヶ月後、降格を覚悟の上で横浜本社に戻るべき稟議書りんぎしょと、新規事業への参入に関する企画書を本社人事部の部長と北九州支店企画開発部直属の部長に提出していた。

 涼介は叶わぬ夢など無いと自身に言い聞かせていた。しかし人事異動の3月は淡々と過ぎ去り、4月に入る前、企画書の件など無かったかの様に新入社員教育の責任者という役割を支店長より直々に命令されていた。

 涼介は日頃から無口だった。そしてそんな涼介を取り巻いている現実は更に涼介を無口にさせ、人付き合いを御座おざなりにさせ、孤立させていた。

 2002年の春、涼介が籍を置く企画開発部には四人の新人が配属されていた。全員北九州市内にある大学を出ていた。その中に岡部恭子がいた。

 恭子はエレガントなスリーセクションレイヤーにタイトなダークスーツを瀟洒しょうしゃに着こなす、決して柔らかいとは言えない目元が印象的な女性だった。

 恭子は新入社員研修と現場教育を兼ねた例外なき6ヶ月間の店舗実習を終えた後、涼介とペアを組んで取引先に出向く事が多かった。

 恭子は涼介を慕っていた。涼介は恭子の事をリーダーとして人を引っ張る素質がある将来を感じ寵愛ちょうあいしていた。

 ペアという性質上二人は時間を多く共有していた。休日であってもお互いの自宅にあるパソコンにデータを送信し合っていた。それはある意味必然、二人の間に仕事以外の会話を増す事となっていた。そして恭子は何時の頃からかその会話に因って更に涼介にき付けられていた。

 二人は二度ベッドを共にしていた。

 初めてのセックスは恭子が入社した年の12月、ペアを組んで2ヶ月が過ぎていた取引先の忘年会の日だった。そして翌日、涼介は出会い系サイトのアドレスを自分の携帯電話にブックマークしていた。

 きっかけはセックスの後、何もかもが解禁されたかの様に怒涛どとうごと頻繁ひんぱんに恭子から送信されて来たメールの中にった。

 恭子にとって涼介とのセックスは画期的な出来事だった。その事実はまったりと甘い内容のメールを涼介に乱打送信させていた。そしてそんなメールの中の更なる話題作りの為に恭子は占いサイトのURLを貼り付けてあった。

 涼介は恭子のメールに丁寧ていねいに付き合ってはいたが、占いのサイトまで几帳面きちょうめんに開く程恭子のメールに入り込んではいなかった。それよりもその占いサイトの広告欄に、ね興味を持っていた出会い系サイトの入り口がつつましくたくみに貼り付けられてあった事の方が、涼介にとっては恭子とのセックスよりも画期的な事だった。

 涼介は出会い系サイトを一度閲覧したいと思っていた。しかしそのサイトが援助交際を希望する書き込みに毒されているのならば意味が無いとも思っていた。アクセスしても出て来る結果は大学時代に通っていたテレクラと同じで、一頻ひとしきり遊んだ後は虚無感きょむかんに支配されるだけだろうと自身の行為の美化と甘い性根しょうねの弁護を先回りさせていた。されどそのサイトの一ページ目には真面目な交際を希望する男女に出会いを提供するという、涼介の予期していなかった言葉が書かれてあった。その真っ直ぐなコンセプトだけを穏やかな明朝体で表現した飾り気の無いキャッチコピーは、出会い系サイトを利用する女性の不埒ふらちな誘い文句を閲覧えつらんする事で自慰じいし、嘲笑ちょうしょうし、憐憫れんびんする事を準備していた涼介の、ある意味期待を裏切っていた。

 涼介のよこしまな好奇心は出会い系サイトに自身を登録する事を戸惑う理性を凌駕りょうがしていた。結果的に下らないサイトだったとしても、小倉での生活からは永遠に得られないだろう刺激を少しは与えてもらえるかもしれないと思っていた。

 恭子との二度目のセックスは忘年会の夜から2週間後、仕事納めの日だった。二人は部内の飲み会を終えた後の二次会を別々に抜け出していた。

 恭子の心の中では、すでに涼介は相愛の彼氏だった。

 2003年を迎え、涼介の携帯電話が受信する恭子からのメールはプライベートなもので占められ、仕事帰りに二人で食事に行く回数も増えていた。

 涼介は恭子の気持ちに気付いていた。しかし涼介は加速度を増した恭子の思いを、反発し合う磁石の様に一定の距離を保ちながら跳ね返していた。そしてその磁力を自己都合で自在に変化させ、仮に三度目のセックスがあったとしても、そこには愛情など無いという暗黙の了解を介在かいざいさせようとしていた。  

 涼介には恭子の恋愛感情を上司と部下の間で繰り返される単純接触にたんを発した錯覚であり、セックスはその錯覚に気付くまいとする倒錯とうさくした感情の終着点だったという結末へ軟着陸させなければならない理由があった。涼介はこの年も本社企画開発部へ新規事業展開に関する企画書を提出し、人事部には本社復帰希望書を提出していた。

 涼介が選ぶ行動の動機は全て小倉という街に対して溜め込んだストレスにあった。そしてそのストレスは恭子と、恭子という媒介者がいなければ辿り着けなかった出会い系サイトをプライベートに組み入れた形となっていた。  

 涼介は生活環境の膠着こうちゃくと、投げりな自分に対する愛着あいちゃくと、理想に対する執着しゅうちゃくの摩擦によって生じた粗悪そあくな情熱で恭子を取り込み、鬱積うっせきしている自身の美学のけ口として、不安定な情緒を救ってくれる女性として恭子を冒涜ぼうとくしていた。

 涼介にとって恭子は自身のプライドを守れるでしかなかった。

 2003年3月、人事異動名簿に名前が無かった事に落胆していた涼介は、各部署に正式な異動辞令が出た二日後に支店長から二通の公式書簡を受け取っていた。一通は新規事業展開に関する企画調査を継続せよという指示書だった。そしてもう一通は本社企画開発部への復帰希望について、酌量しゃくりょうの余地はあるが根拠薄弱であり正当性に欠けるという趣旨しゅしの回答書だった。

 涼介は気付かぬ内に体裁ていさいだけを取りつくろうチームリーダーに成り下がっていた。そしてその事実がチームに軋轢あつれきを生じさせている事を会社に見抜かれていた。実際涼介は二通の公式書簡とは別に所属する企画開発部の部長から一通の指導書を渡されていた。そこには欠落した協調性への注意と、中間管理職として持つべき責任感についての訓戒くんかいが記されてあった。

 涼介は自身の心が荒み、利己主義りこしゅぎに走っている事に気付きながらもえてそれを無視し、理想の扉を強引にじ開ける為にチームと個人を使い分け、横浜本社復帰を勝ち取ろうと結果を出し続けていた。しかしストレスにもがき苦しんでいる涼介には、仲間に対する思いりの欠片かけらも無い不純で不誠実なそんな行動に人の心を動かす説得力など無いと気付く心の余裕は無かった。


 涼介は自分を見失っていた。そして自分を取り戻す術を見つけられないまま、インディビジュアルな理想だけを滾らせ、自己都合だけで小倉という街にり寄り続けていた。


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