中編



 これだ、と見つけた。

 父の課題は確実にこれで達成できる。

 しかし、今のままでは駄目だ。

 もっと調べて、確実なものにしなければ。

 だから年が明ける前と、明けてからも、貴族の令嬢として出席しなければならないパーティーをこなす以外、ラティはレイスを連れて色々なところに向かった。

 王都付近の農地から、市井にある商店街まで。

 彼の説明に耳を傾け、時に違うと思ったことは反論する。

 レイスもラティの話を聞きながら、納得することもあれば否定することもある。

 だというのに険悪なムードになることは一切なかった。

 むしろラティにとって今までの人生で一番、楽しい時間だったといっても過言ではない。


 今日は王妃と第二王子の婚約者であるシャリエとお茶をしている。

 二人はお互いのことをちゃんと調べてプレゼントを渡した。

 どちらも嬉しそうに受け取っていたので、ラティとしては一安心といったところだ。

 そのまま会話に花が咲くが、ラティは無意識にずっとレイスのことを話題にしていた。

 まるで自慢するかのような彼女の言葉にシャリエは驚きながらも、


「もしかしてラティ様は、そのレイスという殿方を好いているのですか?」


 今まで彼女から、それほど男性の話題が挙がったことはない。

 というより、ミンツのことを話題にすると途端に誰も彼もが不機嫌になるから話題にすることがなかった。

 それがどうだろうか。

 今日のラティの話題は、何であれ常にレイスという人物を匂わせている。


「…………わたくしがレイスを好いている……?」


 一方でシャリエに訊かれたラティは、問われたことに驚きの表情を浮かべる。


「いえ、まさか。まだ出会ったばかりですわ。そのようなことはありません」


 出会って一ヶ月も経っていない。

 もちろん一緒にいることは多いが、それだけで惚れた腫れたはないだろう。

 しかしラティの様子が今までと違うことに気付いたのはシャリエだけではない。


「どうかしら? 馬鹿息子は顔だけが良い、知性の欠片もない男だったから逆に走ったのかもしれないでしょう?」


 ミンツは愚かだ、ということは母親である王妃も認めている。

 しかしながらラティが話題としているレイスは、聞く限りでは知性がある。

 さらに女性だからと蔑ろにしない彼に対して、随分と信頼を寄せている節がある。


「ラティは先ほどから、その殿方のことばかり話していることに気付いていますか?」


「しかも賞賛するようなことばかり、仰っていました」


 レイスは誰も気付いていないことを気付いた。

 そして気付けたことにかまけることなく探求している。

 事実、ほんの少しでも実験に成功している。

 加えて一緒に歩き回った結果、彼はとても頭が良く、ラティの意見も尊重してくれる。

 徹頭徹尾このような話題であるのだから、公爵令嬢がほのかな想いを抱いていることに気付くな……というほうが無理だ。


「それは、そうかもしれませんが……」


 ラティはふと自分の今日の会話を思い浮かべる。

 確かに今日、話題にしたことはレイスとのことばかりだ。

 しかも節々に彼のことを賞賛していたような気がする。

 というより、気がするのではなく間違いなく賞賛した。

 もちろん王妃とシャリエであれば、喜んで聞いてくれると思ったのも確かだ。

 けれどもし、彼が平民というだけで蔑まれようものなら確実に反論してしまうだろう。

 それぐらい彼のことは気に入っている。

 初めてレイスのことを誰かに話したが、これほど彼に対して熱が入っていることに自分でも気付いていなかった。

 それを自覚した瞬間、ラティは顔が熱くなった。


「無意識でもレイスという男子生徒を自慢したかったのですね?」


「……は、はい。どうやらそのようで」


 両手を頬に当てる。

 これではまるで、自分の男性が如何に素晴らしいかを自慢する乙女のようではないか。


「ああ、可愛らしい。やっぱりラティが娘に欲しかった」


 王妃はしみじみと思う。

 彼女は本当に可愛らしい、と。


「シャリエ。勘違いしないでほしいのだけれど、私は貴女が娘になるのが嫌というわけではないのですよ。けれどラティが娘に欲しかった、というのは理解してくれますね?」


「はい。私もラティ様が義姉になることを望んでいました」


 どちらもラティのことが大好き、という点で共通する部分がある。

 だから王妃の言い分をシャリエは勘違いすることなく納得した。


「そんな彼に、不満とかはないのですか?」


 王妃が訪ねると、ラティは考えた後に一つだけ思い浮かんだ。


「そういえばレイスは私と一緒にいる時に時折、表情が強張っているのですわ」


 いつもではないが、ふとした拍子にレイスの表情が強張っていることにラティは気付いていた。

 けれど理由が見当たらない。


「平民であれば、それも仕方ないことではありませんか?」


「言葉遣いも気を付けなければいけないでしょうし、ラティ様は公爵令嬢ですから」


 立場故の問題がある。

 ラティはそこを指摘されると、なるほどと理解を示した。



       ◇      ◇



 一方でレイスも寮で同室の男子生徒と話していた。


「最近、ヴィレ公爵令嬢と動いてるって?」


「なんか俺が調べてたことを気に入って貰えたらしくて」


 まさか公爵令嬢が農業に目を輝かせるなんて思ってもいなかった。

 しかも二人で出歩くことがあるなんて、平民のレイスとしては想像の範囲外。


「王太子殿下の婚約者と一緒に動くなんて、殺されたりしないのか?」


「いや、そこは大丈夫らしい。ヴィレ公爵令嬢は王太子殿下と婚約解消してる」


「そんな特大ニュース、どうして話題になってないんだよ?」


「貴族には貴族の何かがあるんじゃないか? 俺達が迂闊に漏らしていい情報じゃないと思う」


「……言うなよ、そんなこと」


 知ったところで、話を広めるわけにもいかない。

 かといって抱えておくにも嫌な情報だ。

 むしろ知らなければよかったと言わんばかりの男子生徒に、レイスも同感だと笑う。


「ヴィレ公爵令嬢、平民には興味ないと思ってたけど違うみたいだな」


「別に馬鹿にされてる感じもしないし、話しやすいご令嬢だと思う。いつも貴族然としてたから、俺達が勝手に勘違いしてたみたいだ」


 高貴な存在は、平民に興味がないと思うのは当然。

 けれどレイスは彼女と話して、自分達の考えが大間違いだったことに気付いた。


「だっていうのに、何かよくわからねぇ噂が流れてるよな」


「もしかして、あれか?」


「ああ。ヴィレ公爵令嬢が、王太子殿下が寵愛してる男爵令嬢を虐めてるってやつだよ」


 男子生徒が顔を顰める。

 自分達が知っているラティは、高貴な存在にして淑女の鑑だと噂される人物。

 実際、彼女の振る舞いは常に気品に溢れている。

 一方で男爵令嬢はある意味、有名だ。

 高位の貴族令息、さらには王太子を侍らせているのだから。

 男爵令嬢が周囲から好意的な視線を向けられていないのは事実だが、それがラティの仕業になっている、ということだろうか。

 レイスは元々、そんな噂を信じてはいなかったが、実際一緒にいるようになって確信していた。

 彼女は絶対、そんなことはやらないと。


「いや、あの噂を信じる馬鹿はいないだろ。俺はヴィレ様と最近、一緒にいるけど男爵令嬢を虐めるわけがないって断言出来る」


「そりゃそうか。むしろ王太子殿下達が嘘言ってるんじゃないかって思われてるもんな」


 少なくとも平民からしてみれば、そう考える人間は多い。


「だけど実際にヴィレ公爵令嬢を近くで見て、どうよ? きつい顔立ちだけど、大層な美人だよな」


「……その考えは甘い。近くで見てみると、より一層美人だと思う。言葉遣いも気を付けないといけないし、美人だから本当に緊張する」


 あれほどの美少女、今までレイスの近くにいたことがない。

 だというのに彼女は結構平然とレイスに顔を近付ける。

 思わず顔が朱に染まりそうになったことも、一度や二度では済まない。


「羨ましいけど、それはそれでキツそうだな」


「まあ、でも、俺がやってることに興味を持ってくれたことは素直に嬉しい」


 間違ってない、と言われているようで。

 それが本当にレイスは嬉しかった。



       ◇      ◇



 翌日、二人は図書室で会っていた。

 一緒に調べ回ったことを纏めるためだ。

 ある程度、紙に書き起こしたところでラティは不意に声を掛けた。


「さて、レイス。貴方を色々と連れ回してしまいましたが、確認したいことがありますわ」


「何でしょう? 実験する野菜の選別についてですか?」


「いえ、そうではなく。貴方、わたくしと一緒にいる際に時折、顔が強張っているのはどうして?」


 ラティが問うと、レイスはいきなりのことに狼狽えた。

 やはり立場故の問題と思うものの、それだけではない気もする。


「嘘や虚言はなりません。素直に答えなさい」


 命令するように言うと、レイスは観念したように言葉を返した。


「……理由は二つあります。平民である以上、一つは公爵令嬢であるヴィレ様と会話をするのは、やはり気を付けるべきことが多いのです」


 これは予想通り。

 お茶会で話していた通り、立場故の問題だ。


「して、もう一つは?」


「ヴィレ様はお綺麗ですから。美しいご令嬢が近くにいるのは、凄まじく緊張します。どちらかといえば、こちらの理由が大きいです」


 若干、顔を朱に染めながら答えるレイス。

 そんな答えを想定していなかったラティは、思わず笑ってしまう。


「ふふっ、レイスが社交辞令を仰るとは思いませんでしたわ」


「社交辞令……ですか? 事実に社交辞令も何もないと思うのですが……」


 それだけの美貌を持っていて、何を言っているんだろうかとレイスは思う。

 美人が近くにいて緊張するのは当たり前だ。

 当然の事実だと思っているレイスに対して、逆にラティは自身でも驚くほど動揺してしまう。


「つ、つまりレイスはわたくしを美人だと思っている、と?」


「むしろヴィレ様を美しくないと思う男はいないのでは?」


 疑問に疑問を返す。

 彼女を美人ではないと言える人物がいるとしたら教えてほしい。

 少なくともレイスの周りには存在しない。

 ラティは続けられた衝撃にレイスと同様、顔を朱に染めてしまう。


「そ、それでは、もしわたくしが公爵令嬢でなければ、告白していたぐらいには綺麗だと思ってくれていますか?」


「きっと競争率が高すぎて、告白しようにも出来なかったと思いますよ」


 壮絶な争奪戦が始まるはずだ。

 そして自分が勝ち抜けるとは思えない。


「……なるほど。告白しようとしてくれるのですね」


 けれどラティはレイスの答えを聞くと、心から満足げな表情を浮かべた。



 書類として纏め終わった後、ラティはレイスを連れてお茶をしていた。

 先ほどの彼の言葉が大層嬉しくて、意識せずに彼女はテンションが上がっている。

 そんな彼女を不思議そうに見ながら、レイスは疑問になっていたことを尋ねた。


「そういえば王太子殿下とは婚約解消なさっているのに、どうして話が広まっていないのですか? そしてそれは、私が聞いても大丈夫な話でしょうか?」


「問題ありませんわ。というより、噂話程度には貴族の間で少しずつ広がっているのです」


 むしろちゃんと話しておかないと、レイスに変な勘違いをされる要素になるかもしれない。

 であればラティとしては、しっかり伝えておこうと思う。


「彼らがいつ気付くか、それによって彼らの扱いが変わるのですわ。ミンツ殿下であれば、早々に気付けば次期王のサポートに。期限までに気付けなければ他国への貢ぎ物……といった具合に扱いが変わるのです」


「……なるほど。王族や貴族とは、色々と面倒なことがあるのですね」


 複雑な事情が絡んでいるのかもしれない。

 レイスとしては、遠い世界の話だ。


「わたくしとしては年末年始にあった王城でのパーティーで知ると思ったのですが、まさか全員参加しないとは思いもしませんでしたわ」


 正直、ラティとしては衝撃的なことだった。

 彼女が大きな嘆息したことで、レイスは彼女が言った全員が誰なのか気付いてしまう。


「……もしかして全員とは、男爵令嬢の取り巻き全員ということですか?」


「その通りですわ。殿下に騎士団長であられるナーリア侯爵の令息、内政大臣であられるロクス公爵の令息、外交を担当するキングリー子爵の令息、それと愚弟ですわ」


「確か王太子殿下の側近候補としている方々ですよね?」


「その通りですわ。六人で旅行に行っていたらしいのです」


 男五人に女一人。

 さらに男の方には大抵、他に婚約者が存在しているという状況。

 レイスでさえ、あり得ないと分かってしまう。


「ご無礼なことを申してもよろしいでしょうか?」


「わたくしのことでなければ問題とすることはありません」


「では遠慮なく言わせてもらいますが、王太子殿下は頭がおかしいのですか? まだ勘違いしているとはいえヴィレ様を放って男爵令嬢と旅行するなど、正気の沙汰とは思えないのですが」


 そもそも、だ。

 どうやったら目の前の美少女を放って、他の女性に好意を持てるのだろうか。

 男爵令嬢とてふんわりとした美少女であることは否定しないが、それでもラティと比べてしまえばレイス的に劣る。


「もしレイスがわたくしの婚約者だったとしたら、放っておいたりしますか?」


「ヴィレ様を婚約者にした時点で、放っておく選択肢が出てこないと思います」


「ですが殿下曰く、わたくしは性格が悪いらしいのです。それでも?」


 昔から性格が悪いと言われてきた。

 しかし彼女の発言にレイスは首を傾げてしまう。

 彼女ほど性格の良いご令嬢もあまりいないのではないだろうか。


「……どこが、ですか?」


「どこが、とは?」


「いえ、どこが性格悪いのか分からなかったものですから」


 平民の自分に対しても普通に話してくれる。

 自分が調べてることに意見し、反論しても許してくれる。

 少なくとも性格が悪い点を今のところ、レイスは見たことがない。


「わたくしは随分と口うるさく、また高圧的らしいのです」


「……口うるさく高圧的? ですが言ったことが事実だとしても、ヴィレ様のことですから理由があるのでは?」


 きっと、そうせざるを得ないだけだった。

 レイスとしては、そう思う。


「ええ、まあ。ミンツ殿下は王太子としての自覚に欠けていたので、わたくしも口うるさく言いましたわ。それが高圧的な言い方だった……というのは、わたくしの問題ではあると思うのですが」


「いいえ、ヴィレ様。それは王太子殿下の勘違いであって、ヴィレ様が気にされることではないと私は思います」


 むしろ出会ってから今までのことを考えれば、彼女が言い過ぎることはない。

 であれば的確に伝えた結果だというのに、ミンツが納得しなかっただけのこと。

 彼女が気に病む必要は一切ない。


「本当に、レイスはそう思いますか?」


「私はヴィレ様とこのように過ごして、そう思いましたから」


 貴女様に何一つ、非はありません。

 レイスはそう伝えると、急に恥ずかしくなったのか書類に視線を落とした。

 ラティも彼の言葉に嬉しそうに微笑むと、


「……今度、これをお父様に見せます。その時、一緒に来てほしいのですわ」


 内心で考えていたことを、無意識に声に出した。


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