後編その1



 数日後。

 ラティはヴィレ公爵家が統治している領地に、レイスを伴って戻る。

 雪降る地が領地なので、真っ白な銀世界にレイスは目を輝かせていた。

 そんな彼の姿に、ラティは喜んでくれてよかった、と笑ってしまう。

 そして執務室で仕事をしている父に、書類を渡した。

 さらには証明として、二つのトマトを食べ比べてもらう。


「農業は我が領地の収益でも割合を大きく占めております。そしてヴィレ産の農作物が他の追随を許さぬほどに美味しいのであれば、今の売れ行きを保ったまま価格は上がり、領民の収益は上がりますわ」


 農業改革。

 それがラティが示す領民のための提案だ。

 レイスと一緒に歩き回ったのも市場調査。

 さらに実際、販売価格が上がった場合の領民の収益と、ヴィレ公爵家の税収の変動。

 これを全てレイスと一緒に書き上げた。


「ふむ。まあ、実際に証明されてしまったのだから、否定することも難しい」


 ラティの父であるグレイルは、自分が食べたトマトの味を違いを思い返して苦笑してしまう。

 正直、グレイルとしてはこのような提案をしてきたのは想定していなかった。

 何故なら農業として問題はない、と思っていたからだ。


「レイス……だったね。君はどうして気付いたんだ?」


「私の家の農地はそれほど、土壌が良いわけではありません。言うなれば普通か、それ以下の農作物しか作ることが出来ません」


 貴族が食べるような農作物より、劣ったものしか作り出せない。

 それが当たり前だ……と思っていた。


「しかし植える作物によっては、普通以上のものが出来ることに気付きました。私はたまたま、王都の学園に通うことが出来ましたので、そのことについてもっと詳しく調べたいと思ったのです」


「君は中々に学業も優秀だ。他の道も選べたと思うが?」


 ラティがレイスという平民を連れてくる、と言った時から彼のことを調べてみた。

 成績は優秀で、決して農業だけしか出来ない……というわけではない。

 他の道も選べるぐらいには優秀だ。

 レイスもそれは分かっているのか、グレイルに頷きを返した。


「やはり実家も裕福というわけではありませんから、王都で働いて仕送りしたほうがいいかも、と考えることはあります」


 やりたいことはある。

 これをやろうと思っている。

 けれど王都で働いたほうが家としては良いのではないだろうか、と考える時が全くない……とは言えない。


「なるほど」


 グレイルはレイスの言い分に理解を示すと、


「では二人に課題を出そう」


 不意にそんなことを言った。

 いきなりのことに顔を見合わせるとレイスとラティに対して、グレイルは手元にある紙を二人に渡す。


「相談してやってみなさい。一時間後、報告を聞かせてもらう」



 渡された紙に書かれてあったのは、公爵家の領地に流れる川の氾濫について。

 不意な増水などがあって川が氾濫するとなると、この部分が決壊すると示されていた。

 要するにグレイルが渡した紙が言いたいことは、川が決壊することないよう対処しろ……ということだろう。

 二人は突然のことではあっても、いつものように話し合い、時に意見をぶつけながら考えを摺り合わせる。

 そして一時間後、自分達が出した結論をラティは伝えた。


「堤防の設置。それが二人の結論か?」


「川の流れを変えることも考えましたが、大がかりになりすぎですわ。かといって決壊する部分を考えれば、多少の障害物を置いたところで心配は尽きない。だからこその堤防ですわ」


「ちなみにどっちが考えたのか、教えて貰えるか?」


 グレイルの質問にラティが、レイスだと答える。


「わたくしとしては川の流れを変える工事をしたほうが、長期雇用に繋がると思いましたわ。ですがレイスは堤防での対策を提言しました」


 ラティと違った観点で、レイスはどうして今、それが議題となっているのかに注目した。


「そこで気付いたのですわ。雪解け水対策なのだと」


 となると去年よりも今年、領地内の雪は多いのだろう。

 そのための対策が必要になると考えたわけだ。


「堤防であれば、春の雪解けにぎりぎり間に合うはずですわ」


 最大の期限で、最大の措置を。

 だからこそ堤防を提言した。

 グレイルはラティの説明に頷きを返す。


「おおよその考えは良い。だが考えが足りていない部分が一つあるのは分かるか?」


 最大の期限で、最大の措置をするのは正しい。

 けれどそれには、一つ大きな問題が解決されていない。


「堤防を築く人間を、どこから連れてくるのか……という問題だ。生業にしている人間だけでは手が足りないだろう?」


 彼らが堤防を作る範囲は、どうしても生業とする人間だけでは間に合わない。

 となると、他から人を連れてくる必要がある。


「……なるほど。ある意味でわたくしの考えは間違っていなかった。そういうわけですね?」


 問い掛けるが、グレイルはそれも考えてみせろと言わんばかりだ。

 レイスが視線に疑問を投げかけると、ラティはそれに答える。


「年間を通じて農業をしていない人間に対しての雇用対策ですわ」


「雇用対策……? ああ、そうか。ヴィレ公爵の領地で農業をする場合、冬場は別の仕事をしている場合が多い。そうですよね?」


「その通りですわ、レイス。問題はどこから人を募るか……なのですが」


「堤防を築く場所を考えれば、レーヌ地方の農家から人を募ることが一番だと思います。それで人手は足りますか? もし足りなければニエト地方からも募ればどうでしょう?」


「レーヌ地方に、ニエト地方……」


 ラティはそこで農家として働いている人数をある程度、試算する。

 さらにそこから堤防の設置工事をやってくれるであろう人数も割り出す。


「問題ない。わたくしはそう判断しますわ」


 これでどうでしょう? と言わんばかりのラティにグレイルは大きく頷いた。


「合格点は越えて満点に近い回答だ」


 実際、グレイルはそういった指示を出している。

 二人掛かりでちょっとしたヒントも与えたが、それでも彼らはグレイルと同じ結論に到達した。


「ラティ、彼はいい。私も気に入った」


 彼が実家の農家で働くだけになるのは勿体ない。

 かといって、王都で単純に働くことも勿体ない。

 娘が気に入るのも分かる。


「伝えたいことがあるのなら伝えればいい。そのために連れてきたのだろう?」


 何のためにヴィレ公爵家が統治している領地に連れてきたのか。

 それはレイスをグレイルに会わせるためだ。

 父の反応をラティは知りたかった。

 元々、約束していることがある。

 だけど、それでも、好いた相手のことを認めて貰いたいと思うのは当然のこと。

 そして、それが問題にならないことを知ったのだから。


「レイス、わたくしはこれより貴方に伝えることがありますわ。言質は取ってありますので、拒否は許しません」


「伝えること、ですか? ヴィレ様が仰ることであれば何なりと。拒否することはありません」


 何を言われるかは分からないが、ラティのことだ。

 レイスにとって不都合なことを言うはずがない。

 だから安請け合いしたのだが、ラティは凄まじく緊張した様相で一息に伝えてきた。


「それではわたくしと婚約しましょう」


 言い終わった後、ラティの顔が真っ赤に染まる。

 僅かにではなく、多少でもなく、完熟したトマトのように。

 本当に真っ赤に染まっていた。

 けれど告げられたレイスは単語の意味を把握出来なかったらしく、


「……こんやく?」


 首を傾げて、ラティが言ったことを繰り返す。

 グレイルが二人の様子に思わず吹き出した。

 ラティは父が吹き出したことに気付いて睨むと、再びレイスに向き直る。


「結婚の約束である婚約ですわ。学園を卒業したら結婚しましょう」


「誰が……誰とでしょうか?」


「わたくしとレイスが、ですわ」


「……えっ?」


 思いがけないどころか、想像すら出来ないことにレイスは一拍置いて驚愕の表情になる。

 それはそうだろう。

 公爵令嬢が平民に求婚したのだから。

 けれどレイスの驚愕に一切気付かないラティは、早口に捲し立てる。


「わたくしが公爵令嬢でなかったら、告白してくれたのでしょう? それに今、拒否することはありませんと仰ったのですから、拒否出来ませんわ」


「いや、あの、俺……ではなく私は平民で――」


「――そこは問題ありませんわ。わたくしは貴族であれ平民であれ結婚出来ますから」


 そう言ってラティはレイスにぐっと近付くと、彼の手を取った。

 勢いで押し切ろうとしているのが見え見えで、グレイルは笑いながらも手助けをするため口を開く。


「婿入りさせることになるのだが、そこは問題ないだろうか?」


「……は、はい。それは問題ありませんけど……」


 たかが平民だ。

 兄弟もいるので、自分がどうなろうと問題はない。

 さっきも言った通り、レイスはラティが言うことに否定することはない。

 とはいえ嫌なわけがなくとも、驚きで頭が回らない。

 けれどグレイルはレイスの返答に何度も頷くと、


「では決定だ。いやはや、まさか本当に平民がラティの夫になるとは思わなかった」


 手を何度も叩いて、二人の婚約を認めた。

 ラティは父に対して、好いた相手と結婚することを約束させたが、それでも祝福されるとなると、さらに嬉しい。


「レイスはこれからわたくしの婚約者である以上、わたくしのことは『ラティ』と呼ぶこと。また普段の言葉遣いも許しますわ」


「で、ですがヴィレ様……」


「くどいですわ。さあ、わたくしの願い通りにお願いします」


 ぎゅうっとレイスの手を握るラティ。

 レイスは強く握ってきた彼女の手が、ほんの少し震えていることに気付く。

 それが緊張だということに、少しして分かった。

 だから観念していつも通りの口調でラティに話し掛ける。


「……あの、ラティ。本気で言ってる? ラティだったら、色んな人に結婚を申し込まれるはずだろ?」


「本気かどうかと問われるのなら、人生で一度だけと断言出来るほど本気も本気ですわ。もちろんレイスが仰るように、殿下との婚約解消が知られたのなら、貴方以上の地位を持つ人間から申し込まれるのは当然です。経歴に傷が残るとしても、わたくしとの結婚は即ち次期公爵になるか、連なるのですから」


 立場に目が眩む人間がいるのは当然のこと。


「だけどわたくしは、その全てがどうでもいいのです。王妃の座を捨てたわたくしにとって、地位や立場でわたくしを振り向かせようとしても無駄ですわ」


 レイスを手に入れることに比べれば、そんなものはいらない。

 王妃の座だろうと何だろうと、ラティにとっては無駄でしかない。


「わたくしは貴方だから求婚したのです」


 変わらず顔は朱いまま。

 自分が取った彼の手には、想いが伝わればいいとばかりに強く握りしめたまま。

 レイスは間近にあるラティの顔をちらちらと見ながら、それでも……ふとした瞬間に大きく息を吐いた。

 そして苦笑を浮かべる。


「レイス。今、貴方が内心で思っていることを、素直に吐露してほしいですわ」


「……笑わないか?」


「笑いません」


 はっきり告げると、レイスは観念したように答えた。


「ラティが婚約者になるなんて、前世でどれだけ徳を積んだのだろうかと思った」


「……なるほど」


「それに平民だからって理由で自制してたから今まで問題はなかったけど、自制しなければラティに惚れるな、なんて無理な話だ。だから嬉しい」


「なるほど」


 ラティは彼が告げること一つ一つに、染み入るように頷いた。

 これ以上、顔が朱くならないと思っていたのに……だけど彼の言葉を聞いた後では、さらに熱くなった。

 心臓もこれ以上ないほどに高鳴っている。


「社交辞令ではない甘い言葉を素直に受け止めると、これほど胸に響きますのね」



       ◇      ◇



 それからの日々は、本当に忙しい日々だった。

 本当に平民を婚約者にしたことで、ラティは国王から爆笑された。

 王妃やシャリエからは顔合わせを所望されて、レイスを連れて一緒に会うことにもなった。

 王太子となったディントも顔合わせに巻き込まれてレイスが大分恐縮したが、話しているうちにラティの新しい婚約者の知性に気付き、ミンツと比較して納得していた。

 グレイルからはいつも課題を出されて、二人で一緒に片付けることになった。

 その最中、ラティが一番緊張したことと言えば、レイスの家族に会いに行ったことだろう。

 ただ単純な顔合わせ、というだけでなく。

 ラティとレイスが考えていることを手伝って欲しいから、だ。

 もちろん顔を合わせたことも、緊張したといえば緊張した。


「レイスが……公爵家に婿入り、ですか?」


「はい。大切なご子息をこちらの都合で婿入りさせてしまうのは、申し訳ないと思うのですが……」


「い、いえいえ、別にそんなことはどうでもいいんですよ。レイスには好きに生きろと言ってあるので。公爵家の方と結婚したのは本当に意外ですが」


 レイスの両親は普通だった。

 ただ、彼の親だから……というのはラティの贔屓目かもしれないが、平民にしては上品な人達だと思った。

 それにいきなり公爵令嬢が来たというのに、大きく取り乱さずに話を聞いてくれた。

 今後、義理の両親と呼ぶに好ましい方々だ、とラティは思う。


「それで皆様にお願いしたいことがあるのです」


 これからが本番だ、とラティは思う。

 隣にいるレイスは大丈夫だと言わんばかりで、それだけで少し緊張が収まる。

 だからラティは隣にいるレイスの手を握りながら、未来の義両親にお願いをした。


「わたくしとレイスが提案した、実験農場に携わっていただきたいのですわ」


「実験……農場?」


 興味深そうに返された言葉に、ラティは説明する。

 自分達が出会った理由も、それであるから。


「レイスとわたくしは領地のために、結果を出さねばなりません。ですからわたくしやレイスの言葉にただ、頷くだけの農民では意味がありません。時によっては、討論が出来る相手が欲しいのです」


 自分達の肝いりで始める事業だからといって、聞き心地の良い言葉は必要無い。

 時に対立するほど、実験農場にも自分達にも向き合ってくれる人達でなければ意味がない。


「公爵家の貴女様と……平民である我々が討論しろ、と?」


「少なくともレイスはやってくれました」


 ラティが断言すると、レイスの両親は驚きの表情を息子を見た。

 彼としては、打てば響くようなラティとの会話が楽しかっただけなのだが……思い返せば、不敬だったかもしれない。


「ラティは真剣に聞いてくれたし……。まあ、こっちも真摯に向き合わないと失礼だと思ってた」


「おかげでわたくしはレイスに惚れたので、結果としては上々ですわ」


 こんな結果がそうそうあるとは思えないが、当人達が満足しているのならそれでいいのだろう。

 親ともなれば衝撃は凄いが。

 とはいえ二人の想いは互いに対しても、実験農場に対しても真剣なのだろう。

 それは言葉からも雰囲気からも分かること。

 だから、


「我々は日々、農作物と向き合っています。ですから嘘は言えませんが、それでもよろしければやりましょう」


 レイスの両親が了承の意を示すと、ラティは満面の笑みを浮かべる。


「ありがとうございます、お義父様にお義母様!」



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