特別な出会いではなく
結城ヒロ
前編
三月、卒業パーティーの会場で。
自分の冤罪に加えて婚約破棄の宣言が響いた時、ラティ・ヴィレ公爵令嬢は目を丸くした。
さらに弟が次期公爵として廃嫡だと言い出した時は、揃いも揃って頭がおかしいとしか思えなかった。
「まさか未だ知らないとは思いませんでしたわ」
壇上で意気揚々と得意げにしている集団に対して、ラティは大きな失望を抱く。
「そちらの言い分を纏めると婚約者であるわたくしが嫉妬し、王妃の立場を望むからこそ起こった出来事。だからこそ殿下は婚約破棄し、そこの愚弟は次期公爵としてわたくしをヴィレ公爵家から廃嫡する。そういうことでしょうか?」
ラティの問い掛けに皆が同時に頷き、謝罪だの何だのと騒ぎ立てる。
だがラティは馬鹿馬鹿しいとばかりに、大きく息を吐いた。
「ええと、それでは前提条件から間違っているとお伝えしますわ」
彼らが言っているのは、今更過ぎる話題だ。
「まず、わたくしと殿下は婚約者ではありません」
ラティの視線にいる元婚約者は、言われたことに呆然とする。
というより、本当に気付かなかったことに憐れみさえ覚えてしまった。
何故なら、
「殿下との婚約は三ヶ月前に解消しておりますので」
◇ ◇
十二の月に入った。
そして王城にある、とある一室で。
マルグル王国の騒動が終わろうとしていた。
「ラティ、お前が言っていることについて確認は取れた。陛下もよろしいですね?」
「……そうだな。事実であればこそ仕方がない」
壮年の男性が二人。宰相である人物が確認を取ると、国王は残念そうに頷いた。
そして二人は書類にサインをする。
「では現時点をもちまして、ミンツ・マルグル王太子と我が娘――ラティ・ヴィレ公爵令嬢の婚約は解消となりました」
ここで執り行われたのは婚約解消。
しかも王太子と公爵令嬢との婚約解消となれば、話としてはかなり大きい。
「済まなかったな、グレイル。儂たっての頼みであったのに、このような結果にしてしまった」
「あの文言を誓約書に入れたのは私ではありますが、陛下とて想像もしていなかったでしょうから仕方なきことです」
宰相は娘が婚約者に選ばれた際、念のため誓約書に一文を入れた。
相手が不義を働いた場合、どちらからでも婚約の解消を申し出ることが出来る……という単純なものだったが、まさか本当にこうなるとは思っていなかった。
この国の王太子は今、とある男爵令嬢に入れ込んでいる。
ちょっとした流行病程度ならば周囲も許しただろうが、彼は男爵令嬢を構うあまりに自身のすべきことを怠った。
催しでエスコートをしない、彼女の誕生日にプレゼントを贈らない、公務ですら滞らせる……等々。
王太子たる身分でありながら義務を放棄した。
そして婚約者たる公爵令嬢は彼のやりたい放題を諫め、時にフォローしたが、同時に証拠集めもしていた。
誓約書に記されてある一文――婚約解消を申し出るために。
もちろん当事者であるラティ・ヴィレも同室しているのだが、彼女は今……王妃に後ろから肩を掴まれて動けていない。
王妃は宰相の婚約解消宣言を聞いた瞬間から、悲しそうな表情を浮かべたままだ。
「エレナ。そろそろラティを離してやったらどうだ?」
国王が声を掛けるが、王妃の悲しそうな表情が晴れることはない。
「……陛下。私が目論んでいたラティとの嫁姑仲良し計画は…………」
「……すまんが破棄してくれ」
国王夫妻の子供は三人。
長兄であり王太子であったミンツの他に、二人の男児がいる。
つまり王子はいれど王女はいなかったわけで、
「ラ、ラティだけなのですよ! 現時点で私を未来の義母と慕ってくれているのは!」
それぞれに婚約者はいる。もちろん悪い娘ではないことは分かっている。
だが、やはり王妃という立場だからか下二人の婚約者とは、多少の距離があった。
ラティだけが婚約者の母である王妃と、普通に交流をしていた。
理由がなければ関わることを躊躇う彼女達とは違い、ラティは理由がなくともお茶を共にして買い物も一緒に行く。
娘がいない王妃にとっては、慕ってくれるラティが何よりも可愛かった。
「王妃様。問題がなければ、わたくしはこれからも王妃様との交流を断つことはありませんわ」
ラティが朗らかな表情で声を掛けるが、王妃は首を振る。
「そのような……問題ではないのですよ、ラティ。私は貴女が娘になることを、心から望んでいました」
だというのに、崩れ去った。
大層、ショックを受けているのはラティも見て取れて申し訳ない気持ちになる。
「申し訳ございません。ですがわたくしは……」
「ええ、分かっています。全てはミンツが悪い、ということも理解していますよ」
ラティ・ヴィレを婚約者にしておきながら、蔑ろにした。
その意味を分かっていない息子に、王妃は腹立たしさを覚える。
と、その時だった。
ドアをノックする音が聞こえた。
「入れ」
国王の許可があると、入ってきたのは国王夫妻の次男であるディントと、その婚約者であるシャリエ。
二人は呼ばれた理由が分からずとも部屋に入った途端、異様な雰囲気であることに気付いた。
何かがあったのだろうと、表情を引き締める二人に国王は満足するような表情を浮かべた。
「ディント。内密ではあるが、今後はお前が王太子となる。心して過ごせ」
装飾なく告げられた言葉に、シャリエが驚きの声を上げそうになる。
けれどディントは部屋の中に集まっている面子を見て、納得する仕草を見せた。
「もしや兄上とラティ様が婚約を解消されたのですか?」
「その通りだ。まあ、少し考えれば分かることか」
「はい。ラティ様も色々と苦労なさっていましたから」
ディントはミンツの二つ下だ。
現在は兄やラティと同じ学園に通っている。
だからこそ最近の兄やラティの状況を知っている。
「僕も苦言を呈したのですが、兄は聞く耳を持ってくれませんでした。それにシャリエがお茶会や社交の場で仕入れた情報によると、随分と周囲の評判も悪くて覆しようがなく……」
正直、どうにもならない。
それほどに困った状況だ。
「さらにラティ様の謂れなき悪評の出所も、兄上らしいですね」
「正確にはミンツだけではなく、男爵令嬢に酔いしれている集団が出所だ」
国王は辟易するように言う。
今、学園にはラティが男爵令嬢を虐めている……といった悪評が流れているが、大半の人間は信じていない。
虐める必要がないことを理解しているためだ。
この場にいる人間に至っては、ラティが何もしていないことの裏付けまでしている。
「シャリエは今のところ、謂れのない悪評は立っていないな?」
「私は無事なのですが、やはりラティ様の不躾な噂を根絶することは難しく……」
第二王子ディントの婚約者であるシャリエは、己の力不足に顔を顰める。
その情報を掴んでいなかった国王がどういうことかと問うと、ラティが嬉しそうに答えた。
「シャリエはわたくしのために、色々と動いてくれたのですわ」
「尊敬できる御方ですし、義姉となるのですから当然です」
将来の義姉が謂れなき悪評をばらまかれている。
到底、許せるものではなかった。
「シャリエ、貴女はラティのために頑張ってくれたのですね」
「はい、王妃様。私の矜持が許してはならないと申しましたので」
息子の婚約者と、婚約者の母による若干距離がある会話。
お互い探るようなやり取りに、ラティは笑みを零した。
「王妃様、シャリエ。今度、一緒にお茶をしましょう」
これからラティは王族と関係がなくなる。
次代の王妃はシャリエだ。
となれば、二人の仲を取り持ってあげたほうがいいだろう。
「王妃様はシャリエが好む物をお調べください。シャリエも同様に、王妃様が好む物を知り、考え、贈りなさい」
ラティの発言に王妃とシャリエは目を丸くする。
「まずはそこから始めましょう?」
問うように声を掛ければ、二人は彼女の意図を理解するように頷いた。
すると国王もラティに問い掛ける。
「ラティは今後、どうするつもりだ? よければ儂が新たな婚約者を見繕うつもりだが?」
「勿体なきお言葉ですが、わたくしは父に約束させていることがありますので」
そうですわね、と父に言えばグレイルは苦笑しながら肯定した。
「約束? それはどういったものか聞いてもいいのか?」
「はい。殿下との婚約が解消された場合、夫は自分で選ぶと約束しました。平民であろうと貴族であろうと、愛した人を夫にします」
わざわざ国王がヴィレ家の令嬢を婚約者としたのは理由がある。
だから問題が起こらなければ、婚約解消など出来るわけがないとラティは思っていた。
なので父との約束は本来、夢物語のような口約束だった。
「ということはラティの思い通りになった、ということか?」
「いえ、どちらかといえば予想外の結果でした。ヴィレ家という強い後ろ盾があるからこそ、早い段階から王太子となった殿下がまさか……」
本来、王子が王太子となるのは王族の兄弟がどのような能力を持っているか、その査定が終わった時だ。
しかしながら例外として能力を見定めずに王太子となる場合、それは婚約者に関連することが多い。
大国の姫を娶る場合や、国内の有力貴族から娶る場合。
今回の一件は後者だ。
国内随一の権力と、王都にひけを取らない領地を持つヴィレ家だからこそ、ミンツは査定が終わる前に王太子となった。
後のことは言わずとも分かるだろう。
時が進むにつれて能力的には第二王子、第三王子のほうが優秀だというのはすでに分かっている。
つまり王になりたいのであれば、操を立てるべきだった。
ミンツにとっては、それだけが王になる唯一の手段だったというのに。
「まあ、仕方なかろう。ミンツの自業自得というものだ」
「殿下にはいつ、お伝えするのですか?」
「卒業するまでは夢を見させてやろうと思っている」
「……三ヶ月もありますが?」
思ったよりも期間が長かった。
さっさと伝えてもいいとは思うのだが、何か目論見があるのだろうか。
「どの段階で気付き、どのように動くかによって今後の使い道も変わってくる」
それこそ弟のサポートに付くかもしれないし、他の国に貢ぐ扱いにするかもしれない。
全てはミンツ次第だ。
「お前のところの長男はどうするつもりだ?」
国王の問い掛け。
それはミンツの取り巻きにヴィレ家の長男――ラティの弟であるラルクがいるからだ。
彼は普段から姉に蔑むような視線を向けている。
ラティが男爵令嬢を虐めていると思っているらしい。
父であるグレイルは、実の姉よりも男を侍らせている男爵令嬢を信じる息子に呆れ果て、
「私も陛下と同様、いつ気付き、その後の行動によって変わっていきます。とはいえラティには婿を取ってもらう予定ですので、あの馬鹿息子が爵位を受け継ぐことはありません」
今のところはラティに爵位を渡そうと考えているが、夫となる人間が優秀であれば、そちらに渡しても問題ない。
「ということは平民がラティの夫となれば、凄まじい成り上がりになるな」
しかも公爵家に、だ。
高い爵位を持つ家であれば、平民を婿入りさせるなど基本的に考えられない。
ヴィレ公爵家以外は。
「それも我が家の特徴故に」
だからグレイルは、そう言ってニヤリと笑った。
◇ ◇
ヴィレ公爵家は代々、宰相を任じられている。
広大な領地も持っており、そこも管理している。
しかも王都から離れているのに、ひけを取らないほど栄えている。
そこには一つの理由があった。
先代のヴィレ公爵、つまりはラティの祖父が貴族としては酔狂な人物だったということ。
彼は領地を栄えさせるために、色々と策を練っていた。
しかしながら一人で考えるにも限界はある。
そうなると、普通は他の領地を見学したり別の貴族に相談したりする。
貴族のことは貴族しか分からないのが普通だからだ。
だがラティの祖父は領内の人間を重用した。
使える人材は手元に置いた。
自身が宰相として王都にいる時、代理となる人間は平民だった。
普通は配下の貴族のうち、誰かを置くのが当然だというのに。
さらには宰相の地位を活かし、有能な平民を自分の領地に連れてきた。
他の貴族は、ラティの祖父のあまりの突飛な行動に目を疑った。
平民を重用して何が出来るのか、と。
しかしラティの祖父は自信があった。
貴族でも有能と言える人材は少ない。
かといって平民にいないかといえば、それは否だ。
有能だと思える人材は存在する。
けれど彼らは平民というだけで重用されていない。
ラティの祖父はそこに目を付けた。
普通の領地運営は、平民に税を納めさせている。
どんな状況であれ、一定以上の税を納めさせるのが貴族の常だ。
金遣いの荒い貴族であれば、平民を虐げてでも搾り取っている。
だがそこで、ラティの祖父は首を捻っていた。
領内を豊かにすれば勝手に税収は増える。
魅力的な領地にすれば、人の行き交いも増える。
だというのに、何故そうせずに領民を苦しめるのだろうか、と。
だからこそ有能な人材を登用した。
貴族であるからこそ当然のように管理はするが、それでも能力を十全に使える機会をラティの祖父は与えた。
するとヴィレ公爵家の領地は類い稀なる発展を遂げる。
となると普通に考えれば、ヴィレ公爵家に追随する貴族もいるだろうとラティの祖父は考えていた。
何故なら、これほど発展したのは一重に平民が重用したが故だ。
同様に行う貴族もいるだろうと思っていたのだが、いなかった。
貴族としてのプライドか矜持かは分からないが、他の領地は変わっていない。
とはいえ他の貴族が追随してこないのは運が良い。
何故なら今までと変わらず、有能な人材を引っ張り込めるのだから。
そうしてグレイルの代でも同じようにしていくと、次第にヴィレ公爵家は平民からこのように言われるようになった。
ヴィレ家は他の貴族は違う点がある。
それは『使える者は誰であろうと使う』といった点だ。
一方で貴族からはいつからか、とある陰口を叩かれるようになる。
貴族としての誇りがない、と。
現在のヴィレ公爵にしてラティの父であるグレイルは、他の貴族の言い分をアホかと一蹴しながら父と同じように領地を運営した。
当然、領地を受け継ぐことになるラティも同じように考えている……のだが、厄介な課題を父から言われた。
領民のためになりそうな提案を一つしろ、と指示されたのだ。
ラティはそのため、学園の図書室に通う。
領民の仕事は多岐に渡っている。
その中で何に目を付けるか、そこから始めた。
図書室に通って五日、ある程度の選別を済ませた……時だった。
ふと顔を上げると、いつもいる男子生徒が今日もいることに気付く。
ラティはいつも同じ席に座っているが、男子生徒も毎日同じ席に座っている。
初日は全く気にしなかった。二日目も同様。
けれど三日目にして、彼がいつもいる男子生徒であることに気付いた。
四日目になると本が積み重なっていることから、勉強か調べ物をしていることを知った。
そうなると五日目、何をしているのか気になってしまった。
もしかしたら自身の課題に対する突破口になるかもしれない。
ラティはそう思って男子生徒に声を掛ける。
「貴方は何をなさっているのですか?」
「……ヴィレ公爵令嬢?」
男子生徒は掛けられた声に顔を上げると、呆然とした表情をさせる。
だが問われた内容を思い出し、すぐさま答えた。
「し、失礼致しましたヴィレ様。レイス・ロンドと申します。私は今、農作物についての勉強をしております」
おそらくは平民の生徒だろう。
貴族に声を掛けられることに慣れていないらしい。
しかし農作物の調べ物と言われてしまうと、ラティも興味が生まれる。
彼女が領民のためになりそうな提案のうちに、農業も一案に入れていたからだ。
「この五日間、わたくしは図書館に通っておりましたが、貴方はいつもいらっしゃいますわ。それほど勉強している内容を教えていただいても?」
問えば、レイスという男子生徒は粛々と頷いた。
そして話を聞くと、ラティは目を瞬かせることになる。
というよりも耳を疑うような話だった。
話しているうちに熱が入ってきた説明で、気になった部分をラティは質問する。
「土壌が良く適度に水を与えれば、どのような農作物も自然と良くなるのではなくて?」
要約すれば彼が話したことは、土壌と農作物との相性。
ラティはこれまで、土壌が良ければどんな農作物も育つと思っていた。
しかし彼の言い分はこれまでのラティの考えを打ち壊すものだ。
「いえ、作物によって『土壌が良い』の定義は変わります。水はけがよく、ミミズが地中にいるのが基本的な定義ですが、あくまで基本なだけだと俺……私は考えています」
熱心に話した男子生徒と熱心に聞いた公爵令嬢。
だからか、一瞬だけレイスの言葉遣いが乱れた。
恥ずかしそうに俯いた男子生徒に公爵令嬢は笑い声を漏らす。
「少し地が出ましたわね?」
「大変、失礼致しました」
学園では貴族に対する言葉遣いを学ぶ授業もある。
彼は大分上手くラティと話していたが、それでもうっかりしたのだろう。
ラティはくすくすと笑いながら、レイスに続きを促す。
彼は一度、咳をしてから再度話し始めた。
「水はけが良いとは逆に言えば、保水性が悪い。ですが農作物は多種多様ですから、品種によっては悪い土壌と呼ばれている場所さえも良い環境に変わるはずです」
「現在、ヴィレ公爵家の領地での農業はほぼ全て、定説である良い土壌で仕事をさせていますわ。ですがレイス・ロンドの話を信じれば、農地を拡大出来ることになります」
こうなると興味だけではない。
真剣に検討したくなる。
「農作物の甘味や酸味、苦味は土壌や環境によって違います。時には過酷な環境で育てた農作物のほうが美味しくなるのではないか、と私は思っております」
「ですが現時点では、あまり分かっていないのですよね?」
「はい。ですからいつか実験農場を持つことが出来たら、色々なことを確認したいと考えております」
夢のようにやってみたいことを語るレイス。
けれどラティは、彼の言葉に衝撃を受けた。
「実験……農場……?」
「はい。家族で農業を営んでいて、小さな農地なのでたくさんの品種を確認することは難しくありますが……」
それでもいつかはやりたい。
告げずともラティには、それが理解できてしまった。
そして彼の言葉の強さと熱量に対して、ある一つのことに気付く。
「レイス・ロンド。もしかして学園でも実験はなさっているのですか?」
「二種類だけですが実験しています」
「……確認させていただいても?」
「ヴィレ様にお見せできるような物では……」
「是非ともお願いしたいのです」
彼が語った実験農場。
今はまだ言葉だけでしか理解していない。
けれど現実として、見せてくれたとしたら。
ラティは逸る想いを隠さず、レイスと共に図書室を出た。
二人で歩いている最中、ふとレイスは自分の状況が大丈夫なのか心配になった。
隣にいるのはラティ・ヴィレ公爵令嬢。
学園の中では最も有名な令嬢だと言ってもいい。
王太子であるミンツの婚約者であるのだから。
彼女の悠然とした態度は、学園の令嬢の憧れだ。
毅然とした態度も、貴族の模範だと専らの評判。
そんな彼女に突然話し掛けられて、己が調べていることを伝えたら何故か一緒に実験している農作物を見に行くことになった。
だがこれは、公爵令嬢として醜態ではないだろうか。
「あの、ヴィレ様。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
「王太子殿下の婚約者であられる以上、私と二人でいるのは醜聞になるかと思うのですが……」
平民とはいえ男性と二人で歩いているのは大丈夫なのだろうか。
けれどラティは問題ないとばかりに平然と答えた。
「醜聞にはなりませんわ。わたくしは先日、殿下とは婚約解消しているので」
淡々としたラティの言葉に、レイスは衝撃を受ける。
正直、かなりの爆弾を教えられたような気がしたが、どうにか表情には出さずに返答する。
「いらぬ言葉を申し上げました」
「いいえ、気遣い感謝しますわ」
深く事情を訊くのは不敬だろう。
だからレイスは話を切りあげた。
そして校舎の外に出て、自身が実験している場所へ向かう。
するとそこには小さな二つの畝が見えて、支柱が見えた。
ラティはそこにある作物に目を丸くする。
「これはトマト……ですわね」
「はい。実験のため、冬にも育ててみました」
冬のトマトは冬のトマトで美味しいとは聞くので、ラティはなるほどと相づちを打った。
そして少し離れた位置にある二つの畝を見て気付く。
「こうやって実験をしているのですわね?」
「はい、その通りです」
そう言ってレイスは左右の畝に向かうと、一つずつトマトを獲る。
そして水で洗った後、ラティの前に見せた。
「こちらは水分は最低限で土壌が少しばかり悪いトマト。逆にこちらは良い土壌で水分を適切に与えたトマトです」
サイズとしては、後者のほうが大きい。
色合いとなると、感覚的には前者が艶やかではないかとラティは思う。
「こちらは普通ですわね」
領地にもあるようなトマトをラティは手に取ると……普通に食べた。
公爵令嬢がそんなことをすると思わなかったレイスは驚きの表情を浮かべるが、ラティは咀嚼して味を確かめる。
「わたくしが知っているものと変わりない」
はしたないとは思うが、この状況でわざわざナイフとフォークがある場所まで向かう必要はない。
それよりも知りたいことを、早く知ることが彼女にとっては重要だった。
「もう一方は目で見ても分かるほど、先ほどより小さいですわ」
一個食べ終わったところで、ラティは次のトマトをレイスから受け取って口にした。
そして一度、二度と咀嚼した瞬間、すぐに気付く。
「……こちらのほうが美味しい」
味が濃い。
さらには酸味が抑えられて、甘味が増している。
一口食べただけで、それが分かった。
そのまま一個まるまる食べ終わるまで、味は変わらずに美味しいまま。
はしたない真似をしてしまったが、その価値はあった。
「レイス・ロンド……いえ、レイス」
驚きの表情を未だ浮かべている彼に対して、ラティはさらに追撃のような衝撃を与える。
「これから、しばらくわたくしに付き合ってもらえますか?」
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