1章 06「真っ白にって……じょ……」
「そこにいるのは分かっている。出てきてもらおうか」
森に響く葉鳴りによる喝采。そして二人の背後に突然気配が現れる。
冷や汗とともに振り向き剣を構えると、そこにはフードをかぶった人影が立っていた。
「良く気付いたな。気配は完全に断ったつもりだったが」
“がらんどう”のそれから発せられるとは思えない、深く響く声。
武器を握る手に、自然と汗がにじむ。
「やはりな。いると思ったよ」
ノアールの答えに人影が疑問を浮かべると、代わってシービックが説明を加えた。
「あんたの気配は完全に消えてて、俺は気づけやしなかったさ」
「ほう」
「ただな、ここまでの道中魔獣に襲われっぱなしだったが、途中からさっぱり遭遇しなくなってな、怪しく思って探ると、わずかに戦闘の形跡があった。それもパーティーではなく、ソロで戦ったと思われる跡がな」
やや饒舌なシービックの説明に、人影が無言で返す。
「魔獣の死体をどうしたかは分からない。しかしどういう訳か、イビル・サーペントは生きていた。それでピンと来たのさ。俺たちは試されてるってな」
「……」
「だったら、近くで見ているに決まっているだろ。これだけ分かれば、気配なんざ分からなくても、そこにいるという確信は持てるってもんさ」
「つまりお主らは最初から我に用があって、そして我は“してやられた”ってことだな」
人影はそう言いつつフードを脱ぎ、マントをはためかせた。そして現れたのは骸骨。
胴には使い込まれていながらも汚れのない、つや消しした金属の胸当て。そしてガントレットとグリーブという動きやすさを重視した防具。
腰には意匠が施された剣を下げ、マントもよく見ると不思議な光沢を帯び、おそらくそれらの装備は魔装。
ここまで魔獣と戦ってきたであろうにもかかわらず、乱れのない小奇麗でどこか品のある姿は、骸骨の姿とはどこかミスマッチにも思えた。
しかしだからこそ、得体のしれない不気味さを感じる。
「ようやくお出ましか。彷徨える骸骨……ボーンズ・オルランド」
「ほう、我の名を知るか」
ボーンズは嬉しそうに眼の光を細める。負けじとシービックも笑って答える。
「あいにく、俺もこいつもあんたとは因縁があってな」
「……悪いが、どの因縁か思い出せないな」
「そりゃ、そうだろうな。しかし、俺たちはあんたに戦いを挑まなきゃならねーんだよ」
シービックが槍を構え切っ先を揺らす。
「ふむ……まぁいいだろう。相手になる」
ボーンズもゆるりと剣……反りの付いた片刃の刀、サーベルを抜いた。
一方ノアールは静観を決めたのか、広場の端で木を背にして腕を組んだ。
……風が止み、一瞬の静寂が訪れる。
「いくぞ!」
掛け声があがりシービックの足元で土埃が舞う。そして踏込とともに槍を突きだす。
最短、最速。稲妻のような一撃がボーンズの眉間を狙う。
当たった! はた目にはそう思わせるような一瞬だった。
しかしボーンズは僅かに身をずらし、貫く剣先を紙一重で躱した。
シービックは手を止めない。
素早く槍を引き戻すと二の突き、三の突き、払い、石突きでの奇襲、足払い、そして突き。
彼は決して並みの使い手ではない。
優美さのない、地味で、武骨で、どこまでも基本に忠実な槍捌き。派手になりがちなこの世界の戦闘において、長い得物にもかかわらず決して目立たない。
槍捌きはもちろん経歴も特筆すべきところは無く、彼の性格としても落ち着いているため、注目を集めることなくシルバークラスに納まっている。
しかし彼を知るもの。特に共に戦ったことのある者であれば分かるであろう。彼の実力がそのクラスの通りでないということを。
ここに一人、それが分かる人間がいた。
彼はシービック以上の才能を持ち、クラスとしてもシービックより上のゴールドとして“鷹爪”の二つ名も得ている。
そんな実力者たる彼だが決して慢心せず、たとえ格下でも見下さず、力のある人間であれば誰であれ敬意を持ち接している。
そして目の前には敬意を表すべきハンターが一人。
ここまでのダンジョン攻略で、どちらかと言うと荒っぽい見た目や喋り方とは違う、慎重かつ細やかで、慢心も油断もしない姿を見てきた。
戦いにおいても、地味ではあるが相当な槍術も目にしてきた。
そして評価として、彼の実力はゴールドとしても十分通じると感じていた。
故に、彼とボーンズとの戦いを見て、冷たい汗を感じていた。
突きを放つたび、その直線状の離れた位置にある木々が、余波で螺旋状に抉られている。連撃も速く、重く、もし彼と自分が戦っていたとしたら、負けはしないだろうが苦戦は確実に見えた。
しかし、ボーンズはこともあろうに、抜いた剣を1度たりとも使っていないのだ。
シービックの連撃を、それはまるで決められた通りの型をやるかのように、全て紙一重で躱していく。
自分にそれができるだろうか……背中を汗が伝い、拳は硬く握られる。
まるで予定調和の演舞。いつまでも続くように思えたそれが、不意に崩れる。
痺れを切らした……いや、体力の限界を感じたのかも知れない。とにかくシービックが、槍の連撃の後、ボーンズの体目掛けて槍を投擲した。
初手の突き同様稲妻のようなそれは真っ直ぐボーンズに向かい、意表を突かれたような表情をしつつも、紙一重で躱す。
そして身をズラしたボーンズに向け、刃が迫る。それは、シービックが腰に装備していたショートソード。
居合で走る刃は、僅かに隙を見せたボーンズの首元に振るわれる。
「……やっと、やっと剣を使わせてやったぜ」
シービックが目を細める。
彼のショートソードはボーンズの首に触れる前に、彼の剣、その護拳によって止められていた。しかしシービックは、心底嬉しそうな顔をする。
「あんたを驚かせてやった。それで俺の目的は果たせたってもんだ。ここからは、どこまで食らいつけるかだ!」
シービックが剣を打ち払い、地面に突き立っていた槍を引き抜き、再び突きを放った。
しかしそれは、ただ空を切るだけだった。
(いない!)
「ここだ」
シービックの心の声に答えるように、彼の真後ろから声が聞こえた。そして、背に冷たい針が一本刺さる。
「シービック、そこまでだ!」
ノアールが声を上げる。
シービックは目を瞑り、そして深いため息を吐くと槍と剣を手放し両手を上げた。
「俺の負けだ」
背に当てられた剣先が静かに離される。
「さすがだよ……これでもちょっとは強くなったつもりだったが、それでこそあんただ」
振り向いて、一瞬嬉しそうな悲しそうな顔を見せるとノアールの方へ向かう。
「見事だ」
「あんがとよ。あんたも頑張れ」
短く言葉を交わすと、ノアールが入れ替わるようにボーンズへと向かってくる。
シービックはその場にどっかりと座り込み、木に背を預けた。
両手を見ると震えている。それは決して戦いで体を酷使したからではない。
負けた、それも完敗だ。悔しさはある。しかし、心は満たされたていた。熱いものがこみ上げ、胸を焦がす。
「燃え尽きたぜ……真っ白にな」
静かな森に不思議と響く、シービックの呟き。それは二人の耳にも届いた。
ボーンズと対峙するノアールは次の瞬間、意外なものを目にする。
(こいつ、震えてるのか?)
目の前の強敵が、何故かカタカタ音をたてながら身を震わせていた。
(まさか怯えてるでもあるまいし……武者震いか。であれば光栄なことだが)
「真っ白にって……じょ……」
ボーンズが俯いて何か呟いているようだが、何を言っているのかよく聞き取れない。
彼は油断せず、むしろいつも以上に身を引きしめ剣を抜いた。
その剣は、反りを持ち鋭い片刃を持つ刀。奇しくも、ボーンズと同じサーベルである。
剣を構え、魔力を練る。
それに気づいたのか、ボーンズが顔を上げる。その体にもはや震えはなかった。
「うぉぉぉ!」
ノアールは剣を腰だめに構えて吠える。
そして、地面を凹ますほどに踏み込み、一気に加速し斬撃を放つ。それはまるで、先程のシービックをなぞるように。
当然ボーンズは躱す。それは間合いギリギリ、切っ先が触れるか触れないかの紙一重ではなく、斬撃の線から逃れるように身をよじってみせた。
ノアールは隙を作らぬようコンパクトに斬撃を繰り返すが、彼は決して切先の線上には入らない。
「初めてだよ、この技を初見で見切るやつは」
「ああ。少し驚いた。我もまだまだ未熟者だな」
「よく言う」
ボーンズの背後、ノアールの剣が振るわれたその先、森の木々が切り刻まれていた。
「斬撃を飛ばすのか。面白い技だ」
「ああ、おかげで鷹爪なんて二つ名を貰っている」
「なるほど、興味深い。もう少し見せてもらおうか」
「ほざけ!」
再び、ノアールが切り込み斬撃を放ち続ける。
シービック以上の技術、スピード、膂力で振るわれる剣は、一撃必殺の威力を持っていた。当たればただではすまない。
「これではダメか……ならば!」
ノアールが少し距離を取り、そこで剣を振った瞬間、地を蹴った。
「む」
ボーンズがノアールの剣撃を剣で受け止める。
すると、たなびくマントに、僅かに切れ目が入った。
「益々面白い。斬撃を重ねるか」
「気づいたか……その通り。秘技、鷹爪・十字斬り」
再び距離を取ったノアールが不敵な笑みを浮かべる。
(なんて奴だ。一直線の斬撃と違い、あれでは簡単には躱せない。しかも刃が交わった一点では斬撃の威力が2倍だ)
シービックが通り手に汗を握り、心で解説を思い描く。
「いつまで躱せるか。ゆくぞ」
今度は何度も剣が振るわれ、幾刃もの不可視の斬撃がボーンズに迫る。
(あの振るった剣から全て斬撃が出てるとしたら、無理だ、避けられない……いや、おいおいおいおい、いったいどういうことだ!)
ノアールが剣を振るう度、ボーンズはその体を時に屈み、時に跳ね、時に捻る。それはあたかも舞うかのよう。
(なんで見えてるんだよ。それに、たとえ見えたとしても全て躱すなんて尋常ではない!)
暫く続くかのように思えたが、先に限界を迎えたのはノアールの方だった。剣を振るう手が滞り始め、そこに隙が生まれる。
ボーンズがそれを見逃す訳も無く、一気に距離を詰めると斜め下から剣を切り上げた。
「くっ」っと息を漏らしつつ、ノアールはそれを剣で受ける。その時、剣を守るためにも後ろに跳躍し威力を殺そうとする……が、想像以上の斬撃の重さに、大げさに飛んでしまう。
一瞬呆けた顔のシービックが目に入るが、それはともかく、背後に迫る木を両足で受け、そのまま横方向に飛んでボーンズの左手側にスタっと着地してみせる。
シービックでも驚く、常識では考えられない身体能力。魔力によって身体能力を強化できるにせよ、これほどの動きを見せる人間はそう多くない。
しかしボーンズはそれにことさら驚いたそぶりも見せず、それとは関係なくふと何か思いついたような顔をする。
「そうだ名前……貴殿の名を教えてもらえるか」
「自己紹介がまだだったな。俺の名はノアール。ノアール・カークス」
「ノアール・カークス、覚えておこう。知っていると思うが、我の名はボーンズ・オルランド。彷徨える骸骨と呼ばれている」
「ああ。それじゃ、二度と俺の名を忘れないよう、その身に刻んでくれよう!」
「ははは、面白い……来い!」
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