第2話「あの娘は今日」
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「セッションしない?」背中にエレキギターを背負った茅場みのり(かやば みのり)がそう言った。
「私、楽器やったことないんだけど」と私が言ったのは放課後の廊下だった気がする。
「軽音部から追い出されちゃってさ、でも文化祭にはどうしても出たくて。お願い。この通り」と土下座する勢いだったので私はそれを止めさせて「でも二人で何ができるの」
「ベースやってくれればいいよ」
「簡単に言うけど、文化祭まで二カ月もないじゃない。それに楽器はどうやって手に入れるのよ」
「ベースなら兄貴のを貸してもらえばいいから大丈夫」
「・・・壊しても責任とれないわよ」
「大丈夫。美少女に壊されるなら兄貴も本望でしょう」どういう理屈だ、と思ったけれど、流されるままに私は、みのりとコンビを組むことになった。
彼女がなぜ私に声をかけたのかは知らない。
なぜ文化祭にこだわったかは後でわかったけれど。
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私たちは夏休みに出来るだけ練習した。
主に学校で練習した。
誰もいない教室は暑かったけれど、時折吹く風が心地よかった。
音楽の道具はみのりが全部用意した。何でも彼女のお父さんが音楽好きで若い頃からバンドをやっていたらしい。その影響で兄妹揃って音楽好きになり、お兄さんは大学で軽音部、みのりも小学校の頃から大人に交じってギターを弾いていたらしい。
彼女の的確な指導のたまものか私に才能があったのか夏休みの終わりにはベースは中々の仕上がりになった。
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「後二週間だね」とみのりが言った。
「大丈夫かな」
「大丈夫。キサは才能あるよ」
「いや。みのりは良かったの?」
「なにが」
「私なんかで」
「こういう言い方はあまり良くないけど。他に手がなかったら」
「確かにいい理由じゃないね」
「でもまさか、ここまで上達するとはね。キサは文化祭の後もベース続けた方がいいよ。きっともっとうまくなる」そこまで持ち上げられると照れる。私は空を見上げた。
空は夏の終わりを感じさせるきれいなオレンジ色だった。
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「どこ行ったんだろう」文化祭当日。私たちの出番が近付く中、みのりが姿を消した。まだ時間はあったけれど、私は打ち合わせしておきたかった。
「電話にもメールにも出ないって。何考えてるのよ」と一人愚痴りながら校内を探した。
どこにもいない。
あらかた探し終えた時、ある事を思い出した。そうして駆けだす。
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「まさか、開いてないよね」と言いながら、そうっと扉に手を描けると音もなく扉が開いた。
「・・・」そこは屋上の扉。
夏休みに一回だけみのりに連れて行ってもらった場所だ。
私は息を殺して扉を開け、ゆっくりと締めた。足音を立てずに歩きながら彼女を探す。
遮蔽物が少ないので扉のあった場所から離れないようにして辺りを見渡す。すると、居た。
「・・・」誰かと一緒だ。
うちの学校の男子。という事くらいしかわからなかった。その後のシーンに私は目を奪われたからだ。
キスしていた。
二人は。
私はすぐに扉から出て屋上を後にした。
走って体育館まで行って。ベースを持った。そして一心不乱に曲を弾いた。
みのりは今、どうしているだろう。
みのりは今何をしているんだろう。
そんなことばかりが頭をよぎった。
彼女は結構かわいい。彼氏くらい居てもおかしくない。そんなことはわかっていると頭は言っているのに、心がそれを拒否した。
この夏。
みのりを一人占めしていた私はいつの間にかみのりを自分のものだと思うようになっていた。
キスをしていた彼女たちの映像を頭から消そうとしているのに。消えない。
彼女は今頃。
知らない男と仲良下げに話しているんだろうか。
文化祭にどうしても出たかった理由って彼氏に見せたかったから?
だとしたら。
私は道化だ。
彼女を自分のものだと思っていた。独りよがりの。
気付くと、私たちの出番まで十分になっていた。
「遅くなってごめんね」とみのりは普段通りに声をかけてくれた。私も普段通りを心がけて応えた。
「もう、電話もメールも出ないでどこ行ってたのよ」
「ごめんごめん。中学の頃の友達といてさ」そんな嘘をつく彼女に失望した。
勝手に期待して。
勝手に失望する。
自分が彼女にとって代えの効くサポートメンバーなんだと思うとみじめな気分になった。そんなことはないと思いたかったけれど。
私たちの出番になった。
舞台に上がる。
照明がまぶしい。それが緊張を飛ばしてくれた。
人もまばらな会場。熱気もない。
緊張が肩透かしを食らう。
妙に頭が覚めて、冷静な自分がいることに気付いた。
逃げちゃえ。
と私が言った。
失敗しちゃえ。
と私が言った。
でも、と
「行くよ」とみのりの声がして自然に体が動いた。
この夏の光景が、指先の動きともに思い出される。
流れる旋律が、生まれる音楽が楽しかった日々を、充実した毎日を再生する。
視界がにじんだ。
この会場のどこかに、みのりがこのライブを見せたかった誰かがいて。その誰かの前でしか見せない顔があって。そう思うと。
私は自分が見てきたみのりの笑顔が信じられなくなっていくのを感じた。でも、それが怖くて。私は音楽に集中した。
私には見せない笑顔。彼女の顔を横に少し見る。
彼女は笑っていた。
心底楽しそうに。
笑っていた。
その時。
何かに気付いた。
そうか。
そうだ。
私は。
何も卑下することはない。
と。
このライブの最高の特等席で。
この二ヶ月間苦楽を共にしたからこそ見れる最高の笑顔がそこにあった。
きっと、あの彼氏にも見せたことのない笑顔を。
私は見ている。
なら。
「応えなきゃね」それからは音楽に集中した。没頭して。時を忘れた。
気付くと予定の三曲が終わっていた。
拍手がまばらにする中で私たちはステージを後にした。
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「よかったよ」とみのりが言った。
「うん。よかったね」
「客の反応はイマイチだったけど」と残念そうに言うみのり。
「ねぇ、みのり」と私は言おうと思った。
多分これは、恋で。
あなたを困らせたかったから。
「なに?」と無防備な顔で返事をする彼女の目をまっすぐ見て。
「みのり、あなたの事が」
好き。
その距離は一メートル。
けれどやけに遠くに感じた。
呆けている彼女。
その彼女の横を通り過ぎて誰もいない方を向いて続けた。
「私、音楽続けるよ。ありがとう。楽しかったよこの二ヶ月。だからもう私に声をかけないで」
そう言って。私は、その場を後にした。
それが私の初恋の話。
あれから、女の子を好きになることはなかったから、同性を好きになったのはあれが最初で最後だったけれど、今でもたまに思い出す。
あの娘は今日。
私の知らない顔を誰かにしていて。
あの娘は今日。
幸せでいるだろうと思うと。
今でもたまに。
胸が痛む。
■了■
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