君と僕の話

白Ⅱ

第1話「月の下の思い出」

 月がきれい。

 だけど。

 今はそれよりも。

 「君が好きだよ」と言葉にしたかった。

 もうすぐ、お別れだから。

 「東京かぁ」遠いね、という声が溜息といっしょに空気に溶けた。

 広島(ここ)からじゃ、一体どうやっていけばいいのかもわからない。

 新幹線かな?それとも飛行機?

 いずれにしても。

 中学生には無限に思えるほどの距離だ。

 「高校卒業してさ、大学行くことになったら、私、東京の大学行くから」そう言うのが、せいぜいで、それが自分の限界だと思う事がどうしようもなく嫌で歯がゆくて。でも、それしか言えなくて。

 君は「うん」としか言わなくて。それが心細くて。私は言葉を続けたかったけれど、何も出てこなくて。二人で無言になった。

 すっかり日の落ちた冬の空の下私たちは、互いに月を見ていたと思う。学校の正門にはもう私たちしかいなくて、でもどちらも帰りづらくて、その場を動けずにいた。

 あの後、私たちはいったいなんて言って別れたんだっけ?

 あれから十五年。

 三十歳になった私は、約束通りに東京で暮らしている。けれど、あの時別れた君とは再会できなかった。

 つくづく思うのは、あの頃に携帯電話があればってことだった。

 いや、携帯電話自体はあったけれど、まだ学生が当たり前の様に持っているって時代じゃなかった。まして田舎町の学生が持っているもんじゃなかった。

 手紙のやり取り、家の電話とかで連絡を取り合っていたけど、会えない距離はだんだんと決定的になっていった。

 何がきっかけだったか、今はもう思い出せないけれど、私たちは互いに連絡するのを止めてしまった。手を伸ばせば多分、届く場所に彼はいた。なのに、私はいつの間にか彼のことを空想とかおとぎ話の中の存在のように感じるようになっていた。

 だって、声は聞こえたけれど、手紙でやり取りしてたけれど、実際には見えないんだから。触れられないんだから、それって幻みたいなものじゃないか。私は、何度か東京に行こうと思った。でも、やっぱり遠かった。高校ではバイトもできなくて。唯一東京に行ける望みがあるとすればそれこそ、大学受験くらいで。でもそれまで私は待てなかった。

 初めて彼氏を作った時、確かに罪悪感があった。でも次第に彼の事が過去になっていくのを感じた。きっと向こうも向こうで彼女をつくって楽しく過ごしているとかかってに考えて罪の意識を紛らわした。そしてそうしているうちに本当に何も感じなくなった。最初の彼氏と別れた時にはすっかり彼とは疎遠になっていた。電話はいつの間にかしなくなった。向こうからもかかって来なくなった。手紙も出さなくなって。向こうからも来なくなった。こういう事が成長というのなら。私は成長なんてしたくなかったかもしれない。でも私も彼も大人になっていく。それは止められなかった。

 進路を東京の大学にしたのは特に考えがあっての事じゃなかった。当然のように反対された。けど、適当な夢をでっちあげて何とか説得した。彼の名前を使ったのは半分本心で半分嘘だった。この街から出たかったというのが大きい。口実に使うくらい、もう彼との思い出は色褪せていた。

 大学受験の日私は久しぶりに彼に手紙を書いてポストに投函した。

 文面は短く「久しぶり。今度東京の大学に行くんだ」とだけ書いた。

 もし返事があったら。もし、電話があったら。携帯番号を交換して東京で再会しようと思った。都合のいい言い訳だ。すっかり思い出にしたつもりだったくせに、いざ会えるかもしれないと思ったら手のひらを返してこんな手紙を出して。何を考えているんだろうか。

 過去にしたつもりだった彼の事が頭によぎってはなれなかった。

 過去にしないと。

 思い出にしないと。

 先に進めない。

 そう思って。

 歩きだしたはず。

 なのに。

 私はまだ囚われたままだった。なのに確実な方法をとらずに運を天に任せるようなそんな中途半端な、これで会えないなら諦めようとか、今更会えるなんて都合がよすぎるとか考えてこんな不安定なやり方で試したのだ。私たちの運命を。子供じみているのはわかっている。けれど、あの時の私はそれしかできなかった。

 大学は無事に合格した。実家を出る日。ポストを見た。けれど、結局あれから手紙は来なかった。電話もなかった。

 これは天罰だ。そう思った。

 本当に彼の事が好きだったのなら。

 手紙を続けるしかなった。電話かけるしかなかった。アタリマエノコトダ。なのに。私は会えないつらさに耐えられなくて、会えないことが辛いという事を過去にしてしまえばいいという安易な選択に飛びついたのだ。その末路がこれだ。

 私は誰も待っていない何も知らない街に一人で向かった。

 あれから十年と少し、もう三十になる。ずいぶんと時間が経ってしまった。

 あれから何回か恋をして、結婚まで行きかけたこともあったけれど、結局どれもうまくいかなくて、こうして一人で家でお酒を飲んでいたりする。でも、今日みたいなきれいな月が浮かんでいる冬の夜はついつい散歩してしまう。ビール片手に。

 私はやっぱり。

 今でも君が好きなのかもしれない。

 あれから一度も逢っていない君の事を思う。

 携帯電話に一番最初に登録したのは君の家の電話番号だった。結局一度もかけなかったけれど。

 スマホを取り出し電話帳を開く。

 君の名前を見つける。番号が表示される。中学の頃は暗記してたのに今ではこうやってみないと分からない。

 私は発信ボタンも軽く触れた。呼び出しが始まる。スマホを耳に当てる。

 トゥルルル。

 トゥルルル。

 オカケニナッタデンワハゲンザイツカワレテオリマセン。

 こんな風にして私たちの縁は切れていく。

 この巨大な街で君を見つけるのはたぶん無理で。

 昔の事を思い出す夜はこうして君に届かない電話をかける。

 もう何度目だろうか。

 一体何回後悔すればいいんだろうか。

 ああ。

 神様。

 もう一度だけ。

 奇跡を起こして。

 あの人と出会わせて下さい。

 少しだけ残ったビールを飲み干し空を見上げた時、きれいな月が見えた。

 この街のどこかに居る、運命の人が。この空のどこかで同じ月を見ているあの人の事を思う。

 ああ。

 君に会いたい。

 ああ。

 君が好きだよと。

 言えればよかった。

 結局言えなかったから。

 今なら言える気がするんだ。

 遅すぎるかな?

 でも。

 逢いたいんだ。

 ああ。

 神様。

 もう一度奇跡が起こって、彼と会いたい。

 そう。

 思う。


■了■


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