肉への迸る愛を感じる、荘厳たる生命への賛歌
主人公の豪腕に殴られたような気分になる一作でしたw
初めまして、えくぼ えみと申します。
作品のタグにある「風邪引いた日に見る夢」というイメージは、その通りだと思いました。まるで白昼夢を見ているかのような感覚ですが、その内容は現実的。きっとこんな夢を見た日には、寝汗をかいて飛び起きてしまうのではないでしょうか。
近代的な世界を舞台に、牛は殴れば美味しくなる、という情報が拡散され実行されて行く中、ネオヴィーガンという存在が生まれた。
彼らネオヴィーガンの思想や主張も分からなくはない――。ですが、人は「肉」を食べなければ生きてはいけない。主人公の葛藤が物語を多く占めています。
特に印象深く残ったシーンは、ネオヴィーガンが彼を襲撃したところ。美味しくなるように牛を殴っていた拳は、ネオヴィーガンの樹皮を穿つ。殴る度に情景が過ぎ去っていく。廃業に追い込まれた同業者、ネオヴィーガンの血肉となってしまった同業者、アイドルは病院や墓場でピースサインをして極力ネオヴィーガンを刺激しないように振る舞うなど。
牛を殴る時の彼は、命を賭した真剣勝負のように、牛と己の一対一の世界にいた。この対比にそこはかとない虚しさが込み上げました。彼の拳は牛の為にあったはずだ、と私の中で解釈していました。
またしても、彼の中で変化が起きた。倒れたネオヴィーガンを捕食するキャッサバを見て、彼は衝動的にネオヴィーガンを食らう。
「ごちそうさま」、これ程までに重く尊い言葉はないでしょう。
ネオヴィーガンは元は人間です。遠回しですがカニバリズムになるかもしれません。見た目は人間とは変わってしまったかもしれない。思想も過激で人語を話す。
ですが、そんな彼らも食物連鎖の一部であったことに気づいた。
間もなくして、物語は何とも心にしこりを残す展開で締め括られます。
「牧草を食べていたから、つまりは牛も野菜」中略失礼します。
そのコメンテーターの言葉で、世界は一瞬静寂に包まれた。ネオヴィーガンの思想も、彼の牛を殴る行為も、彼らの肉を食らったことも、何もかも有耶無耶にされ、世界は安寧を取り戻す。主人公である彼の心境は、言葉に表せないものがあったことでしょう。だから、彼は今日も慈愛を持って牛を殴る――。
長文感想失礼致しました。現代にも少なからず通じる完全菜食主義との確執がやはり頭を過ぎりましたね。白昼夢のようだと思いましたが、これは新しい「食育」の解釈なのではないかと感銘致しました。
それと同時に最後の方に「ノーパンしゃぶしゃぶ疑惑!?めちゃくちゃ気になる!」と気が逸れてしまって、ちょっと気が緩んでしまいました笑 内容が気になった一文でしたね!
勝手な自己解釈を交えた感想文を送ってしまい、申し訳ありません。それ程までに素敵な作品でした。大切に私の心の中に刻みつけたいと思います。
重ねて感謝を!素敵な作品を有難うございました。
独特過ぎる世界観なのですが、全部リアルでした。
振りかぶる。振り抜く。
のくだりで、主人公の脳裏を掠め続けて来たすべてのこと。特に屠殺上でのピースサイン。ステーキ屋の前でやるのとなにが違うの? って思いますよね。結局人間が、本当に大切なことから目を背けて、マジョリティの輪の中に入ってマイノリティを殴りたいだけで、そこにはなんの知性も道徳も哲学も矜持もなくて。
命を頂くと言うこと。
草にも命があると言うこと。
そのテーマを、面白おかしい世界観で、ド真面目に描ききった作品は、もっと深く人々に知られるべきだと思いました。
色々と考えさせられる、素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
とんでもねぇ作品だ。
目が離せなくなって一気に読んでしまった。
他の作品はと作者ページに飛んだけれど、現在公開されているのはこの作品のみ。
新作、お待ちしてます。
読めば読むほど狂気度が上がっていく物語でした。
牛を草と表したあとの文章など、ぞわりぞわりと背筋が粟立っていきました。
感動した😭👏✨