繋がる視線と戸惑う心③



その夜は、長かった。

親たち全員が揃うのは久しぶりだったということもあり、花火が終わっても駐車場での宴は続き、私たち子供も冷えたラムネを片手にそれに付き合っていた。



「陽太。ビール切れたから瀬田さんとこで買ってきてくれないか」

「えーっ、自分で行けよ」

「アイスも買ってきていいから。ほら、行ってこい」

「アイスって俺を何歳だと思ってんだよ。なぁ?夕海」



いい具合に頬を赤く染めた陽太のお父さんと、眉間にしわを寄せている陽太の顔。


そんな二人の顔を交互に見て、私は口を開く。



「本当、陽ちゃんおじさんに似てきたよね」

「はぁ?やめてくれよ」

「なんだその言い方は。親子なんだから似てて当然…」

「はいはい、わかったわかった。瀬田まで行ってくるから黙って」

「おい、なんだ黙ってって」



ムッとするおじさんをさらっと無視した陽太は立ち上がって私に言う。



「夕海、おまえもついてこい」

「えっ、私も?」

「アイス、好きなの選ばせてやるからさ」

「ふふっ、はいはい」



何歳なのよって、心の中で思いつつも椅子から立ち上がり、陽太の従兄弟である子供たちと花火をしている駿たちを残し、陽太と二人で瀬田に向かった。


瀬田というのは瀬田酒店という酒屋さんで、歩いて五分くらいの場所にある。


未成年にお酒を買いに行かせるなんて正しい大人がすることではないけれど、瀬田の店主であるアキラじいちゃんは陽太のお父さんと長い付き合いで、昔から夏祭りになればこんな風に私たちがおつかいに出向くこともあり、普通に買うことが出来る。



とはいえ、幼かった私たちももう十九歳になった。



「お、陽太と夕海も酒飲むようになったか?」



だから久しぶりに顔を合わせたアキラじいちゃんは私たちの顔を見るなりそんなことを口にして。



「違う違う。親父たちの酒だよ。冷えてるビール、大きいやつで十本くらいもらえる?」

「ははっ、そうか。ちょっと待ってな」



陽太の言葉を聞くと、懐かしい笑顔で袋にビールを入れ始めた。




子供たちのアイスも店内の冷凍庫から人数分選び会計を済ませると、外まで見送ってくれたアキラじいちゃんに手を振って歩いてきた道をまた戻った。



「しっかし夜になってもまだ暑いな」

「そうだね」



陽太のお父さんの運送会社までの間にひとつだけある信号。

普段は夜になればひと気も少なく赤信号でもさっと渡ってしまえるような場所だけど、今夜は夏祭りがあったせいで車も人もまだ多く見られた。



「でも、なんか懐かしいよな。この光景が」

「うん…懐かしい」

「こんな日が戻ってくるなんて、なんか…うまく言えないけど、嬉しいよ、俺は」



赤信号で立ち止まっていた私たちは、そんな話をしながら行き交う車をぼんやりと見つめていた。


嬉しい。確かにそう思う。

賑やかな町を笑顔で行き交う人たちの姿を見て、本当に心からそう思う。


でも、ここに海斗がいたら。

海斗も一緒にいてくれたら。今日という日が、どれほど嬉しかっただろう。


一緒に見たかった。

一緒にいたかった。


目に映る景色全てを一緒に…感じたかった。




目の前の信号が、青に変わる。

と同時に、強く吹いた生温い風。

目を細めた私は、狭くなった視界の中を陽ちゃんと一緒に歩き出した。



「…っ」



だけど、次の瞬間。

前方からこちらに向かって歩いてくるその人の姿を見つけた私は、思わず立ち止まりそうになった。


どうしよう、さっきの人だ。

隣には、先ほどあの人に抱きついた私に向かって怒りを露わにした女の人もいる。


偶然にもまた会ってしまうなんて…困るタイミングだ。


慌てて視線を落として歩みを進める私の隣で、同じようにその姿に気付いたらしい陽ちゃんからは、声にならないような声が聞こえる。



「…かよ」



その声に気づかないフリをして、黙って進む。

そしてそのまま私たちは、目を合わせることもなく静かにすれ違った。



でも、すれ違って数秒。

ほんの一瞬だけ後ろを振り返ると、何故かあの人もこちらを振り返っていて。


私たちの視線は、繋がっていた。




だけどそれは、本当に一瞬で。

ほとんど同時に、お互いまた前を向いて。


目が合ったといっても、一秒にも満たないほどの短い時間だった。



「…あのさ」



横断歩道を渡りきり、歩みを進める私の横で陽ちゃんがそう言って立ち止まる。

でも私は、歩く足を止めなかった。



「夕海!」



駆けてくる足音と、強く掴まれた腕。

動けなくなった私の前に陽ちゃんが回り込む。



「今の…」

「びっくりしたでしょ」



明らかに動揺している陽ちゃんに、精一杯明るく言う。



「そっくりさん大賞とかそういうのがあったら、絶対グランプリレベルだよね?」



そう問うと、唇を噛み締めた陽ちゃんはうつむき気味に口を開いて。



「…あぁ。正直、あそこまで似てるとは思ってなかった。さっき話を聞いた時は、海斗を忘れられない夕海の思い込みで、海斗に見えただけなんじゃないかって…そう思ってたけど。ごめん」

「えっ?」

「俺も、本当にあいつに見えた。海斗だって、錯覚したよ」



陽ちゃんはそう言うと、真っ直ぐに私に向き合って。



「三年経ってやっと。やっと、キセキが起きたのかなって…海斗が帰ってきたって、そう思ったら…」



泣きながらしぼり出すような陽ちゃんの声が、切なくて痛い。

あの夏、みんなが泣いていても、陽ちゃんだけは決して涙を流さなかった。


暗く沈んだ私たちを笑わせるように、いつだって明るく優しく、励ますように振舞ってくれていた陽ちゃん。


そんな陽ちゃんが、今、目の前で泣いている。


声を震わせ、肩を揺らし、小さな子供みたいに、泣いている。





揺れるその肩に、そっと触れた。



「…っ、ごめん。俺、何で泣いて…っ…」



次から次へと溢れ出る涙に、やっと気付かされた気がした。



陽ちゃんは、今まで泣かなかったんじゃない。

きっと、泣けなかったんだ。


信じてくれていたんだ、私と同じように。

海斗は、きっとどこかで生きている。

そう思ってくれていたからこそ…キセキが起こらなかった今、涙が溢れてきたんだと思う。



海斗にそっくりなのに、海斗じゃない。


それならいっそのこと、目の前になんて現れてほしくなかった。



ねぇ、神様。


そう思ってしまうのは、間違っていますか?



海斗に似たあの人さえ私たちの前に現れなければ。

こんな想いも、こんな涙を流すこともなかったはずなのに。


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