20. 変身ヒーローは電マの夢を見るか? -(2)

「それは電マよ」


 ママが言った。余計なことを言った。


「電マ? なんだそれは」


 優月が拾った。余計な言葉を拾った。


「うーん……健康器具というか……」


 一応女性として口ごもったママ。


 俺は崖っぷちギリギリで前輪を落としながらも、済んでのところで停車出来た運転手の心境だった。

 助かった、と。


 すっかり失念していた。


 俺の隣には常軌を逸した変態存在、ワイセツ概念が鎮座していたことに。

 そいつが白いスクーターに乗って後ろから追突してくることに。


 アキラは電動マッサージャーを取り上げると流れるような動作で足元のコンセントに電源コードを挿してスイッチオン、よりにもよって俺の股間に暴れまわる球体部分を容赦なく押し当てる。


「ひゃあああああ、あんあんあんっ!」


 認識の外から襲い掛かった辱めに自分でも聴いたことの無い女の子な声をあげてしまい、不用意に店内を騒然とさせ、俺はアキラの猛攻をがむしゃらに振り払った後、思いのほか察しの良かった優月に腫れ上がった頬を今度は拳で抉られることになった。


「やっぱり貴様か! ベルトに触るだけでなく入れ替えていたなんて! 誤魔化そうとしたのか!」


「す、すみません……!」


「金にでもするつもりだったのか……!? 適合者の手に渡ったようだから良いものを……詐欺師で盗人のゴミ虫め!」


 存在=ビンタ

 まあいいか事案=パンチ

 煩悩ベルトの吸収=?


 単純計算でいっても年齢制限R-18Gになりかねない事案が発生する……。

 俺は恐怖に啜り泣きながらテーブルの下にうずくまることにした。


 ヴーン。

 意気阻喪いきそそうの俺に、唸りを上げる電動マッサージャーを掲げながらアキラが「すまない、後ろから優しくするべきだった」などと話のピントがずれている上に、心底薄気味悪いことを言った。

 腹の立つことに自分が被害者だと言わんばかりの若干しゅんとした様子で、岡持ちを持ち上げる。


「さて、僕はそろそろ仕事に戻ろう。また店長に怒られてしまう」


「アキラ、てめえ覚えてろよ……」


 するとアキラはしゃがみ、テーブルの下の妖怪と化している俺に視線を合わせる。

 じーっと見つめる。

 しゅんとした表情が晴れて、唇を噛み締めると「君がそう呼んでくれるなんて、嬉しいよ」と穏やかに微笑んだ。


「僕の名前はアキラ・アイゼン。長い付き合いになるといいな」


 くそ、てめえ。

 その顔だから許されていることが山ほどあることを自覚しろ。


 黒髪の三つ編みをピンと指で弾いてきびすを返すと颯爽と廊下を去っていくアキラ。

 その後ろをアケミ、ウンケミ、その他店員女性客と列を成していく。

 また気障に髪でも掻き上げたのか黄色と黄土色の声が上がって、ようやく裏口の扉が閉じたようだった。


 アキラは存在自体が五月蝿い。

 ママの言ったとおりである。


 さて。

 優月のスカートの中の深淵と再び交信を試みたが感度が悪く、あまつさえ蹴りまで飛んできたのでやっとのこと俺は頭を上げてまた座りなおすことになった。


 俺が尽くせる手は尽くした。

 煩悩ベルトを狙っていた黒服はどうやら手を引いたようで、優月を追う者は表面上はいないといえる。


 もし狙われるとしたら、俺のほうだろう。


 とにかく「お前はもう安全。良かったな」と、そう言えば全部おしまいだ。

 あわよくばは……この様子では、無いだろう。


 鳴滝豪はもうこの世にいなくて、俺はその息子でっていう話は、きっといずれわかってしまう。

 だから彼女の身の上が落ち着いた頃にでも判明すればいい。

 今ここであてつけがましく言うのは粋じゃない。


 本当は言うのが怖いだけだけど。


 じゃあ俺もそろそろお暇しようか。

 その前に、オカズ用として優月のセーラー服姿でも写真に――。


「あ、そうだ。お蝶があんたの忘れ物もってきたんだったわ。裏に置いてきちゃった。取ってくるわね」


 そう言って立ち上がるママ。


 ちょっと待ってくれ、この状態で置いてかないでくれ。

 今かっこよくジャケットを翻して秘密を胸に去っていくタイミングだったのに。

 ……ともいえず、俺は引きとめようとした手を引っ込め、巨体を持ち上げたママを見送った。


 優月はママに勧められたカオマンガイをぱくぱくと口に運んで静かなものだった。

 許してくれたわけではなさそうだ。


 何度か拳で抉る事で発散されたのなら……それで、良い。


「優月さん、本当に……ごめん。出来心っていうか……」


 この際である。

 せめて袋を開けた経緯の部分だけでも正直に謝っておこうと、俺は恐る恐る――アキラの言う通り心を裸にして謝罪の言葉を探した。


「申し訳ない! 殴ってスッキリするなら、反対側も……いや、すっげーいいパンチ持ってますなあ! あ、は……ははははは! ああ、いや、話そらすのいけないな。ごめんなさい! どうにかお許しいただけないでしょうか!」


 もぐもぐ。

 ぱくぱく。


「優月さん……?」


 もぐもぐ。

 ぱくぱく。


「優月さーん……」


 もぐもぐ。

 ぱくぱく。

 もぐもぐ。

 ぱくぱく。


「…………」


 存在が、無かったことになっている……。


 これは……。

 キツい。


 テーブルの些細な模様に視線を落とし、足をそろえて手はお膝。

 借りてきた猫の皮を被った置物と化した俺は、丁寧に呼吸すること以外に出来ることを失っていた。


 チッ。

 ありがとう、くらいあってもいいだろ。

 本音では、そりゃあもっと……いろんなことを期待していたけど。

 お前だってちょっとくらい俺のこと、いいって思ったんじゃないのか……?

 俺は、最初からベルト目当てじゃなくて……。

 ただの性欲だって言われてしまえば、そりゃあそうなんだけど。


 なんだ、その。

 せめて友達からとかさ……あんだろ。


 …………。

 あーあ。

 こんな愛想の無い女、もう二度と助けない。

 助けてって泣いて叫んだって知らない。

 俺には関係ない。

 彼女は他人なんだ。


 そういうことに、しておこう……。


 頭の中で悶々と文句が、文句が募った。


「ほら、これ」


 暗澹あんたんと曇る俺の視界、突然テーブルに広がったのは華やかな色合い。

 松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰――花札で言う光札。


 顔を上げるとママが唇の端を吊り上げて「これでまたイカサマを働けるわね」と体格に似合わぬ妖艶な仕草でタバコをふかし長く紫煙を吐いた。

 相変わらず、まるで鳴滝豪に言うように。


「イカサマじゃあないっす」


「その言葉があいつのまんまなのよ」


「……俺は、俺っす」


「あら、失礼」


 札を手元に纏めて胸ポケットに仕舞いこむ。

 席を立ったところで流石に優月の目もちらりと向いて、視線が通う。


「そいじゃ――」


 あばよ?

 またな?

 いいや、そんな中途半端は無しだ。


「――さよなら」


 優月から返事もなく、ただ視線が背中を追っていたのを感じていた。


 華武吹町は狭い。

 彼女がここに残るのであれば、きっとすれ違うことはあるだろう。

 そのとき、俺は彼女のことを心の底から無視できるかというと……難しい。

 けれど、優月には、きっと簡単に出来る。


 じゃあ。

 だから。

 別にいい。

 仕方無い。


 アキラと同じく裏口から出て行こうと、俺はトイレの横を抜けて三段ほどの階段だけが導く裏口のドアを握った。

 その瞬間、俺はドアというものの重みを知った。


「……は?」


 ぞおん、という出所不明の音と共に視界いっぱいにクリーム色の粉塵が舞い込んできて、俺が出ようとしたとなる。

 つまり俺は、古いコント番組のようにドアノブだけを持ってドア一枚を支えていた。


 店内に悲鳴が響いて振り返る。

 丁度、夜風が吹き込んで――しかし割れた電子音に似たその声で、何が起きていたのかすぐにわかった。


「呪われし器よ。貴様は好餌だ」


「――な、なんだお前!?」


 優月の、驚きと怯えにひっくり返った声。


 粉塵が風に拭われ姿を現した馬頭観音ハヤグリーヴァに、さらに混乱の金切り声が立ち上る。


 ハヤグリーヴァの太い指は優月の首を掴み上げており、一方、優月その馬面に容赦なく電動マッサージャーを何度も振り下ろしていた。

 彼女の、口先の印象以上に肝が据わっていて剛毅な反撃と格闘も刹那、さらにハヤグリーヴァの指が首の肉に食い込む。優月は呻き声と共に攻撃を弱め、首を掴んだ太い指を引き剥がそうともがいた。


 彼女の抵抗を意に介さず、不恰好な馬頭の身体が翻り舞う粉塵を巻き上げて姿勢を低くすると――!


「待てぇえいッ!」


 野太く響き渡ったおとこの声。

 粉塵から現れたのは猛牛殺しの源三の顔をしたママだった。


 お構いなしに突撃したハヤグリーヴァのラリアット。


 どぅむっ、と重低音を上げ両手で押さえ込むママ。


 その瞬間、筋肉の隆起が起こり薄紫色のドレス生地が断末魔を上げながら左右に引き裂かれていった。

 丸太のように膨れ上がった足がわずかに下がったかと思うとタイル張りの床はひびを走らせ破片を巻き上げながら深く窪む。


「ぬぬおぉぉぉおおッ!!」


 ママは――猛牛殺しの源三は顔面に青筋を浮かべ、雄たけびをとどろかせ、白目をむきながら耐えていた。


「や、やめなさいよっ、このお馬ぁ~っ!」

「そうよそうよ、ママにひどいことしないでぇ~!」


 後ろからぽこぽことアケミとウンケミが引け腰ながら猫パンチで叩いたりお絞りを投げたりと気持ちばかりの抵抗を試みている。

 ママの奮起ふんきに比べて力になっているとは思えず、ハヤグリーヴァの眼中にない。


「馬野郎っ!」


 俺もドアを目いっぱいにぶん回し叩き付けたつもりだったが、それさえ効いていないといった様子だった。

 ならラリアットを受け止めたママの力はどれだけなんだ!


「優月!」


 俺は手を伸ばす。

 一瞬、バツの悪そうな顔をしたが彼女も腕を伸ばした。

 手の平が触れ合う。


「人の身ごときが」


 だが、そこでとうとうハヤグリーヴァの肩がママを押し払った。

 巨体が露のように飛び、壁に衝撃を物語る亀裂の花を咲かせ、中央に脱力したママが貼り付けられる。


「が、はっ!」


「ま、ママぁ~っ!」


 そして、馬の陰は再び姿勢をとり、次の瞬間にはハヤグリーヴァはひとっ跳びに夜闇の中に消える。

 結果、俺と優月は互いの指先を弾いただけだった。


 ほんの、数十秒の出来事だった。

 成す術も無く、彼女は奪われていった。


 風が吹き込んでくる。

 何を考えたら良いかもわからず――だからこそ俺は粉塵を振り切りながらハヤグリーヴァを追い、月下に走り出していた。

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