21. Power of LXvX -(1)
変身ベルト――煩悩ベルトは語りかけてこなかった。
それでも俺は路地裏を通っているうちに「助けてくれ」と遮二無二見えない何かに拝み倒した結果、いつの間にかサーキュレーターが回る遠心力を感じて、そのまま禍々しいヒーロースーツにコーティングされていた。
深夜三時過ぎ。
東の空は透き通るような青を灯している。それでも人の通りは止まない華武吹町。
飛ぶように走り、騒ぎを聞きつけ、再び馬頭観音ハヤグリーヴァと対峙したのは、奇しくも俺が仕留めそこなったその場所。
一丁目大通り。
仕切り直し、二回戦目となる。
先ほどの破壊跡にはキープアウトの黄色テープが張られて警察の捜査が入ったように見えたが人員の姿はない。
ハヤグリーヴァの姿を見て逃げ出したのだろう。
乗用車を吹っ飛ばす暴れ馬、猛牛殺しの源三と呼ばれていたママでさえ数秒抑えるのがやっとというバケモノ相手に正義感を見せ付けるようなお巡りさんでは、華武吹町では命がいくつあっても足りないし、責任もいくつとったらいいかわからない。
逆にオーディエンスは、なんだなんだと面白げに足を止めて傍観姿勢。
自分事なら一目散で、他人事なら簡単に集まってくる。
自分は可愛い、他人はどうでもいい。
まったくまさしく華武吹町だ!
「ボンノウガー!」
ハヤグリーヴァの脇に抱えられた優月。
電動マッサージャーの電源コードで両手を縛られており、身をよじるも抵抗になっていなかった。
期待半分、不安半分、唇を噛み締めた表情は鳴滝禅を見る目とは大違い。
見ているのは、きっと鳴滝豪だ。
好きでも嫌いでもなかったオヤジにだんだんと苛立ちが募ってくる。
そんな中、ハヤグリーヴァが温度のない言葉を淡々と放った。
「きたる救済の宿命からは逃れられぬということだ。煩悩の化身よ」
「おうよ、今度こそ仕留めてやるからな……いつまでもぶら下げてる汚ねえモンを仕舞う準備しとけ!」
俺の言葉の途中からハヤグリーヴァは早速、指を顔の前に立てる。
どことなく、背負った後光が強まっているような印象だった。
竹中が薄まっているのか……?
「何故、そこまで救済を拒むのだ。現世は欲望と苦悩に溢れている。貴様とてこの世の不条理を
「どれだけ耳に馬の念仏が入ろうと、はいそうですか、ってなるかっつーの!」
俺はゆっくりと拳を閉じる。
骨とスーツが軋み、空間の余地なく握りこんだ。
次に重心を丁寧に移動させ、力の限り地面を――蹴った。
どぷん、とアスファルトが波打ち歪んだ衝撃が、身体を走る。
その瞬間には、俺の拳はハヤグリーヴァの横っ面に食い込んでいた。
不自然な弛みを見せる栗毛の顔面。
「な……」
だが驚嘆したのは俺のほうだった。
食い込んだ拳はそのまま。
ハヤグリーヴァには全くダメージがなく、むしろヤツの拳が俺の顎に刺さって打ち上げられていた。
脳という筋肉組織で重力を感じた。
飽和した意識が再び集結してピントを合わせる。
俺の身体はまだ中空を浮いていた。
目の前がスローモーションで展開する中、宙で身体を捻り、蹴りを横薙ぎに放つも軽くいなされる。
俺がパンチをブッ込んだ、数時間前の動きとまるで違う……!
「浅い。最早この身体は我が物同然。強制救済を担う我の力が貴様のような煩悩に屈するはずが無い。我は煩悩を狩る者ぞ。貴様を
ハヤグリーヴァは、そこで初めて……歯をむき出しにして笑った。
それは不気味な歪みだった。
そもそも馬が笑うはずがないのだ。
不自然な
口の両端いっぱいにシワを弛ませて頬骨を持ち上げると、黒目を見開く。
「くわえて我が手中には女がいるのだ。貴様は真言を放つことが出来ぬ。今度こそ女を辱しめてやろう」
成すすべなくただ構えているだけの俺に、ハヤグリーヴァは大きな眼球をぎょろりと向け、そして高らかに
勝利の雄たけびの如く。
我関せずの他人事で見ていただけのオーディエンスも、ハヤグリーヴァという奇奇怪怪な存在に薄気味悪さを覚えたか、次第に賑わいを曇らせた。
ブルルルル、と口から唾液を飛ばし、俺も、この街をも嘲笑う馬頭観音ハヤグリーヴァ。
諦めや絶望を誘う神々しい影は――だがその目に、鮮やかな色を捉え、耳を倒し、笑みを強張らせた。
松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰。
それは俺が掲げた隠し札だった。
怒りの呼び水に目を見開いたハヤグリーヴァは、とうとう口元の表情を落とし、乱雑な動きで花札を掲げた俺の手を払いのける。
「ウ、う……」
長い鼻を撫でながら、たてがみを振り乱し、人として呻き、獣として唸る。
「五光十文……! 勝負はついたぜ! 特選いちご大福、いくつだっけね?」
そして人とも獣ともつかない、葛藤を振り払う咆哮がビルの隙間まで染み渡り駆け抜けていった。
「イカ、サマぁ……っ! 許さん、ぞおぉ……!」
泡を吐きながら歯を噛み締め威嚇する。
ひえええ……。
これはこれで恐ろしい……。
どの道、ハヤグリーヴァも竹中も俺をコテンパンにしたいのだから。
ハヤグリーヴァは――いや、もしかしたら竹中は――頭を抱え、身を捩りながらも俺に飛びかかろうと狙いを定めている。
はてさて、こいつぁどうしたもんか。
もしかしたら悪手だったのか。
そんな中だった。
「ゆるざん……ゆるざ――」
ハヤグリーヴァの身体が前のめった。
フルチンフルスロットルな股間に、優月が振り下ろした電動マッサージャーを叩きつけられていた。
どれほどの力が加わったのか想像が追いつかないが、両手持ちのナイススイングに耐えかねて電動マッサージャーの先端が吹っ飛ぶ。
「……ッ!」
溜まらずハヤグリーヴァだか、竹中だかは、彼女を振り払った。
両手を縛られた優月の身体はその怪力に成す術もなくアスファルトに打ちつけられ、さらにバウンドさえして投げ出された。
十数メートルのところでようやく止まり、咳き込みながら彼女はなんとか顔を上げる。
当然、彼女を気遣って前に出てくる者などいない。
好奇の目。
迷惑そうな目。
それだけを投げて寄越していた。
見越していたといわんばかりにハヤグリーヴァは笑い仰け反る。
やや苦しげな濁りを残すものの、すでに機械的で抑揚の無い声色に戻っていた。
「これがこの都の
「んなこたぁ、俺が一番わかってんだよ!」
ワンステップで優月の前に出た俺は軽く肩をすくめた。
「お前の言う通り、この街で善意なんか期待できねえ。『助けてやる』とか『救ってやる』なんつって近づいてくるヤツは詐欺師か何かだ! 信用出来るはずもねえ! それが観音様でもな!」
なっ、優月!
――なんて言っておいて正体バレたらどうなることやら。
「そんで、俺は自己満足でここに立ってるだけだ。綺麗ごとは知ったこっちゃねえ」
「酔狂め」
もはや舌戦無用、永久平行、互いに力ずくしかない。
「ならば救済だ、救済を
今度は両手を合わせて人差し指と薬指を折りたたむハヤグリーヴァ。
背後に射した後光が回転し唸りを上げる。
「オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ」
ハヤグリーヴァの真言が始まった。
抑揚の無かった声に、緩急がつき、強い意志が感じられた。
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