18. 脱衣説法

「アキラくん! アキラくん!!」


 ママも呆れる大騒ぎの中、「お待たせしました!」と輝かんばかりの涼やかな声色が耳に入った俺は背筋を凍らせた。


 妖怪達の腕を華麗にすり抜け、現れたるは浅黒い肌に長い三つ編み、国籍不明の王子様。

 例の、だ。

 店屋物と聴いた瞬間に、いやまさか、とは思っていたけれど。


 彼のほうも、と俺に目を合わせたが。

 岡持ちをテーブルに置いて、黙々と皿をテーブルに並べ、アケミと料金と領収書のやり取りをして、きちんと仕事を終えた後にさらりと前髪を掻き上げる。


「また会ったな、禅!」


「意外と律儀なんだな、お前……」


 ちなみに俺の前に置かれたのはカオソーイ。

 いわゆるタイ風カレーラーメンだ。ココナッツベースのカレーにオニオン、レモン、ナンプラーが加わり、濃厚かつ優しいカレーの口当たりでありながら異国情緒溢れる香りが鼻から抜けていく、といった比較的とっつきやすいタイ料理である。


 別の皿はカオマンガイ。

 これは有名なタイ式炊き込みチキンライスで、チキンと一緒に炊き込まれた水気の少ないタイ米に旨みが凝縮され、それだけでも美味いが、一緒に炊き込まれたチキンにナンプラーベースのソースをかけて食べるのが一般的。タイ料理入門編と言っていい料理だ。

 加えて生春巻きとデザートといったセット。

 ということは、大和の鉄板メニュー「満足プレート」だ。


「好きなのお食べ、全部あんたたちのだから」


「ご馳走様です!」


 俺は単純なもので、食べ物を目の前にしてどれにしようかな、なんて考えるとやっと心が弾んだ。

 よくよく考えてみれば麺が伸びる伸びないの問題があるので、このまま俺はカレーラーメン、カオソーイを自分の領地とする。


 箸を割って、いただきますして、口に運ぶ。

 良く知っている味だった。

 うん、美味い。


「で、あんた達。仲いいんだ」


 いやあ、優月とはちょっと複雑な状況で仲が良かったらいいなーとは思ってるけれど……と、うにゃうにゃ言い始めそうになった俺は、隣に着座して背もたれに悠々腕を伸ばした変態王子の気配に気がついた。


 ママが「あんた達」というのは俺と優月ではなくて、たぶん俺とだ。


「違います」


「そうです」


 相容れない言葉が交錯した。

 どっちがどっちというのは説明不要だろう。


 どういうわけか変態王子は俺の肩に手をかけて引き寄せる。


「禅、つれないじゃないか。僕は君に手料理を振舞った、そういう仲だろう」


「いつだ、いつ!」


「今だ」


 ママと俺の目がカオソーイに刺さった。

 暴論だ。


 そして彼がしゃべり出した途端に女性客が席から立ち上がりこちらをじろじろと見ている。

 口々に「アキラくん、アキラくん」とそこはまさしく黄色い声をあげていた。


 アキラっていうのか、こいつ……。

 名前は日本風。

 ますます何系何人か不明だ。


 この顔立ちである。

 女、そしてその他のファンがいてもおかしくない。

 黙って服を着ているのであれば。


 思っていると早速、変態王子アキラの指先が俺の顎をすくう。


「警戒するな。ゆっくりと僕の手料理を味わいたまえ、子猫ちゃん」


「それ、俺にやること?」


 やっぱり黄色い声が上がった。

 ここの客層は、彼がやること成すこと何でも良いのかもしれない。


 これ以上話を進めていると麺が伸びそうだったので大人しく、アキラが作ったというカオソーイを口に運ぶ。

 いちいち美味くてイライラしてきた。

 そしてアキラが長く伸びた鬱陶うっとうしい髪を掻き上げるだけで、黄色と黄土色の声が上がるのもイライラしてきた。


 俺の食事中、アキラ本人は静かなものだったが、ママのお小言曰く「アキラは存在自体が五月蝿うるさい」らしい。

 俺もそれを実感した。


 その言葉にも涼しい顔で足を組んでくつろぎ、ついでに俺のアイスコーヒーを勝手に自分の前に引き寄せて飲んでいた。


 美味かったけど疲れる食事を終えて、ご馳走さまと手を合わせたところだ。

 待ってましたと言わんばかりに横からアキラの顔が突き出してきた。


「禅、知りたくはないか? 何故、君の煩悩エクスプロージョンがハヤグリーヴァを目の前にして二分されたのかを」


「煩悩エクスプロージョン……」


「煩悩エクスプロージョンだ!」


 復唱に継ぐ復唱をされてしまった。

 あのビームはそういう名前らしい。

 ボンノウガーも大概だが、技の名前も一周まわってやっぱりダサい。


「いや……俺、もうボンノウガーやりたくないんだけど……」


「煩悩ベルトはお前の意思では外れない」


「煩悩ベルト……」


「煩悩ベルトだ!」


 じゃあ何の意思で外れるんだよ!


 口を挟む前にアキラが強引に続けた。


「煩悩エクスプロージョンもハヤグリーヴァのビームも理屈は同じ、それは真言をもって形を成す」


 淡々と説明をしている間にも手馴れた手つきで己のコックコートに手をかけて上から順にボタンを外していく。

 服の下には浅黒い肌が続いており、胸筋から腹筋のシックスパックが見事な陰影を作っていた。


 ……で?


「すなわち、真なる想いを解き放つ光!」


 彼は台詞を着地させたと同時に、左右の手首を捻ってぺろりと服の両裏地を見せてきた。


「わかりやすく説明してやろう。見たまえ、僕の乳首を」


 乳首を見せてきた。


 …………。

 言われたとおりに服の裏地から彼の乳首に焦点を合わせたのだが、そこには彼の浅黒い肌の色からして何も不自然のない黒い乳首が均整の取れた胸筋の張りと共にやや左右に広がっているだけで、驚くような点は見当たらない。

 むしろ俺が驚いたのは他のテーブルから無遠慮に炊かれる携帯カメラのフラッシュだった。


「宝石に例えるなら何だ」


 答えはわかりきっている、といわんばかりの高圧的な……まるで教師が生徒に説教をたれるような態度だったが俺は引き続き閉口していた。


 その間にもコックコートはソファの上にひらりと落ちて、今度はズボンが落ち――さっきは白のレースだったが今は黒のTバックだ――背もたれに片足をかけた。

 ママは難しい顔をしていたが、客席からは拍手さえ起こる。


「宝石に例えろ、禅」


 もう一度言われて、俺はようやく言葉が情報として脳に到達した。


 だからこそ、何を言っているんだこいつは、と思ったし顔に出た。

 加えて、答えないとアキラが話を進めないどころか、脱ぐというのも想像ができる。


 俺はイメージを振り絞った。

 宝石ではなくに例えるとするのであれば、俺はすぐにそれを口に出来る。


 それは俺が小学生六年生のときに近所の駄菓子屋で、店番のばあさんがお釣りに寄越してきた黒ずんだ十円玉を彷彿とさせた。

俺はその時、初めて千円札をお小遣いにもらって嬉々として使ったと記憶しているしそのお釣りとして帰ってきた十円玉が得体の知れない黒ずみで汚れていたものだから強いショックを受け、今でも鮮明に覚えている。

 あのばあさんも今では亡き人だがまさか変態露出男の乳首を見て回想されるなどと露にも思っていなかっただろう。その点は本当に申し訳ない。


 だがしかし、宝石に例えるとなるとずいぶんと選択肢が限定されたものだ。

 そもそも乳首は皮膚組織で、宝石は鉱物だ。この男とダイヤモンドであれば、高温で焼いたら炭になるか消える、くらいの共通点しか思い当たらない。


 第一、俺はまったく宝石になど興味がなくそれほど種類を知っているわけでもなかった。

 だから彼が思っている以上に俺は沈黙していただろうし、俺自身も冷静に回想したものの全く関係のない駄菓子屋のばあさんに思いを馳せるほど呆然としていたわけだし、乳首は晒され続けたし、俺もその分の時間、黒ずんだ十円玉を網膜に焼き付けることになっていた。


 だが、静寂という砂漠の果てに、幸いにして一つだけ思い当たった。

 俺は逃げるようにその名を吐き出した。


黒曜石こくようせき


 間近で見たこともなければ、どんなものかも想像が出来なかったが、言葉だけは知っていた。

 黒真珠もあったのではないかと一瞬遅れて過ぎったけれど、厳密さなんて求められていなかった。


「正解だ」


 間違いなく、何の答えでも良かったと言わんばかりの切り替えし。

 結局何が最適解なのかは闇の中だ。


 アキラは双方の人差し指をその汚い十円玉の上に当て、上下に動かしながら大真面目な顔で続けた。


「ハヤグリーヴァが唱えた真言は、いわば圧縮言語。人間が扱おうものなら三十万回の詠唱を求められる。人の身で叶えるのであれば心の底からの想いを唱えるのだ。禅、お前はあの時周囲に乗せられ『華武吹町を守る』と口にした。それは決して嘘ではなかったがお前が内に秘めた煩悩のうち、最も強いものでもなかった。結果として言霊と真の煩悩とがブレたまま解き放たれ、両方の乳首を刺激されどちらに集中したらいいか分からず結局両方それぞれに気持ちよくなってしまうように、左右に分かれてしまったのだ!」


 俺はだんだんとその黒曜石、もとい汚い十円玉に説教を食らっている気分になってきて、腹が立つやら駄菓子屋のばあさんの顔が浮かんでくるやらで、結局のところ全く話している内容が頭に入って来なかったし、聞きたいことも頭から零れ落ちていた。


「あの時の煩悩を思い出せ、禅。お前の真言は何だ? 街を守るだとか救うだとか……お前はそんな聖人君子ではない! 一人の変態小僧なのだッ!」


 どういうわけだが。

 理解が出来ないのだが。

 自分で乳首をいじり倒しているパンツ一枚の変態に偉そうに言われてこっちが恥ずかしいのだが。


 その一言で俺は自分の真言とやらが間違いであったという話が、すっかり腑に落ちた。


 解脱げだつとは、《解り》、《脱ぐ》と書く。


 本心を解ろうとせず、脱ごうとせず。

 俺はヒーローになろうと、かっこつけてしまった。

 脱ぐどころか、虚勢を着こんでしまったのだ。


 共感を得られて満足したのか、乳首からようやく指を離したアキラは今度、両手を腰にあててことさらそこを強調して反り返る。


「どうやら、わかってくれたようだな」


 わかった……。

 わかったけれど。


「――宝石のくだりいらないだろ!」


「股間だけでなく、乳首もじっくり見てもらいたかっただけだ!」


「気色悪過ぎていっそ清々しいわ!」


「なるほど! 僕の魅力を君が見つけてくれるとは、光栄だ!」


 どこからともなく風が吹いてきて、両手を広げた変態王子の髪をさらさらとなびかせた。

 そしてやっぱり無遠慮に炊かれるフラッシュ。


「恥ずかしいことではない、心を裸にするんだ、禅」


「お前は恥ずかしいと思え、身体に服を着ろ」


 ソファに落ちていたコックコートをアキラに投げる。

 見事に受け取り不服そうにしながら「性感帯への摩擦が我が友の願いなら致し方ない」と腕を通しズボンを持ち上げた。


 とにかく煩悩を晒せ、というのはわかった。

 でもそれは、諸刃の剣……社会的に。


 何せ、俺が今抱いている煩悩の中で最も強いのは……致し損ねた優月に対する、その……。


 …………。

 そんなこと晒して、優月にこれ以上嫌われたくない。

 でも、そうしなければハヤグリーヴァを倒せない。


 なんなんだ、ボンノウガーって……!

 もうちょっとマシなモン、エネルギーにしてくれればいいのに!


「悩んでいるな、禅。それもまた煩悩だ!」

「うるせえ!」


 閑話休題……。


「禅、いずれにせよハヤグリーヴァは早々にカタをつけるべきだ。先ほどの段階であれば怪仏化かいぶつかしきっていない」


「かいぶつ、か?」


「あの全裸馬のことだ」


 いったい竹中に――この街に、何が起こっているんだ……?

 こいつ、それを知ってるっていうのか?

 てか、何でそんなにあれこれと詳しいんだ。

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