15. 私のヒーロー

「俺が、華武吹町かぶぶきちょうを守るんだあああぁぁぁッ!」


 白い波が黄金の闇を切り裂いて、刹那その奥にハヤグリーヴァの姿を見た。


「何イィイ!?」


 驚愕に見開かれたハヤグリーヴァの目が、黄金から白に塗り替えられる。


 それは、一瞬の出来事だった。


 俺が放った白いエネルギー光は、ハヤグリーヴァを包まんとしたその直前で、見事に。

 実に見事に――


 ――枝分かれしたのである。


 右に、左に。

 居酒屋とカラオケボックス店のロビーに。

 それぞれ着弾して破壊を起こした。


 …………。

 …………。

 …………え?


 あの機械的で抑揚の無かったハヤグリーヴァでさえ、背後の歪んだ車体に背中をつけながら目をひん剥いて固まっていた。

 隣の変態露出王子は咎めるように、哀れむように俺を見やっていた。

 傍観ぼうかんを決め込んでいた通行人たちでさえ目をまたたかせた。


 華武吹町がこれほどまでの静寂に包まれたことがあっただろうか。

 いや、無い。


 静寂、沈黙、無音。


 かつて世界が混沌であった頃、神は云った。光あれ、と。そして光と闇が生まれ、ビックバンが起こり、太陽形成の後に小さな惑星の衝突を繰り返して次第に大きな一つの塊が成され、惑星となった。それらの一つのうちが地球である。この星にはヘリウムと水素が存在したが太陽風や火山噴火、光合成生物の誕生などの環境変遷を経て現在の酸素と窒素があり、えてして空気振動が――。


「ヒヒーンッ!!」


 馬のいななきが時の復活を祝福するかの如く、高らかに鳴り響き、俺の目の前でハヤグリーヴァは姿勢を低くすると車を乗り越えて路地裏側へと走り去っていった。


 呆然とする中、ひそひそと聞こえた。


 ここまで盛り上げておいて外すの?

 逃がしちゃったよ、だっさ。

 かっこ悪……。


 お……。

 俺は……。

 俺は、この話の流れで仕留め損ねたのか……。


「……ひとまずの危機は去ったな」


 変態王子はいつの間にか着衣しており、白いヘルメットを被っているところだった。

 その声には少なからず落胆が含まれている。


「正体が露呈ろていする前にこの場を去ったほうがいいぞ、禅」


 そしてスクーターに跨ると後輪を華麗に切り返し、颯爽と去っていった。


 だから何でお前は知ってるんだって。


 腑に落ちないことはたくさんあったが、言う通りだ。


 俺は優月に駆け寄る。

 黒服がこちらを睨んでいたが、どういうわけか連中の中の一人がどこかに連絡をしているだけで、残りは俺がその場を去るまで視界に入れているだけだった。


 ――適合者が見つかりました、一時撤退します。


 スーツの効果で音さえ拾えていたのだが、そんな連絡だった。

 優月、というよりも変身ベルトが目的だった……ということか?

 家宝かなんかを持ち出して逃げたお嬢様を追っていたんじゃないのか……?


 ともあれ俺は優月を横抱きにして走る。

 少なくとも、彼女の状況だけは好転したはずだ。


 街中の視線さえ気になって――今の身体能力なら出来るという確信があった――三角飛びを繰り返し、雑居ビルの屋上に立つ。

 冷たい風の中、足元のネオンを見下ろしやっと一息ついた。

 自分の頭に、恥のせいか、怒りのせいか、はたまた安堵のせいか、血が上って熱くなっている。


 あんなことがあっても街は相変わらず商魂逞しく光り輝いていた。

 自分勝手な街だ。


「救済なんて、必要ねえよ……守るとかも、必要ねえ」


 背負いたくない。

 関わりたくない。

 それで成り立ってんだ。

 じゃあ、ヒーローとかいらねえだろ。

 俺は何を柄にも無くいきがっちゃったんだろう。


「ん……ぅん」


 優月が弱々しく声を漏らした。


 もしかしたら少し寒かったかもしれない。悪いことをした。

 大丈夫か、と声をかける間もなく彼女は俺の顔、メットの左右に手を添えて万全では無いだろうにそれはそれは賢明に笑顔を作った。


「助けに来てくれるって、信じてた……」


 きゅ、いいぃーん。

 意味無くサーキュレーターが唸りを上げる。力が空回りしていた。


 彼女は少し疲れを顔に浮かべると甘えるように俺の鎖骨の辺りに頭をり寄せ「見違えちゃった……」と呟いた。


 そんな、そんな。

 それはダメだ、優月。違うんだ。


 ――やっと、会えた。


 お前は適合者なら誰でもいいわけじゃなくて、誰かを探していて、その人のボンノウガーに助けて欲しかったんだよな。


 俺は敵を取り逃がした。

 ヒーローの器じゃ無いみたいだ。

 かっこ悪くて恥ずかしくて凹んでる

 だからこんなの、俺は二度とゴメンだ。


 だったらいっそのこと、ボンノウガーが鳴滝禅だって言うのは簡単だし、ちょっとは楽になれるかもしれない。

 それで変身ベルトも返上。

 正直に、素直に、心を裸に。


「あ、あのさ……優月――」


 残念なお知らせですが。


 口を開きかけた俺。

 だが優月は俺の言葉をさえぎった。

 それは多分、俺が口にしようとしていた事実よりも何倍も衝撃的な誤解だった。


「……待たせてごめんなさい、豪」


 そうしてすとんと眠りに落ちる。


 ああ、その人が本当の適合者。


 豪。

 あまやかな口調に只ならぬ距離感を覚える。


 ……え?

 鳴滝豪、ということですか……?


 いやいやいやいやいやいや。


 あのブ男のおっさんと優月が?

 俺のオヤジが?

 変身ベルト?

 適合者?

 時系列はどうなってるんだ?

 優月と、オヤジが……?


 あー、ええと。

 一旦、全部置いといて。


 …………。

 …………。

 ……言えるわけないじゃん。

 言えるわけないよ。


 オヤジ、もうとっくに死んでるって……。


 そりゃあ……。

 街中捜してもいないはずだよ。

 見つからないはずだよ。

 助けに来てくれないはずだよ。


 あんたのヒーロー、もう死んじゃってる、なんて……言えないよ!!

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