14. VS 馬頭観音ハヤグリーヴァ-(3)

「なる、だぎぃ……」


 竹中はいる。

 まだ生きてる……!


「なるだ、ぎ……許ざん……いかさま、野郎……ッ! 八つ裂きにして、ブッ殺す!!」


 あっ、あっ、あっ。

 ダメだ、これ怒ってるままだ!

 俺が殺される!


「兄ぃ~!! 竹中の兄ぃ~! 帰ってきてくだせぇ~!」


「ちょ、ちょちょ、ちょっと! 待て~ッ!! 呼びかけるの、待て~ッ!!」


「なんででやんすかあ?」


「俺の身が危ないからだろ!」


「ええ? というか、お宅どなたで?」


「あ……?」


 もしかして、俺は……今、スーツせいで、呪われてるっぽい特撮ヒーローとしか認識されていないのか?

 スーツのせいか、声では判別できないようだった。


 わかりやすく咳払いして俺はしどろもどろに優月が呼んだ名前を流用する。

 正直、もうちょっとカッコいい名前が良かった。


「ぼ、ボンノウガー……です」


「ボンノウガーさん! そんなカッコしているなら、ヒーローなんでしょ! 兄ぃの悪霊が御祓いできるような、ビームとか出して助けて下さいよ!」


「そんな都合いいモン出ねえよ!」


「出るぞ」


「出るのかよ!」


 突然。

 キリッと確信めいた横槍を入れたのは俺の隣でスクーターに跨っていたタイ料理店大和のインド人だか中国人だかわからない美形の兄ちゃんだった。

 音もなく現れやがった。


 長い前髪を軽やかにかきあげ流し目を配ると、距離を開けて傍観していた通行人の、それはもう女性達からざわめきの声があがる。

 そして興味と羨望の視線を受け止める中、彼は彼女たちに惜しみなく配った流し目を俺に着地させ顔の前で人差し指を立てた。


無明戦士むみょうせんしボンノウガー、無明に選ばれし煩悩の化身よ」


 彼の人差し指は言葉と共に舞って俺のベルトのサーキュレーター上に止まる。


「お前の煩悩力は凄まじい。卑屈な人間性も、意気地の無さも、中途半端な人の良さも、煩悩の化身として十分すぎる素質だ!」


「おい」


「だが一つだけ、お前には欠点がある。それは煩悩を溜め込むには良い点でもあるのだが……」


 そこまで言って彼はスクーターを降り、ヘルメットを外した。

 わからないのか? なんて思わせぶりに再び髪をかきあげると俺に人差し指をつきつけた。


「自らに対して、あまりにも素直ではない! こじらせ過ぎている!」


 ラバースーツは頭まですっぽり覆っているので俺の表情なんて視認できないはずなのだが、辟易して眉をひそめていると彼はフッと鼻で笑いコックコートのボタンに手をかけた。


「僕が手本を見せてやろう」


 どういうこっちゃ、と黙っていると彼は案の定というべきか、コックコートを脱ぎ払って理想的に鍛え上げられた肉体をさらし彫刻のようなポーズをとった。黄色い声が上がる中でさらりと前髪をかきあげ「どうだ?」とたずねてきた。


「どういうこっちゃ」


 今度こそ口にした。

 すると彼は今度、ベルトのバックルを外す。


「まだわからないのか、ボンノウガーよ。悶々もんもんと迷い悩み、溜め込め、そして煩悩を認めよ。見たところそこまでは成せている。だが、それを解き放つ術もまた必要なのだ」


 止める間もなく彼のズボンはストンと落ちた。

 当然上がるオーディエンスのどよめき。そしてすぐ隣に立っていた俺はいの一番に更なる悪意を認識した。

 ズボンの下は、幸いにもパンツだ。白い布地が見えてほっとした俺の心は一気に攻め込まれ、まさしく毒牙にかかったと言って良いダメージを負った。

 すけすけの、明らかに女性モノのパンツに無理やり納まったブツ。

 繊細なレース、清楚なリボン、製作者が想定していない不自然な凹凸おうとつ。他にも俺の視界には入ったのだが、これ以上具体的に表現すると具合が悪くなる人もいるのでやめておく。


「真の悟り――つまり解脱げだつとは、《解》り、《脱》ぐと書く!」


「は?」


「己の煩悩を理解し認め入れ、そして心を裸にして放つのだ! そうだな、例えば――」


 彼の表情は相変わらず引き締まって真剣そのものだ。

 だが俺の頭には全く情報が入ってこない。


 そんな状態を意に介さず、彼は大きく息を吸い胸を張ると涼やかで良く通る声で叫んだ。


「ちんぽおおぉおぉぉぉおおおおーーーッ!」


「…………」


 こいつ、言いやがった……。

 こんな大衆の面前で。

 俺が約四万文字中、幾度と無く誤魔化し続けてきた単語を、いとも簡単に……!

 今時小学生だって面白いと思わないのに!


 冴えて整った表情のまま、彼は俺に向き直り、気障きざに笑った。

 その笑顔の意味が俺には到底理解できなかった。


 その時だ。

 低俗、低レベルを極めた大声に対抗するように、馬のいななきが響き渡った。

 竹中が再び押し返された。


「ウッ……この男の煩悩、まだ消えやらぬ。これもまた貴様を根源とする怒りか。やはりこの街の救済、まずは貴様を挫き消し去らなければならぬ。女を寄越せ。その煩悩のわだちから救済してやろう」


「冗談じゃねえ! 変態馬野郎に優月を渡せるか!」


「そうだそうだ!」


 隣で涼やかな声が聞こえたが俺は無視した。


 よかろう、と、今度こそ荒事の雰囲気でハヤグリーヴァが馬の顔の前に指を立てる。


「我は馬頭観音ハヤグリーヴァ。力ずくでも、貴様を救済する」


 続けて言葉を連ねる。


「オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ

 オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ

 オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ」


 心地よい、と思えるほどの言葉だった。


「……真言しんごんか。悠長にレッスンをしている場合ではないようだな。構えろ! ベルトだ!」


 なんだか良くわからないが言われるがまま俺はベルトの外周を両手で囲う。

 するとサーキュレーターが回りだし、遠心力を感じた。次第に小さな稲妻が起き、うなる音を立て、白いエネルギー球が形成されていく……ベルトより若干下の位置に。


 一方、ハヤグリーヴァの伸びた指先にも、黄金のエネルギー光が集まっていく。

 黄金のエネルギーを集結させる馬男、股間に白いエネルギーを溜めている禍々しいラバースーツ(&変態王子)


 どっちが正義の味方かっていうと――どっちもどっちだった。


 その時だ。


「くろいほう、がんばれー!」


 幼い女の子の声が通りを抜ける。


「ボンノウガーさん! 兄ぃを取り戻してくだせえ!」


 舎弟の言葉が響き渡る。


「女に酷いことするやつぁ、とっちめてやれ!」


「華武吹町に救済なんてしゃらくせえ!」


「馬怪人なんかに負けるな!」


 声が重なっていく。

 音が重なっていく。


 これって……。


 すっげー!

 本当にヒーローみたいじゃん!


 一体感と盛り上がりを見せる一方で変態王子だけは表情を沈ませ、まずいな、と親指の爪を噛む。


「カッコを気にするな、ボンノウガー! 考えてみろ。ハヤグリーヴァの攻撃が貫通してお前が負けるようなことがあれば、あの女はどうなる!」


 優月……!


 俺が倒れれば……ハヤグリーヴァは再び優月を奪い返し、救済だかなんだか知らないが安っぽいコスプレセーラー服の布を掴み捲り上げるとすでに意思が介在せずすっかり脱力し身を任せきった乙女の柔らかで清楚な太ももの間に馬並みに怒張したそれを押し当ててしっとりとした感触を存分に確かめると前後にこすり付けて――


「きたぞ! 放て!」


「……ッ!」


 何も考えていなかったからこそ、出来たことなのかもしれない。

 気がつくと目の前に迫っていた黄金光、包まれる寸前、俺は両手を押しのけるように前に突き出した。


 白いエネルギー球はあっという間に目の前に広がり、それがハヤグリーヴァのビームだかなんだかを押し返しているとようやく気がついた。

 取っ組み合いをしているように、腕が押されている。

 身体が痺れている。

 意識が散漫になっていく。


「いけーッ!」


 オーディエンスの声援。


 俺が子供の頃にテレビで見ていたヒーローものは、気合の掛け声と共に両手からビームなり波動砲なりが出て、真ん中で競り合って、最終的にはヒーロー側が勝つ。

 そんなやつ。


 時折、双方辛そうな顔とかするけれど、気だとか魔力だとかそういうモンの実感なんて当然無くて、それがどれだけ苦しいとか、キツいとか、想像が追いつかなかった。


 今、俺はそれをまさしく体感して、歯を食いしばって、全身の痛みに叫んでいる。


「いっけええぇぇぇぇぇッ!」


 通りから応援が溢れている。


 都合いいな、みんな。

 こういうときだけ。


 自分じゃない誰かが矢面に立ってるってわかりきっているときだけ、そうやって気持ちを乗せてくるんだ。


 でも。

 でも、ここをぶち抜けば……!

 ピンチを救ったヒーローである俺に、優月はメロメロになって有り余るデレを発揮してくれるはず!


 だから!

 優月との……!


「俺が!」


 あわよくばが待ってる……!


「俺が、華武吹町を守るんだあああぁぁぁッ!」


 白い波が黄金の闇を切り裂いて、刹那その奥にハヤグリーヴァの姿を見た。


「何イィイ!?」


 驚愕に見開かれたハヤグリーヴァの目が、黄金から白に塗り替えられる。


 それは、一瞬の出来事だった。


 俺が放った白いエネルギー光は、ハヤグリーヴァを包まんとしたその直前で、見事に。

 実に見事に――


 ――枝分かれしたのである。

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