11. 認証完了
隠れる必要がないのであれば、こっちのもんってヤツだ。
二丁目公園前の通りに停車している個人営業のタクシーを見つけて俺は景気よく指を鳴らした。
車内の電気を点けながら顔に競馬新聞を乗せて眠っている運転手。
割増のランプを光らせながら書き入れ時のこの時間に人気の無いところで居眠りしているなんてこの車くらいだ。
運転席の窓を叩くと競馬新聞の下から赤ら顔になった初老の男がしょぼしょぼと目を瞬かせた。柴犬を思わせる人懐っこそうな顔立ちの上にそれを増長する笑いジワを浮かべて窓を降ろす。
「禅ちゃん! 久しぶりじゃない」
「どもっす」
二日ぶりくらいだけど。
このおじさんの常套句だった。
「なあに、今度は。禅ちゃんのお願いだもの、おじさんはなんでも聞いてあげるよ。といっても、おじさんにできることなんて――」
「人探しっす」
「うふふ、そっか。それなら任せなさい」
笑いジワの中、唇を得意気に吊り上げて親指を立てたタクシー運転手。
俺は優月の特徴と緊急事態という旨を伝えて恭しく両手を合わせた。
おじさんは白手袋をつけた手を華麗に捻り、シーバーを口元に構える。柴犬の目が一瞬にして狼のように冴えた。
「風祭です。全車緊急。禅ちゃんのお願い事だ」
おじさん――
この人懐っこそうなおじさんは、華武吹町に出入りするタクシー運転手の連絡網を握っている。
俺のオヤジとは旧知の仲、それどころかオヤジに恩義を感じているらしく俺には相当甘い。
街の情報の中心にいるこの人が変身ベルトのことを知らないわけがないし、本来ならこんな探索すれば剣咲組に睨まれるかもしれない。でも俺の五十倍は口先がうまい風祭さんのことだから、うまいことのらりくらりとかわしてくれるはずだ。
ゼロに何を掛け算してもゼロって話は置いておいて。
風祭さんが情報のやりとりをしている間、手持ち無沙汰になった俺はタクシーに寄りかかりながら、少なくともこの人のヒーローだったオヤジのことを思い馳せる。
オヤジ――鳴滝豪は、いつの頃からか自称、華武吹町美男子用心棒(実際には美男子には程遠いブ男のおっさん)としてヤクザだ何だと喧嘩の毎日を繰り広げていた。
俺が十五の時だった。すでに離婚していたオヤジが、酒が原因の肝臓ガンでとうとうポックリ逝っちまったという話を、お袋から聞いてそれっきり。
オヤジが四十のとき種付けした子だから、俺も「あの人は若くねぇし不養生だし、しょうがねえか」くらいに思っていた。
ようは、ほとんど他人だったわけだ。
とはいえ、オヤジのビックリ武勇伝を全く知らなかったわけでもない。お袋は時に自慢げに、時に
俺自身は当人を嫌っていたり遺恨があるわけじゃないが、「鳴滝豪の息子」ともてはやされる反面、苦労することだってある。
俺にとっては後者の影響が強烈ではあるのだけれど。
だから俺はオヤジの話を歓迎せず、オヤジの知り合いには滅多に寄り付かなかったが風祭さんはその点も知って距離感を保ってくれているので、特別だ。
オヤジという虎の威を使っているようで申し訳ないと正直に話したこともある。
風祭さんは「これは自己満足だから」と笑っていた。
そんなふわふわとした優しいおじさんで――だから俺は彼の緊迫した表情を初めて見た。
「禅ちゃん、乗って!」
言葉の前に開いた後部座席に飛び込む。その頃にはエンジンがかかっており、車は発進していた。シートベルトをお締め下さい、とカーナビに言われたが車のスピードから察するにすぐに到着するだろう。
「一丁目で黒服の人たちと揉めてるらしい」
優月、連中に見つかっていたのか……!
まだこのあたりでうろうろしていると言うことは、どうも優月には華武吹町から離れられない事情があるようだ。
しかし土地勘も金も無い状態で多勢に無勢の黒服たちから逃げ回るのはどう考えても分が悪い。
そして、それから。
優月を狙っているのは黒服だけじゃない。
「おじさん、馬の話聞いてる?」
「馬ってあれかい、競馬じゃないほうの。それも関係あるの?」
当然知っている。直接的な言葉を避ける返し。このおじさんはこういうところがかっこいい。
「黒服とその馬のバケモンが女を狙ってんだよ」
「そっちは交番のお巡りさんが向かったみたいだけど――あそこだ!」
フロントガラスの向こう、人波の向こう、黒い車の向こう、優月が着ていた赤いコートがチラリと見えた。
一丁目街中央通り、最も栄える街の入り口。通行人や荷積みで停車中のトラックが多過ぎてこれ以上車で近づくのは難しい。考えを同じくして後部座席のドアが開く。
「おじさん、さんきゅ!」
「はいはい」
短いやりとりの中で身体を動かし、車から飛び出すなり人波をぬって転がるように走る。
居酒屋、キャバクラ、まんが喫茶、カラオケ、焼き鳥、無料案内所。
協調性の無いネオン、法則性の無い人の波。
見慣れた
赤いコートの下、似合わないセーラー服を着て、袋を大事そうに抱え、足元は……ちゃっかりしている、ラブホテルの使い捨てスリッパだ。
黒服は困惑した風もあり、どうも優月のことを様付けしているあたり手荒に扱えぬ事情がるようだが、とうとう強硬手段に出たか彼女の腕を掴みあげていた。
どんなに暴れても優月の身体なら男二人で軽々持ち上げられ、車に入れられてしまう。抵抗のしようがない。
格闘の末、赤いコートは剥がされ、その隙を見て優月は群を抜けようと試みるも簡単に肩を掴まれ引き戻されてしまう。そして諦めたようにうずくまり、顔を伏せ、泣き声叫んだ。
「助けて! 助けて!!」
臆面も無く。
心の底から。
知らないだろ、優月。
この街はの治安は劣悪。
善人顔で近づいてくるヤツはたいてい騙そうとしている詐欺師だ。
俺だって、見ているだけだったことは何度もある。
俺だって、
人の繋がりなんて無い。
誰もが自分のことに精一杯、自分のことだけが大事でかわいい。
面倒なことに関わりたくない。
知らない誰かを背負いたくない。
都合のいいときだけ乗っかりたい。
俺は良く知ってる。
身をもって知ってる。
こんな、冷たくて乾いた華武吹町でそんなこと言ったって誰も助けちゃくれないんだ!
誰も!
「優月ーッ!」
俺は吠えた。
彼女の名が通りいっぱいに響いた。
男達の足の隙間、顔を膝に伏せていた彼女が見上げ、目元を拭うのが見えた。
通行人をかきわけ黒服たちの車に突撃する。
何人か突き飛ばして、袋の中を見せればきっと優月は解放されて――。
華武吹町で最も大きな人通りの流れに沿って駆け抜けていく俺の視界の端。
華武吹町で最も大きな人通りの流れに割って入ってお巡りさんをぶん投げた末に横断してくる栗毛の――馬。競馬じゃないやつ。
「プェェえええええッ!」
物凄くかっこよく彼女の名前呼び登場するはずの俺だったが、鼻の穴を最大限に広げて驚愕に顔を歪ませ、喉にペンギンでも飼っているかのような悲鳴を上げた。
ウマタウロスは、通行人もちろん露店さえその強靭な肩と脚力で、積み木のおもちゃだったと錯覚させるほどに簡単に破壊、人の悲鳴が追いつかぬほどの荒くれように誰もが目を見開いたまま視線移動で捕えるのがやっとだった。
状況が悪いことに、二足歩行暴れ馬の直線上には黒服たちの車。すなわち優月。
俺。
優月。
変身ベルト。
黒服。
ウマタウロス(旧名:竹中)。
本日の手板があまりにも狭い集中点に集結しようとしている。
ってか、これは集結じゃなくて衝突!
脳内で数秒後をシミュレートすると、すっ、と背中に寒いものが走った。
…………。
いや、多分。
このままでは俺
ウマタウロスは車に激突して、俺も優月も一緒にふっ飛ばされて……その反対側にはアパレル店のショーウィンドウ、ガラス窓。黒服たちはまだしも、薄い布しか纏っていない優月の白い肌がずたずたに……。
俺はその後、成す術も無く辿りつく。
俺がこの後で撫でたり揉んだりするための、優月の柔肌が。
そんな冗談どころか、最悪――死ぬ。
馬野郎……。
これ以上状況をかき回されてたまるか。
両腕を目いっぱい振るう。
多少ぶつかっても前に出る。
それでも……間に合わない!
俺は優月と――!
『――Togetherしたいか……』
したいよ!
どうにか点数取替えして、謝って、都合よく許してもらって、俺だけ特別に笑いかけてくれて、そんで続きがしたいよ!
優月を助けるとか同情とか、そんなのは過程だ! 詭弁だ!
俺はただ食い損ねた据え膳を、ちゃんと食べたいだけだ!
誰にも譲りたく無いんだ!
だから、だから……!
だけど! くそ! なんで! こんなにわかりやすく劣情は溢れているのに、力は有り余ってるのに!
こんなタチの悪い、褒められない気持ちなんて……どうせ!
速度にならない!
勢いにならない!
素直さにならない!
意気地にならない!
なんで煩悩は燃えているのに、なんの力にもならないんだよ――!!
『――よかろう』
丹田の辺りがぐっと熱くなっていた。
バックルの手前あたりで遠心力と小さな稲妻が起こる。
『Registration is completed...』
次の一歩を踏み出した途端、思ってもいない勢いに身体が反り返った。次の一歩も、またその次も。
全身の水に炭酸が入れられたかのようにシュワシュワ弾け、同時に分厚くチョコレートコーティングされているようだった。
遠のく意識、踏ん張って姿勢を建て直すとアドレナリンだかエンドルフィンだかが頭を包んで興奮状態に追い込む。
身体が無理を強いられているのがわかった。
駆けているではなく、低く飛んでいるような疾走だった。
間に合う、これなら!
『あとは、任せた……』
あいよ!
明るい感情が沸いてきた瞬間、身体の変調は幻のように消え去った。
そのまま黒服の群に突っ込み、優月に覆いかぶさるようにして押し倒す。
ほぼ同時に、全種類全部盛りみたいな盛大極まりない破壊音が頭上を通り過ぎ、すぐ横で再びガラスの破壊音を奏でて車体が着地。
破壊音の余韻が通り過ぎる。
起き上がると自分の背中からガラスの破片がぼろぼろと落ちて事の壮絶さを思い知った。
こんなことをしでかすバケモノは……と顔を向けると驚くべきことに車体に身体をめり込ませていたウマタウロスは車体のドアを捻り取っていた。
「なんちゅー怪力だ……」
とにかく今は逃げなきゃ!
タイ料理屋の兄ちゃんは倒せって言ってたけどこんなの人間が相手するのは無理だ!
俺は優月の上体を揺すり起こした。
腕に件のビニール袋をきつく巻きつけ必死に袋を我が身から放さないようにしている様に胸が痛む。
変身ベルトもすぐに見つけないと……。
「ゆ、優月さん、大丈夫……!? 逃げよう!」
「う……ぅ」
彼女は苦しげに唸り、弱々しく後頭部に手を当てる。
前面は俺の身体がしっかりガードしていたはず、ガラスの欠片一つ落ちていないはずだ。
痛みがあるのは後頭部。
…………。
本当に申し訳ない。
こう、なんか……手で後頭部までガードしたり……そういう男としての配慮が必要だったんだなあ。
いやあ勉強になるなあ優月さん。
心の中で汚い言い訳とぼやき芸を展開していると優月は後頭部を抑えていた手を俺の顔に向け、細く呼びかけた。
「ボンノウガー……やっと、会えた」
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