09. ネオンの蝶はかく語りき

 ラブホテルの一室という限られた空間で変身ベルトを探し回った挙句に見つけられず、俺は二人用のベッドに一人で仰向けになっていた。


 変身ベルトはやっぱり得体の知れない力を持っていて、それを所持して優月は華武吹町かぶぶきちょうを逃亡中。

 黒服と、まだ彼女には気がついていないようだが水面下で剣咲組までが妙な力を持ったベルトを追っている。

 そしてベルトは俺のせいで紛失、現在は所在不明。

 助けるどころか、彼女にとって事態は悪化……という状況だ。


「優月さん……優月……」


 待て待て。

 俺は、ゴミまみれの彼女にシャワーと休憩時間を提供して、服だって買ってあげたんだ。

 十分過ぎる人助けをした。


 罪悪感なんて抱えているはずがない。

 はずが、ない。


 …………。

 …………。

 ……どんなに自分を持ち上げても、ダメだ。


 ベルトを無くしてしまったことの埋め合わせは出来ない。

 いや……どっちかというと、優月が治安劣悪な華武吹町でろくでもない男につけ込まれてしまわないかの方が気がかりだった。


 滅茶苦茶に自分のことを棚に上げているのはわかってる。

 自分勝手である事は承知だ。

 食べかけたぜんを他の野郎が食うのは許せない、という心理だ。


 俺は、探すしかない!

 ベルトも。

 優月も。


 俺は上体を持ち上げた。


 時刻は……午前一時を過ぎたところ。

 華武吹町の夜は始まったばかりだ。


 ロビーを出る前に「おもちゃのベルトの忘れ物があったら連絡ください」と携帯の電話番号を書き記したメモを受付の老婆に差し出す。顔は見えなかったが、しわくちゃな指がするりと引き寄せた。


 ホテル前では相手待ちの男女が暗がりで暇そうに携帯電話を弄繰り回している。

 雨は少し弱まり再び霧雨がちらつき、スモッグが叩き落された束の間の冴えた空気に包まれている。


 俺は彼らに紛れて携帯電話を取り出し、登録済みの電話番号にかけた。

 三コールほどで応答がある。


「お蝶さん!」


『今休憩中でーす』


 物理的に何か歯に挟まった――多分タバコだろう――気だるい声が聞こえた。

 もちろん、休憩中の時間を把握して連絡している。


「実は折り入ってお願いしたいことがあって」


『禅ちゃん。いつも言ってるでしょお? 女に自分の言うこと聞かせるときは――』


「獅子屋の特選いちご大福十個でお願いできないかな……」


『あらあ、心得てるじゃない。言ってみそ?』


 微妙にキャラが違うが営業時間外ということで。


「女の人を一人、匿って欲しいんだ」


『何だあ? 浮気かあ?』


「ベルト、マジで存在するんだよ。その女が持ってて……追われてるんだ」


『あ~……おもちゃのベルトだっけね?』


 剣咲組が追ってるっていう、とお蝶さんは声を潜めた。


『ベルトの噂は別のお客さんからもちらほら聞いているのよねん。人を怪物にする装置だとか、大きな災害をもたらすとか、それを救いに観音様だか明王様が降臨するだとか。ま、ただ事じゃあ無いってのはわかるんだけど、電話する相手間違ってるわよん』


 電話越しで呆れが伝わるほど、長い吐息でタバコの煙を吐いた。


『そんじゃ、切りまーす』


「待ってくれ、お願いだから」


『無責任な禅ちゃんがその調子ってことは、だいぶのっぴきならない事情があるのねえ。でも私は吉原遊女組合よしわらゆうじょくみあいの一員。剣咲組の邪魔ぁ、できないのよね。まさか五十年前の煩悩大迷災ぼんのうだいめいさい、全然知らないってわけじゃないでしょお?』


 その言葉も、お蝶さんは周囲に気を配ったようだった。


 煩悩大迷災。

 五十年前に華武吹町で起こった不可解な……人災だ。

 原因はいまだに不明、突如として暴動が発生し、人々は欲望を思い思い解き放った。


 その時に暴力に対する抑制を行ったのが、皮肉にも暴力団の剣咲組。

 そして、肉欲の受け入れに大いに貢献したのが吉原遊女たちである。


 当時の功績もあって、吉原遊女組合は剣咲組に匹敵する強い権力を持っている。

 煩悩大迷災から華武吹町を救った組織同士は一つの曼荼羅まんだらを描き名前を寄せ、不可侵ふかしん条約を結んだ。それが――。


「……曼荼羅条約」


 例え俺やお蝶さんが生まれる前の出来事だとしても、曼荼羅条約が生きている以上、組織同士の干渉が出来ない。

 確かに、お蝶さんが変身ベルトを持っている優月を匿うのは条約違反になる。


 曼荼羅条約はその功績故に栄えた組織でもあるし、一度逆らえば四方八方から見放され、最悪、水面下で集中砲火を浴びることになるだろう。

 俺たち住人は華やかな街の光の中、曼荼羅条約に畏怖し、顔色を窺い、生きている。

 曼荼羅条約といえば、華武吹町の支配者グループ……もはや信仰対象となっていた。


 いくらお蝶さんが売れっ子だとしてもそこはまかり通らないし、そんな危ない目に合わせるわけにいかないのだ。


『わかってんじゃあん。こちらからは以上でーす。あ、話は聞いてあげたのでいちご大福の件は有効でお願いしますう』


「う……はい」


 やっぱり、したたかだ。

 貧乏学生から容赦なく金品を吸い上げるとは、お水の鏡だぜ。


 来月も貧乏食生活確定に涙を呑んだところで、お蝶さんから「にしてもさあ」と雲行きが怪しい切り替えしが差し込まれた。


『禅ちゃん、元気ないねえ。さっきまであんなに元気だったのに。ここ数時間でどんなおセンチイベントがあったのかなあ? 並のスケベではない禅ちゃんのことだから、その女の人を自宅に匿おうとして強引に押し倒したりしてケンカしちゃったのかなあ?』


「……ぅう~ん? 違うよ? 全然違うよ?」


 女性にはこういった類の鋭さが宿っているので恐ろしい。


 とりわけ、人心掌握じんしんしょうあくが本職のお蝶さんには俺の微妙な変化など手に取るようにわかるわけで。

 彼女が唯一読み違えていたのは、俺の住居……というか望粋荘のぞみそうの壁の薄さと汚さであった。

 女性を招き入れれば引かれることなど、もっとも千万。

 その点知っていればピッタリ言い当てそうで、追撃に震えた俺は言葉を重ねた。


「でも、怒らせちゃったのは確かだし、すっげー危なっかしいから……今から探して謝って、安全なところに……」


『そういうところが禅ちゃんのいいところよね』


 お、褒められちゃった。


『スケベ目的なら並々ならぬ努力ができるところ。匿う場所を探してあげて、かっこいいところ見せてマイナスになっちゃった分の点数稼ぎたいんでしょ? あわよくば食べちゃいたいんでしょ?』


「ち、違うよぉ……? 全然違うよぉ……?」


 俺の言葉はどんどん頼りなく痩せ細って、最後には裏返った。


 蛇に睨まれた蛙、まな板の上の鯛等しく、言葉の暴虐を待つ姿勢になった俺を憐れんだかお蝶さんはそのあたりで慈悲を見せた。


『ま、私にゃ関係ないことだわん。そんじゃ、そろそろ休憩時間おわるからまたねん。ばいびー』


「う、うん。ありがと、お蝶さん」


 お蝶さんが応答終了ボタンを押すのを待っていると、もう一度長く煙が吐かれた。

 やっぱり呆れを感じる。

 今度は「あのさあ」と吐き捨てるように、そして迷惑そうに言った。


『禅ちゃん、猛牛殺しの源三、知らないのお?』


「……誰?」


 随分物騒な名前が出てきて俺は顔をしかめた。

 その顔が見えたかのようにお蝶さんは天を仰いで頭に手をやる……姿が俺にも見えた。


『華武吹町三丁目にシャンバラっていうバーがあるから、そこの大将を頼るといいわよん。禅ちゃんの頼みだったらきっと聞いてくれるから』


 どこか含みのある言い方だった……と感じたのはあながち間違いではないようで、鼻で笑った後、お蝶さんは逃げるように通話を切る。


 俺は一息吐いて携帯電話を引き続き操作した。


「華武吹町三丁目、シャンバラ……」


 お蝶さんはそこを頼るようにと言っていたな。

 先に電話したほうがいいだろうか、と再び携帯電話を取り出しブラウザを開くと、そこには「ふしど」を調べたページがそのまま開いていた。


 優月……。


 シャワーに入りたてで(俺が部屋代を払いました)、

 コスプレセーラー服で(俺が買って着せました)、

 電気マッサージャーを持ち歩いている(俺が持たせました)、優月。


 …………。

 俺のせいで、カモネギ度まで上がってる……。


 とにかく早く優月を見つけなければ。

 変身ベルトを見つけて、優月に安全な場所を紹介する。

 それだけでいいんだ。全部丸く収まる。

 あわよくば優月の御機嫌が直って今度こそお子様閲覧禁止の展開に持ち込めるというわけだ。


 ほらね、簡単でしょ?

 そうだ、簡単だ!


 よっこいしょ、と気持ちが重い腰を上げた。


 華武吹町、シャンバラ。

 聞いたことのない店名だった。

 俺とて華武吹町を網羅しているわけではなく、入れ替わり立ち代りの早い区画やこぢんまりとした狭い店については特に記憶が無い。


 遊ぶところは専ら派手な一丁目大通り沿いや二丁目歓楽街、三丁目ならなおさら馴染みが薄かった。


 はて、どのような……と検索フォームに打ち込んで――いる最中。


 周囲でざわめきと、中には悲鳴があがり、何事かと思った頃には俺の視界は不自然に翳る。

 ゾンビでも現れたのかっつーの、と顔を上げた俺の前にはふんどし一丁、上半身を赤く染め上げ霧雨を蒸発させて湯気を上げた……赤鬼竹中の姿だった。


「あ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る