無明戦士ボンノウガー

02. 今宵の月のように-(1)

　夜空さえ照らす華武吹町（かぶぶきちょう）。

　色とりどりの電飾看板が節操無く主張する大通り、夕食時も過ぎたというのに肩がぶつかるほどの人波は健在。むしろここからが書き入れ時だ。

　いまだ竹中から逃げ回っている俺は狭い路地裏に身を隠し携帯ゲームなどをして時間を潰していた。

　近辺のボロアパート《望粋荘》――読みがなは「もういきそう」ではなく「のぞみそう」――の二階に住んでいる俺にとって本拠地がバレるのだけは避けたい。

　俺は慎重にバカ竹中一味を撒くことにした。

　気の短い連中のことだ、数十分もすればそろそろ諦めるだろう……と思ってゲームを一旦セーブ、大通りを確認する。

「あ……れ……？」

　しかし想定していたより状況がまずい方向に転がっていた。

　竹中とその舎弟二人に加え、黒服の男達まであっちこっちをきょろきょろと見回していたのだ。

　俺が変身ベルトのありかを知っている……なんてことが剣咲組（けんざきぐみ）上層部にまで行き渡って増員した、とか……？

　手柄を独り占めしようとしている竹中が、この速さで連携……というのはいささか疑問だが。

「鳴滝いぃッ！」

　遠くから怒れる赤鬼――もとい、いまだにふんどし一丁の竹中の雄たけびがこだましている。

　あんな様子では誰も「服を着ろ」という文化的忠告はしてくれないだろう。

　そして反対側の通りでは黒服が何度も通り過ぎていた。

　みんな早く家帰って寝ろよ……！

　おうちが一番だろうがよ！

　悪態をついても念じても状況は変わらない。

　……俺は身動きが取れない。八方塞り。

　それだけは確かだ。

　引き続き汚くて肌寒い路地裏に潜んで、逃げるタイミングを窺（うかが）うしかない。

　せめてさらに奥まろうと、生ゴミとカビの匂いに充満した道の中央に身体を滑り込ませ、腰の高さまである鉄製のゴミ箱の影にしゃがみ込む。

　周囲にもゴミが散乱しており、華武吹町の民度が知れた。

　一張羅（いっちょうら）の学ランに激臭が染み付きそうだ。

　その上、意地悪く曇天から霧雨が降りてくる。

　夜の雨、温度はどんどん下がっていくだろう。

　じらすように点々開き始めていた通りの桜も凍えて散ってしまうに違いない。

　あーあ、楽しみにしてたのにな。

　それにしても、だ。

　ヤクザ連中がこうも本気で探し回っているだなんて、まるでおもちゃではなく本物の変身ベルトみたいじゃないか。

　ヤクザ組長がポーズして変身ってか？

　笑っちまうな。

　でも一体全体なんだって――。

　…………。

　街の雑踏と雨のノイズの中、すぐ隣のゴミ箱の中からビニール袋が擦れる音が聴こえた。

　ねずみでもいるのか？

　病原菌は怖い。

　そんな嫌な予感を巡らせつつ、正体を確かめようと顔を上げる。

「何かいんの――」

　ゴミ箱はいつの間にか半開になっていた。

　その中の薄暗がりに、二つ一組の光が瞬いた。

　長いまつげに縁取られた大きな二つの目。

　目。

　瞳。

　眼球。

　犬や猫、ではない。

　人間の――顔がそこにあった。

　その目はしっかり俺の二つの目と視線を絡ませ、二回ほど瞬く。

　生きている。動いている。

　生き物か化け物かはさておき、そこに意思を宿していて俺を認識していた。

「バブォッ！」

　驚きと汚臭とで叫ぶ事もままならず、不本意にバブってしまった俺は飛びのく。

　ポリバケツやら立てかけてあった看板板やらを、どったんばったん引っくり返しかき回しながら、後面の壁に背中を打ちつけた。

　それでも視線を外さなかったゴミ箱の中の目と再び睨みあう形となる。

　妖怪か幽霊か、願わくば実態がある変質者程度でいてほしいが――それにしたって状況が異様だ！

　跳ね上がる心臓、もはや激臭を意に介さない嗅覚、混乱する頭。

　結果、しばらくの対峙。

「あ、あの……」

　俺は口にしたが続かず、さらに空気は張り詰める。

　だが緊迫を打ち破ったのは俺でもゴミ箱の中の誰かでもなく、左右から飛んできた野太い声の連続だった。

「いたぞ、こっちだ！」

「見つけたぞ、鳴滝いぃ！！」

「人違いですううううッ！」

　右に竹中、左に黒服の男たち。

　正面はゴミ箱に入った何者か。

　背後は壁。

　四面楚歌（しめんそか）。

「くっそ、なんでよりにもよって両側から同時に！」

　俺のぼやきに、正面のゴミ箱の中から予想もしていなかった――怜悧（れいり）に冴えた女の声が響いた。

「貴様がやかましくしたせいだろ！」

「すみません……」

　声色もさることながら言っていることも鋭くて、俺はついかしこまった口調で謝ってしまう。

　「女の人なの？」とゴミ箱を覗き込もうとしたが――そこに竹中がノン溜め、ノン台詞でノン遠慮に、暴れ馬が如く突っ込んできた！

　やばい。

　話には聞いている元ラグビー部の超絶ラリアット。

　あれであばら骨を粉砕された男数知れず。折れた骨が他の臓器に刺さってそれはもう地獄のような苦しみを味わうらしい。

　加えて霧雨と走り回った汗でふんどし一丁の竹中の肉体はしっとりと濡れ、ある意味良い（・・）コンディションに整っている。

　さらに狭い路地で逃げ場所がなく、俺は早くも入院費の三文字に思考がクラッシュしていた。

　その間に事は流れるように進んでいく。

「優月様！」

「お戻りください！」

　黒服たちが口ぐちに言葉を吐き出す。

　目の前では、ゴミ箱女が華麗に飛び出し、宙を舞っていた。

「くっさ！」

　俺は「危ない」と言おうとして間違えた。

　女は長い黒髪と深紅のコート、そして残飯を翻（ひるが）し、恐らくは竹中の後ろに着地するつもりのようだったが全く飛距離が足りず、ヤツの後頭部に着地。

　頭に重力のかかった竹中は、顔面をゴミだらけの濡れた地面にこすり付けながら勢い止まらず自らの足で数メートル滑走した。

　顔面スライディングとはやるねえ、竹中！

　一方、女は慌てた様子で後方の黒服集団を一瞥（いちべつ）すると竹中など最初からそこにあった地面、ゴミ同然に飛び越えて、今度こそ大通りに出て行った。

「優月様！」

　彼女を追おうと通路に入り込んでくる黒服。

　あれよあれよと進んでいく事態の中で、やっと思考を取り戻した俺は咄嗟（とっさ）の機転でポリバケツのゴミ箱を黒服たちの方向へ蹴り倒す。

　そこで起き上がり、手当たり次第に暴れる竹中。

「んんぬあるたぎぃ!!」

「わっ！」

「誰かこの大男を止めろ！」

「竹中さん、もうちょっと頑張ってねー！」

　俺は生意気を言いながら、女を見失わないよう必死に人混みを縫って走った。