01. 花のお江戸の逃亡劇


 一時間ほど前――。


 右手は龍、左手は虎、天井には桜吹雪と弁天べんてん様。

 いかがわしさにぜいを尽くした部屋で、ふんどし一丁の大男がさっと青ざめた。


「なん、だと……!」


 後ろにも同じような格好、もといふんどし一つも身につけず座布団で前を隠し座っている男の舎弟しゃていたちが様子を覗き見ている。


五光十文ここうじゅうもん……! 勝負はついたぜ!」


 彼らの前に突き出されたのは花札の《桜に幕》。

 兎にも角にも劇的な逆転、野球拳スタイルでの花札も決着となった。


「きゃあ、凄い」


 遊女の格好をした、ここキャバクラ《花魁おいらんクラブ》のキャバ嬢が甘い声を上げる。


 三人揃って身包みはがされた、下っ端ヤクザ竹中とその舎弟。

 対照的に正面に座る俺――鳴滝禅なるたき ぜんは学生風情そのままだ。


 勝利の興奮を隠しながらこめかみに指を突きつけて当てつけがましく言い放った。


「頭を使いなよ。あ、た、ま」


 かく言う俺も決して頭のよさそうな風体ではない。

 散々ワックスでこねくり回した金髪に学ランを羽織り、一目でわかるチャラついた不良学生だ。


 今は桜の開花を待つ三月三週目の春休み、夜更かし時の遊び時。

 そんなところで遊んでていいのか……なんて野暮は花に免じて無しってことで。


 そんな青春真っ只中の俺を、ヤクザ竹中は毎度毎度「道楽小僧」と食って掛かってくる。

 学生の俺をターゲットにするなんて、本当にケツの穴の小さいヤツだ。


 そのくせこうもスカッと負けるとは思っていなかったらしく、今は目をひん剥いてびたびたと汚い脂汗を流している。鬱陶うっとうしいほどに自慢していた前歯四本の金の差し歯も分厚い唇の下にしまわれた。

 花魁キャバ嬢のお蝶さんは「可哀相に」と静かに笑う。


 俺はさらに竹中を煽るようにして手をひらつかせた。


「そいじゃあ、お遊戯代金とおみや代金よろしくね」


「ぐ……」


「あ、身包み三人分も勝負してやったんだし『二度と歯向かいません、次会ったら獅子屋ししやの特選いちご大福ご馳走します』って言ってくんないかなあ」


「おい、そんな約束をした覚えはないぞ!」


「ヤだってんならいいんだよ。その代わりと言っちゃなんなんだが――」


 とはいえ俺も好きで下っ端竹中の挑発に乗っかったわけではない。

 一つ、妙な噂を小耳にしたからだ。

 危なっかしい話だったが、俺の財布事情はすでに崖っぷち。首を突っ込まざるを得なかった。


 鬼も悪魔も流れ込むネオン街――ここ、華武吹町かぶぶきちょう


 江戸時代から吉原遊廓が栄え、ピンク色の光に照らされたこの街は、現代でも歓楽街として有名な大都会の中心。

 見た目はきらびやかだが、私利私欲の煮詰まった畜生界。そんな場所だ。


 やれ痴情のもつれで刺した撃たれた、いつの間にか人が消えている、男が血まみれ、女が泣いてる、そんな話が飛び交う治安劣悪なこの街で――いや、そんな華武吹町だからこそ浮いた話だったのかもしれない。


 竹中が所属しているヤの字の剣咲けんざき組が華武吹町のあちこちで《おもちゃ》を探しているという話だった。


 粗野丸出しの竹中は下っ端だが、剣咲組の中枢は普段静かで、品性さえ感じられる集団だ。

 一般人が密やかに噂にするほどに動きが漏れているというのは随分と手荒で切羽詰っているという印象だった。

 その上、探している《おもちゃ》というのが――。


「噂の《変身ベルト》の話なんだけどさ」


 そこまで口にすると竹中の表情にわかりやすく「!」マークが表れた。

 知っているし、話したくてしょうがない、という顔だ。

 わかりやすい。


「鳴滝てめえ、ベルトを知ってるのか! どこだ、どこにあるんだ!」


「待てよ、俺が知ってるベルトとあんたらが探しているベルト、同じかわかんないじゃん」


 案の定、バカ竹中はこういうのこういうの、と興奮し身振り手振りで説明し始める。


 要約すると、中央に赤く光るサーキュレーターのような装置がついていて帯の部分には難しい漢字が書いてあり色は黒、長さは普通のベルトと変わらない……らしい。まさしくステレオタイプの変身ベルトだ。


 なるほど、なるほど。

 話だけでも金になりそうだ、ありがてえ。


「で、どこにあるんだ!?」


 身を乗り出し、悪趣味な金歯を見せてくる竹中。手柄を取りたくてうずうずしているらしい。


 俺はこのバカをさらに騙してやろうと、唇の端を吊り上げた。


「そりゃあタダでは言えねぇよ。獅子屋の特選いちご大福三十個ってところだなあ」


「禅ちゃあん、私もいちご大福だぁい好き!」


 お蝶さんがタイミング良く、都合良く、話に乗っかってきたかと思うと実際に俺の膝の上に腰を落とし両手を首に絡ませてくる。

 はだけた着物、白いうなじから男の知能を下げる香りが漂って俺は必死に抗いながら努めて明るい声を上げた。


「お蝶さんはいくつ食べちゃうのかなあ? 二つかな? 三つかな?」


「美味しいから二十個は食べちゃう!」


「…………」


 いくらなんでも食いすぎだろ。

 お蝶さんのことだからていよく手に入れたとしたら、ドヤ顔で配り歩くのだろうけれど。

 この街の商人は図太くて面の皮が分厚したたかだい。


 俺はお蝶さんの無茶苦茶な請求も含めて、竹中に押し付けることにした。


「――ちゅうことで、五十個だって竹中さん!」


「やだあ、禅ちゃんったら優しいのねえ! ちょっとだけサービスしてあげる」


 文字通り乗っかったお蝶さんは俺の右手をとって自らの首筋に当て、次第に鎖骨、胸元と順々に導いていく。

 自分より少しだけ暖かく心地よい温度。触れた箇所から優しく上がってくる丸い香り。この先には一つ千円のいちご大福よりも大きくて柔らかい物体があるのはわかっているが――俺は理性をかき集めてここぞとばかりに抵抗した。


「お蝶さん、マズいって」


「やだん、今更恥ずかしがらなくてもいいじゃないのぉ」


 揉ませてくれるのならそれはそれでありがたいんだけど今回ばかりはそうじゃなくて――!

 と、思っているうちにお蝶さんの胸の谷間に乾いた音を立てて札が落ちた。


 松に鶴、桜に幕、すすきに月、柳に小野道風おののみちかぜ、桐に鳳凰――花札で言う光札ひかりふだ

 出所は……俺の学ランの袖口だ。


 竹中が新調したと自慢しきりだった金の差し歯は、それはそれは綺麗に手持ちの札を反射するものだから、忍ばせた札で都合をつけるのは簡単だった。

 そういった調整のことを、もしかしたらイカサマとか詐欺と、言うかもしれない。


 しかし世の中には勝ったほうが勝者、過程より結果が大事、過ぎたことは気にするな、といった言葉がある。

 まったくもってその通りだ!


 俺が心の中でうにゃうにゃと言い訳しているうちに空気は重くなっていく。


 察しが良いお蝶さんは何事も無かったように俺の膝の上から降りて定位置で正座、そして「禅ちゃん可哀相」と静かに笑みを浮かべた。


「…………」


 重油の如き沈黙。

 イカサマ、イカサマ……と、かすれた舎弟の声が部屋を這いまわり、竹中の肩から上が湯だって真っ赤に染まっていった。


 竹中はこの通り、頭は弱いが大男と称してよい立派な体格をしている。

 モテたいが為だけに身体を鍛えた程度の俺では、取っ組み合いになった場合にどう頑張っても覆しようが無い。


「なぁーるぅーだぁーきぃーッ!!」


 ばきぼきと両手の指を鳴らし、俺の顔面からつま先までを歪ませるための準備運動をしている赤鬼。

 俺の口からは「はわわわわ」なんて可愛い声が垂れ零れていた。


「竹中様をバカにしやがって。そのスカしたツラを二度と見れない形にしてやるぜ」


「いやあ、よく……イカサマでも勝ったほうが勝ちって言うじゃん……!」


「ほう、なら俺がいまからお前を折り畳んでやったら勝ちってことかあ!」


「おぉお、お、仰る通りで……!」


 バカ竹中にしては言い返すじゃねえか……。


 こうなったらこれしかない。

 膝をつきながら両手をバンザイ、ピンと伸ばす。頭を下げると同時に俺は叫んだ。


「す、すいませんでし――畳返し!」


 ぱんっ!

 次の瞬間、俺が叩きつけた空圧で薄い畳が浮き上がり、睨みつける赤鬼竹中の視線を遮った。

 その隙に転がるように出口へ走り、ふすまを開けて廊下に抜け出す。


 おみやといちご大福、お蝶さんのおっぱいは惜しい。

 でも自分が一番大事、ふんどし一丁の男にベアハッグされてたまるか!


 俺は脱兎の如く絢爛豪華な廊下を駆け抜け、五重塔さながらの盆を掲げた給仕の横を通り抜け、精緻せいちな文様に彩られた暖簾のれんの下を潜り抜け、一目散に出口に向かう。


「んんなぁーるぅーだぁーぎぃいい!!」


 その後ろを竹中がふんどしをなびかせ豪快に腕を振り回して猛進、バランスを崩しかけていた五重塔に激突しても払いのけ、最早出口を出ようとしている脱兎――すなわち俺に突撃してくる。


「逃げるが勝ちって言うもんなあ!」


 入口の番台を通り過ぎる瞬間、ぷかぷかとキセルをくわえていた老人がさも当たり前のようにド派手なちりめん模様の下駄ニーカー――一昔前に流行った鼻緒がついている下駄型のスニーカー――を放り投げた。

 俺の愛用スニーカーだ。


「あいよ、豪ちゃん」


「禅だっつうの!」


 番台のじいさんはいつまで経っても俺と死んだオヤジを勘違いしているらしい。この街の無頼漢ぶらいかんだったオヤジもこうしてドタバタの末にこの遊技場から逃げ出したりしていたに違いない。

 言い合わせていたかのようなタイミングで下駄ニーカーをキャッチする。


「落とし前つけろ、なるだぎいいいい!!」


 竹中が騒音を巻き散らしてその騒音がさらに騒音を生む。


「お見送り御苦労さまでした! また来週おねがいしまーす!」


 小馬鹿にした声だけがネオン街の奥から響いてさぞ悔しかったのか竹中はぐうの音――どころか獣のように唸った。


「ぐぅんぬぬぬぬ……!」


「……兄ぃ、どうしやす?」


 しっかり着衣してから追いかけてきた舎弟に一発くれてやり、竹中はふんどし一丁で凄んだ。


「追え! 今日こそ八つ裂きにしてやる!」


「へ、へぇい~……!」


 いつものセリフだった。

 本気なのだろうけれど。


 すぐ近くの物陰に隠れていた俺は、見当はずれな方向に散って行った竹中の舎弟を見て、ほっと一息つく。


 このドタバタ。

 これがいつもとかわらぬ華武吹町、いつもとかわらぬ鳴滝禅というわけだ。


 しかし……。


「変身ベルトの話、ガゼじゃなかったのか……」


 ヤクザが必死になって探しているだなんて、相当ヤバいものみたいだな……。

 それが華武吹町この街に出回ってるだなんて、ろくなことになりゃしない。


 ま、ベルトがどうなろうと俺には。

 全く。

 一切。

 全然。

 まるで。

 関係ないけどね。

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