無明戦士ボンノウガー

澄石アラン

プロローグ Sexual desire or XXXX

煩悩ぼんのうの声を聞け。我とTogetherせよ……』


「は……?」


 思わず尋ね返す。


 だが沈黙を埋めるように、擦りガラスのドア一枚挟んだシャワールームからの身体を清める水音が粛々しゅくしゅくと響くだけだった。


 部屋には欲望を受け止めるための大きなベッド、欲望を助長させるための大きなテレビ、欲望を……その他備品以下略。

 鏡張りの壁がシャンデリアを幾重にも複製し、一面にレトロな飴色の光を浮かべている。


 ネオン街、華武吹町かぶぶきちょうは日本で一番の《不夜城》、《眠らぬ街》、《欲望の迷宮》と名高い。

 ここはそんな治安劣悪な街の、ラブホテルの一室――ワケ有り男女が愛を育む場所。


 よって喋りかけてくるものがあるとすればシャワールームにいるだけのはずで――しかし聞こえてくるそれは、音ともまた異なっていた。


 腕から這い上がってくるしびれが、言葉となって頭に響く。

 テレパシー? 念話? ……と、いえるものなのだろうか。


『我とTogetherせよ……』


 Together……?

 共に……?


 超常的なのに胡散臭いアラートは続く。

 馬鹿馬鹿しいと思いながら、俺は手の中に納まった黒いベルトを呆然と見つめていた。


 その散漫とした思考の中で、状況を確認する。

 結局、この部屋における二つの異物に意識を向けることになった。


 一つ目。

 俺――鳴滝禅なるたき ぜん、留年高校生の十九歳。

 風体は金髪にシルバーアクセといえばだいたい想像がつくようないわゆるチャラ男で、特筆する点といえば、貧乏極まって学ランが一張羅、夢も希望も金も無い不良学生……ということくらいだ。


 二つ目。

 俺の手の中に納まった変身ベルト。

 そう、変身ベルトだ。


 中央にサーキュレーターはお約束だが、全体的に赤黒く、帯にはミミズのったような文字、ゴテゴテとした悪趣味な装飾。

 正義のヒーローが腰に巻くアイテムと言うには、どこか禍々まがまがしい印象のデザインだった。


 もう一度、確認する。


 ここはネオン街、オトナが愛欲を肯定するラブホテル。

 俺は、夢も希望も金も、ついでに愛とも無縁な落ちぶれた学生。

 手には、純真な子供が憧れのヒーローを真似て遊ぶ、そんな夢と希望と正義を象徴するおもちゃの変身ベルト。


 ……何もかもが噛み合っていなかった。

 その上、だ。


『我とTogetherせよ……お前こそ、我が力を手にするのに相応しい』


 腕から伝わる意思は――恐らく変身ベルトの声は、眉をひそめている俺に呼びかけ続けている。


『その身をもって欲と弱きを知り、煩悩を《XXXX》に昇華せし者よ!』


 何のことを言っているのか全くわからない。

 そもそもおもちゃの変身ベルトが語りかけている時点で、俺の思考はキャパシティーオーバーだ。


 頭上で疑問符が沸いては消えていた俺は、半ば現実逃避で数時間前のことを思い返し指折り数える。


 金欲しさにヤクザを怒らせてしまったので逃げる。いつものこと。

 逃亡中、綺麗なお姉さんと会い、なしくずしに一緒に逃げる。

 彼女はあまりにも世間知らずな、俺は卒業・・できそうだったので舌先三寸でだまくらかしてラブホテルに連れ込む。

 そう、灰色の日常をぶっ壊し、彼女とアバンチュールな一夜をTogetherしようと思って――。


 どこもおかしなところは無い。

 ここまでは、健全な男子としてあまりにも自然で紳士的なエスコートだ。

 極めて当たり前で王道な成り行きだ。異論は無いはずだ。


『我とTogetherせよ!』


 ――で、お盛んにTogetherしようと言い出しているのは、俺の手にある胡散臭い喋り方をする胡散臭いブツという状況。


「そういう趣味は無い……お断りだ!」


 しかし俺は薄々と、阿鼻叫喚の茶番劇が幕を開けつつあると勘付き始めていた。

 ベルトこいつの物騒な噂は知っていたからだ。

 他人事だと思って聞いていた、それなのに。


 灰色の日常は、いままさに軋んだ音を立てながらブッ壊れようとしている。

 全く想定していなかった上に、望まぬ形で。


 話は小一時間前に遡る――。

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