第9話 -1 ナマケベアの奇襲


 クリオロさんの治療は驚くほど効いた。治療促進と言っていたが、丸一日休んで腕の骨は完治した。朝になり準備体操をしても苦もなく、元通りになった。


「怪我はよくなったみたいだな、では実地訓練にうつる。ラグゥサ近くの森で野宿だ。持ち物は武器のみとする。食糧は自分で確保すること、現地調達だ」


「はい!」


「サバイバルには三か条がある。芽衣、言えるか?」


 昨日と比べ、鬼教官の顔が戻っているリップさんは後ろ手に直立する。まるで軍人のように屋敷の前で直立する私はいつ間にか体が敬礼していた。一日休んだが体は訓練を覚えているようだ。


「はい! トラッキング、動物や人間の足跡を追うこと、アウェアネスは鋭敏な認識力と警戒力、サバイバルは生き残るということです!」


「そうだ! 今日は亜人のオセロットにも協力してもらうことにした。彼の行動をよく観察するように」


 暑苦しい私たちに向けて、眠たそうにあくびをしているオセロットくんは服装を動きやすそうなものに変えている。朝は苦手なようだ。


「夜型でね、朝はどうも苦手なんだ。集団で狩りより隠密行動のほうが得意なんだけど、鼻はいいし協力するよ」


 櫂も肩に乗り一緒についてくるようだ。街を出て草原を過ぎたラグゥサ寄りの森に向かう。実際のサバイバル試験場の近くで生態系も同じらしく、私は軽く下見気分だった。


 草原でピクニック気分を楽しみ浮かれていたが森に着くと気分は一転。鬱蒼とした植物群は熱帯林のような雰囲気で、シダやツル植物が多く木は信じられないくらい大きい。特出した太い根が地上部に剥き出しになり、岩も多く足場が悪い。姿は見えないが得体のしれない動物の鳴き声がそこかしこから出迎えてくれる。ただならぬ自然の畏怖を感じる。


 障害物のような地形を二人は何事もない顔をして軽々飛び越えていく。とてつもなく太い剥き出しの木の根に足を乗せた途端、苔で滑り根の間に尻餅をついた。


「いったーっ」


「芽衣、大丈夫か!」


 オセロットくんが声をかけてくれ、返事をしようとしたら目の前の茂みがガサガサと音を出し揺れた。何だろう?と、お尻をさすりながら様子を伺う。その間も葉は揺れ続けている。気になって四つん這いで進み、シダの葉をかき分けてみた。


 茂みの中にいたのは体長二メートルを超える、全身に角の生えた熊のモンスター。目が合うと長い爪の生えた両腕を振り上げ近づいて来て、今にも私に飛びかかろうとする。いきなりの展開に動転して私はその場にへたり込み、腰を抜かしてしまった。


 防がないと危険なのは分かっている。相手より先に攻撃をしないといけないのも分かっている。だが頭は恐怖で固まり、体は機能を忘れた。


 音もなく閃光が走り、熊の腕が瞬きした間になくなった。気づいていない熊は腕を振り下ろす動作をしたかと思えば、次に殴られたように顎が天を向き、そのままゆっくりと後ろに倒れた。喉元を切られていたようで、噴水のように勢いよくモンスターの体の血が吹き出す。


「ナマケベアだね、僕と一緒で夜行性なんだけど寝ぼけてたのかな? 芽衣、転けた時の怪我はない?」


 サラサラの髪を輝かせニッコリと笑うオセロットくん。モンスターを倒したのは彼だった。両手の指先から鋭い爪が真っ赤に光り、布で血を拭うと爪は元の長さに戻った。初めて見る、亜人の身体的特質だった。


 オセロットくんが腰を抜かしたままだった私を立たせてくれ、土を払ってくれる。振り返り、血の滴るクマの手を拾い丁寧に布でくるみ、ポシェットのアイテムボックスに入れた。容量に限りはあるがゲームでよくある収納アイテムだ。


 彼はモンスターが傷つくのを嫌がっていた。元気に飛び回る櫂を助けてくれたのもオセロットくん。それなのに私が不甲斐ないばかりにモンスターを殺させてしまった。なんて迂闊だったんだろう、彼に申し訳なくなる。


「ありがとうオセロットくん、あと……ごめん」


「ん?……あー違うんだよ芽衣、僕は偽善者なんだ。生きてく為にこうやって素材も採取するし肉だって食べる。ただ、モンスターが子供のうちに親や森から無理矢理離されて虐げられるのが、どうしても嫌いなんだ」


 悲しい目をして彼は私から視線を逸らした。流れ出るナマケベアの血が地面に染み込んでいく。


「昔、教えて貰ったんだ。生きて、死んで、活きるって」

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