第2話



「よぉ。時化たツラだな」



 ぞ、と背筋に悪寒が走る。と同時に心臓が跳ねる。人の、声。それが、いやそもそも何かの音でさえ、今の私にとってどれほど久方ぶりに聞くものであったし、それは数億年に一度地球に接近しその姿を見せる彗星のように珍しく、突然やってくる氷河期のように心を凍らせるものとしか言いようが無い。

 病院の中庭で日なたぼっこしていた私がその方を向けば、白衣の医者が立っている。首からかけたIDカード。名前は書いてあったが、読めなかった。あまりの衝撃に、文字が頭に入ってこなかったのだ。

「あんた、なんだよ。聞こえないってのに、こっち見て、鳩が豆鉄砲食らったような顔してさ」

「……」

 医者はこちらにつかつかと歩み寄り、言う。

「最初に言っとく。今日から俺があんたの主治医だ。でもあんたが治されたくないのはわかってる。だから、別に、治さない。治りたくないやつを治してるほど、医者は暇な仕事じゃあない」

 ああ、私の楽園もこれで終わるのか、聴力は戻ってしまったのか、とぼんやり思う。楽しい時間はあっという間だとよくいうが、まあ数年の間だけでもそれが味わえただけ、マシなのかもしれない。まあいずれにせよ、今度はもっと強く耳を痛めつければ良いだけの話だ。

「アフォガート」と私は言う。

「は?」

「アフォガートが食べたい」

 どうせ、相手がどんな文句を垂れようが、聞こえなかったふりをするだけだ。私は最後の気まぐれに、そんなことを言ってみる。

「何言ってんだ。病院の食堂にだって、そんなものはない」

「……」

 小首をかしげてみる。期待に満ちた眼差しで、彼を見てみる。

「……あー、そんな目で見るな。全く、これだから治る気のない患者は嫌いなんだ。わかった、わかったよ。持ってくりゃいいんだろ」

 え、ほんとに持ってくるの? 

 私は思わず顔にまで驚きを出していたようで、「なんだよ。テレパスか、あんたは」と彼は悪態をつく。

 

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