正義組組員誕生

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正義組組員誕生

「おうとも、てめえ! はっきり言えって言ってんだよ!」


 サングラスに、黒いスーツ。口には葉巻。そして、顔には傷。

 そんな姿の男3人に囲まれた彼女は、全身ガタガタと震えていた。


「いや、その……」

「ケッ、しょせん口だけ女か! わかったら二度とイキるんじゃねえぞ! 俺らはな、ハンパモンが一番大嫌いなんだよ!」


 彼女がわずかにそうこぼすと、3人の男は肩をいからせながら歩き去って行った。普通の主婦のはずの自分が、いったいなぜまた。

 その恐怖におびえながら、彼女は買い物カバンを提げて交番へと駆け込んだ。


「いきなりやくざ風の男3人に焼き肉屋の前で因縁を付けられて、それで裏路地に連れ込まれて脅された……」

「その時に言われたんです、イキるんじゃないって……どういう事でしょうか」

「心当たりはありますか」

「何もありません!」

「とりあえず本庁に連絡しておきますので、今日はいったんお帰り下さい」


 交番のお巡りさんは彼女の話を真摯に聞いてくれたが、それでも恐怖が消える訳ではない。

 いったいなぜそんな風にからまれたのか、その原因がはっきりしない事には怖くて仕方がない。食欲も失せてしまう。





「あらおいでにならないんですか?」

「いや行きますけど……」


 せっかく、今夜は近所の奥様と一緒に鮮魚料理を楽しむはずだったのに。

 なんでまたこんな日にこんな目に遭わなければならないのか。

 わざわざ昼間災難に遭った焼き肉屋を迂回してたどり着いた鮮魚料理店には、大きなタイの看板がそびえていた。


「それにしても大きな看板ですよね」

「改めてみるとそう思いますよね」


 ほかの女性たちがまっすぐ看板と入口を見る中、頭も上げられずに足を引きずる。話にも何となく加われない気分になって来る。


「……どうしたんですの一体?」

「不良にからまれたとかって」

「あらまあ大変ですね。ささ、おいしい物でも食べて忘れましょう!」


 そう言って刺身を口に運ぶが、繊細なはずの味が分からない。

 活け造りにされる魚を見たくなくて、隣の奥様たちばかりを見る。

 舌が肥えていないせいにしたいが、どうしてもいやで仕方がない。

「……………………」

「何かおっしゃりたい事でもあるんなら言いなさいよ、ほら」


 楽しい事が思い出せないで、不愉快な事ばかり浮かんで来る。


「ああありますよ、最近やってるあのドラマです」

「ドラマ?」

「そうそう、80年代がどうとかってケンカばかりするような不良男を持ち上げて、ああ言うのって存在するだけでも不愉快なんですよね。正直よその子どもたちが見ないような時間でやって欲しいんですけど」

「午後11時ですけど」

「知ってますけど」


 私は許せないんですと言おうとした途端に、彼女の肩に手が置かれた。昼間と同じ、チンピラ風の男。


「おうおう、そこの女。昼間に言った事がまだわかってねえんだな」

「うわあ!」

「お前は一体どれだけ偉いんだ?人様が丹精込めて作った物にケチを付けられるたあ随分なご身分だな」

「ちょっとなんですかいきなり!」

「あんたらもこの女の真似をするんじゃねえぞ、じゃあな。おい店主、こちらに刺身盛り合わせ1人前追加だ」


 男は彼女を睨みつけながら言いたい事だけ言って、刺身盛り合わせ1人前の代金を置いて自分の席へと戻って行った。


「いや、ちゃんとお金を払っている手前客ですから」


 あんな男など入口の段階で断れとも言いたかったが、客商売にとっては致し方ないのだろう。彼女にしてみればまたもやわけのわからないタイミングで脅された訳だからますます食事など集中できなくなり、まるで飢え死に寸前の人間のようになった。

 自分のせいで和やかな食事会が一瞬にして壊れたという罪悪感と相まって、彼女の箸の速さはすさまじい物になった。


「あの、すみません。無理強いしちゃって……」

「いえいいんです!気になさらないでください!」

「もしかして先ほどの」

「はいそうです!そうなんです!」


 実際問題、レンタルビデオやら動画サイトやらがここまで普及しきった時代においてテレビでオンエアされてしまったコンテンツを遠ざけるのは非常に難しい。

 深夜ドラマであった所で、録画すればそれまでだしできないとしてもレンタルビデオ屋に行けば問題はない。

(それを愚痴る機会ぐらい与えてくれてもいいじゃないの、何なのあのチンピラは!)

 彼女は目の前の料理を乱雑に口に運びながら、自分に因縁を付けて来た男に向けて思いっきり毒づいた。




 やっと気分が落ち着いた彼女であったが、それでも憤りは収まらない。

 スマホを手に取ると憤りをおさめるかのように、彼女はツイッターに今日の出来事をつぶやいた。


「まったく、今日は最悪!昼も夜もチンピラに因縁付けられて、一体何が悪いって言うの!?だいたい、あんなヤクザ映画なんか流すから増えるんでしょ!作った奴も流す奴も止めない奴も全部ふざけんなって言いたいんだけど!今すぐやめさせたいわ!」


 ふた月前に始めたツイッター、フォロワー50人。日常会話以上の事は呟いていないにしては多い人数だと思うが、この50人に自分の不愉快な気持ちを受け止めてもらいたかった。

 だが現実と言うのは、決して思惑通りにはならない。


「唐突ながら一言申し述べさせていただきます。ヤクザ映画は古来よりジャンルの一つであり、立派なニーズを持つ一つのコンテンツでございます。そしてその映画の登場とヤクザの増大についてのデータがない以上、それは個人の感想の範疇を出ない物と考えます」


 と言う返信が、30分もしない内に返って来た。


「いきなり横入りして来て何のつもりですか? 確かにその事はわかっています。でも私は耐えられないんです、あんな風に平気で犯罪を行うような輩を肯定するような物が世の中に出る事が!傷付く存在がいるのかとか考えられないのですか?」

「どうやら貴方は他の方がやくざ映画に触れる事により自分と同じように傷付く物であるとお思いのようですね。それこそ自分一人でどこまでも、他者の権限を好き勝手にできるという類のそれであると言わざるを得ないと愚考いたします」


 丁重な口調で他人事のように自分の苦しみを踏みにじるスマホの向こうの相手にケンカを吹っかけてみた彼女だが、相手はまったく冷淡だった。

 それでますます熱くなりついブロックしたが、その直後の書き込みで一挙に体温が下がった。


「どうやらまだイキリ癖が治ってないようだな」


 883と言うアカウント名に使われている写真は、完全に今日2度出くわしたあのチンピラの物だった。


「意味が分かりかねますが」

「同族嫌悪って奴か?なら遠慮なく好き勝手にわめけよ。止めねえけどな」

「同族嫌悪とは?」

「俺とおまえは同類項ってこったよ」


 なるべく冷静に返したつもりで飛んで来た所に同類項呼ばわりが返って来てヤクザなどと一緒にするなと思って衝動的にブロックしたものの、気持ちは全く治まらない。

 腹が立ったのでビールを缶からラッパ飲みしてみたが、3分後にはアルコールの急激な摂取が体に与える影響に震えてますます気分が悪くなった。




「お帰りなさい!」

「どうしたんだよ」


 やがて帰って来た亭主に向かって今日の全てを愚痴りながらもう一杯ビールをあおってみたが、気分は全然治まらない。


「ったく災難だったよな。って言うかお前ツイッターやってたのか」

「もうやめたいわ、ちょっと文句言っただけなのに横からいきなり殴りかかられてさ、それでさっき言ってた883とかってチンピラにあんなこと言われてさ」

「大丈夫だよ、俺が守ってやるから」


 夫からその言葉を得てようやく安心したものの、苛立ちと不愉快さはまったく取れなかった。自分が不満を口にする事の何が悪いと言うのか、ここは民主主義国家ではないのか!





 次の日、買い物に向かった彼女が帰って来ると、家の前でヤンキーたちがしゃべっていた。


「どいてくれる?」

「ああどくよ、ケッ」

「礼儀って物があるでしょ」

「あああるな、でも俺らはこうしてるのが楽しいんだよ」

「私は楽しくないの!」


 ヤンキーたちの無礼な振る舞いについ声を荒げると、ヤンキーの男の一人が陰になって彼女に見えていなかったタバコの煙を天に向かって吹き出した。

 夫婦そろって嫌煙家である彼女にとってはタバコ自体耐えられない物であり、彼女の血はますます沸騰した。


「ちょっとあなたたち!なんてことをしてるの!」

「ああん?俺らバーの店員なんだぜ、21歳なんだぜ。免許書見せてやろうか」

「そうじゃなくてね、タバコってのは肺がんのリスクを増大させ寿命を縮めそれに副流煙の害は本人の数倍なのよ!そんな危険な物を同じぐらい危険な火を点けて吸うだなんて、ただの浪費よ!」

「おばさん、あんた人をバカだとでも思ってるのか?」

「ああそうよ、こんな何にもならない物にしがみついて!もっと他に有意義な事ができるようにタバコなんかなくなっちゃえばいいのよ!」


 彼女がそう声を荒げると後ろから昨日二度出くわした男が現れ、振り向いた彼女の顎をつかみながらニヤリと言う言葉が似合いそうな笑みを浮かべた。


「お前さん、見どころがあるじゃねえか。ただのイキリ女かと思ってたけど、こいつは大物じゃねえかよ」

「嬉しくありません、ヤクザなどに褒められても!」

「ほう、お前さんは清水の次郎長までけなす気か?富士山麓の開拓に英語教育まで為したお方を?」

「一緒にしないでください!」

「たいした奴だ。それで、今度俺の三つ隣に住んでいる奴が二泊三日の温泉旅行に行くそうだ」

「何が言いたいんです!」

「その事についてどう思うよ」


 全く関係のない話であるが、とりあえず目先の問題として自分がこんなにローンで苦しんでいるのにのうのうと旅行するなどずいぶんなご身分だなと言う思いばかりが彼女の頭を支配した。

 そしてその事を素直に嘆けばみじめになるから、自分の味方をしてくれる存在が欲しかった。キョロキョロと味方を探してみるが、知らぬ存ぜぬを決め込まれたのか味方は一人も目に入らない。


「まったく、旅行に行けないほど余裕のない人もいるのに、それを言いふらすだなんてどこまでおごり高ぶってるんだか!」


 だからそう言った瞬間、彼女の体はほんのわずかだけ重くなった。百万円の数字が書かれた、小切手が彼女の買い物かごにはさまれたのだ。


「大した女だ! 今日からお前も正義組の組員だ!」

「私はそんな!」

「これからもしっかり励めよ!お前らも帰っていいからな」

「わかりやした、アニキ……」


 ヤクザにより、勝手に組員にされた。いつ何時、それ相応の功績を上げたのかもわからないままに。

 茫然自失の状態で足を引きずりながら玄関をくぐり買った物をしまうと、どうしてこうなったのと泣いた。私のどのあたりがヤクザだと言うのか説明してよと叫んだが、答えは無論返って来ない。


「…………」


 何もかも嫌になって何も片付ける事なくテレビを点けると、山村の風景が出ていた。

 ほんの一瞬だけ心を落ち着ける事に成功したが、2分もしない内に簡単に沸騰してテレビを消した。


「何がとても元気にしていますよ!せっかく産卵のために戻って来た魚の命を奪って!まったく魚の気持ちなんか何にも考えていない無神経な番組ね!」


 川で釣りをする親子のさわやかな声を見た途端に血が湧きたち、平穏を乱すものを流して許せない抗議してやる――――と思った途端に電話が鳴り響き、おそるおそる手を伸ばすとまたあの声が聞こえて来た。


「おう、それでいいんだ。さっそく抗議しろ。金は弾むからうちのもんと相談してなるべくいい文面を考えて来い」


 受話器を握ったまま、彼女は昏倒した。自分の衝動が見られている事の恐ろしさと、それ以上に自分がヤクザの仲間にされた理由を気付いた恐ろしさに、彼女は負けた。


 そして彼女は薄れ行く意識の中で、昨日焼き肉屋の前で店主と、店員と、肉牛農家と、野菜農家と、食肉加工業者と、仕入れ業者と、オーナー企業と、その社員と、この店を楽しみにする客と、施工業者のすべてを踏みにじった言葉をこぼした事を心底から後悔していた。







 あの時見た、牛がニコニコしながらボクを食べてねとアピールする焼き肉屋の看板。あの時感じた憎悪が舌を動かし、運命を動かし、そして彼女の今後の人生を決定づけた――――「繊細チンピラ」としての、抜ける事など二度とできない人生へと。


「何この看板。まったく、こんな傷付く人がいる可能性がある事がわかってない看板を掲げる店って本当最低ね。やめさせてやりたいわ」

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