第76話 新入部員の成長を見守る

 弘前高校、野球部専用グラウンド。野球部の練習を邪魔しないような位置で、グラウンドの中が良く見える外野や、それに近い位置のフェンス裏などの場所には、野球部の練習風景を見ている集団が幾つかある。


 最も人数が多いのは近所の市民、もしくは学生で構成される弘前高校野球部ファンの集団であり、いわゆる『観客』の集団である。日時や時間帯によって数もまちまちで、滞在時間もバラバラだ。中には贔屓の選手に声援を飛ばす者もいて、幾人かの常連は色々と訳知り顔な会話を交わしていたりする。

 次に数が多く、そして顔ぶれと見学周期が一定数決まっているのが、県内の野球強豪校から派遣されている『偵察部隊』の集団である。その中には数も頻度も多くはないが、県外からの偵察部隊と思われる人間も含まれており、手帳や録画機材、ストップウォッチ等を必ず持ち、同様の仕事をしている人間と情報交換をしている者もいる。これは紅白戦や練習試合などの場合、滞在時間が長くなり人数も増える。


 そして数が最も少なく、顔ぶれがほぼ決まっているのが『取材記者』の集団だ。その中にはプロスポーツ程ではないが、いわゆる【番記者】扱いではないかと思われる程に顔ぶれが固定されている面々もいる。とはいっても県内の野球強豪校で全国レベルと言われる程の選手は限られており、正確には【F県高校有力選手番】という扱いかも知れないが、そのうちの数人は本当に【弘前高校番】もしくは【KYコンビ番】なのかも知れない。

 実際に話を聞いたりして取材する場合、予約を入れる等して時間を多めに取ってもらうか、練習の合間に少しだけ時間を取ってもらって記者の集団がまとまって取材を行うため、取材記者の殆どは顔見知りであり、顔を合わせれば挨拶をし、今日の取材予約時間に変更があったか、などの情報交換をしたりするのが常だ。


 そんな数人の、弘高野球部の担当記者とも言える記者達が、野球部の練習を見ながら静かに話していた。


「……今年の弘前は、どうかな。いちおう去年の夏のメンバーのうち、8人が残っている訳だが……」

「ちょっと厳しいな。正捕手は卒業したし、投手も1人抜けた。普通に考えて2年の前田選手が投手専任となると、最低でも2人のスタメンを1年から補充する事になるが……」

「今のところ、即戦力とは言い難いな……」


 グラウンド内での練習風景を見ながら、何人かの記者から溜息が漏れる。


「高校野球スカウト枠にかかる選手がいないのは、最初に見ただけで分かったが……」

「調べてみれば、絶望に近い内訳だったな……全員が軟式のみ、なのはまだしも。過去にスタメンに選出された事のある選手はゼロだったぞ。代打出場だけだ」

「まあ、よほどの強豪校でもない限り、監督の覚えがよくなきゃレギュラーになれない、なんて事はよくあるが……記録以前に、歓迎試合での、あの有様じゃな……」


 今度はほぼ全員の記者から、溜息が漏れた。


「あの動きの悪さからすれば、基礎トレばっかりやらせるのも無理ないか」

「体力も技術も不足しているな。勝負度胸もだが」


 グラウンド内で練習する1年部員は、ペアを組んでの加重トレーニングや、キャッチボールなどを行っている。守備練習らしきものも少しは行っているが、軽いノックからのゴロを捕る捕球練習が多く、本当に基礎技術の向上を狙っているもののように見えた。打撃練習に到っては、軽い素振りとティーバッティングばかり。ピッチングマシンを使った打撃練習は全くやっていない。それに加えて。


「1年の練習を見てるのが、山崎と北島っていうのは無駄が多くないか?」

「同感だ。あの2人の練習量が減るのはマイナスだろ」

「こりゃ、今年の夏は捨てて、来年の夏に絞ってるのかな」

「いや、秋季大会と来年の春のセンバツ狙いからじゃないか?」

「平塚監督の指導力にも限界があるか。無い袖は振れぬ、って事かね」


 1年生を個別に指導しているKYコンビを見ながら、お互いに感想を口にする。ここ最近の練習風景は大体同じだ。時間は公立高校にしては多く取っているが、基礎トレの比率が多いため、実力が向上したかどうかも分かりづらい。新1年の実力や技術向上に関しての監督コメントは『体を壊さないように注意させています』といったものばかり。やはり積み重ねた技術が低い、地力が不足しているため厳しいという事だろう。


「……せめて弘前高校に、スポーツ選手特待枠があれば……」

「以前からそんな環境だったら、ずっと底辺野球部をやってないよ」

「まあ、甲子園優勝を目指すのであれば、来年が現実的ではある」

「あの1年連中が来年までに仕上がれば、充分に凄いとは思うがね」

「ま、KYコンビには今年のU-18招聘枠の可能性もある。当面の取材はあの2人の調子が崩れるかどうか、というところだな。順当に行けば主力選手になるのは間違いない」

「成長期で調子を崩さなけりゃな。是非とも日本代表として暴れて欲しいもんだ」


 そんな会話をしながら、記者の視線はKYコンビの2人に注がれる。1年部員の1人1人に個別に話しかけ、指導をする2人。主力選手である2人の練習量を減らしてでも新入部員のコーチングを任せるのは、おそらく平塚監督の指導方針によるものだろう。


 平塚監督は人格者として知られており、また理想家としての一面もある事は周知の事実だ。まず第一にあるのは『学生スポーツとしての、あるべき姿』であろうし、どんな有名選手であろうとも、先輩として後輩の面倒を見る事を蔑ろにしてはいけない、という事なのだろうと思う。そして今年の1年生は10人。今から育成して来年の夏に間に合えば、来年は新1年の部員に頼らなくとも夏を戦えるのだから。後輩を蔑ろにしない事は、ひいては自分のためにもなる事。そういう事なのだろう。


「……しかし、去年も底辺から這い上がったんだよなあ」

「KYコンビが居たからなのは間違いないが、1年が急成長する可能性はある」

「去年の今頃の弘前は情報が無いから、良く分からんところだが」

「平塚監督の育成マジックを期待するか」


 そんな会話をしつつ、ここ最近の高校野球情報を交換する記者達だった。


※※※※※※※※※※※※※※※


『いい?要はあんた達、ぶきっちょなのよ。去年の誰よりも酷い』

『少しは歯に衣を着せろよ。色々と』


 山崎が1年部員と先輩と同期の仲間を同時にディスりつつ、1年部員を言葉で軽く叩きのめしたのは少し前の事だ。


『まずは基礎体力を向上させつつ、発達していない運動神経を構築します』

『鍛え方が足りない、という意味な。運動神経が切れてるって意味じゃないぞ』


 1年部員に対して段々と遠慮が無くなって山崎が素で話す率が高くなると、まだ慣れていない1年生には通訳が必要になる事がある。1年生の心が折れないようにするためには必要な事なのだ。


『学校の敷地内には機械トレーニングの部屋もあるけど、メインになるのはペアを組んでの加重トレーニングによる筋力と運動能力の向上、体力向上よ。身長の近い人同士でペアを組んでもらうから、適当に見繕ってね。……ただし、清水さんはこっち』

『あ、はい』


 1年生で唯一の女子選手の、清水 良子さんが、山崎の前に出る。


『あなたは女子なので、あたしとペアよ。たまにマネージャーとも組んでもらうけど』

『は、はいっ!!よろしくお願いします!!』


 帽子が吹っ飛ぶような勢いで、清水さん……清水?呼び捨てにすべきなのか、どうなんだ……?とにかく清水さんが凄い勢いでお辞儀をしていた。山崎のファンっぽい子だから、緊張しているのだろう。


『そして残りの1年男子。ペアを組み損なって余った一人は、ここの北島先輩とペアを組んでもらうから、とっとと余り者を決めなさい』


 途端に、ひゃああ、という声とともにペアを決め始める1年生。おそらくは先輩とペアを組むと気を遣うから大変だ、という事なのだろうが。何だか俺が嫌われているような雰囲気で微妙に傷つく。どいつもこいつも覚えてろよ畜生。


『……よ、よろしくお願いします……』

『おう。よろしくな』


 余ったのは芹沢くんか。ペアとして遠慮なくいかせてもらうぞ。


『いくつか加重トレーニングを教えるけど、必ず正しい方法で行うように。特に姿勢なんかは間違うと、ケガの原因になるからね。まずは最初の一つ、肩車から。ペアの片方、スパイクを脱いで。……あ、清水さんは脱がなくていいのよ。あたしが脱ぐから』


 よし。まずは肩車か。俺も芹沢くんに一声かけてから、スパイクを脱ぐ。


『下になる方は、守備待機の姿勢。足を開き膝に手を当てて体を固定、背筋を伸ばす。で、上に乗る方は下の人の太ももを踏み台にして、ほいっと』


 山崎が清水さんの肩にポンと飛び乗る。俺も少し遅れて、皆に見本となるように、少しゆっくりしたタイミングで芹沢くんの肩に飛び乗る。


『降りる時も、下の人が体を固定してから降りるのよ。面倒がって立ってる人を下から持ち上げたり、させたりしないように。腰を痛めてケガするからね。はい、皆やって』


 1年のペアが全員肩車を成立させたのを確認する。


『スパイクを履いてなければ普段靴を履いたままでも出来るトレーニングだし、下半身と体幹を鍛えるのに使えるから、余裕がある時にいつでも行えるようにね。さて、グラウンドの外周をランニングいこうか。はい、スタート!!』


 ――最初から軽快に走れた連中は一人もいなかった。何周かした後に上下を交代し、俺と山崎は1年生を周回遅れにしながら声をかけつつ走っていたが……先が思いやられる、と思ったのは記憶に新しい。こりゃ徹底的に足腰を鍛えてやらないとなあ、と。


『はい、次はキャッチボールよー』


 と。ひとまず肩車で下半身が厳しくなったところで、キャッチボールをさせる。ただしの手で。


『あんた達、何が不器用かって言うとね。利き手もそうだけど、逆の手や肩の使い方が壊滅的に不器用なのよ。これを鍛えないと話にならない』

『ちなみに、この練習は先輩達もやったものだ。こいつができるようになると、守備力が根本的に変わってくるぞ。今日明日で変われはしないけどな。がんばれ』


 集団教育のせいか山崎の説明が雑になりがちな時は、すかさずフォロー。これが長年付き合ってきた通訳の仕事だ。


『スライディングキャッチからの中継や、バント処理の時なんかの、守備で一瞬を争う緊急の時には、グラブトスが必須になるわ。また、ゴロのキャッチの時なんかは、グラブを自在に操り、飛び込んだボールをグラブで掴んで回転を殺す力と技術が必要になる。利き手と同様か、それ以上に逆手を器用に扱えないと、守備でのエラーは減らないわよ』

『もちろん守備能力には、打球の予測や反射神経も必要だけどな。捕球後のミスを減らすには必要な事なんだよ。ちなみに俺や山崎は昔からやってたぞ。ほれ』


 素手で山崎とキャッチボールをしてみせる。左右両方の手で無理なくキャッチボールをしてみせると、1年生から『おおー』と小さく歓声が上がった。ちょっといい気分。


『練習用のグラブは用意してあります。大事に扱うこと。粗末にすると、しばくわよ』

『肘から先の感覚を身に付けて、逆手を扱う脳神経回路の発達を促し、器用さを上げるのが目的だ。全身を使おうとするな。そしてまずは慣れる事だ』


 予想通りだったが、最初はみんなまともに投げられなかったし、利き手のグラブで捕球するのも失敗して、ポロポロこぼしていた。まあ、最初はこんなもんだろう。俺や山崎、先輩達も最初はそんなもんだった。もっとも、俺と山崎の場合は小学校低学年の話だが。


『君達には、必要とされる基礎トレーニングを覚えてもらい、続けてもらいます。もちろん、バッティングにおける基礎もね。教えたやり方を遵守し、今までに覚えた独学のやり方、今までの指導者に教わった事は一切やらないように。下手な仕事は全部無駄よ』

『ウチは全寮制の野球学校でも無いし、学業優先の原則がある。今までに考案されて、実績を上げているトレーニングメニューを選んで実行するだけでも時間は一杯だ。それと、これは後で座学として講習するが、ひたすら同じメニューをやっても効率は悪い。トレーニングメニューの意味、体の疲労状態とローテーションの意味を理解して鍛えるんだ。これも守れよ』

『『『はいっ!!』』』


 などと。トレーニング方法を教え、間違っている所を修正し――適切な量、回数、速度などが実行可能になってきたのは最近だ。基本的に真面目な連中ばかりなので、教えた通りに体を鍛えてきた効果が上がってきたのだろうと思う。


「ほぉれ!!左右にブレずに走れ走れ!!ペース落ちてるわよ!!」

「「「ひぃぃぃ」」」


 山崎が清水さんを肩車して1年生を追い回しているのが見えた。俺のグループはペアを組んでのトスバッティングの最中だ。最近はこうして2グループで面倒を見ている。これは体力消耗や疲労の状態を観察してトレーニングの比率を変えているためだ。理由は至極簡単かつ実利的なものだった。


 ――我々、弘前高校野球部にとって、1年生部員は一人たりとも無駄にはできない、であり、であるから、である。であるからして、一律の訓練を施して、ついて来れない人間を置き去りにするのではなく。足りない部分を強化し、必要なレベルへと全員を押し上げる必要があるのだ。特に体力と筋力の面は重点的にだ。

 ……山崎に感化された訳ではない。訳ではないと思うのだが……可及的すみやかに1年生の基礎レベルを上げる事は、野球部のためなのだ。もちろん、我々選手の野望だとか夢のため、個人の名誉欲だとかのためでもあるが。そして。


 これは1年生のためでもある。野球はチームスポーツであり、対戦競技である以上、弱点は狙われる。

 運に恵まれれば、3年2年の実力で、1年生を全国大会に連れて行く事も可能かもしれない。しかし、全国大会で、あるいは県大会、地区予選で。明らかに実力不足が原因によるエラー等で、チームが負けたとしたら。彼らの一生に残る傷となるだろう。

 悔いを残さぬよう。全力を出し切ったと、やれる事はやり切ったと。そう胸を張って言えるように彼らを鍛える事、自身を鍛えられるように導く事が、俺達先達の義務だと思う。


 そして。

 もうあまり時間が無い。可能な限り底上げをしなくてはならない。

 夏の大会までの時間ではない。


 もちろんそれもあるのだが、問題は今月末から来月初めにある、GWの連休を利用した合宿までの時間だ。すでに家庭と学校の両方に了解を得て、学校内の宿泊に利用可能な設備と特別棟などの一部教室を利用しての、野球部合宿が計画されている。もちろん全員参加である。この時点で【本人の言質は取った】という事になっている。

 今年の連休は飛び石連休だが、最初の連休スタートから合宿は開始され、連休の間の祝祭日や土日ではない日は学校から授業に出るという、ある種の特別措置のオマケつきだ。この期間だけは寮生活の野球部のような生活となる。もっとも、マネージャーだけは交代かつ家からの通い、夜が遅くなる場合は平塚先生が車で送っていってくれるのだが。


 男女混合の部活で専用の宿泊施設が無い上に女子の人数が少ないため(合宿に参加するのは2人だ)保安上の問題が若干発生するが、警備員と女性の先生が配置されるという事、5連休中だけだが合宿を行う一部の運動部との合同合宿という事で許可が下りた。

 だからもう時間が無い。鍛え、回復させ、少しでも底上げしなくてはならないのだ。でなければ、1年生がどうにかなってしまうかもしれない。


 山崎はやる気だ。

 山崎は鍛える気だ。1年生の部員達を。を。を。ついでに体力を。


『試合で練習の力を8割以上出せる精神力を身に付けさせる。でなくては地力の差を埋める事は出来ない。日常生活への感謝の心を持てるようにしてやるわ』


 すまんな、1年生よ。昔は俺も通った道だ。そして俺は山崎が「やれ」と言った言葉に逆らえるようには出来てはいないんだ。どうか強く生きてくれ――――そんな気持ちで、感情の抜け落ちた視線を。山崎に追い立てられる1年生へと向ける俺だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る