閑話 飯坂工高と明星高の練習試合
――10月半ば、とある秋晴れの日曜日。
県立飯坂工業高校のグラウンドには、練習試合のため、明星高校の野球部員が集まって試合準備を進めていた。無論、飯坂工高野球部の部員も準備を進めている。
F県の秋季大会は10月下旬より11月上旬の開催となっているため、秋季大会直前の練習試合である。もちろん、この時期で互いの手の内を見せるわけにもいかないのだが、補欠部員の最終選考および、ベスト8以上には確実に残るであろう学校の実力の程度を測る物差しとして、または調整試合、補欠選手の最終選考としての試合として、適当であるという判断だろう。もちろん、2軍選手の対外試合による訓練の意味合いもある。
「今日はよろしくお願いします。藤田監督」
「こちらこそよろしく。島本監督」
飯坂工業高校の島本監督と、明星高校の藤田監督とが軽く会釈をしつつ握手をする。今日は休憩を挟んで、2試合を行う予定だ。
基本的に2チーム編成で行われるが、練習試合という事と、選手の調整、秋季大会前の最終選抜を一部兼ねているという事情もあって、選手交代は基本的に無制限の条件で行う事になっている。訓練させるも、容赦なく次々と交代させるも自由、というスタイルだ。その関係もあって、決勝戦と同じくコールドは無しで基本9イニングまで行う。
「……ああ、それと。今日は交代が自由、という特別ルールですが、もうひとつ」
島本監督が苦笑いをしつつ言い出した。
「何か、ありましたか?」
「実は、他校の野球部員を、特別に参加させて欲しいのです」
「他校の生徒?」
妙な事を言い出した島本監督に、藤田監督が首をかしげる。
「学校間の交流の一環でして。あと、練習試合がなかなかできないという事情もあるようで。今日は練習試合ですし、ご迷惑でなければ。基本的に交代要員ですが」
「ウチとしては問題ありません。対戦チームの情報不足に対応する訓練にもなるでしょう」
「ありがとうございます。2試合終わって時間の余裕があれば、そちらへ組み込んでのミニゲームをするのもいいかと思っています。それでは、また」
「分かりました。それでは」
軽く会釈して、お互いの部員の方へと戻っていく。
じきに第一試合の選手のグラウンド練習が始まり、練習試合が始まる。確定のスタメンを含めた、秋季大会直前の調整を含めた、補欠選手の最終選考を兼ねた練習試合。
スタメン確定の選手にとっては調整試合だが、微妙な立ち位置の選手にとっては真剣勝負の場だ。交代自由という事は、選手一人一人の監督へのアピール時間が少ないという事でもあり、ベンチ入りを目指す選手にとっては試合以上に真剣な舞台となる。ケガを避けた上で、貴重なアピール機会をものにする。そんな試合だ。
――互いのグラウンド練習が終わり、第一試合が始まる。
第一試合は、互いに選手交代を多めに行いながら、主力の選手の状態を見つつ、補欠選手の実地訓練を兼ねた不具合出しと指導を行う、試合形式の指導・練習の場となっていた。今日の試合においては試合の勝敗はそれほど重要ではなく、選手の訓練と評価に重点が置かれている。だからといって負けるつもりで試合を行っているわけではないが、あくまで選手の現在の実力、試合における対応力を測る事が最重要となっている。内情の知れた紅白戦ではなく、どう動くか分からない、対外試合というのは重要な訓練の一つだからだ。
第一試合は、10対6で、明星高校が勝利した。
「まあまあ、というところだな」
藤田監督が満足げにうなずく。
もちろんこの結果が飯坂工業高校の実力の全て、という事でもないだろうが、明星高校の部員の対応力、スタメン予定の選手の調子も問題なさそうだ。残りのベンチ入りメンバーも大体固まってきた。第二試合では、2軍メンバーを中心として可能な限りの選手交代をして選手に試合経験を積ませよう。そう考える。
「……他校の選手は、第二試合からか」
少なくとも、違うユニフォームの選手は一人も第一試合に出てこなかった。
予備のユニフォームを貸し出して、すでに第一試合の交代人員の中に混ざっていた、という可能性もあるが、それは考えづらい。練習試合を組むのが困難な学校、と言っていたし、実力的には2軍かそれ以下の選手の実力の学校なのだろう。飯坂工高としてもメイン選手の調整などに時間を有効に使いたいだろうし、第一試合には1軍選手が主に投入されていた。おまけ扱いの選手は第二試合に回したのだろうと思われた。
「ウォームアップも裏の方でやっているのか」
第二試合目前のグラウンド練習にも、それらしい選手が見当たらない。
「まあ、選手の采配は島本監督の自由だ。好きにしてもらおう」
そういえば、『時間があったら、そちらにも』とか何とか言っていたな。しかし明星は連れてきた選手に練習をさせるだけで手一杯だ。守備に混ぜても学ぶ事も無いように思える。
「使えそうな選手だけ、少しだけ使わせてもらうか。これも付き合いだ」
藤田監督はそう言いつつ、第二試合の選手の構成を考えるのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
『――助っ人参上!!代打、いきまーす!!』
弘前高校の山崎 桜が、代打でバッターボックスに入ろうとしていた。
「「「――山崎じゃねえかぁあああ!!!!」」」
「なんだそりゃあああああ!!」
明星ベンチから、選手とともに藤田監督は叫んでしまっていた。
反対側のベンチを見ると、飯坂工高の島本監督が『してやったり』とばかりに、満面の笑顔を見せている。飯坂ベンチの選手も全員がニヤニヤしている。
「まさか北島も……いたぞ!!奥から出てきた!!」
「どういう事なんだ……」「意味わかんねえ」
「どういう事なんですか、監督!!」
明星ベンチの選手の声に、藤田監督は搾り出すような声で答えた。
「……試合のできない他校の選手を、学校間交流の一環で、特別に試合に混ぜる事になっていたんだ。まさか、弘前高校の連中だったとは……」
よく見れば、他にも『弘前』の文字が書かれたユニフォームの選手が現れている。総勢で8名。どうやら1年2年が全員集まっているようだった。
「実力的に練習試合が組めないんじゃなくて、人数不足が理由の学校、か……」
そういう意味だったか、と納得する藤田監督。
「こないだの国体で3年が引退したから8人だけっスね」
「国体では優勝してたなぁ」「決勝の相手は2年が抜けてたチームだろ」
「まさか全員入れてくつもりか」「それだとほとんど弘前じゃねーか」
「いや待て。キャッチャーが居ないぞ。確か3年だったはず」
「飯坂のキャッチャーが受けるのか?!」「投げるのかアイツ!!」
「だとしたら山崎の球筋を観察できるって事か……」「ずるいぞ」
確かにずるい、と藤田監督も思う。選手の配置は監督の自由だ。必ずやってくるだろう。経験が貴重すぎる。それがアンダースローだろうと、オーバースローからの160キロだろうと。ジャイロは特に経験を積ませたい。情報共有をすれば来年の対策にもなる。
「――良かろう。練習させてもらおうじゃないか!!おいお前ら!!状況次第じゃ、誰だろうと出すぞ!!それと、最速で試合を終わらせるからな。キビキビ動けよ!!」
「「「は、はいっ!!!!」」」
ベンチの部員に気合を入れる。
――カキィッ!!
そういう間にも、山崎がフェンス直撃の打球を飛ばして走っていた。
「……時間に余裕ができれば、追加の第三試合で、連中をこっちで使える事になっている」
「「「マジっすか」」」
つまり、明星の来期の正捕手候補にも、山崎の球を受けさせる事ができるという事だ。打撃や練習についての話もできるだろう。何としても第三試合の時間を確保したい。
「……監督。山崎に驚きすぎて、今の今まで気づかなかったんスけど」
「ん?何だ?」
木村が何かに気づいた、と言っている。
「……山崎のやつ、【木製バット】使ってます」
「――何ぃ?!」
そういえば。金属音も無ければ、本塁打でもなかった。山崎は3塁で止まっている。
「山崎も来年の大会の準備を始めたって事っスかね」
「……間違いなく、プロを意識しているな」
金属バットは高校生までだ。大学野球、社会人野球、プロも国際試合も木製バットを使う。プロ入りを目標にする選手の中には、早くから木製バットを使う選手もいるのだ。
「おいまた代打だ!!」「北島じゃねーか!!」「贅沢すぎるだろ」
「北島も木製バットだぞ」「あいつらも練習する気満々だな……」
「監督。次、俺を出してください。あのバットをへし折ってやります!!」
ベンチのスタメン確定選手が騒ぐ中、木村が何やら気勢を上げていた。報復戦の機会が来た、という事だろうか。
「……次の試合を見込んでの交代は、様子を見ながら進めていく。だが、やりすぎるなよ。秋季大会は目前だ。ここで調子を崩したら話にならん」
まさか、そこを見込んでいるんじゃなかろうな、と。島本監督を睨む藤田監督。
――カキィ!!
北島がレフト奥へと鋭い打球を飛ばしていた。2塁は余裕だ。
「……本塁打を打たれるのは時間の問題か」「練習だな」
「フェンスの高さの都合で手加減してる可能性は?」「ありうる」
「そこが問題か!!おいレフト交代だ!!反応が遅すぎるぞ!!タイム申請だ!!」
藤田監督の声に、伝令がタイム申請のために走る。
このまま弘前打線を適当に投入されたら、場合によっては第三試合が無くなりかねない。そうなれば貴重な経験の機会が失われてしまう。もちろん2軍メンバーの訓練も、経験も重要だが、それ以上に1軍メンバーに経験を積ませる事は重要だ。ここからのミスは即交代だと、藤田監督は決めた。
「気合入れていけよ!!安全マージンを取るのはいいが、公式戦の緊張感を持て!!」
「「「おおっス!!!!」」」
明星野球部員から、気合いの入った声が返ってくる。
「……ふむ。しかし、こういう手段もあるか。これはこれで、勉強になった」
うむ、と頷く藤田監督。
複数の学校の野球部が合同合宿で技術交流を行う事は、同じ地区では少ないものの、合同合宿そのものはよくある事だ。人数の少ない学校の野球部が、合同チームで公式戦に参加するという事も、まれにだがある。
であれば、人数の少ない野球部を合同練習に招いて混合チームで紅白戦を行ったり、技術交流を行う事は別に不思議な事でも何でもない。来年からは弘前高校も新入部員で不具合が無くなる可能性もあるし、今のうちが山崎の攻略情報を集めるチャンスとも言える。
「とりあえず今日の機会を、ものにしておこう」
守備の技術が足りない連中を選別するにも良い機会だ。
そう思った藤田監督は、最速で第二試合を進めて第三試合の時間を作るべく、選手の動きに目を光らせるのだった。少しずつ涼しくなってきた10月半ば。来年の春を、そして来年の夏を見越した勝負は、すでに始まっている。そういう事なのだと思う。
――――相変わらずの草野球のようなノリで、笑い声交じりでプレイをする弘前野球部。そんな緩い弘高野球部を見て。『あの空気が伝染しないようにだけは、気をつけなくてはならないな』と。それだけは固く守ろうと決意する、藤田監督だった。
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