第52話 稲妻
6回表。弘前高校の攻撃、2人目の打者、1年生女子、山崎 桜。
対する関東総合高校の投手、2年男子、鈴木 真一。山崎いわく『甲子園の変態』という酷いニックネームをつけられようとしていた可哀そうな男子生徒である。おそらく高校球児としては現在唯一と言ってもいいであろう、珍しい『高角度スローカーブ』を実戦で使用できる(そのレベルでコントロールできる)投手。
その珍しい球種によって、化け物だとかブラックバスだとか言われている、悪球打ちには定評のある山崎の本塁打を封じてきた投手。
そして山崎は、そのボールを『2分の1の確率くらいで本塁打にする』と言い切った。そう言ってバッターボックスに立った。現在、2点差で弘前高校は負けている。1アウトで打者は山崎。ここの得点1は大きい。本当に打てるなら打って欲しい。
しかし高角度のスローボール、それも打点が微妙にズレる可能性が高いナックル変化のボール。本塁打にする、というからには長打にするという事。打点のズレによっては方向と飛距離が狙い通りにいかない、という事だろうか。少なくとも、今までのスイングよりは速くスイングし、大きな打撃エネルギーで飛ばす。
おそらくは落球(というべき角度)に合わせた、高角度アッパースイング。そして今までよりも速いスイング。どちらも練習などした事はないはず。環境適応力の高い山崎とはいえ、無理が生じる事には違いない。
何の無理も故障もなく、予定通りになるのか。それは、山崎本人だとしても、やってみないと分からない事だろう。
俺は、【覚醒状態】にシフトして、この勝負を観察する。
鈴木選手、投球開始。山崎、いつもの構え…ではなく、棒立ちに近い脱力姿勢?鈴木投手、独特の構え――例のスローボールを放るモーションに入った。ボールが手から離れる。
と、その瞬間から。
山崎、バッターボックスの最奥まで素早く摺り足で移動。
同時に、体を正面に向け、踏み切り足を左右逆に入れ替える。
顔は正面。体の正面もほぼセンター方向。
持ったバットは、右肩の方向へと、少し斜めに。
高く天を衝かんばかりに差し伸ばされていた。
グリップの端近くを持ったバットは、まるで―――
――それ、野球の構えじゃねーよ。
心の中で突っ込みを入れる俺。
ボールが落ちてくる。
ゆらり、ゆらりと、揺れ動くような挙動。
その不規則な挙動の球が、射程距離に入る。
鋭い踏み切りと同時に、山崎のバットが振り下ろされた。
まるで、刀を振り下ろすように。
『エ―――イ!!!』
裂帛の掛け声とともに振り下ろされたバットがボールを打つ。
カキィン!という打撃音に続き、そのまま滑るようにして低い片膝立ちの姿勢で止まった山崎のバットが地面を叩く、ドスン!!という音が響いた。
打たれたボールは進入角度とは違う鋭角の角度で打ち出され、ライナーとなって激しく空気を切り裂き飛球し――バックスクリーンの手前に入って跳ねた。
観客の歓声が爆ぜる。
球審が慌てて前に出ると、打撃直後の姿勢のままで待っている山崎を確認する。踏み出した足の位置を確認しているようだ。
『ホームラン!!』
足はバッターボックスの線を越えていない(少なくとも一部は線の上に残っている)という事だろう。正当な打撃と判断された。
「構えもスイングも、野球のものじゃないけどな…」
「なんなのあれ」「知っているのか北島」「あれ剣道?剣道経験者?」
思わず口にした言葉に、弘高ナインからの質問が来た。当然か。
「ありゃ剣術です。薬丸でいう『蜻蛉とんぼの構え』と『横木打ち』ですよ」
※※※※※※※※※※※※※※※
「―――あの娘。剣術家か?!まさか九州出身か?!」
関東総合のベンチでは、いつも落ち着いた様子の東郷監督が、驚きの声を上げていた。ベンチの野球部員は最初、山崎の掛け声とホームランにされた打球に驚いていたようだが、今では監督が驚きの声を上げているのに驚いていた。
「監督。あのスイングを知っているんですか?」
「ああ、実は俺の曾爺さんは戊辰戦争に参加したとかいう噂の、南九州の出身なんだが」
何を言い出すんだろう、と思う部員に、東郷監督は言葉を続けた。
「その関係で、爺さんも剣術を教わっててな。昔は家に真剣があったらしい」
「「「はあ」」」
今は野球の話なんですけど、とは誰も言わない。監督への信頼の証だ。
「そして俺も昔、通り一遍は剣術を教わった事がある。山崎のあれは、『ジゲン流』と呼ばれている流派…正確には『薬丸ジゲン流』の、構えと稽古の型だ」
「「「ええええええ」」」
それマジですか、とリアクションが返ってくる。とは言っても疑いの声ではない。化け物と言われる山崎が謎のスキルを引き出してきた事に対するものだ。
よく分からないレベルの野球選手性能を持つ山崎が、野球以外の技術を持ち出してきた。意味不明だが不思議な事ではないのかも知れない、などという不思議な感触。
「構えは薬丸の『蜻蛉の構え』だ。八双の構えの変形だな。そこから普通は走り込んで飛び込み、横木…と言われる薪の束みたいなもんを打つのが基本稽古なんだが、横木を叩くのではなく、その先にある大地を断つつもりで振り下ろすのが肝要だ」
「…確かに、すごい音してましたね」
バットが地面を叩く音が、ここまで聞こえてきました。と言う部員達。
「ジゲン流は俗に『二の太刀いらず』と言われるほど、初太刀…最初の一撃の威力と速度を評価されている。もちろん初太刀からの連続技もあるんだが、一撃必殺のイメージはあるな。達人の初太刀は『
「ウンヨウ、ですか?」
「稲妻の速さの事だ。光ったと思えばすでに振り下ろされている。そんな速度だな」
「「「ふええええ」」」
揃って驚きの声を上げる部員達。
「ひょっとしたら山崎の爺さんとかも、南九州の出身とかかな。ありゃー、棒きれ持たせたら相当に喧嘩強いぞ」
「…それにしても。どうして今まで出して来なかったんでしょう?」
ふーむ。と、塁を回る山崎を見ながら考える東郷監督。
「さすがにそれは山崎本人に聞かなきゃ分からんよ。ま、少なくともあれは、ほぼ100パーセント野球の技術じゃないからな。打者としての拘りかもしれんさ。となれば、だ」
監督の言葉を待つ部員達。
「多少の拘りを捨ててまで勝ちに来るほどには、あの化け物を追い詰めたって事だ。次は間違いなく山崎がマウンドに登って来る。ここからは点差を守って逃げ切りだ。少しばかり格好が悪いが、残りの打席は敬遠も考えないといかんな…。ま、監督が言い訳すれば収まるレベルの試合展開にはできた。最終的な作戦責任は俺が持つ。お前らは普通に頑張ってプレイしろ」
「「「はいっ!!!」」」
元気よく返事をする関東総合の野球部員。そんな生徒の様子を見て、東郷監督はホームベースを踏む山崎に視線を戻した。
「案外、俺と話が合うかもしれんな。あの嬢ちゃん」
ははは。と、軽く笑い声に包まれる1塁ベンチだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「さて、次はアンタの番よ」
「無理っスわ」
ベンチに戻ってきた山崎、2番3番のどちらかが塁に出れば、次は俺があの山なり超スローを打つ番だぞと言う。
「いや、アンタもやりなさいよ」
「無理だよ!俺はお前とは違うよ!!」
失敗して失笑を買うような光景が目に浮かぶ。
というか、やってみて当てる事はできるだろうが、ホームランは無理な気がする。普通にヒット性の打撃というなら、今までと同じ普通のスイングの方がマシだ。あの構えからの振り下ろし、直後に走るのには向いてないんだから。走れないだけ不利じゃん!!あと間違って片足が完全に線の外に出ちゃったら反則打撃でしょー?!嫌だよそんなの!!
「アンタにも剣の技は一通り仕込んだでしょうが!」
「実力が伴ってないんだよ!レベルが違うんだよ!!大人の猪を殴り殺せるような奴と一緒にしないでくれよ!!」
えっ何。なんなのその話。と、ベンチの仲間から声が上がる。
「えーっと…北島、山崎は猪を…殴り殺せるって…?」
山田キャプテンから控え目に質問が飛んできた。
「こいつ小5の時に、山向こうの山本さんの畑を荒らす猪2頭を、棒きれで殴り殺した事あるんですよ!突進する猪をかわして、ボコっ!!て。昏倒した猪にトドメを刺すこいつは、まさに修羅そのものでした。…事後に明るいところで確認したら、顔やシャツに返り血が斑模様に飛んでてもう」
「「「げえええ」」」「「聞きたくない聞きたくない」」
うわー、と悲鳴のような声を上げる弘高ナイン達。
「…そこまで知ってるって、一緒に行ったのか…?」
と、山田キャプテン。
「俺は退路を塞ぐ役割として強制的に徴用されました」
あれは酷い夜戦だった。少なくとも俺は命の危険を感じた。苦労してるんだなぁ、と同情的な声をかけられるのがせめてもの慰めだ。
「上手にウリ坊を蹴っ飛ばしたら逆上して襲いかかってきたのよねー」
「仔猪に情けをかけない小5女子が本当に怖かったです」
ウリ坊も全滅させられたしな。こいつ畑の害獣にホント容赦ねえし。この辺には野生の猿とか来ないけど、もし来たら凄惨な光景になる事が予想される。
ウチの近所の山には鹿がいないのが残念かもねー、などと言う山崎。罠を使うのは認可が必要だが、棍棒で原始的なファイトをするのは『自衛のためでした』と言い張れる可能性が高いからな。敷地内なら合法だし。
「チャレンジするならタダってものよ!」
「俺の剣速はそこまで速くねーよ!!」
アッパースイングで打った方がまだ上手に行く気がする。
結局。2番3番と内野ゴロとセンターフライで終わったため、俺の出番は無かった。
これから6回の裏の守備。まだ点差1で負けている。点はやれないし、点を取らなきゃならない。最低でもあと3回で得点1を取らないと負けてしまう。俺の打席は最低でも2回は回ってくる。そりゃ俺が打てれば最高だとは思うが。どうなる事やら。
「そう言えば。次の関東総合の打者って、何番からだっけ?」
山崎の言葉に、大槻マネがスコアブックをペラりとめくる。
「…8番、鈴木選手だけど」
「あはははははは!!!」
山崎が邪悪な笑い声を上げた。
「それじゃ、サービスしてあげなきゃね!!『魔球』の、もう一つの方向性というものを、しっかりと見せてやらなきゃだわ!!」
それは『剛速球』と言われるやつだな。
鈴木選手への投球は、3球ともど真ん中への160キロオーバー。キャプテンが少し悲鳴を上げていたのが聞こえた。もう1点もやれないから、がんばって下さいね。
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