第51話 なりふり構わず全力で
【1塁側・1回表終了後の関東総合ベンチ】
「や、やりました!通用しました!!」
「その調子だ。予定通りにやればいい。給水を忘れるなよ」
興奮気味の鈴木に、落ち着いた声をかける東郷監督。監督の言葉を合図に、控えの選手が戻ってきた部員に給水ドリンクのコップを配り始める。
「しかし、鈴木の『得意技』が、こうもハマるとは…」
エースの佐藤選手がドリンクのコップを片手に言った。
「とりあえずは、通用した。ウチの勝利に一手かかったな」
東郷監督が、よしよし、と頷く。今のところ予定通りだ。と言わんばかりに。
―――山なりの、超スローボール。
メジャーで言うところの『イーファス・ピッチ』と呼ばれる投球(球種)である。高く山なりに投げられるボールのため、落下とともに若干であるが球速が増し、かつ、高角度で進入するため、タイミングを合わせる感覚が通常のボールと全く違う。そのため、来ると分かっていても(独特のフォームで投げるため、投球の瞬間から分かる)打ちづらい。
もっとも、『めったに見る事のないボール』であり、『タイミングの取り方が通常と違う』というコースのスローボール、とも言えるため、慣れれば打つ事は可能だ。
ただ、タイミングが合わなければバットの下に潜り込んだ状態で当ててしまう事が多く、内野ゴロ等の凡打に終わりやすいため、ヒット性の打球にするのも難しいボールでもある。
また、基本的に『到達距離を正確に測って、放り投げる』ボールのため、投手の投げ方によっては無回転に近いボールになる事もあり、事実上のナックルボールのような不規則な揺らぎをもって落下してくる『バットの芯で打つ事が困難なボール』になる場合もある。
球種としては、三振を取るためのボールではなく、凡打による打ち取りを狙うボールであるが、基本的にスローボールであり、欠点も多いため、使い手の投手であっても多投はせず、要所で使い打者の集中力を削いだり、流れを変えるために使用される球種だ。
「まぁ、山崎や北島の場合、本塁打さえ打たれなければいい。ホームラン製造機が普通の打者になる。それだけで、弘前野球部の得点力は低下するんだからな。三振に取る必要はないんだ。普通に打たれるだけなら、充分にアウトにできる可能性はあるさ」
東郷監督の言葉、そして監督の予測が現実となった状況に、ベンチの部員一同からの、信頼に満ちた視線が監督に集まった。この監督の指示でならば、試合に勝てる。名将の下に集まった勇士のごとく、関東総合野球部の部員の心は一つになっていた。
「いっその事、鈴木には当分の間、先発を受け持ってもらってもいいかも知れませんね。あの超スローボールがあれば、強打者への対策になる訳だし」
佐藤選手の言葉に、野球部一同からは笑いの声。
はははは。それもいいな、やれるやれる、など。鈴木投手が慌てふためく。
「いや、あのスローボールを常時使うのは無理だよ」
東郷監督の困ったような声。皆が少し驚いた顔で、監督を見る。
「あの超スローボールな、最初のカウントは『ボール』判定だったろ?球審次第じゃ全球ボール判定になるかもしれんし、そもそもストライクゾーンに入る確率…ホント確率なんだが…風の影響もあるしコントロールも難しいし、ストライクに2割以上入ったら、それでもう名人芸なんじゃないか?見送られたらほとんどボールだよな。だろ?」
東郷監督が鈴木投手を見ると、投げた本人がガクガクと首を縦に振っていた。
「つまりだな、あのボール、相手の打ち気の気力を削ぐ効果はあるが、ストライクや凡打を狙うには、相手が『打とうとする』つもりである事、それが必要なんだよ。ボールカウントを稼いで塁に出ようとする打者には、あんまり意味はない」
「「「…はぁぁ……」」」
なんだか気が抜けた、そんな声が部員から漏れる。
「だからな、あのボールは『山崎・北島』みたいな『まともに打たれたら困る』ような打者で、『とにかく打つ』つもりのある打者専用のボールなんだ。ボールカウントなんか稼ぐつもりのない、初球からバンバン打ってくるような、山崎や北島みたいな奴の対策球だ。スローボールだからこそ、慣れれば打てる。打とうとする。しかし試合で練習するには時間がかかる。速度に慣れたとしても、簡単には長打にできん。打たれたとしてもシングルヒットなら勝ちも同然だ。鈴木は可能な限り、本格的に打たれるまでの時間を稼げばいい。その時間が、我々の勝率を高めていく。もちろん守備も助けてくれる」
監督の言葉に、鈴木投手を含めての部員一同が、深くうなずいた。
「これがチームプレーって事だよ。鈴木の球が山崎と北島を抑え、稼いだ時間でウチの打線が得点を稼ぎ、あとは守りに守って逃げ切りだ。どうせ鈴木の球が捕まったところで、他の投手の球も似たような目に合うだけだよ。山崎も北島も、好き嫌いせずに何でも食うからな。失点を最小限に抑える、これは無失点という意味じゃないんだ。このままいけばウチの予定通りだ。ま、予定が崩壊したら監督責任だ。お前らはとにかく、精一杯プレーしろ。弘前みたいな変なチーム、そうそう出てこないぞ。試合を楽しまないと損だ」
「「「はいっ!!!」」」
部員一同から、気合いの入った声が返ってくる。
その様子を見て、東郷監督は満足げに頷き、グラウンドに目を向けた。
グラウンドでは、弘前高校野球部が守備練習をしている。先発投手は1年の前田選手。先行逃げ切りの方針で攻める関東総合としては、実にありがたい状況だ。内野は3遊間も2遊間も山崎・北島の両選手がいるため(野生動物のような反射神経だと評されている)内野を抜くような安打は難しいだろうが、外野まで飛ばせば充分安打にできる。
「…さあて、山崎がマウンドに登って無茶苦茶やり始める前に、ウチが大量得点で先行逃げ切りの体制を整えられると最高なんだが…こればっかりは、試合の流れ次第だからな。実力と運、うまく噛み合えばいいが」
※※※※※※※※※※※※※※※
「ヘーイ、そこのプレッシャーに押しつぶされそうなピッチャー!」
「味方の投手を野次る内野手って初めて見たわ」
投球練習を始めている先発投手、俺達と同じ1年の前田に、山崎が野次を飛ばしていた。こいつ何を言い出すんだ、と反射的に突っ込みを入れる俺。そしていきなり背後からの口撃を受けた前田も、思わず山崎を振り返る。
「相手強いよー!!」
「そこは『相手たいした事ないよー』と言うところじゃないのか」
内野手の言葉とも思えない。どういう意図だ。
「相手は甲子園のベテランな格上、こちらは甲子園初心者の格下。上手に抑えようとか考えるだけ無駄無駄ァ――!!」
「本格的にディスりにきおったぞ」
山崎の野次が、もはや裏切ったとしか思えないほどの暴言に進化しつつある。
「心配しなくても、3点も取られりゃ君は交代よ」
「えっ何その処刑宣告みたいな何か。ここって甲子園ですよね?晴れ舞台ですよね?」
確かにウチは非公認のダブル監督制を採用してるけどさあ。仮にも内野手の1年生が、ちょっと暴言を言いすぎじゃないですかね?
「上手に投げようとしてミスる余裕なんてないわよ。一生もんの後悔が残るわよー。全国放送で公開処刑よー。後悔なだけに」
「それでうまい事いったつもりなのかお前は」
貴様プレッシャーで同期の仲間を潰す気なのか。
「硬くなって失投して、後悔を残して交代するくらいなら、四球も死球も恐れずに、最初から全力で飛ばして、くたびれてくたばれ!!」
「おう、韻を踏んできたか。しかし少々苦しいな」
少し応援してきた感が出てきた。山崎流の激励という事だったのかな。
「…山崎…。北島も」
おっ。前田が何か言ってきた。前田にも気持ちが届いたのか。
「ほんとお前ら、夫婦漫才な」
「「それについては異論がある」」
前田の一言に、セカンドとショートから同じ言葉が返された。
「ま、言いたい事は分かった。後悔しないように全力で飛ばすわ。内野守備は任せたぜ」
「「任せとけー」」
漫才コンビ的には息ぴったりかもしれない。俺達。夫婦ではないけどな!!
その後、前田は第1投をバックネット上部へ飛ばす暴投からスタートし(どいつもこいつも妙なものを流行らそうとしているようで困る)、ペース配分を無視した全力投球で山崎の激励と応援団の期待に応えた。気合い充分の、後悔を残さない投球だったと思う。
※※※※※※※※※※※※※※※
【スコアボード状況】5回裏終了
弘前 01011 |3
関東 11111 |5
※※※※※※※※※※※※※※※
【国営放送・放送席にて】
「…これはまた、きれいに1が並んでいますねぇ」
「まぁ、狙ってやっているわけではないでしょうが…関東総合の、『確実に1点ずつを積み重ねる』という、ある意味で高校野球らしいプレーが形に現れたというか」
「対して弘前高校の打線、今までの成績からすると精彩を欠いていますね。というか、弘前高校の主砲、山崎・北島の両選手が完全に抑えられています」
「どちらも打てばヒットになっているので、いまだ10割なんですが。しかし、山崎選手の連続本塁打記録を阻止した、鈴木選手のイーファスが効いていますね」
「イーファス、というとあの高く投げあげられたスローボールですね?」
「はい。メジャーでは、あの手の『高高度スローボール』全般をそう呼んでいます。投げる人によっては超スローカーブだと言ったり、出身地の高い建物にちなんだ呼び名をつけられたりと、呼び方は様々ですが。特徴はあの高角度からの落下と、落球の微妙な変化ですね」
「微妙な変化、ですか」
「緩やかなカーブ変化をするボールもあれば、無回転に近い状態で落ちてくるものもあります。打ちづらい角度と速度変化な上、微妙な変化によって、ミートするのが難しいボールなんですよ。その点、山崎・北島の両選手は、打てばヒットにしているだけ大したものです。ですが、本塁打にするのは難しいようですね」
「スローボールですと、逆に打ちやすいようなイメージがありますが」
「普通の直球に近い軌跡なら、確かにそうですね。ですが、それも『慣れれば』です。速球打ちに慣れた打者だと、逆に遅すぎるボールは打ちづらい事もあります。これも『慣れ』ですね。山なりの急角度ボール打ちも、慣れれば外野まで飛ばすのは可能でしょう。しかし、ホームランとなると…ちょっと難しいかもしれませんね。なにせ高校生ですし」
「高校生だと、難しいのですか?」
「単純にパワーの問題ですね。あの山なりボールを打ち返すのに適したスイングは、かなり角度をつけたアッパースイングですが、打ち返しの打球も高いフライになりやすい。遠くへ飛ばすには、通常よりもより距離を稼がなくてはなりませんが、ボールの飛距離はバットの反発力と、バットスイングの速度、そしてボールの速度で決まります。遅いボールは運動エネルギーが少ないですから、スイングのパワー任せで無理やりでないと飛びません。加えて、無回転に近いボールだと回転力による飛距離増加も少なくなる」
「なるほど。あのスローボールの狙いは、山崎・北島の両選手に、ホームランを打たせない事にあると。そういう事ですか?」
「当たればホームランの打者が、ただのヒットを打ってくれるなら大歓迎でしょう。現在のところ、弘前の得点力は普通レベルまで落ちています。それに対して、関東総合は安定してリードを保てるだけの得点力を維持している。このまま逃げ切りといきたいところでしょうね。鈴木選手という切り札もそうですが、東郷監督の作戦が見事にはまった、というわけですね」
「弘前高校の巻き返しがなるか、そこが見どころとなりそうです」
※※※※※※※※※※※※※※※
守備練習を待つ、攻撃準備中の3塁側ベンチ。
先発の前田から2年の川上先輩に交代し、そして川上先輩も失点を0に抑える事はできず、安定して関東総合にリードを維持され、ともすれば突き放されそうになっている弘前の次回からの投手は、山崎に決定している弘前ベンチにて。山崎がこんな事を言い出した。
「鈴木くんは『甲子園の変態』と呼ぶ事にしよう」
「「「やめろ」」」
俺はもとより、仲間全員からの総ツッコミが入った。
鈴木くんは変態行為なんかしてないよ。変態どうこう言っているのは山崎が鈴木くんの高高度スローボールを変態魔球扱いしてるくらいのものじゃん。だいたい甲子園で変態とか、最近の検索ワードで言えば間違いなく甲子園マスクのものだろうに。
「変態はひどいだろ。甲子園を貶めるような物言いもやめて欲しい」
俺はそう言わざるを得なかった。少なくとも高校球児としてはな。
「でもさぁー。あの変態魔球、甲子園ならでは、っていうものもあるんだから。『夏の甲子園球場専用の変態魔球を投げる鈴木投手』を略して『甲子園の変態』もしくは『夏の変態スズキ』と呼ぶのはそう間違ってないんじゃないかと」
おおいに間違ってるよ。全国の鈴木さんに謝るレベルだよ。
「あたしが打ちあぐねているのも、ここが『甲子園球場』で、『夏の大会』だからよ。あの投手を『甲子園の変態魔球使い』と言ってもいいじゃん!!」
「…ん?それどういう事だ?『甲子園だから』って?」
山田キャプテンの言葉。それは気になる、と。弘高ナインも聞き耳を立ててきた。
「そもそも、あたしが以前投げて見せた『消える魔球』も、ほぼ『昼ごろの甲子園専用魔球』でね。野球場は一応『センター方向はだいたい東向きが望ましい』ってなってるんだけど、土地の問題とかで守って無い球場はけっこうあって、甲子園だってセンター方向がほぼ南向きなわけよ。だから右投げ投手が超高高度でスローカーブを投げると、昼過ぎ限定で太陽の中にボールが入っちゃうっていうやつ!」
「「「あああ。そういう仕組みか」」」
投球と逆光が重なって成立する条件って、球場の作りが前提条件なわけね、と皆。
「あの鈴木(変態)投手の魔球も、いつも変な方向から浜風が吹いてる甲子園球場だからこそ落球が毎回違ってて読みづらいわけだし、加えてこの暑さ!!黒土が乾いて粉が舞うとプレーに影響が出るからって、阪神園芸の人が水撒いてくれるでしょお?!少しだけど蒸発した水の上昇気流やら湯気溜まりやらの空気の密度変化が、余計にイヤラシイ球にしちゃってくれてるわけよ!!ただでさえほぼナックルボールなのに、横風とか上昇気流とか空気密度の変化とか!つまり完璧に打つためには、甲子園の空気を読む必要があるわけよ!!」
「ああうん。分かるけど言い方」
女子がイヤラシイとか言うな。セクハラ非難に聞こえるよ。あと甲子園の空気を読むとか言われると、関西系の観客のノリを理解するとか、そんな意味に聞こえる。
「つまり夏の甲子園限定で最も威力を発揮する変態魔球というわけよ」
「表現はともかく、言いたい事は分かった」
とにかく、バットの芯で捉えるのが困難な球に仕上がっているのは分かった。基本的に俺も山崎も、覚醒による【精度の高い予測】により、きれいにバットの芯に当ててミートする打法なのには違いない。その上で、長打のポイントを打ち抜くのを得意としている。しかし鈴木君の投法、そして夏の甲子園の環境が、覚醒の予測精度を大きく低下させている。問題は誤差だけ、という事なのだろうが、この誤差を許容範囲内に収めるためには、ボールの変化を小さく抑えるか、バットスイングを今よりもずっと速いものにして、予測と現実の違いを少なくする必要があるだろう。
ボールの変化については、どうしようもない。そもそもナックル系の『変化はほぼ環境と運任せ』のボールは、投球の初速による操作こそ投手には可能だが、あとは現場の環境任せ、『どう変化するかはボールに聞いてくれ』系の球種だし。極端な事を言えば、鈴木君の投球は、『投げた後はどうなるか分かりません。あとは野となれ山となれ』とでも言うべき究極の投げやり投法な訳だ。バットスイングに関しても、いきなり速度を増すような事など、できようもない。突然に新能力に目覚めるような少年漫画雑誌のバトル系漫画とは違うのだ。現実の世界では物理限界がある。そして、選手が使える能力というのは、練習と経験に培われた技術、鍛えた肉体の身体能力。その限界を超える事などないのだ。
「空はこんなにも、青い」
なにやらファンシーというかポエミーな事を言い出す山崎。確かに空は青いな。素晴らしい快晴だ。
「子供の頃を思い出すなぁ。ゴムボールをビニールバットで引っぱたいて喜んでた、あの頃の事を」
山崎が言っているのは、それこそ地元の野球少年団に入る前の思い出だろうか。近所の子供もろくに集まらず、俺と山崎とその両親と、キャッチボールや打撃の真似ごとをしていた、幼少期の思い出。俺達の野球の、原初の思い出。穢れの無い美しき記憶。
「あたし、初心を思い出して、もうカッコつけずに打とうかな」
「「「待て。どういう意味だ」」」
聞き捨てならない。弘前野球部の全員がそう思った事だろう。
チームを代表して、俺が手を挙げて問うた。
「打てないんじゃなかったの?」
「ホームラン狙いとして、『確実に』『カッコいいスイングで』としてはね」
ほおおおおおおお。俺はさらに問うた。
「確実性を少し犠牲にして、格好を気にせずに打てば、ホームラン打てるの?」
「確率の問題になってくるけど、たぶん2本に1本は」
一瞬の間を置いて、俺達は同時に叫んだ。
「「「やれよ!早く!!」」」
「「もう2点リードされてんじゃん!!」」
「「余裕ねぇんだよウチは!なんなのそれ!!」」
「もうこの試合が最後と思って必死に投げたよ」「俺もだ。おかしくない。でも理不尽さを感じる。なんというかこの、モヤっとした気持ちが」
弘前ベンチ、大荒れである。
呆然としながらも落ち着いた様子なのは平塚監督と大槻マネ(選手)だけだった。ぎゃあぎゃあ喚く弘前ナインを前に、山崎は、まぁまぁ、と手を振り、言い訳めいた事を言い出した。
「だってほら、甲子園の晴れ舞台だし、見栄えが必要というか。いやホント1打席目では、どうしよっかなー?って感じだったのは本当よ?2打席目以降で方法を迷って格好重視にしたのは間違いないけどさぁ、スポーツにおいて目的と手段という議論は常に付きまとうわけで。格好のいい手段を目的より優先するのはある意味間違ってないというか」
「みんな騙されないでください。こいつは詐欺師の素質があります」
とりあえず俺は皆に注意を喚起する。
ともかくだ。
勝つために個々のパフォーマンス全開を心がけて限界ギリギリだった弘高ナインとしては(甲子園出場選手としてはギリギリ感があるという自覚もあったためだと思う)精神的にも追い詰められており、まるで『手抜きをしていました』とでも受け取られそうな山崎の言には声を大にして抗議せざるをえなかった、そういう事なのだろう。
「手抜きじゃないよ!断じて手抜きじゃない!方法を選んでただけだもん!!」
「学級裁判は、試合の後で行おうか」
荒れる場をまとめたのは、平塚先生だった。
ふにゃー、と鳴き声を上げる山崎を置いて。
6回の表、2点の差をつけられた弘前高の攻撃が始まった。打者は9番の川上先輩から。川上先輩は粘った末に打つも、3遊間への打球を素早く処理され、1アウト。続く山崎が打席に立つ前に、すでに確定ルーチンと化した、鈴木投手へのポジションチェンジによる投手交代。
学級裁判案件はさておき。山崎は、あのボールをどうやってホームランにする気だろうか。現実的な問題は幾つもある。
【問題点1:ボールの運動エネルギーが少ない】
これはほぼ無回転のボールという事も関係しているが、基本的には球速が遅い事が理由だ。飛んだ打球の角度にもよるが、通常よりも打撃エネルギーが必要となる。ボールの進入角度が鋭角に近いため球場のスピードガンは当てにならないレベルになっているボールだが、おそらく球速は60キロ以下ではないだろうか。フライ打ちになりやすい角度のボールである以上、正直いってティーバッティングの止まっているボールでホームランを打てと言われている程度には厳しい注文のはずだ。
【問題点2:打撃誤差を小さくする必要がある】
覚醒による予測精度は『不規則な動きをするボール』により、予測との誤差が通常よりも大きくなっている。シングルヒットではそれほど大きな問題にはならないが、長打、それもホームランとなれば小さな打点の誤差が飛距離に大きな差となって現れる。
…基本的には問題はこの2つ。そして、この問題を解決する方法としては、『今以上の打撃パワー』つまり『今の山崎のスイングよりも速いスイング』でボールを捉える必要がある、はずだ。
スイングが速ければ、予測誤差を小さく抑えられる。もちろん、バットスイングの途中でのスイング誤差修正などという、山崎であっても難しい作業が(スイングフォーム中の修正などという作業)入るわけだが、それでもスイング速度は有利に働く。
そしてバットスイング速度が速くなるという事は、打撃のエネルギーが大きくなるという事。打球角度が大きい、高いフライ球になっても、飛距離が稼げる。
山崎は『カッコを気にしないで打とう』と言った。
いつもの山崎のスイングは、弘高野球部で山崎が指導している通りの、レベルスイング(水平打撃)。状況に応じて多少のアッパースイングに修正する事はあっても、三振か外野フライかホームランか、などという『フライ革命』流行り推奨の、高角度アッパーの打撃ではない。
これは推測になるが、おそらくは山崎の野球美学(と言ってもカッコつけの類か)によるものではないか、と思う。投球の一点を打ち抜き、状況に応じてランナー進塁のための打撃への切り替えもできる打撃フォーム。練習時間も限られている、弘高野球部の練習スタイルにも合っていたと思える。
では、そのカッコつけを一時的にでも廃した打撃となれば。高角度スローボールの進入角度に誤差を小さく、打撃面を大きく取れるのは、高角度アッパースイング。ギリギリまで引きつけ、山崎が全力で振り抜けば――相当の打撃エネルギーが出るはず。
問題があるとすれば、山崎は自己の美学的な立場から、アッパースイングはそれほど練習してはいない、という事ではないか。ぶっつけ本番で、慣れない全力アッパースイング。
その予想に、若干ではあるが、嫌な感触を覚える。どんな選手でも、どんな名選手でも。練習していない動作をいきなりやろうとすれば、事故や故障が発生しかねない。山崎に限って、そんな事はない、と思うのだが。
「…全力を尽くすのが全国大会の舞台だ。だが…無茶だけはするなよ、山崎」
チームメイトとして。同期の友人として。物心つく頃からの幼馴染として。そんな言葉を、つい口にしてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます