第44話 意識を次の試合へ向ける事にする
山崎から電話連絡が入ったのは、俺たちの正座が3時間に達しようとする頃だった、と思う。「駅前からタクシーをつかまえて帰る」との事。平塚先生は当然ながら、遅くなった理由を聞いたが、「長くなるので後で」という事だった。
しばらくして、午前零時をとうに過ぎ、深夜時間帯。宿のロビーで待機する俺たちの前に現れたのは。
―――赤子を腕に抱く、全身濡れ鼠の、女の幽霊だった
『 ウアァァァ―――――ッ!!! 』
『 いぎゃああああ――――っ!! 』
『 ひぃあああ―――!!! 』
口ぐちに叫び声を上げ、腰を抜かしてへたり込み、あるいは後ずさる俺たち。山崎を待っていたはずなのに、どうして幽霊が現れるのか。「さすがに遅いじゃないかよぉ!お前も正座仲間だな!」とか軽口を叩いて出迎えるはずが、なぜ阿鼻叫喚の惨状になるのか。
幽霊は俺たちに一歩、二歩と近づくと、顔に張り付いた長い黒髪を掻きあげた。
「夜も遅いんだから、ご近所迷惑よ」
常識的な事を言う幽霊だ………と思ったら、山崎だった。
「平塚先生。手持ちが足りませんでした。タクシーが待っているので料金の支払いをお願いします」
「お、おおお。わか、わかった」
平塚先生が、頭をがくがくと振り(頷いていたのだろう)、外へと歩いていく。ときどき後ろを振り返って山崎を見るのは、ホントに山崎だよね?幽霊じゃないよね?という心理状態ゆえのものだろう。今現在、俺たちもそんな気持ちだから分かるわかる。
「悟。ちょっとコレお願い」
「えっ?!うそっ?!なにこれ!!」
山崎が赤子…のように見えた包みを俺に手渡す。あっ、思ったよりも軽い。なんだこれ。よく見るとビニールの固まりみたいなもの?少なくとも赤ん坊の重さじゃないな。
山崎、俺の耳に口を近づけてぼそぼそと。
「…レインコートは手のひらサイズ以下に細かく切り刻んで、小分けにして処分できるように準備しておいて。あと、マスクは私が回収するから、部屋の洗面台でよく洗っておいてね。作業は宿の人に見られないように、部屋のトイレで行うように。私はお風呂に行くから」
なにやら、とても気になる作業を依頼された。依頼という形の命令だが。
どうやらこの包み、レインコートとマスクらしい。
なぜそんなものを持っているのか。どうして雨も降っていないのに濡れているのか。
そもそもレインコートを持ちながらずぶ濡れとは、これいかに。
「なんなのそれ」「赤ん坊じゃないよね?」「幽霊の手荷物って何」
皆がそろって質問してくる。
「あー、なんかビニールシートみたいで。ゴミ処分するから、細かく切っといてくれって」
「ビニールシート?」「可燃ゴミに出すのか」「ちょっとそれ見せて…やっぱいい」
皆なにかしらの不審な雰囲気を感じ取ったが、よくない雰囲気も同時に感じたか、それ以上の追及などは無かった。山崎関連の危険な事情は、できるだけ関わらないのが吉、と。そしてその厄介事を始末する担当は俺という役割分担である。
山崎が風呂から戻ってきたら少しばかり全員で話をして、それから今日は就寝だ。山崎の風呂の間にゴミ処理作業も進むかと、俺は1年男子部屋へと向かった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「…あいつ…どこで何をしてきたんだ………」
俺はトイレの個室に鍵をかけ、レインコートを切り刻んでいた。
レインコートは100均のすぐ破れる薄手の安物ではなく、多少の耐久性も持っている普通のレインコート。フードの口を絞れるヒモがついているやつだ。二の腕、裾、そで口等は何かに引っかけた破れが無数にあり、そしてレインコートの中に包まれていたのは、一双のドロドロに汚れた軍手と、もう一つ。どこかの殺人鬼を彷彿とさせる、アイスホッケーのマスクだった。
…もちろんホッケーマスクは正規の代物ではなく、おそらくはどこかの面白グッズ売り場で売っているような、ちょろい作りのものだ。
しかし。フード付きのレインコート、顔面の全面を覆うホッケーマスク、軍手。
これをすべて装着したとしたら、どう見ても不審者でしかない。
「そしてこれはゴミ処理作業などではない。証拠隠滅作業だ……」
どう考えても証拠隠滅の手伝いである。俺は今現在、なにかの犯罪の片棒を担がされているのではないかと、不安に心を押しつぶされそうになりながらハサミを動かしている。山崎には事情を詳しく聞かねばならない。でなければ今夜は眠れない。
俺はそれでも手を怪我しないように、できるだけ冷静さを保ちながら手を動かした…
※※※※※※※※※※※※※※※
「それでは話を聞かせてもらいましょうか」
「ちょっと待て」
風呂から出て落ち付いた様子の山崎が、俺たちを詰問しようとしていた。
なぜかまた、山崎以外の全部員が正座である。
「なによ」
「ここは俺たちが山崎に質問するところじゃないのか?」
理不尽さを感じるぜ。
「それは後で。そもそもあたしが、あんな目に遭ったのはどの連中のせいだと」
「「「すみませんでした―――!!!」」」
素直に謝るおれたち。
「代表として悟。簡潔に説明しなさい」
「…たいした理由は、ほんと無くて…夏祭り会場で遊んでて、ときどき迷子になって連絡を取りながら集まったり別れたりしてて、そういえば今何時だっけ?みたいな流れで…」
これといったドラマもなく、単に楽しく縁日を楽しむ雰囲気でした。
「ふむ。という事は、地元の人間との喧嘩とか、悪さをしたりとかは?」
「「「やってません。平和なものでした」」」
ふーむ。と山崎。
「では、ナンパしたりされたりして、何かのご乱行とかは」
「「「そういうのもありませんでした!!」」」
これは若干の残念な気持ちもあるが。
「…そう。それなら良かった。安心したわ。これからは気をつけてね」
あれ?それで終わり?なにか説教的なものは?
「すでに先生から説教されているだろうし、あたしからは以上。平和でよかった」
おお。山崎さんが優しいぜ。それほどまでに心配かけたって事かも。
「それじゃ次はあたしね。皆はそのまま聞いてていいわよ」
このままだと、正座が続行なんですけど。
いちおう先生に視線を送り、足を崩してもいいとの許可を得て正座をやめる。
「さーて。どこから話をしたものかな。…ともかくあたしは、宝塚市某所のイベント会場で居直り強盗が人質に取った未成年集団とやらが、弘前野球部員である可能性を心配して、現場へ急行したわけです」
その時点でもうおかしいんだけどな。普通は警察に任せるところだし。
「…ところで皆、ここ数時間の警察報道や地元ニュースは見ていないの?」
「ちょっと反省中にスマホとかダメなんで。情報収集は先生だけ」
なるほどね、と山崎。少し考えるようにして。
「細かい事は端折るけど、市民の逮捕権と、正当防衛権を行使したわけよ」
「はしょりすぎです」
ぜんぜん分からないよ。
「て、言ってもなぁ…犯人は銃を持ってたし、警察は交渉で何とかならないかって慎重に過ぎるし、遠目では人質の様子も分からないから、警察に咎められないように近づいたわけ。で、皆じゃないから用はないなー、って思ったんだけど、そこへ犯人が絡んできて。武器を持ってるし仕方ないでしょ?現行犯の犯罪者は市民にも逮捕権があるし、あたし自身が害されようとしているんだから、正当防衛が成立するでしょ?だから犯人5人を制圧したわけよ」
「ちょっと待って」
なんかすでに色々と突っ込みどころが。
ひとつずつ質問していこう。
「ひとつ。犯人は5人いたの?武器を持って?」
「どうも銀行強盗をミスった逃走犯らしくてね。逃げそこなった上に籠城というか。武器も本物で、地元ヤクザから買ったと思われる拳銃を5丁」
居直り強盗とかいうレベルじゃねぇよ。
「ひとつ。制圧したの?拳銃持ちの5人を?」
「素人の鉄砲なんて、動ける人間にはそうそう当たらないわよ。自動小銃ならまだしも、拳銃5丁程度じゃ」
天才数学者が高校の数学を『そんなん簡単じゃん』とか言っているように聞こえるな。技術も度胸も、プロ基準の話をされている気がする。
「ひとつ。だとすると、犯人逮捕の件で警察に事情聴取を受けてたの?だったらなんで連絡が入らなかったわけ?あとなんで濡れてたのとか」
「………ワタクシの、判断するところであります」
いきなり話し言葉が怪しくなったぞ。
「そもそも高校球児が武装強盗犯相手に大立ち回りとか面倒くさいネタに発展する可能性しか無いじゃん。あとイメージ的なものもあるから顔見せなんかしたくないじゃん。正当防衛っていっても、やりすぎだとか当事者の気持ちを理解しようとしない阿呆はどこにでもいるし警察の御厄介にはなりたくないと思うのは当然だし犯罪者でもないのに指紋登録とかされるのは本当に我慢ならないっていうか」
自分に都合の悪いことを話す時、山崎でも早口になるのだな。
「どうやってその場を離れたんだ」
「顔隠したまま逃げただけよ!!そしたらあの連中、被害者の1人も出さずに事を収めた功労者に対して『あやしいやつめー!』とか言ってくれちゃってさ!あとは捜査線とか張られたりしたみたいで、ちょいと騒ぎになっただけなんだけど」
捕まってないって事は、今も警察の方は仕事中なんじゃないのかな?
「ひょっとして、最初からあの恰好で?顔も体格も隠して?」
「イエス」
レインコートとホッケーマスクの怪人じゃねぇか。謎の怪人が犯罪者を叩きのめすという謎の事件になってるじゃん。都市伝説を作ってるんじゃないよ。
「顔は…見られてないんだよな」
「それはもちろん。タクシーに乗る直前まで、マスクは被ってたから。しかしまぁ、悪いことは重なるって、ほんとよねぇ。いや、夏の兵庫とか大阪が危険地帯なのかもしれないけどさぁ。まったくもって参ったわ」
関西地方をディスってるの?それとも今晩の経験則なの?
「大阪とかなんで関係すんの?!まだ何かあったの?」
「逃走中に、学生っぽい連中を囲んでたり、絡んでたりする連中を多々見かけてね……?念のために確認するとこれまた揉め事や犯罪行為に巻き込まれたりしてさ。正当防衛権と逮捕権の行使を、せざるを得ない状況に追い込まれ…表通りではチンピラどもが学生を囲んでリンチ直前、裏道に入れば婦女暴行未遂の現場、通りを外れれば女学生が大型ワゴンに引きずり込まれる現場に遭遇し、船の上ではヤクザの取り引きみたいなものに遭遇するわ、埠頭では珍走団が学生と家族連れを囲んでいるところに遭遇するわ、道路に飛び出し轢かれそうな子供を引っ張って助ければ誘拐犯に間違われ、そこで警察に見つかってまた逃走してさ。もう疲れた疲れた」
こいつの話はどこまで本当なんだ。全部が嘘とは思えないが。
「とにかく、社会正義の観点から見て、悪いことはしていません。面倒事を避けるため、余計な事は話さないようにしてくださいね。あと、逃走中に若干の道交法違反をしているので、事が公になれば、あたしは試合に出られなくなる可能性があります」
つまり、口をつぐむという意味では、共犯になれと。
先生を含めて部員一同が押し黙っている中、俺は手を挙げた。
「ひとつ質問があります」
「なんでしょうか北島君」
「若干の道交法違反って、どんなのでしょうか」
「危険行為と無免許運転かな。あ、あと海上交通法違反もあるかも」
名称的には学生的に普通にヤバい。
「簡潔に、どんな状況とかは…」
「トラックの荷台に飛び乗り・飛び降りしたのが3件。逃走中に追跡かく乱の目的で、暴走・迷惑走行をしている連中の走行を妨害してやったのが2件。あとは婦女暴行未遂の被害者を明るいところまで送っていく時に、ちょっとだけワゴンを運転したり、珍走団の車を奪って体当たり攻撃をしたりとか、洋上から陸地へ戻る時に船を運転したり…あ、これは免許を持ってる奴が乗ってたら違反じゃないのかな。でも係留しちゃダメなところに係留しちゃったから、迷惑行為ではあるかも」
もう結構です。
一同の顔がそう言っていた。
弘前高校野球部一同は、この夜の謎の不審者の件に関しては、いっさい口をつぐむ事に決めた。監督不行き届き、きっかけを誰が作ったのか、など。それぞれの思惑はあったが、面倒事を避けられるならば避けたい、という心理で消極的な共犯になる事を決めたのだ。この秘密は時効まで口にはできまい。まぁ、時間が経てばただの馬鹿話で済むのかも。
「みんな世間が悪いのよ!」
「たいていの奴はそう言う」
お決まりの文句を言ってから、山崎はパン、と手を叩く。
「それでは、どうでもいい話はここまで!野球の話をしましょうか」
「「「そうしてください」」」
俺たちは高校球児だもんな!甲子園大会の選手だもんな!それが本業だよ!!
「詳しい事は明日のミーティングで話します。もう遅いからね。今夜の通達は少しだけ。次の弘前高校の試合、2回戦第1試合ですが、あたしが先発します」
「「「おおお」」」
なにやら作戦的なものが出てきた気がする。その真意やいかに。
「…と言っても、まぁ記録的なものを狙っての事じゃなく、その方が安全性が増すだろう、という判断によるものです。各自のプレーに関する注意事項に関しては、明日のミーティングでね。次の試合、勝ち負けは基本度外視して、安全第一でいくからね。まったくもって、気分の悪い」
不審な言葉が出てきたな。勝ち負け度外視の、安全第一?
「怪しい情報が上がってきて、詳しく調べて分かったんだけど。次の相手チーム、性質の悪い監督に育てられたチームでね。簡潔に言うと、ラフプレーをしてくるチームの可能性がある。ランナーを1人も出さず、クロスプレーの可能性を最小限にする事を第一目標にします。ある意味、この甲子園で最悪のチームね」
不審者の件に関しては心の整理がついた。しかし、新たな面倒事が。
次の対戦チーム『入善東高校』だったか。よりにもよって、山崎が最悪に嫌うタイプのチームの可能性があるのか…
考え事は明日にしよう。俺は思考を放棄して、牛乳でも飲んで寝る事に決めた。
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