第34話 過去の記憶の私
その日も私は、仲間といっしょにボールを追っていた。バッターの打った強烈なライナーは左中間を抜け、私の守備範囲まで飛んでくる。私はバウンドするボールを軽くジャンプしてキャッチすると、中継に入ったセカンドへと返球した。
「ナイスカバー!」「おー!!」
今日の対戦チームは強いな。打球も速いし、いいところへ打ってくる。守備だって隙がない。さすがはリーグ上位のチームだ。やりがいがある。しかしピッチャーが捕まりつつあるな。打ち込まれる率が高くなってきた。点数はまだ勝っているが、このままだと逆転される。そろそろ次の一手が必要だろう。私は自分のベンチを見た。やはり。監督が出た。
『ポジションチェンジ!レフトとピッチャーを交代する!』
どうやら私の出番だ。投手を交代して相手バッターを惑わすにはいいタイミングだろう。軽く言葉を交わして、ピッチャーからボールを受け取り、私はマウンドに登った。
―――と。その直後に。
私の脳裏に職場の上位者からの連絡が浮かんだ。内容は…緊急呼出しと仕事の準備、即時待機の命令だった。ちっ!今日のお楽しみはここまでか。
私は俗にゲームマスターと呼ばれるシステム管理へアクセス、ユーザー権限によって自分のアバターを自律動作モードに設定する。機能動作を少しだけ確認すると、仮想現実の球場から抜けた。
―――意識が揺らぎ、再びはっきりとすると、自分の部屋のベッドに居る事を認識する。体を少しだけ動かして機能確認。問題ない。
やれやれだ。仕事は優先。生活の基盤である。もちろん、国家に奉仕する仕事であるから、私も相応の誇りを持っているつもりだ。だが自由時間がはっきりしないのはいただけない。…と言っても、一般民である私に選択の自由などないが。
大好きなベースボールも、試合途中で抜けなければならないという、この有様。確かに私のベースボールに関する思考を再現した人工知能に任せておけば、私とほぼ変わりないプレーをしてくれるだろうし、長期の出張の期間中でもアバターを的確な練習で鍛えておいてくれるだろう。その間の記憶も、あとでフィードバックはできる。
しかし。実感とでもいうのか、プレーの楽しさだけはフィードバックされない。こればかりは自分で楽しまなければ、な。
「さて準備するか。今度の仕事は、ちょっとした出張だからな」
私は家屋管理コンピューターに命令すると、食事と着替えの準備をさせた。
※※※※※※※※※※
私が命令された仕事の内容は、ちょっとした解体作業の手伝いである。部下を率いて現場に移動し、現地の設備の一部を破壊する。もちろん先方には連絡済み。当方は作業を実行後、速やかに現場から立ち去り、指定個所で回収される。
なお、現場は地球の月面。火星市民である私としては、かなりの長距離出張である。しかし仕事の内容を考えると、一種の観光旅行と言えなくもない。月面観光をして帰宅だ。数日の移動期間を経て、ただいま月面を部下といっしょに移動中。これから仕事開始だ。
―――仕事の内容を頭でもう一度確認しながら、私は車内の部下を見回す。
総勢6体の万能型ドローン。簡単な破壊・掘削作業から対人ユニット戦闘まで何でもこなす。私の所属する空間機動連隊の、標準的な装備だ。装甲もそれなりであり、耐久性と運用実績にも定評がある。量産型戦闘ドローンの傑作と言われているやつだ。なかなか頼もしい部下である。
人間の科学文明が発達すると、人間はクリエイティブな仕事以外はしなくなる
―――などという事が、過去の時代では、うそぶかれていた。らしい。しかし現実はそうはならなかった。確かに人工知能制御による自動機械や自律機械によって、製造に必要とされるマンパワーは著しく減った。しかし皆無にはならなかった。
人工知能の制御をさらに管理する、一種の安全装置としての役割を必要とした。…いや、必要とされた、のだ。どちらが上位の存在か、人間社会とは誰のためのものなのか。そんな事を自覚し、守るためのものであるという側面もあっただろう。
どちらにせよ、その社会システムのスタイルが生活する人間に受け入れられれば、それは当たり前の事となる。少なくとも、私はこの世に生まれて教育を受け始めてから、その社会体制が普通で、当たり前で、当然の事で、必要な事なのだと教えられてきた。
ゆえに。
私のように、戦闘ユニットの部隊指揮官は人間が務めるのも普通なのだ。
純粋に機械同士の戦闘が発生する事も今までに頻繁にあったが、あくまで判断・指示を出したのは人間であり、最終的な責任は人間が負う。それが普通だ。もちろん、私という部隊指揮コマンドに命令を出した上位者も人間である。
我々コマンド等の実戦担当を兼ねる(そんな事は滅多にないが)人間は、民間で働く一般民に対して、各種の身体強化措置がなされている。もちろん強化措置だけでなく、知識も充分なものが教育されている。人間の構造、生理機能、運動エネルギーの発生システムと伝達理論、実際の運用に関する問題点とクリアすべき課題。
体で発生するエネルギーの集中方法と分散方法。脳のコントロール方法。必要に応じて脳内の作業エリアの確保と必要とされる処理システムの構築方法などなど。
早い話、この現代社会において、私のような戦闘ユニットとしての仕事をする人間は、自分の身体を物理的に使いこなすプロフェッショナルという事だ。かなりレアである。
コマンドとして育成される事が決まって以降、体質調整、筋肉量の調整、その他諸々の肉体のパフォーマンスを最適化するための医学的処置はひと通り終えているし、身体能力維持のためのナノマシンも常に体液中で活動している。
つまり私の肉体は完璧に調整されており、制御する知識も完全だ。
まぁ、その知識を流用して、大好きなベースボールのアバター育成では他のプレイヤーよりも一歩抜きんでているのだが。人間の体をベースとしたアバター育成は、ほぼ人間の体を鍛えるのと変わりのない作業が必要となる。…まぁ、ちょっとした知識チートというか何というか。…何かの専門家が一般プレイヤーに混じって遊ぶ時には、どこの業界でもよくある事だ。
べつに不思議な事ではない。普通なのである。
※※※※※※※※※※
異変が起きたのは、月面の昼と夜の境界線を、しばらく移動した時だった。
―――攻撃を受けた
おそらくは埋設爆弾と質量弾による攻撃。
状況と外部から入ってくる情報から、そう判断せざるを得なかった。私の頭は一瞬だけだが混乱する。…ばかな。地球政府側には連絡が入っていたはず。今回の作業は一種のパフォーマンスであり、そもそも火星政府の行動である事など一般には公開されない。お互いが了解済みの出来レースのはずだ。
考えられるとすれば、何らかのテロ活動か。秘密作戦の内容を察知されたとなれば、かなりの大問題だが、それならば地球側の軍のフォローがいずれ入るはず。今の我々がすべき事は、可能であれば敵の撃退と、時間稼ぎ。
私は装備を確認し、部下を起動する。予定外の仕事の開始だ。くそったれめ。
※※※※※※※※※※
足底の特殊スパイクが砂地を瞬間的に固定し、蹴り出す力を地面に伝える。月面の闇を疾走する私の体は低重力下をものともしない運動性で敵ドロイドに迫る。
ドロイドの格闘ブレードを装甲板で受け流しつつ、制御ユニットのある部分へと単分子ナイフを突き刺した。ドロイドの動きが止まるのを確認する間もなく、飛び退って次の目標に狙いを定める。ナイフ内の重粒子弾、あと27発。
戦況は最悪だ。
コマンドが実戦に参加しなくてはならない状況など、それだけで負けも同然なのだ。どうやって退却するか、それだけを優先的に考えなくてはならない状況ではあるが、それも叶わない状況でもある。
敵は対人戦闘ドロイドの集団である。わずか7個体の分隊ごときに、30体以上の戦闘ドロイドを繰り出してきた。恐らくはもっといるはずだ。周囲は囲まれている。部下の戦闘ドローンはまだ全員が健在だが、装甲板のあちこちが破損している。無傷なものは一体もいない。
こちらもそうだが、敵も光を発するタイプの射撃武器を装備してはいないようだ。それだけで秘密裏に私の部隊を始末する考えが分かる。しかし近距離用の質量弾発射装置は少ないながらも装備があるようで、囲まれている時点でお手上げに近い。
消耗戦になれば負け確定だ。しかもこいつら、対人用の高レベル放射線発生装置を備えている可能性が高い。部下の戦闘ドローンには通常なら効果の無い武器だが、装甲が剝がれれば制御ユニットに攻撃が通る。下手をすれば一発だ。
もちろん私が至近で喰らえば一発だ。生命維持装置に当たってもまずい。
大昔の思想家の言葉に、こんなのがあったか。「神は死んだ」と。
事の真贋はともかく、もしも神とやらが居るのならば。私の運命に手助けを。
私はこの世に生を受けて初めて、姿も知らない神という存在に祈った。
※※※※※※※※※※
―――私は、月面の昼の面を歩いていた。
少しでも生存の可能性を模索した結果だ。
いや、そう思いこんでいるだけか。
わからない。
呼気の循環触媒はほとんど機能していない。
敵ドロイドの攻撃のせいだ。ちくしょうめ。
充分に余裕があったはずの酸素発生装置も、どうなったんだ。
経過時間が確認できない。ナノマシンの機能がおかしい。
いや、おかしいのは脳機能の方なのか。
わからない。
分からないといえば。
敵の正体。攻撃理由。なぜ情報が漏れたのか。
裏切りなのか。情報漏洩なのか。それとも計画のうちか。
なにもわからない。
分かっているのは。
これが重大なルール違反という事だ。
少なくとも私にとっては。
許せない。やはり現実は最低だ。
厳密なルールに守られ、己の誇りとともに戦うスポーツこそが。
私のベースボールこそが、真実の世界だ。
ふと見ると、敵ドロイドが2体、ブレードを私に向けていた。
「…ルール破りのクソ野郎どもが。貴様らにだけはやられてたまるか」
私は酸素残量が減るのも気にせず、単分子ナイフを構えて走った。
ナイフの重粒子弾、あと1発。
※※※※※※※※※※
遠くに丸い光が見える。少し欠けている。青い。
それ以上認識できない。呼吸がくるしい。
丸い。遠い。ちいさい。
―――そうだ。あれはボールだ。
落ちてくる。捕らなければ。
捕ったらすぐ投げなくては。
2塁はどっちだった。だめだ思い出せない。
とにかく捕ってからだ。まだ負けてない。
点差は何点だったか。だめだ思い出せない。
とにかく捕ってからだ。
私は混濁する意識の中、左腕をボールに向けて伸ばし
――おもいだせ ない
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