第10話 楽しい野球 山崎 桜の野球哲学
【ラクーンズ視点にて】
「監督。相手チーム結構やりますよ。打撃だけなら県下ベスト8…くらいじゃないですか?もしかすると、それ以上かも。」
「…おのれ悪魔め…すでに手下をここまで育てているとは…」
ウチの監督も大概だなぁ、という空気。
ともかくヤジを飛ばす余裕が無くなってきているのは確かだ。
『さぁ、お待ちかねのショータイム!!』
監督の言うところの悪魔が、マウンドで声をあげていた。
『締めにだけ出ると私の実力を見せる機会が薄いから、山崎さんは先発です!リクエスト聞きますよー!三者三振の凡退がいいですかー?それとも満塁にしてから三者三振がいいですかー?凡打で打ち取りがいいですかー?リクエスト早いもの勝ちでぇーす!!!』
「んだとコラぁ!!三者凡退できるもんならやってみやがれ!!!」
『リクエスト承りましたー♪ありがとうございまーす♪』
こっちに向けてバチンバチンとウインクが飛んでくる。微妙にポーズを変えて。
「おい大滝!ピッチャー返しだ!胴体ねらえ!!」
そんな狙ってできませんよぉ、と言いながら1番バッターの大滝がバッターボックスに向かう。選球眼が良く、ミートも流し打ちもできる、バントも上手い左打者。理想的な1番ではある。さて、JKとなった赤い悪魔の実力はいかに。
あの娘は県下(少なくとも社会人リーグでは)唯一のアンダースロー。サブマリンの名に相応しい超低空からの腕の振りと、超遅延の球のリリースから、とても打ちづらい球を投げてくる。浮いて落ちる(サブマリンゆえに)。そしてシュートが曲がる曲がる。
そのくせ投げようと思えばアンダースローで140近い速度まで出す。ついでにサイドスローまで使って投球の軌道もタイミングも変えてくる。見慣れる隙を与えず、慣れてきたころには試合が終わる、文句なしのリリーフエースだった。
まずは久し振りのアンダースローのタイミングを測るところからか――――
山崎投手、ワインドアップで振りかぶって
「なんだと?!」
監督が思わず叫ぶ。通常なら投球妨害すら取られかねない大声。しかし山崎投手は無視して思いきり投げ込む―――
スパァ――――――ン!!!!
「………なんじゃそりゃ――――――っ!!!」
監督が吠えた。
アンダースローではない。通常の、いちばん球威が乗るオーバースロー。しかも、球速が普通ではない。明らかに―――いや少なくとも、ラクーンズで最速の球を投げる、森崎投手の最高速と同程度は出ている。つまり150キロ手前の速度。
女子選手がか?!しかも1投目で?!もしかしてまだ上がるのか?!
ベンチ内がざわめく。バッターボックスの大滝は茫然と、ネクストサークルの山仲も目を丸くしている。
「おいスピードガンあったな!すぐ出せ!!」
そんな監督の声が聞こえたらしい。
『オッケーオッケー。準備待ちますよー。まだ1番だし、ゆっくりいきましょー♪』
プレートから軸足をはずし、のんびりとこっちのベンチを眺める山崎選手。
『まーだー?』
「うるせぇよちょっと待て!!」
「できました!!いけます!」
『準備よろし?それじゃ、いっきまーす』
山崎投手、セットポジションから振りかぶり――さっきとは少し違うフォーム。
体をねじり、足を振り上げた直後から素早く踏み出し、クイックでボールを放つ!!
スパァ―――――ン!!!!!
バッターボックスの1番大滝、茫然として見送る。明らかに、さっきよりも速い。
「おい、終速はいくつだ!」
「げっ!…測り間違いじゃないのか…154キロなんスけど…」
「はぁ?!」
『ふっ。それは最高速ではない。最高記録はもう少し上だ』
いいタイミングでセリフを差し込む、マウンドの山崎投手
「何ぃ?!まだ上があるだと!」
この二人、実は仲がいいんじゃないかな。とかいう声がベンチで交わされる。
『最高速度は100マイルだ(約160キロ)』
「なんだとぉ!?」
『そしてこれはただの速球でもない』
「なにィ?!どういう事だ!!」
『ジャイロだ』
その瞬間、静寂がグラウンドにおとずれた。
「馬鹿な!女子学生が、160キロのジャイロなんぞ――」
『バラしてどーすんだよ!!!』
セカンドの選手から突っ込みが入った。
「…マジか…JKが160の高速ジャイロだと…。メジャーかよ…」
「まさか…いや、あの悪魔ならあり得るのか…」
「…少なくとも、計測結果は凄い速球ですけどね」
ジャイロボール。
投球直後、ピッチャーの手から離れた【初速】と、ホームベースにボールが届いたときの【終速】の差が少ない、速球の一種。
通常の速球がバックスピンをかけ、球の縫い目で空気をかきわけながら進み、マグヌス効果によって揚力を得つつ【できるだけまっすぐに進む】速球であるのに対し、ジャイロは進行方向に対して直角の回転(ジャイロ回転)をしつつ空気をかきわけて進む球種だ。
なお、1回転で通過するボールの縫い目の数が多い方が空気をかきわける効果は高く、影響の多寡を利用して、2シーム(1回転に2本)と4シーム(1回転に4本)を、緩急をつける目的で使い分けるのが普通だ。これは通常のバックスピンの速球も同じである。
ボールの空気抵抗はジャイロ回転の方がバックスピン回転よりも小さくなるため、通常の速球よりも減速が少なくボールがバッターまで届く。そのため、バッターの視覚においては【伸びのある速球】となる。また、バックスピン回転の速球がマグヌス効果によって揚力を得、上に持ち上がりながら重力によって落下し、結果として直線に近い軌道を描いて(若干の落下はある)飛んでくるのに対し、ジャイロはマグヌス効果がほぼ無く飛んでくるため、重力による落下量が変化しない。
加えて言えば、理想的なジャイロ回転のボールは直進性が高く、わずかながらもシュート変化の軌道を持つ普通の速球とはボールの軌道も違う。
つまり、【直進して伸びてくる、重力落下する速球】それがジャイロボールだ。
ジャイロは普通の速球とは軌道も伸びも違う、打者の感覚を狂わす変化をする速球の一種である。これで終速が普通に【剛速球と言える速度】であれば、打者としては打ちにくい事この上ない。
高校生キャッチャーなら、捕球も相応に苦労するが。
『もちろん普通の変化球もひと通り取り揃えております』
「なんだとぉ!!!」
『だからバラしてどーすんだよ!まだ1回だぞ?!』
セカンドからの突っ込みも追加された。
『やー、漫画とかだと、新必殺技を披露した悪役が、ドヤって色々といらない説明したりするじゃない?今がその時だ!って思ってさー』
『悪役っていいやがったこいつ!!』
「それに関しては異議はないな」
どうやら山崎投手はノリと勢いに生きているJK野球選手のようだった。
『さぁーて。それではリクエスト通り、3者凡退といきますか。あ、ついでに。せっかくなので、このイニングはジャイロのみでいきましょーか。よーく見ておいてね♪』
「なんでもいいから打てお前ら!!!」
スパァ――――――ン!!!
内角低めに148キロ。伸びて落ちる球にタイミング合わず空振り。ワンアウト。
スパァ――――――ン!!!
外角低めに150、内角低めに145、内角高めに138。ツーアウト。何?
スパァ――――――ン!!!
外角低めに150、内角低めに150、内角高めに136。スリーアウト。予告どおりに3者凡退。しかし…これは。
「くっそ…何やってる、お前ら…」
監督の声も力が弱い。しかし。これは…
「あの、監督。今のほんとにジャイロだけですかね?球速にえらくバラつきがあるっていうか、落ち方も変でしたよね?
『そりゃーそうでしょお』
ベンチに戻る途中の山崎投手が、振り返って口を開いた。
『ジャイロっていうのはジャイロ回転する球種の【総称】でしょ?誰も4シームだけ投げるとは言ってないし?』
「…はぁ?!」
『2シームも当然投げてます。あとジャイロフォークも投げてみました』
「なにィ?!」
『やだー。このくらいあったり前じゃーん』
『いやジャイロフォークとか普通じゃねぇし。いいから早く戻れよ』
セカンドの選手に言われて、山崎投手はベンチに入っていった。
「…いいかお前ら。次の回にはアイツを攻略しろ…。大人のプライドにかけてな!」
監督。そう簡単じゃないですよ、アレは…
※※※※※
2回、弘前高校の攻撃。下位打線は7番の西神先輩が出塁するも、他は凡打に終わった。
そして2回裏、弘前高校の守備。
『ポジションチェンジ!ショートとピッチャーを交替!』
『―――なんじゃそりゃ――――!!』
山崎と、岡田先輩がポジションチェンジ。通常のシフトだ。
『おいコラ小娘ぇ!!なんでマウンド降りてんだっ!』
『えー?先発投手は1イニング投げたら交替してもいいんですよ?ルールブックにも書いてあるはずなんですけど…知らないんですかー?』
相手チーム監督の叫び声に、グローブを口元に当てて、上目づかいのあざといポーズ。煽る煽る。相手監督をピンポイントでいじりまくりだよ。
『知っとるわ!そういう問題じゃねぇだろ!まだ9球しか投げてねぇだろが!!』
『疲れたんですゥ―――』
『ウソつけ――――――!!!』
もちろん嘘である。そして我が校の予定通りである。今回の試合、9回までの間にピッチャー4人(育成中の前田を含む!)すべてを順番に登板させ、実戦での投球経験を積ませるのが目的だ。…前回の大沢木高校戦では残念なことに、まともに回せなかったし。
山崎は最初の顔見せ、そして最後の抑えである。以後、山崎はショート守備で待ちだ。
『…そーかよ。そーいう事なら仕方ねぇなぁ…お前ら打て!アイツを引きずり出せ!!』
そういう事になるよな。チームの勝利を目指す以上、困った状況になれば山崎が再びピッチャーに戻るだろう。――しかし。通常のローテで守り切るのが、俺たちの目標だ。
それができなきゃ、県予選終盤までウチの最終兵器を温存できないからな。
部員の数が少ないウチの部じゃ、可能な限り継投でピッチャーの疲労を抑えないと、県予選の終盤までにピッチャーの疲労が限界を超えてしまう。今回の試合は、継投の状況確認も兼ねているのだ。――その上で、勝つ。それが今回の試合の目標だ。
岡田先輩の1球目は、内角低めにきれいに入った。およそ140キロ超のストレート。特にコースにも問題はなかった。いい感じだ。そして2球目――――
カキ―――ン
打球は相応の速度で俺(2遊間)の頭上を抜け、センター前まで飛んで落ち、ワンバウンドで捕球された。ランナー余裕で1塁に出塁。ノーアウト1塁である。
まぁ相手の4番スタートだし!普通のピッチャーだとこんなもんですよ!そんなに世の中、甘くはないってね!!
チェンジまでに2点が入れられ、逆転されて3回を迎えた。
「さーて、と。」
山崎がヘルメットをかぶり直しながら、ベンチの皆を見る。3回表の弘前高校の攻撃は、1番打者からのスタート。山崎からだ。
「こちらの打線、打者一巡。どうよみんな、感想は?」
にやりと笑い、山崎 桜は、ベンチの皆を見回す。
「大沢木高校が相手の時は馬鹿みたいに打てたけど、今回はそうでもないよね?思った所にボールが来ない、思ったよりもボールが走らない。守備はボールがどんどん飛んでくるし、ランナーも出てるから守備への気配りも思ったより気疲れするよねー?ピッチャーは当然ながら上下内外へ揺さぶりかけてくるし、真ん中なんて絶対に来ない。そもそも速度も重さも出てるボールが来るし、よく曲がってくる。守備は堅くてエラーもしない。予測して守備位置を変えてくるなんて当たり前。」
さらにニヤニヤ笑いを増して、いつもの腕組みポーズで言う。
「で。こりゃ敵わない、打てない、抜けない。とか思う?キャプテン?」
不意にキャプテンを発言指名。…だが、山田先輩は落ち着いて答えた。
「いや。球筋は見えてるし、バットコントロールも悪くない。予測が甘かっただけだ。…次は必ず打ってみせるよ。」
「じゃ、岡田先輩。けっこう打たれちゃったけど、自分のピッチングは通用しないと思う?」
次はピッチャーを交替した岡田先輩だ。
「んなワケねーよ。外野奥まで飛ばされたボールは1球もねーし、シュートは通用してる。コースの狙いが入ってねーんだ。次はちゃんとコントロールするぜ。」
こんな感じでほぼ全員に感想を聞く山崎。むろん、俺のコメントは無しだ。
「だよねー。できるよね。皆、下地はできてるもんね。」
うんうん、と頷いて。
「どう?面白くなってきたでしょ?」
―――その言葉に、皆はハッとする。誰もが同じ気持ち。やる気は折れていない。
次こそは自分の力を示してみせるという、高揚するその気持ちは皆、同じだったのだ。
「勉強だって運動だって、何が悪いのか、何をすれば良いのか上達するのか、分からないのがいちばん辛い。寄る辺となる力が足りないことが、知識が無いことが。」
山崎 桜の声が、皆の心に染み込む。
「まず力ありき。理論立てて考えるための知識ありき。あとは、自分の工夫次第で目標を達成可能だと、そう思える時、そこから先こそが、いちばん楽しい時だもの。ボールは見えてるよね?バットは自分の思い通りに動くよね?相手の守備から、相手チームの気持ちも段々と想像できるようになってきたよね?バッターの狙いは?打たれたらどう動くべきか?自分の運動能力で可能な動きは?」
山崎 桜は、不敵とも言える笑いを浮かべ、そして言った。
「皆はもう、自分の体をどう動かすべきか理解し、自分で考えて自在に動ける。あとは思い通りに体を動かして、この『ゲーム』を、楽しんで『プレイ』するだけよ?野球って、そうやって『楽しむ競技スポーツ』だものね?――さぁ、楽しい野球の始まりよ。」
山崎 桜が、静かに言う。まるで真理を見通す賢者のように。
「野球は紳士のスポーツであるべきだ、という理念ありきのスポーツの一つ。ルールを厳密に取り決めた箱庭の中で、お互いのチームが厳しい制約内で創意工夫のうちに力を競いあう競技スポーツよ。『力と知識を身につけた上で』『相手と競い合うこと』によって、真の楽しさが得られるスポーツなんだと、私は思う。皆も実感できてるでしょ?相手を少しでも上回ることへの欲求、達成したときの喜び。―――相手は強いよ。点を取っても取り返されるよ?油断をすると大量点を取られるよ?――でもこっちだって強いよ。点を取れるよ。守れるよ。その力はあるんだよ?―――さぁ、楽しくなってきたでしょ?ただ勝てばそれで楽しい野球なんてない。『お互いにルールを守れる相手』『力をせめぎ合う相手』それを求めている。――私たちの求めていたものは、今、ここにある!!」
いつしか、この場の誰もが山崎の朗々とする声に聞き入っていた。
「…その上で、野球に限らず、チームスポーツに必要な合言葉をひとつ、おぼえておきましょうか」
山崎は続けた。
「ワン・フォー・オール。オール・フォー・ワン。ラグビーの有名な言葉ね。」
「…一人は皆のために、皆は一人のために、だったか」
山田キャプテンが口にした言葉に、山崎がニヤニヤ笑いで「ちっちっ」と言いつつ指を振る。
「直訳だとそんな感じだけど、日本語意訳だと少ぉし違うかなぁ?」
「…どうなるんだ?」
山崎 桜が、よく通る声で、はっきりと言った。
「――仲間の力は、我らがために。」
「――すべては、我らが勝利のために。」
「――我らがこの手に――勝利を!!!!!」
「「「「「――うぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」
振り上げられた山崎の拳に釣られるように、全員が叫んでいた。新入部員歓迎オリエンテーションの時の再現のようだ。監督とマネージャーも叫んでいた。
1点差なぞ何するものぞ。俺はやるぜ、俺はやるぜ。俺たちはやるぜ!
こいつマジでアジテーション演説おかしい。俺も叫んでいたし。
『…ばかな…あの悪魔が、青春してるだと…っ』
相手チームのベンチから何か聞こえた気もするが、俺たちのテンションはMAX状態。声援に送られ、山崎がバッターボックスに。
1球目は外角低めのボールに逃げる速球だったが――山崎にとって、ボールはバットが届くか届かないか。それだけの判断基準だけだ。
カキ――――――ン!!!
白球はバックスクリーン上端部に激突した。あわやセンターオーバーのホームラン。
「これで同点って事よ」
「「「「うぉおおおおおお――――!!!!」」」」
バットを置いて1塁へ歩み出す山崎に、弘前高校ベンチの歓声が湧き上がる。
まだ3回の表。どちらも得点は少ない。予想外と言うべきか否か。ここから両チーム、互角の戦いが始まったのだった。
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