第6話 現実を理解し、鶏肉と豆を食う

「夏の甲子園大会ってさ、蟲毒に似てるわよねー」


 こやつ何を言い出したのか。場合によっては高校球児すべてを敵にまわしかねん。

 …蟲毒とは、たしか壺の中に毒虫を大量に閉じ込め、生き残った一匹を使って行う呪いの儀式ではなかったか?


「全国4000校近くの高校球児を県予選で相争わせ、本戦に出場した50校あまりをさらに真夏の甲子園で喰い合わせる。むろんただ戦わせるだけではない。負けた者の汗を、涙を、努力に掛けた情熱という名の怨念を吸い取り背負った、オマケに地元の無責任な期待という負債を無理やり背負わされた、負けるに負けられぬ背水の陣に挑む若きもののふ達が」

「待って待ってまって。もうだいぶ辛くなってきたからもう勘弁して」

 もうすでに甲子園大会が怨念背負った兵士の決戦場に思えてきた。


「まぁ、メジャースポーツなら、多少の差があれと似たようなもんなんだけど」

「分かってるなら言うなよ!高校球児に申し訳ないと思えよ!謝ってくれよ!」

「…はっ。私もその【高校球児】である以上、なんの謝意を表す必要があるわけ?私はただ、【我らが県を代表する最強の毒蟲たらん】と言っているだけで」

「…もう謝らなくていいからこの話は勘弁してください。」

 今は放課後練習中。給水と栄養補給を兼ねた休憩時間の最中。休憩時間の間の『他愛のない雑談』の一幕である。


 すでに山崎 桜という女子選手のキャラクターを把握するぐらいに付き合いが長くなってきたチームメイトは、『また山崎節がはじまったかぁ』という程度の反応。山崎対応係として定着している俺に、『適当になんとかしろ』『面白いから程々に引っ張れ』という、無責任な無形の要求が空気となって流れ込んでくる。

 …山崎 桜の幼馴染で舎弟一号(弟子一号)である俺としては当然とも思えるが、これってそう楽でもないんですよ。手助けしてくれませんかね先輩ったら!!


「…つまり、蟲毒を成立させる最後の最強の一匹になる覚悟を決めろと?」

「いや、そうは言ってない。というか、むしろ甲子園本戦では3回戦までに負けるべき」

 なんやて?


 ざわり。

 ぼく何もきいてませんよー、という振りをしながらも、俺達二人の会話を聞いていたチームメイトが、思わずフェイクの会話をやめて、思わず『なんだと』『なんやて』『どういう事なんだ北島』と、素で反応してしまっている。


「…実力的に深紅の大優勝旗をGETできるかどうかはともかくとして、『勝てないだろう』じゃなく、『中盤までに負けるべき』とは、どういう事なんだ山崎」

 甲子園大会本戦は50校前後が選出される以上、最大で6回戦。俺達は無名の初出場校である以上(県大会優勝すればだが)、優勝するまでには6回戦が必要だろう。3回戦までに負ける…2回戦で負けるという意味か?という事には、どんな意味があるんだ?


「そりゃもちろん、コレよ」

「…ぐぅうっ………そう、か……」

 山崎は右手の人差し指と親指で輪をつくり、下手で、その豊満な胸の下からスッと出した。いや胸は関係ない。問題はこの『西洋式の【お金】』のゼスチャーだ。


「遠征費用が出ないと、そういう事なのか」

「…無名の進学校の弱小野球部。県大会を突破しても、まさか優勝決定戦まで食い込むとは、お釈迦様でも思うめぇよ」

 いや、お釈迦様なら見通してくれるんじゃないかな?つうかお前はどこの時代劇の悪党なんだ。どっかで聞きかじったセリフを真似しやがって!


「公立高校の、弱小野球部じゃ無理じゃない?OBからの寄付金もそんなに期待できないだろうし、寄付金おねがいします!って頑張っても、決勝戦までの遠征費用が賄えると期待しない方がいいと思うわけよ。かといって、ウチらの親にそう負担もかけられないしね」

「山崎は…どのくらいの費用がかかると見積もってるんだ?」

 問題は金額だよな。


「学校からの部費を交通費に当てるとして、実質は朝晩の食事込みの宿泊費と、昼食の費用かな。先生を一人として勘定して、一人あたり男子一日1万円、女子は一日1万5千円。あ、もちろん大槻マネも同行する計算。となると、1日あたり男子11人で11万、女子が2人で3万。合計14万。本戦2回で28万、決勝戦までやるなら84万ね。」

「…84万……。寄付金が集まらなかった場合、決勝戦までいってしまった場合、一人あたり6万から9万を父兄に出してもらう計算か…」

「しかもこれ、あくまで試合前日の宿泊費用だけよ?昔はともかく、今は休養日だってあるし、ついでに言えば練習場を借りる費用だって計算に入れなきゃなんないんだわー」

「…学生スポーツの現実が、これか……」


 なんの見返りもない、学生スポーツに対する出資…いや、供出というか寄付。まともに考えた場合、学費や食費、普段の部活費用にさらに上乗せする費用だ。これはきつい。

 しかもこれは最低限の見積もりだろう。とにかく餓鬼のごとく食いまくる(自己評価)高校球児である。食事は質も欲しいが量を確保しなくてはならない。食費の上限は青天井と言ってもいい。さらには女子部員は保安上の問題もある。セキュリティのレベルが高い宿泊施設を選んだ場合、コストはもっと上がるはず。練習、ミーティング、加えて学校の部活動である以上、引率の都合もあるから…男女とも同じ宿泊施設にする必要がある。

 …以外なところで、男女混合競技の不具合が出てきたか…?


「各家庭に、夏のボーナスをとりあえず諦めてもらう覚悟があればOKだけど?」

「進学校の学生スポーツで、それはけっこうキツイわなぁ」

 これがスポーツ有名私立や、野球名門校ならば話は別だろう。ごく普通に部費は多いだろうし、大勢の部員の積み立てもある。それに慣例となっている強制支出も効く(生徒一人500円とかでも相当なものになる)。

 しかし前年度までの実績も何もない、無名進学校となればどうか。


 もしかすると一大フィーバーして、すごく寄付金が集まるかも?

 だが、同じくらいに本戦勝ち抜きに期待はされず、寄付金が集まらない可能性もある。計画がまったく立たない。


「最悪、甲子園ちかくのカプセルホテルに宿泊場所を確保して、食事はそこら辺のスーパーの安売り弁当で賄うことに」

「それヒドイよぉ!!!」

 甲子園出場校の遠征環境とはとても思えない。


「でなきゃ近くの小学校の体育館でも借りて、家庭科室で自炊とか?」

「それなんてデスロードなの」

 こいつしまいには究極の節約だとか言い出して、市に許可とって河川敷で自炊キャンプとか言い出しかねんぞ。


「ま、寄付金が全然集まらないって事は無いでしょう。…でも、潤沢とはいかないかも。だったら、寄付金でいい宿泊所に泊まれている間に、見せ場を作ってサッと切り上げ」

「現実の資金問題はともかく、高校球児としては下衆の極みなのだが」

 実績は作りたい。でも贅沢もしたい。だったら成果を制御すれば?…ゲスすぎる。


「…あのねぇ、悟?世の中、金よ。可能性だとか希望だとか、形にならないものはともかくとしてねぇ、【夢】【愛】【幸せ】【恋人や伴侶】なんかの形になるものは、ぜんぶお金で買えるのがこの現実世界なのよ!あぁ、もちろんスポーツ競技の成果やら、専門分野の才能なんかも金では買えないわよね?でも、世の中の数多氾濫する諸々のもので、お金で買えないものなんて、ほんの一握り!お金で人生の幸せは買えるのよっ!!!…知ってる?アンタが呼吸してるこの空気だって、本質的にはタダじゃないって事…幸せなんてコンビニで売ってんのよ?高校性の小遣い銭でどれだけの幸せが手に入っているのか、満足に呼吸できる事がどんなに幸福な事なのか、アンタの脳みそにじっくりと理解させて」

「すいません!そこら辺は高校生にはキツイので勘弁してください!!!」

 すでに目つきが死んだ魚の目になっている山崎に対し、腰を90度に曲げる謝罪。

月面で窒息死した未来人の認識は普通の高校生には厳しすぎる!!!


「…うん。ごめん。ごめんなさいね。私が悪かった」

 素直に謝る山崎。…しかしここで止めてくれないのが山崎。


「…高校生にはキツイよね。闇の中を小さな灯火を手に歩くのが人生なんて、まだ知りたくないよね…絶望を知らず、夢の中で希望に満ちて死ねる事こそが、人として真の幸福なのかもしれないもの。…あぁ、汚れっちまった悲しみは、何のぞむなく願うなく、倦怠のうちに死を夢む…か…ふふっ…」

 いかん死んだ魚の目が腐った魚の目になった。ごくまれに回ってくる鬱モードだ。

 このままでは鬱がまわりの人間に伝染する!!!


「練習!練習再開しましょう!ほら山崎、『未完の最終兵器』に、バッティング練習つきあってもらお?アイツはお前を絶対に裏切らないぞ!!!」

「…未完の最終兵器…おぉ…あたしの愛しい子…夢と希望と絶望と、嘆きと悲しみと怒りの申し子…この世の理不尽を体現した真実の偶像よ…」


 まだまだヤバい気がするが、とにかく打撃練習で立ち直ってもらおう!ストレス解消には打撃だよな!あと以前から疑っていたが、この【未完の最終兵器】を設計製作したの、山崎なんじゃねぇの?

 あと!!夢と希望の後はぜんぶネガティブな感情ばっかりじゃねえか…そんなのが世界の真実とか言うんじゃねぇよお!!!

 放課後練習が終わる頃には、なんとか山崎は通常営業モードに戻った。ふぅ。


「じゃあ監督。職員会での説得はよろしくお願いしますね」

「ああ、がんばるよ」

「結果を出してくださいねっ♪」

「…はい」


 言葉尻に音符マークがつきそうなくらいの、あざとい笑顔にウインクを上乗せ(これは小学生から付き合いのある俺だけが知っている事だが、あのウインクは10年以上研鑽を積んだ努力の賜物である)。遠目に見れば、美少女が笑顔とウインクをオジサマにサービスしているように見えるが、実質は依頼という形の命令である。


 言い訳はきかぬ。結果を出すがよい。そう言っているのだ。


「皆さんも、父母会設立に向けて、各家庭での説得をお願いしますね♪」

「「「「…はい…」」」」


 100万ドルの笑顔とウインク。しかし実質は支配者からの逆らえぬ命令である。

 我々が依頼(命令)されているのは、学校上層部からの条件付き支援(金)の約束の取り付けと、父母会という名の弘前高校野球部の支援チーム設立の準備である。


 我々は弱小野球部である。お金はまだない。

 ゆえに草の根スポンサーの支援を取り付ける。対価は『奴らはワシらが支えた』という満足感。どこの高校野球部でもやっている事である。

 弱小ゆえに今まで経験のなかった仕事だけどな。


「ぜんぶ私達のためだもの!頑張って成果を出しましょう!!」

 こいつブラック企業の社長向けなんじゃねぇかなー。

 山崎 桜は、休憩時間とはうって変わった生き生きとした笑顔で皆を見回して言う。


「そおねー。何かの間違いで、資金が潤沢になったなら……」

 どこかの悪の組織の女幹部のごとく、にやりと邪悪風味の笑顔。それでも美少女の笑顔。


「夏の甲子園大会、制覇するのも一つの手かもね」

 やろうと思えばできると思ってんのか?!こいつ!!!


「まずは日々の水と食料だよねー」

 砂漠の戦士だったっけ俺達。高校球児じゃなくてフェダーインか?

 確かに練習後の栄養補給と練習合間の水分補給だけでも大変だけどさ…


「まぁともかく今日の練習も終わり!さぁ食え者ども!遠慮はいらぬぞ?」

「「「「あざ――――っす!!」」」」


 考えるのは後とばかりに、俺達は食事を受け取り、各自に食べ始める。

 練習中には水と塩飴(のようなもの。手造りらしい)。

 練習後には軽食が出るのだ。(むろん晩飯は別に各家庭で喰う)

 そしてこの軽食、なんと山崎と大槻マネと監督の手作りなのだ。…調理担当に男性監督が参加しているのには多少の不満がなくもないが、女子の手作りの食事というだけで、恋愛感情がなくとも男子高校生はテンションが上がる。そういうものなのだ!

 なんか餌付けされてるような気もするが…


「…しかし、この煮豆、普通に旨いな。」

「昆布入りの煮豆なんて、爺ちゃん婆ちゃんの食いもんだと思ってたけどなー」

「飯に全然いけるわ。納豆よりうめぇ」

『ちょっと皆ー!豆もっと食べなさいよ!!まだまだあるからね!!』

「「「「うぃ――――ス!!」」」」


 鶏肉(胸肉)のマヨネーズ焼きと、昆布入り煮豆を白米に山盛り乗せた丼飯。

 味付けはときどき変わる(チリソース煮とかに変化)のだが、基本的に鶏肉と大豆は途切れずメニューに入ってくる。安価である事、そして筋肉のもとになるからだという。

 あとは安く手に入る野菜。生でバリボリ食う。


『食べねば肉はつかない。運動するだけでは痩せるのみ。動かした以上に食えぃ!!』


 はじめて練習後の炊き出しを用意した時、山崎は腕を組み、ふんぞりかえって言った。

 癖になっているので禁止されていても時々こうして腕組みをしてしまうのだが…その時は、みんな揃って『なるほど』と頷いていた。豊かな持ち物には説得力がある。大槻マネージャーもいっしょに頷いていた。その日から大槻マネは食事を増やしたらしい。なお、大槻マネの胸部サイズは並だ。


 鶏胸肉と大豆が効いたのか、部員の筋肉が増量している傾向にあるようだ。

 練習後のシャワーとか着替えの時なんかに、腕の筋肉自慢とか胸筋自慢とか腹筋自慢とか始めるやつがいるので、嫌でもわかる。だが尻肉自慢はやめれ。重要な筋肉だけどさ!


 筋肉がつけばそれだけ力もつく。打球の飛距離と投球能力も上がっている。

 俺達は、着実に強くなってきている。この実感がとても楽しい。

 どんな競技スポーツでも、自分が『良い方向に変化している』と感じるのが一番だ。


 それがモチベーションを維持し、さらなる努力と結果を生む。

 練習はキツイはず。しかし、誰も嫌がってやる奴はいない。やった分だけ技術が身に付く。考えて腕を振った分だけ制球力が、バットコントロールが身に付く。動いて食った分だけ筋肉がつく。練習で体を動かすのも、豆を食いまくるのも、ぜんぶ楽しいぜ!!

 練習ハイなのかもしれんな。でも楽しいからいいや。しかし…


 野球部員全員(女子部員は除く)、こう考えているだろう。

 能力は上昇している。強くなっている『はずだ』と。


 しかし、野球はゴルフのような単独スコアをつきつめるスポーツとは違う。

 9人いないとできないチームスポーツであり、そして何より、『試合の相手』が必要な、『相対評価によって成果が決まる』スポーツなのだ。


 ゆえに分らない。自分達の実力は、どれほどなのだろうか。本当に、山崎 桜の言うように、県大会を決勝まで勝ち進むような実力が、身につきつつあるのだろうか?

 その疑問にある種の答えを持ってきたのは、平塚監督(先生)だった。

 食事が終わった時、山崎を横に並べて、監督はこう言ったのだ。


「―――喜べお前ら。練習試合が決まったぞ。」


 ついに来たか。

 今の俺達の、実力を試す時が。


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